天と地のせいめい 十四

「と言う事だ。分かったな?」

「ああ」

「おい!」



 紅凪が放心している間に、トキは仙弥を外に連れ出した。同じく外に出た青嵐と氷月の背は小さく見える。どうやら青嵐の自室がある『二の丸』へと向かっているようだ。流石だなと心中で称賛したトキは仙弥に説明をした。時間にして十分ほどだった。


 よほど衝撃的だったのだろう。ちょうど説明を終えた頃、紅凪は外に飛び出して、トキの肩を掴んでは強引に振り向かせた。


 焦りと怒りで顔をひどく歪める紅凪。自分がばらしているとでも思ったのだろう。

 己の身の内にだけ留めている秘密を。

 トキは不遜に微笑んだ。



「こいつに愛人にならないかと持ちかけていたところだ」


 紅凪は鳩が豆鉄砲を食ったような表情を浮かべて、次には、顔を真っ赤にさせた。


「あ、ほか!」

「俺の愛人じゃない。おまえの愛人だ」

「おまえな!」


 わなわなと身体を震わせていた紅凪は仙弥を一瞥しては迷惑をかけたと謝罪し、トキの腕を掴んでこの場から離れた。






「おまえな!」


 『一の会』よりも若干小さ目の建物である『二の会』にトキを連れ込んだ紅凪。ニヤニヤと人の悪そうな笑みを浮かべまくるトキを睨み付けた。


「声を落とせ。誰もいないからと言って油断するなよ」

「うっせえ。莫迦。ほんと、莫迦。おまえ、莫迦」


 目を半眼に落としたトキは、やおら首を振った。


「まだ衝撃の余波は抜けてないようだな」

「抜けるか。くそ。ほんと、一体どうなってんだ?おまえと俺はともかく、兄貴と氷月が許嫁同士だと。なに考えてんだ。国王も兄貴も……もしかしておまえ、兄貴に話したのか?」


 ぞくり。全身を凍てつかせるような怒気を多分に含ませた眼差しに、けれど、トキが動じる事はない。どころか、鼻で笑って軽々と吹き飛ばした。


「さてな。どうだと思う?」

「………おまえに求めるだけ無駄か」

「そうだな」

「けど答えろ。兄貴に話したか。仙弥にも話したのか?」

「話していないな」


 俺からは。と心中だけで注釈をつける。

 紅凪は吟味する時間を多めに取り、口を開いた。

 信じるか否か。まだ答えは出ていないが。


「……僥倖だったのはおまえが俺の許嫁って事だな。堂々と傍で見張れる」

「だと思って進言してやったんだ。感謝しろよ」

「…ったく」


 くしゃり。紅凪は前髪をやや強く握っては一時その姿勢を保ち、次にはおもむろに解いて、トキを凝視した。大分警戒心は殺いだようだ。無駄だと悟ったのだろう。


「勝手に余計な事をすんなよな。おまえは見守り役なんだろうが」

「言っただろう。進展させないおまえたちが悪い」


 ふっと微笑を浮かべたかと思いきや、トキは鋭い視線を紅凪に向けた。瞬間、紅凪は思い知る。思い知らされるのだ。

 こいつはーなんだと。こう見えても。



「…言っただろう。今回が最後だ。もう次はない。だから俺が来た。青嵐が違う動きを見せたのは、感じ取ったからだろうな。一応、聡いと褒めておこう」

「……喜べばいいのかどうなのか」

「青嵐に協力を求めればいいだろうが。おまえ一人では限界があるのは理解しているな」

「それでも。俺は一人でやる」


 揺らぎない応えに、溜息しか出ない。


「莫迦が」

「ああ…知ってる」

「…莫迦は本当に死んでも治らないな」

「…だな」

「…青嵐に氷月を取られてもいいんだな?」

「え?」



 鳩が豆鉄砲を食ったよう顔の再来である。どうやらそこにはあまり意識が行ってなかったらしい。研ぎ澄まされた思考が一気に破綻してしまった。



「あ。え?そう、だよな。おまえが話してないとしたら。兄貴が氷月を純粋に欲しいって思ったんだよな……マジか。え?マジ?あー。まあ、でも、え?えー?」


 紅凪は頭を抱え出した。


「莫迦が」


 トキは一言呟き、目を細めて二の丸へと視線を向けた。












「あなたを生かす為ですよ」

「生かす為ですか?」



 『二の丸』の青嵐の自室にて。


 ここに辿り着き、部屋の中に招き入れ、畳の上に座るように促す言葉が、『一の会』を出てから初めて発した青嵐の声であった。続いて、共に正座になって向かい合う形を整えてから、何故氷月を婚約者にしたのかという理由を口にした。


