天と地のせいめい 五

 扇晶城の外周を巡る水堀に掛かる橋は六つ。それぞれの区画に一つあるその橋を進んだ先には小さな箱型の建物と扇形の石の城門がある。それを潜った傍らには二重二階の櫓が、先には石垣に沿うように造られた円周の石道がある。それを一周すれば十の独立し、等間隔に建てられた建物に立ち寄る事ができる。



 それらは政治を担う国政省の建物である。国政省は十一ある。医療や治安、官吏の人事を担う総務省、裁判を担う法務省、他国道との交渉を担う外務省、税金処理を担う財務省、学術教育を担う文部科学省、労働や福祉を担う厚生労働省、経済を担う経済産業省、公共物を担う国土交通省、特殊な技能を担う陰陽省、城の一切を担う城局省であるが、三の丸の中にある城局省を除く十の省はそれぞれ独立した建物が設けられていた。



 それらを過ぎ中央に進めば会議や謁見時に使う建物が、『一のいちのえ』、『二のにのえ』、『三のさんのえ』と三つあり、その先の広い庭園をさらに抜けた先に、公式政務と王家の住居となる三重三階の本丸とそれに連なる二重二階の二の丸、三の丸が、そして中央に祭祀を執り行う五重六階の天守がある。つまりは天守を中心に建物や外壁が円形に囲む形で城一帯は成り立っていた。



 城に入る為には城門で待ち構えている門番に、官吏は扇を、それ以外の者はそれに加えて許可証を提示しなければならない。



 扇と言っても親から贈られた白扇とはまた違い、区役所に出生届を提出した際に手渡される身分証明書としての扇である。国扇こくせんとも呼ばれているそれには、自分と親の名前や自分の生まれの年月日、血液型や持病名の印、学校の修了印、職業印が国秘蔵の特殊な液体を使用した判子で押される。名前などは出生届を提出した際に、学校の修了印も学校で押されるが、職業印や持病に関してはそれが変わる、または加わる度に、その都度区役所に行かなければならなかった。









 ――扇晶城会議場『一の会』。


 畳張りの部屋に集まっているのは、国王と紅凪と彼の義理兄でありもう一人の王子、また各省の長であり、王と傍らに座る王子を凹に囲む長官たちの前には国扇が置かれていた。


 それは王への忠誠の証。


 命と言っても過言ではない国扇を王の前に差し出す事でそれを示していた。

 けれど、白扇は懐に収めたまま。

 神の加護を受ける扇は国王と言えど決して取り上げられないからである。




「では、各々議案がなければこれにて終了と致しますが」



 進行役がぐるりと長官たちを見渡して異論がないのを確認した後、王に視線を射止めた。王はその視線を捉え長官たちを見据えた。

 こうして今日の朝議も王の締めの言葉で終わりを告げた。



網代あじろが今日から休み、ね)



 紅凪は『一の会』を出て、二の丸へと足を向けていた。


 鶏鳴けいめいの姓を持つ網代とは、紅凪の世話係兼護衛を担う執事長の事で、七三分けの前髪の白髪短髪に、鼻に掛ける小さな眼鏡を身に着け、背筋を何時もピンと伸ばし、柔らかい物腰と敬語で接する紳士然とした長身の四十歳男性である。


 であるが、実際の外見年齢性別は不詳。


 紅凪が城に赴く事になって、二人きりになった時に網代にそう告げられたのだ。

 もしかしたら、プリティな小柄の十代少女かもしれないとの冗談も交えて。


 空笑いに終わったが、傍に居て気疲れするようなやつではないなと、気持ちが楽になったのは覚えている。


 王子としての自覚なんたら云々と説教ばかりするやつでなくて良かったと。

 いきなり王子だと宣告されたのだ。気が動転している中でそんな英才教育が始まったら堪ったもんじゃない。

 それが王位の血筋を受け持つ者の運命だとしても。



(未だにあんま実感ないしな)



