天と地のせいめい 十六












 引き裂かれた。比喩ではなく、実際に。

 悔しかった。ただただ、悔しかった。

 現状を変えられなかった。

 次には消えた。

 悲哀よりも。後悔よりも。

 もっと、もっともっと、深く。強く。怒りに狂った。

 あいつを殺した人間へ。同じ目に遭わせてやりたい。

 守るべき存在に、守りたい存在に、刃を向けた。



 届かなかったのは、僥倖だった。


 動きはしない己の身体が、有難いと、

 怒りに支配されたはずの心の片隅で思って、



 動きはしない己の身体の代わりに、あいつを、助けようとしてくれた、大切な人へ、



 最期の力を振り絞って、自分は何を、



 何を願ったのだったか、






 ケガシテイルノハ、チ、ソレトモ、ルイ、か、



















「眠ったのか?」

「はい」



 紅凪は仰向けになっているトキの傍でしゃがんだ。

 どれだけ深酒したのかは、部屋の隅で綺麗に整列されている酒瓶の数でしか推し量れなかった。



「あの量を飲んだとは思えないくらい、涼しい顔をしているな」

「はい」

「…話は弾んだか?」



 紅凪が青嵐に捕まって、もとい、宥められ続けて、気づけば三時間は経っていた。夕食も一緒にと誘われたが、誰が一緒に食べるかと一蹴して、『二の丸』に用意されたトキの自室まで駆け走ってきたのだ。

 絶対に起きていて、気に食わない顔をして迎えると思っていたトキが、眠っていたのには、少々肩透かしだったが、正直有難かった。



「はい、色々、考えさせられました」

「考えさせられた、ね」



(こいつは何を話したのか?あー、有難いが、厄介でもある)



 空腹にも耐えかねて、床に腰を下ろした紅凪。何か食べるものはないかと、氷月に尋ねると、生姜豆と小さくて丸いおむすびが出された。

 有難いと、一口で丸いおむすびを食べ切り、また、手を伸ばした。

 具も入っていない、海苔もまかれていない、塩おむすびは、それでも、無限に食べられる気がした。



 紅凪はあっという間に出されたおむすびを十個すべて食べ終えてから、出された茶と共に、今度はゆっくり生姜豆を食べ始めた。

 たった五粒しかないので噛み締めて食べようとした、からではなく、落ち着かせる為に必要だったから、である。



「兄貴と、会った事、あるのか?」

「いいえ」



 紅凪は胸を撫で下ろした。

 会った事がある。それどころか、あまつさえ、好意を抱いている、初恋だったと告白された日にゃあ、どうしてくれようかと危惧していた処だったからだ。回避されて何よりである。



「なら、突然許嫁とか言われて、驚いただろ?」

「はい」

「…おまえ、許嫁になりたくないだろ?おまえの気持ちを聴いているんだからな。王家とか、雪晶殿とかは片隅に置いとけよ」

「なりたくはありません」

「なら俺が何とかしてやるから安心しろ」



 紅凪は湯飲みに残った茶を一気に飲み干してから、生姜豆を一つだけ食べた。

 求めていた答えだったから気が緩んでしまい、生姜豆を全部食べてしまいそうになったが、寸での処で止めた。



「あー。トキ、な。人を翻弄するのが好きで、時々突拍子もない事を言うかもしれないけどよ、気にするなよ」

「紅凪王子は」

「おう」



 是非を言わず、名を呼んだ氷月の言を優先した紅凪。なかなか言おうとしないが、焦らず、心穏やかに待ち続け、られたのは、とある考えが浮かぶまでであった。



(まさかまさかまさか。兄貴に、一目惚れした、とか)



 有り得ない、否、有り得る。有り得るのかもしれない。

 安定剤代わりに、紅凪、生姜豆を一つ、口に運び、飴をなめるように、舌で転がす。



(いやいやいやいや。だったら許嫁になりたいって言うだろ。氷月は言いましたか?はい。言ってませんね、言ってませんよ。俺はこの耳できちんと聞きました。許嫁になりたくないって聞きました)



 大丈夫大丈夫。その可能性は皆無。落ち着くんだ紅凪。



「ひひひ氷月は、げふ、その。がふ」



(おおおおおお落ち着けおれえええぇ)



 生姜と黒砂糖の味はもうしないが、大豆はまだ口の中に残っている。まだだ。まだ新たな生姜豆を口の中に迎え入れはいけない。口の中に残っている大豆を噛み砕いてはいけない。



「紅凪王子。大丈夫ですか?」

「大丈夫っだ」


 ごほん。紅凪は喉の調子を整えて、泰然と氷月に向かい合った。


「何か俺に言いたい事があるのか?」


 はい。菩薩の笑みが効いたのか。毅然とした態度のまま、氷月は言葉を紡いだ。


「紅凪王子はトキ様に好意を抱いているのですか?」


(あっぶねえ!)


