天と地のせいめい 十五






 やり直したいか。


 退屈な世界に一石を投じんと問えば、迷いもなく、間も置かず、あいつは言った。


 やり直したい。

 助けたい。

 あいつだけは。

 あいつだけでも。






 遊戯だった。

 真剣だった。

 遊戯に過ぎなかった。

 喉元に鋭く尖った刃先を突き付けられるような。

 情を惹き起こす気迫を味わえるとは、思いもしなかった。



 

 一笑を吹き出した俺は言を翻す事なく、あいつの願いを叶えた。

 この頃思い描いていた己の欲を叶える為に、利用させてもらった。








 しかし思いの外、願いは叶えられなかった。

 どれほど呆れたか。

 どれほど嘲ったか。

 どれほど苛立ったか。

 どれほど次を与え続けたか。

 幾度も、幾度も、同じ刻を繰り返しても、なお。

 刻は確かに流れ続けて。

 己の存在が壊れてしまいそうだった。

 このままでは己が壊れてしまうと確信した。



 

 見てみたかったが、致し方ない。

 ただ、

 見下ろしたままに、朽ちる事もなかろう。

 叶えるより先に壊れてしまうというのならば、己を投じさせよう。











 青嵐の自室から出て、庭園へと足を延ばしたトキは不意に立ち止まり、口を閉ざしたままついてきた氷月に向かい合い、思わず笑いを吹き出しそうになるのを、口を結び口の端を上げる事で抑える。



 柔和。哀愁。血の色。生と死の狭間。

 世界に鎮座するのは、それらの形容を持つ光。



「俺に言いたい事があるんだろ。いいぞ。何を言っても不問に処す」

「………トキ様と紅凪王子の結婚は反対です」



 時間をかけて、加えて音量は若干小さいながらも伝えてきた真っ正直な言葉に、今度は堪え切れずに笑いを吹き出してしまった。



「よーーやく、口を活用する気になったか。まあ」



 目を眇めたトキは片手を額に当たらないようにしながらも、氷月の前髪を持ち上げ、露わになった目を直視した。



「目には敵わんか」




 おまえは夕陽だと、トキは思った。



 淡く映えさせて、世界を曖昧にする希望の光よりも。

 濃く映えさせて、世界を露わにする絶望の光こそ。

 夜でも闇でもない。

 夕陽こそが、



(そろそろ終いか)



 視界の端に、紺碧色が入る。




 夕陽が世界を独り占めできる時間の、なんと短い事か。




「婚約が決まった者同士、飲みに行くぞ」



 トキは前髪を持ち上げていた手を下ろしては、素早く氷月の手首を掴み、城の外へ出るべく颯爽と歩き出した。



「おまえは青嵐の嫁だから、俺にとっては義理姉になるわけだ。俺を義理弟して可愛がれよ。とは言っても、おまえはまだ未成年だ。奢れとも、酒に付き合えとも言わん。俺が奢ってやるから、酔いつぶれたらちゃんと連れ帰れよ……おい、止めるな」



 全体重では説明がつかない。摩訶不思議な力でどこかから重力を借りているのではと疑うほどに動かそうとしても動かない。

 仕方なしに、トキは氷月へと振り向いた。



「出かけるのであれば、護衛をきちんとつけてください」

「護衛ならつけているぞ」

「秘密裏に、という事でしょうか?」



 見渡しても人は見当たらないのでそう推測した氷月はしかし、肯定されてもそれが真実か否かを判断できなかったから、困った。



(やはりここは諦めてもらうしかない)



 二人での外出か、外出そのものを。

 結論を出した氷月が言葉を発するより先に、トキが告げた。

 俺が護衛だから問題ない。



「いえ、問題はあります。こればかりは、トキ様がいくら腕に覚えがあろうが、この国一番の武術家だろうが関係ありません」



 即座に切り捨てられたトキは半眼になった。



「おまえ、頭が固いな」

「諦めてください」

「……分かった。今日は俺の部屋で飲む。それなら構わんだろう?」

「はい」



 摩訶不思議能力は一旦お開きらしい。手首を掴んだまま歩き出せば、あっさりと動き出した。


 やれやれ。


 『二の丸』へと引き戻り始めたトキは軽く頭を左右に振って、素直についてくる氷月に話しかけた。



「夕飯はもう用意されているだろうが、肴なら今からでも融通が利くだろう。夕飯後に食べたい物は何だ?」

「私は何も要りません」

「分かった。緑茶を片手に、俺を肴にしておけ」

「紅凪王子と仙弥殿と青嵐様もお呼びになって、四人で楽しまれてはいかがでしょうか?」

「いやだ。今日はおまえと二人で楽しむ。ほかは邪魔だ……大体。おまえも、俺に言いたい事がまだあるだろうが。全部吐き出していけ」

「………はい」

「ならばもう一度訊くぞ。夕飯後に食べたい物は何だ?」

「………」

「夕飯後に食べたら身体に悪い。しかし長時間拘束されそうなので、何か食べ物があった方が間が持つ。さてどう答えるべきか。か?」


 氷月は目を丸くし、次いで、目を伏せた。

 少しだけ、耳が熱いと感じた。



「……生姜豆が食べたいです」



 生姜豆とは、煎った大豆に生姜と黒砂糖をまぶしたお菓子で、これを食べるとよく眠れると未空に勧められて以来、氷月が気にいる食べ物の一つになった。



「そうか」



 ならば、料理人に身体のいいものをいくつか作らせよう。

 無用になった提案はしかし今だけで、近い内に尋ねる事で消化させよう。



「夕飯は何だろうな」



 トキは逸る心を投影させず、ある程度ゆったりと歩き続けた。














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