天と地のせいめい 十一

「氷月殿。わざわざありがとう。菜々美もきっと喜んでいるよ」

「いえ」



 ――『仁の区画』漆黒町。加治宅にて。



 氷月は寝台の上で眠っている加治の妻である菜々美を今一度注視して、席を立った。



『昔、妻と行った架け山の小さな泉にあったナニカを思い出したい』



 加治が『雪芒』に依頼した内容であった。

 本来ならば『雪芒』を名乗ってはいても未熟者である氷月は依頼を受けられなかったのだが、依頼主である加治がどうしても彼女がいいと懇願した結果、赴く事になったのだ。


 失敗に終わっても、氷月に頼むの一点張り。

 紅凪の執事を引き受けてもいる状況なのだが、紅凪からは仙弥がいるから『雪芒』を優先していいと言われているので、その言葉に甘えた氷月は今、こうして加治の家を訪れていた。




『ひーちゃん。今日は何をしましょうか?』



 家に閉じ籠って、修行に明け暮れていた氷月を訪ねては外に連れ出してくれたのが、加治と菜々美であった。


 口下手、人見知りに加えて、『雪芒』にならなければと焦っており、邪険な接し方しかできなかったのだが、優しい温もりを絶やさずに接してくれた二人に対し、余裕がなかったのだろう。


 ごめんなさいとは思えても、ありがとうとは思えなかった。


 その気持ちが変わらないまま、菜々美が病に臥せって、目覚める回数が少なくなっていき、今はもう、数える事もできない。


 少ない食事を口にする事はあっても、目を覚ます事のないまま。

 加治は時間を取って、菜々美の世話をしながら、昔話を紡いだ。

 初めて二人で出掛けた場所が、架け山であり、そこで偶然見つけたのが名もなき小さな泉だった。

 今はもう枯れてない泉の中に、確かにナニカがあったはずなのに思い出せない。

 だからこそ、加治は依頼したのだ。





「私に拘るのは得策ではありません。私はまた失敗します」


 説得する雪晶にそうしたように、言い切る氷月に対しても、加治は決して首を縦に振る事はなかった。


「氷月殿以外の方に頼むつもりはありません」


 揺るぎない態度に優しい微笑は氷月を信頼しているからか。

 これ以上は何を言っても無駄だろうと、氷月は一礼してその場を後にした。






 『仁の区画』内、漆黒町の隣、憲房けんぽう町。架け山があり、丘が多いその町は、土や石などの鉱物採掘場と認定されており、労働者が寝泊まりする宿舎や工場がほとんどで、民家は見当たらなかった。



 本来ならば労働者以外は立ち入る事のなかったそこに、彼ら以外の人間が立ち入り別の賑わいが生まれるようになったのは、ひとえに観光協会の人間が乗り出したからだ。

 彼らが町に申し出、交渉を重ねた結果、憲房町は、教育の職場見学として、余暇を楽しむ娯楽学習として、或る一定期間だけ見学できる観光という要素が加わったのであった。

 今はその観光期間に入っているらしく、大勢の人で賑わっていたが、守り山として唯一採掘してはならないと決められている架け山に入る者はほとんどいなかった。

 風光明媚な風景が待っているなど、人を呼び込む要素がないからだろう。



 氷月は加治に教えてもらった道順を辿り、小さな泉があった場所へと向かっていた。

 守り山であっても、人が入ってはいけないとの禁止事項がない事に加えて、山の管理の為もあってか、道はきちんと整備されていた。



「あった」



 頂上まで目と鼻の先という処で右側の細い道を辿った先。小さく開けた場所にあったのが、水の入っていない窪み。幅は大人一人が腕で円を作ったくらいで、深さは幼い子どもお手製の池かと思われるほどの大きさだった。