 異母兄がいる事が大きいのだろう。

 彼がいなかったら、



「どうしてたんだろうねえ」



 呑気に呟いた紅凪が広い庭を抜けて目的地である二の丸の入り口を開けて、右へ左へと、今では迷わなくなった回廊を突き進み自室への扉を開けた。


 開けて、閉じた。


 一人はいてもおかしくはないがおかしく、もう一人は決して足を踏み入れる事を許されない人物がいたのである。


 似合わない。この部屋。否、この空間一帯に似合わないと、紅凪は思いながらも、勢いよく扉を押し開けて、彼らを指さし、声を張り上げた。












――翌日、扇晶城二の丸にて。


「失礼します」

「…ああ」


 自室への入室の許可を得た執事――氷月は、全ての用意をし終えている紅凪の、若干疲弊した表情に気付きながらも問い掛ける事はせずに、朝食は自室か食堂どちらで食べるかを問いかけた。


「食堂で食べる」

「分かりました。何か御用はないでしょうか?」

「ない」

「分かりました」



 氷月は失礼しましたと礼を取って部屋から出て行った。そんな彼女を横目で見送った紅凪は、傍らの寝台に仰向けに倒れこんだ。


 網代が休む間、代役を立てる事は朝議では聞いてはいたが、まさか、氷月と仙弥がその役を担うなんて想像できるはずがない。


 氷月はまだ官吏で納得できないが納得できても、仙弥は官吏ではない。護衛の資格があるわけがない。




 紅凪は二人を置いて駆け走った。目的地は三の丸。標的は城局省長官である。

 しかし、彼に抗議する前に、異母兄に呼び止められた。急ぐから後にしてくれと言い放つや、あの二人は自分が推薦したと、あの莫迦異母兄は放言しやがったのだ。



(何が『気安い関係のあの二人ならおまえも安心できるでしょう』だ)



 異母兄である黎明青嵐れいめいせいらんは、こう言っては何だが。平凡な人物であった。黒い長髪を三つ編みにして前に垂らす、切れ長の目、鼻筋が通り、顔全体が細くて小さいといった特に特徴もない、ごくありふれた容姿の、紅凪と同じ身長の二十歳男性。


 自分を棚に上げて言うが、王子には全く見えない。所作は丁寧だが、他の要素が付随するでもなく、それに留まる。威厳も皆無。知識はある。仲裁が得意。物怖じしない。


 他人を惹きつける華というものが皆無なのである。


 安心はできている。異母兄という一点に置いてだけ。


 だって、地に足がついていない。ふわふわどっかに飛んで行きそう。範囲は城内だけだけど。

 やる事はやってくれそう。責任感はある。よね。うん。



 背けていた部分を列挙した紅凪の顔は青褪めた。


 不安だ。国王になる王子二人が異母兄と俺だけなんて、不安過ぎる。


 英才教育は早めにやるべきだろう。他国なんて五歳からなんてざらだろうに。

 知識とか戦略とかもだが、所作とか礼儀作法だとかも。十五歳からって、遅すぎねえか。

 いや、これまでの人生をなくせと言われたら、それこそ、絶望するが。

 等々。これまでで一番、異母兄とこの国の将来を考えた紅凪だったが、異母兄に関して、情報を一つ追加させた。



 信用できない、と。

 例え、絶対の厚意の上であっても、この印象は変わらない。


 それほどの出来事だったのだ。今回の事は。


 どうやって国王の許可を得たかは不明だが、得ている以上、もう、抗議のしようがない。

 そうして、すごすご自室に戻って、二人から改めて説明を受けたわけだが。



 だから、仙弥は、まだいい、にしても。にしてもだ。


 氷月はどうなんだ?『雪芒』の仕事はいいのか?修行の時間もまともに取れないだろう。


 こんな事をさせてと苛立っているに違いない。これでまた、評価は下がった。


 ただでさえ悪態ついてしか接せられていないのに。

 しかも、執事。よりによって執事。

 甲斐甲斐しく、世話をされているわけではないが。

 事務的な、やり取りしかしてないわけだが。



(疲れた)