 前髪で隠れている両の眼はどんな形になっているのか。どんな色を乗せているのか。

 ふっと、無意識に他人を安堵させるような微笑を浮かべた。意図して。



「意味が分からないと思いますので、順を追って説明しましょうか」

「はい」

「第一に、私は弟がとても大切です。なので、弟が大切にしている存在は無条件に大切にしたいと思っています。弟に害がなければ、との前置きはありますが」

「はい」

「あなたも仙弥殿も、紅凪はとても大切にしています。あなたも仙弥殿も紅凪を大切に想っていますね?」

「はい」

「私はあなた方二人を害になるとは思っていません。なので、私も大切にする対象に当たります」

「は、い」

「大切にするとは言っても本当ならば、私は遠くから見ているだけだったんです。補佐する役目に徹しようと思っていたんですよ。ですがもう、見ていられなくなりまして、一石を投じたわけです」



 青嵐は前のめりになって氷月の顔に片手をかざしたが、氷月は身じろぎさえしない。その事実に、やれやれと苦笑しか零れない。



「どうして傍観者を止めたかと言いますと、君が生きようとしていないからですよ。氷月…了承を取っていませんが、敬称は外させてもらいます。婚約者ですから」

「…はい」

「自覚はあるみたいですね。できれば一言だけで返すのではなく、もっと言葉をください。私の憶測だけでは話が進みません」

「……私の命は、雪晶様に預けています、が、私は、あの方の望みを叶えてさしあげられない。紅凪様と仙弥様には、生きる為の光と道を頂きましたが、使う術がどうしても見つけられません。生きたいと、思っています。死にたくない。御三方の幸福な姿を見ていたい。お役に立ちたい。ですが、同時に、私が私自身を要らないと判断した場合は、即座に姿を消します…使えない命など、あっては邪魔なだけです」



 小さな、けれど明確な、心臓の音を意識する。

 紅凪や仙弥には言えなかった胸の内。悲しませると、憤りを覚えさせると知っていたから。

 知っていてもなお、生かそうとしてくれているのを知ってもなお、変わらないままに。


 死にたくないと。掴んだ手に報いりたいと思った。

 できないと知った時から、要らないと判断したら、いなくなろうと思った。

 でもまだ、今ではない。まだ、要らないと判断したくない。



 自分自身が、




 氷月は畳を利用してその姿勢のまま腕の力だけで後ろに下がり、畳に額を押し当てた。


「青嵐様の婚約者にはなれません。どうか、どうか、その役から私を外してください」

「おや」



 思わぬ答えに、青嵐は目を丸くした。

 内々とは言えすでに発表してしまったのだ。義理父の顔に泥を塗るような真似は絶対にしないと思っていたのに。


 驚くべきはそれだけではない。観察していた彼女の像と、実際の彼女の印象に違いがある事だ。

 生きていないと思っていたのに、そうでもなかったらしい。

 どうやら考えを今一度改める必要があるようだ。



(とは言え)



「申し訳ありませんが、その申し出は聞き入れる事はできません。もう、決定事項ですから、あなた個人が拒んだとしても栓ない事です」



 顔を上げて下さい。青嵐が言えば、氷月はおもむろに顔を上げながらも畳に押し付ける力も強くした。青嵐は氷月の手を視界の端に入れながら、口を開いた。



「申し訳ありません。事前に了承を得なくても、断られるとは思いもしませんでしたから」

「…私も、断るとは思っていませんでした」

「そうですか」



 『一の会』からここまで歩いた時間が、彼女に迷いを生じさせたのか。

 失敗した、とは思わなかった。むしろ、

 この変化は有り難い。護るだけの存在だった彼女が打破する力を持つかもしれないのだ。

 それに、



(まさか私自身が興味を持つ事になるなんて)



 湧き出る笑いをどうにか音に出さないようにして、口の端を小さく上げた。

 自分を見てほしくても、その願いを口にはしない。

 前髪を退かしてほしいとも、今は言わない。



「婚約者の決定はどうあっても覆りません。なので、私と恋をしてみませんか?」

「はあ!?」


 青嵐の告白に絶叫したのは、氷月ではなく、ここまで駆け走ってきた紅凪だった。


「紅凪。無断で部屋に入ってはだめだろう」

「いや、悪かった。けど、え?兄貴。今、氷月に、告白したか。愛に近しい告白、みたいな?」



 紅凪は青嵐へと一気に距離を縮めると、ズズイと鬼気迫る勢いで顔を近づけた。

 一言一言。間違いがあってはいけないと言わんばかりに区切って質問をする紅凪に、青嵐は平然と微笑んでは肯定した。



「え?え?だって。え?兄貴。氷月が好き、だったのか?」

「今好きになったんだ」

「はい?」

「大丈夫だよ。私以外の人間とは会わないようになんて言わないから」

「いやそれどんだけやばい人間!?じゃなくて、え?ちょ、え?」

「青嵐。そいつは任せた。ちょっとこいつを借りるぞ」

「ええ」



 どうせ色好い返事などもらえまい。そもそも関心がないだろうし。時間をかけてゆっくりと距離を縮めていければ。



(などと言えないんですがね)



 トキに連れ出される氷月を見送りながら、青嵐は混乱極まっている紅凪に落ち着くように宥めたのであった。









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