 氷月はしゃがみ込み、今は枯れた泉により近づいて、窪みの底に触れた。


 ひんやりと冷たい。砂粒の細かく乾いた灰色の土。植物は生えていない。見た目と感触以外、何も分からない。


 土から感情が流れ、思い出を見せてくれたら。などと、可愛げのある想像など思い描きはしないが、何かしらの助けにはならないかと、期待していないかと言えば嘘になる。


 氷月は口を歪ませた。



 『雪芒』が失敗した理由は分かっている。

 恐怖を抱いたからだ。




 依頼主の身の内に意識を飛ばすと、強引に引きずり込まれる。

 その速度に耐えられず、身体は四分五裂に引き千切られる。

 引き寄せるか、新たに構築するか。


 どちらにしても、基礎とするのは、己の感覚。己を構成するもの。細部まで明確に思い描く。身体の形であったり、思い出であったり、意思であったり、性格や嗜好などを。


 身体を構築し終えると、次には誘惑や痛みをもたらす常闇に包まれるその空間を、白扇を粋に鳴らして広げて、一振り。白の光で照らして退かせ、無数現れる扉の中から、必要な一枚を見つけ出して、開ける。


 これらを実行する為に『そめ』が必須だったのだ。

 個を覚え、光を覚える為のそれが。


 必要な扉は灰色に染められている。開ける為の鍵は、光で照らした瞬間に眼前に現れる。急速に忍び寄る常闇に追いつかれる前に鍵穴へと差して鍵を回し、扉の中へ飛び込む。


 すれば、各々が忘れている景色が眼前に広がる。


 これが『雪芒』の成功手順。




 失敗した理由は恐怖を抱いたから。

 恐怖を抱いた理由は、取り込まれると思ったから。


 何故取り込まれると思ったのか。それは、未だに己の感覚が掴めていないから。


 仙弥に地を、紅凪に光を与えられながらも、氷月はまだ己自身が分かっていなかった。


 状況に流されているが故だと思っている。

 拾われた先が『雪芒』の当主の家だったから、『雪芒』を目指しているだけ。

 能動的ではなく、受動的に。


 捨てられるのではないかという恐怖故だ。

 今でさえ。




(仙弥殿は同じ孤児なのに、明確な自我を持っている)



 足りないものは明確。だが、どうすればいいのか分からない。




「まーた小難しい顔をしてるな」



 聞き覚えのある声音と話し方はだが、違和感しか掴めない。思考だけではなく身体も。ぞわりと産毛が立つ。

 氷月が即座に振り返れば、声音どころか姿かたちも紅凪に瓜二つの男性が立っていた。



「あなたは誰ですか?」



 氷月は慎重に立ち上がり、相手との間合いを読み取った。およそ踏み込んで三歩。

 ぱちくり。注視している為か、そんな擬音が聞こえてきそうな瞬きを一つ見せた男性は、瞬間、雰囲気をがらりと急変させた。柔らかく温かいものから、しなやかで乾いたものに。



「へえ。やっぱり分かったか?」

「…紅凪王子のご親戚ですか?」



 紅凪王子の兄弟は青嵐王子だけなはずだが、把握していないだけかもしれない。発言通り、親戚という可能性も無きにしも非ず。

 双子かと見まがうほどに瓜二つの青年に対し、氷月は慎重に、無礼がないようにしながらも、警戒心は解かなかった。



「そうだな。親戚と言えば親戚、だな。紅凪は俺の事を知っているぞ」



 素直に信じられないのは、何故か。警戒心を生み出す焦りと困惑が増長していく。

 嘘だとして。何らかの企みがあって、紅凪の姿かたちを模倣しているだけかもしれない。

 そうする事ができると耳に挟んだ事があった。


 距離を測る猫のような態度の氷月にも、気分を害した様子はない青年は手をひらひらと振った。



「まー。信じねえわな。当たり前。城に行って証明してやるって言っても、疑惑は晴れねえ。阻止したいだろ。王印がないしな」

「無礼をお許しください」

「いや。構わない。どうせそう時間が経たないうちに証明できる。だからそれまでほんの少し話すか」



(何故私に近づいたのか……それに……前にあった事がある、のか?)



 座れ座れと、声と手振りと促され、氷月は雰囲気に既視感を持つ事に戸惑いながらもその場に腰を下ろした。











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