 紅凪は焦った。思いもしない疑問に大豆を噴き出してしまうところを防ごうとするあまり、逆噴射してしまい、大豆をまるまる飲み込んでしまったのだ。危うく喉に詰まらせる処だったが、勢いのおかげか、回避された。


「抱いてない。これっぽっちも抱いてない」

「ならば許嫁の件はなくなりますか?」

「あー、いや。それは、なあ。決まった事だし」



(近くに置いとくのに便利だし、網代に結婚しろと迫られなくなるし)



「好きじゃないのに、結婚するかもしれないのですか?」

「あー。結婚、なあ。まあ、そうだな。利害が一致しているからな」

「利害、ですか?」

「あ!おまえはンなこと考えるなよ!気持ちを通じ合わせたやつと結婚しろよ!」

「私はどうでもいいんです!」



 いきなり立ち上がった氷月に。声を荒げた氷月に、紅凪は目を丸くした。



「氷月?」

「私よりも、紅凪王子の気持ちを考えてください。結婚は好きな人としてください。王子として考慮した結果、受け入れているのかもしれませんが。受け入れる必要があるのかもしれませんがそれでも私は。紅凪王子に、幸せでいてほしいから。紅凪王子を大切にしてくれる人と、紅凪王子が大切にしたい人と、結婚してほしい」

「俺だってな。俺だって、氷月には幸せになってほしいんだよ。私よりもって言ってほしくないんだよ」



 嬉しかった。すごく。思っている以上に想われていた。

 悲しかった。すごく。蔑ろにしていた。



「どうでもいい?よくないだろ」


 失言。認識。衝撃。バラバラに、引き裂かれたのかと、錯覚した。

 すごく、すごく哀しそうな表情。そんな顔をしてほしくない。笑っていてほしい。



 なのに、



(自分も大事だけれどあなたがもっと大事なんです)


 言えばいい。簡単だ。真実でなくても構わないだろう。この人を安心させられるのなら、



 たった一言。

 たった一言だけ、



(言えない)


 自分も大事だなんて、言えるわけがない。


(言うな)


 言うな言うな言うな!


 命令しているのに、決壊したものは止まらない。止められない、



「価値がないから私は、実親に捨てられたんです。どうして。自分が幸せになれると思う事ができるのでしょうか?」

「ひ、」

「今の私でさえ、路傍の石よりも価値が見出せない。私は、」



(そんな顔をさせたいわけじゃないのに!)



 止められない、



「あなた方に理由と道と光ももらったのに、私は生きる価値を見出せない」



 生きたいと、どうしても思えない。

 役に立ちたい。幸せな顔を見たい。半面、消えてしまっていい。次に瞬きする間でも構わない。











 引き裂かれた。比喩ではなく、実際に。

 悔しかった。ただただ、悔しかった。

 現状を変えられなかった。

 次には消えた。

 悲哀よりも。後悔よりも。

 もっと、もっともっと、深く。強く。怒りに狂った。

 あいつを殺した人間へ。同じ目に遭わせてやりたい。




 同時に。




 消えない。あいつの顔が、


 ようやくと、安堵で満たされた顔が、




(そんなに、)




 生が苦痛だったのか、




(何もできなかったのは俺だ!)






「氷月!」


 理由を注いでも、道を与えても、光を照らしても、生きられないというなら、



 好意の種類は未だ判別できないが、愛を持っているのは確かなのだ。構わないだろう。



「俺と結婚しろ!」

「嫌です」

「はい!?」



 あらゆる未来を駆け巡らせて、考慮して、それでも抑えきれなくて発した決死の告白を速攻で断られた紅凪は、一瞬間意識を宇宙に飛ばしたのち、このまま飛ばされてはいけないと叱咤して高速で戻って来ては、何時の間にやら立ち上がっていた身体で氷月に詰め寄った。



「俺のこと、す、好きって言っただろうが!」

「好きです。ですが、結婚はしたくありません」

「何でだよ!」

「紅凪王子には他にもっと結婚すべき方がいるからです」

「誰だよ!」

「言いません。ご自分でお探しください」

「何だそれ。やっぱり俺が嫌いなんだろ!嫌いだからそんなでたらめを言ってんだろ!」

「でたらめではありません。探してください」

「嫌いなんだろ!」

「好きです」

「嫌いなんだ!」

「好きです。だから、」

「うるせえ、黙れ、氷月、水、持って来い」



 紅凪は空気を読まないトキに目を三角にした。



「寝てろ莫迦!」

「分かりました」

「氷月!」

「おい、莫迦」



 一応気を遣ったのだろう。話しかけられて無視しようとしたが、遅くではあるものの投げかけられた酒瓶を放置できず、振り返り受け取った隙に、氷月は脱兎の如くこの場から消え去った。



「トキ!」

「冷静になれ莫迦が。おまえは今何を口走ったのか理解してんのか?」



 何を言われても言い返すつもりだった紅凪はしかし、閉口した。




 理解はしている。

 自分が最も氷月と結婚する資格がない事を。

 それを承知で、口走った事も。




「理解してんだよ」



 鈍く、重く、それでも、彩を多様に含ませた発言に、トキは酒を持って来させれば良かったと後悔した。











  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る