 二日目でこれなのに。これが何日続くのか。考えただけで目の前が真っ暗になる。


 早く帰って来てくれと、網代に願わずにはいられない。

 好物のカスタードクリームのたい焼きあげるから。好きなだけ買ってあげるから。

 どこぞのおやじよろしくどれだけ貢いでも構わないと本気で思いながら、足取り重く食堂へと向かった。




 そうして三日目を迎えた。この日も眠らずに朝日を目にして、まんじりと、氷月が来るのを待っていたわけだが。


 許可を求めてきた声の持ち主は氷月ではなく、聞き慣れた執事の声だった。


 時ヶ崎虹ときがさきにじ。半年前に官吏合格し城局省に配置された十五歳女性。容姿にはこれと言った特徴はない。強いて言うなら、小柄で日に焼けている顔や、細かな傷が無数について荒れている手だとか、弱弱しく笑うところだろうか。



(そう言えば、国土交通省の緑化部に入りたいんだったか)



 うろ覚えな情報を引っ張りつつも、思考は氷月へと向かう。

 氷月が来る前は、時ヶ崎がこうして朝の挨拶と確認に訪れて来ていたわけだから、そこは疑問に思わない。

 昨日は来ずに、今日来たのは、計画の内ではなく、恐らくは氷月に頼まれたからだろう。



(……俺のとこに来るのは時間の無駄ってか。それとも会いたくないってか)



 卑屈な考えになってしまう。総ては自分が招いた事。自業自得。

 大体、望んでいた事だろう。これでまた快適な安眠が取れるではないか。

 考えるに、氷月は裏方に回ったのだろう。だから期日まではあまり顔を見なくて済む。

 どうせ会ったって、事務的なやり取りしかしないし。話したら、悪態ついてしまうし。


 現に今だって、早すぎだろうと、早速悪態をついている。忍耐がない。たった一度の目覚めの挨拶で職務を放り投げるのか。例えどんなに嫌な相手でも根気強く相手をするのが仕事ってもんだろう。なめているのかと。


 つらつらつらつら。








「おまえがとてつもなく嫌な顔をしたからだろう」

「俺が何時そんな顔をした?」

「おまえの自室で会った時だ」



 仙弥に乗せられ馬で移動して辿り着いた『緑の区画』千草町。区役所に馬を預けて、たわわに実った稲田のあぜ道を並んで歩く中、紅凪は真っ直ぐに続くあぜ道と左右に広がる稲穂を見つめた。


 朗らかな日和。今は休憩中なのだろう。ぽつり、ぽつりと農民が一服している長閑な光景。喧噪も焦燥もない、ゆったりと流れる時間。土も葉も皮膚も撫でる清涼な風。身体の隅々から浄化されていく。癒される。圧倒される。自然の空に匹敵するほど。空だけでは足りない。この畑の緑があってこその。



 欲深さの上でも。



 こんな広大で鮮麗な光景を人が創り上げ、持続させているなんて。

 並々ならぬ努力があったのだろうと、想像するのは容易い。



 綺麗だなこんちくしょう。

 声には出さず、口だけ動かしてそう呟くと。

 感情が溢れ出した。

 無数の蕾が一斉に花を開くように。



「仙弥」

「ああ」

「俺はやるぜ」

「ああ」

「…何をって訊かないのか?」

「訊いたら答えるのか?」

「答えん」

「だろうな」



 ヒヒっと朗笑を響かせて前へと突き進む紅凪に、仙弥は心中だけで答える。


 どうせ氷月だろう。



 音も立てない卑屈な感情が浮かび上がる。

 毒素のある気体が泥沼化した湖の表面の、ほんの一部を押し上げるように。

 けれど表面を破る事なく、大気に霧散しなかったそれはまた湖の中へと戻る。

 川へも海へも通じない、他から遮断された湖を浄化するには、湖の水が溢れるほどの豪雨か、竜巻でも発生しない限りどうにもならないだろう。



 いっその事、思いの丈をぶちまけるか。

 そうして壊して。姿を消すか。

 できるかと、即座に否定する。

 己の道はここにあると言うのに。




「紅凪。帰りは飛ばすからな」

「ハ!?嘘だろ!んな事されたら尻も太腿も壊れるだろうが!」



 衣を翻して目を剥く紅凪の突っかかりようにも、仙弥は煩いの一言でたたっきり、それでも尚ギャンギャン喚く紅凪を無視して、前へ出て歩き続けた。

 紅凪が追い付くまでのほんの僅か。

 微苦笑を口元に添えて。










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