天と地のせいめい 四

『お化け。おい、無視すんな』

『紅凪。その呼び方は止めろって言ってるだろうが』

『うるせえ、仙弥。あ、おい。逃げるのか』




 王家の血筋を受け継いでいても、王子を名乗る事も、何よりその身分を知らされるのも、十五歳の誕生日と決められていたので、俺はその時まで今のように城ではなく『仁の区画』漆黒町で母親と二人で暮らしていた。



 おばばと母親が知り合いであり、おばばが引き取った仙弥とは三歳からの付き合いになる。

 詳しい事は知らないが、独り身のおばばが一人でいる事が寂しくなって孤児院から仙弥を引き取ったらしい。



 仙弥とはよく遊んだ。森や川や町でも大抵は探検をしながら虫を取ったり植物を採って食べたりボール遊びやかくれんぼしたり、時々おばちゃんたちからは食べ物をもらったりおっちゃんたちには遊んでもらったりもした。大半は近所の仲間とだったが、森に作った秘密基地は仙弥と二人だけの秘密で、外に遊びに行けない時は大抵どっちかの家で秘密基地の話をしていた。



 ただ、遊びは好きでも運動が好きではなかった俺は帰り際には体力値が底辺まで下がり、体力無尽蔵の仙弥におぶさってもらって帰る事もしばしば。



 仙弥は警備兵でも目指すのか。気がつけば身体をよく鍛えていたがそうではなかった。おばばの店の手伝いをしている今でも何を目指しているのかは謎だ。継ぐのだとは思う。だから、鍛えているのは単に、健康でいたい為だろうと睨んではいるが。



 氷月と出会ったのは俺たちが七歳の時で、それは仲間の一人に五歳の妹がくっついてきていた時期でもあった。本人は鬱陶しいと言いながらもなんやかんや、ちょこちょこと追っかけられて、好かれて、悪い気はしないとぶっきらぼうを装いつつも可愛がっていた。俺は兄ちゃんだから仕方がねえ、が口癖。素直じゃないやつと思いながらも、俺はその気持ちが分かるほどに、おにい、おにいと追っかけるその愛らしさにやられてしまい、母親に願わないまでも自分も妹が欲しいと秘かに思っていた頃だ。



 そんな時に、加治たちに仙弥と同じような境遇だと紹介されたのが氷月だった。



 仙弥のように不愛想、というわけではなく、仕事に追われて疲れて不機嫌な時の母親の顔に、ほんの少し似ていたように思えた。それらを溜め込まず喚き散らしながら発散させていた母親とは違い、氷月はそれらを呑み込んでいるのだと気付いたのはもう少し後だが。



 なので最初は子どものくせに生意気な顔してんなと思いながらも、次には年上の俺と仙弥に相対して緊張しているのだと思い直した。知らない場所だし、仕方がないと。話しかけても、うんともすんとも言わないのも恥ずかしがっている為だと。



 そう思えば、険しい顔もこちらの全てを跳ね返すような拒む態度も何のその。庇護欲が生まれて可愛いと思えたのだ。



 ただそれも最初の内は、である。



 一か月が経ち、二か月が経ち、三か月目に入った時点で、印象は可愛くないへと変換。

 それまではちゃんと名前で呼んでいたが、お化けへと変更した。

 名乗ってくるまで呼んでやらんと思ったのだ。




(最初から可愛くないやつだったな)




 どれだけ俺や仙弥や仲間が誘っても遊びに入らずに、けれど近すぎず離れすぎずの距離を保ったままついてきていた氷月。仲間たちは次第に遊びたくないのか遊びたいのか意味が分からないと、俺と仙弥以外は誘うのを止めた。



 仙弥が言葉数少なに誘っていた理由はきっと、自分と同じ境遇の氷月を放っておけなかったからだと思うが、俺はと言うと、まだ一縷の望みを捨てきれなかったからだ。



 心が開けば、仲間の妹のように、おにい、おにいと、愛らしく追いかけて来てくれるのではというそれを。



 お化けと酷い呼び方をしておいて何を調子のいい事を言うのかと責めるだろう。

 しかし、それは、あれだ。わざと怒らせれば名乗ると思っていたし、そうしてしまえばなし崩しに仲良くなれると思っていたのだ。感覚的に。



 何より、なにがしかの感情を露わにしてほしいと思ったのだ。

 そうすればきっと、そのこわばりが取れるだろうと。

 空振りに終わったわけだが。






「開いたと思ったら、兄貴だったしな」


 苦笑を溢した紅凪は、次には苦虫を潰す一歩手前の表情で頬をぽりぽりと掻いた。

 氷月が心を開いた一因である、あの情けない事件も思い出したのだ。



(普通は逆だろうが)



 沸々と込み上げる怒りを、けれどその事件のおかげなのだと、舌打ち一つで散らした。


 或る一定の距離は保ったまま。可愛くない態度のまま。それでもほんの少しこわばりが消えて。ほんの少し笑うようになった氷月は俺たちと一緒に遊ぶようになった。仙弥と二人だけの秘密だった秘密基地にも一緒に行き続けた。結局自分から名乗りはしなかったが、年長者だからだと、俺はお化けと呼ぶのを止め、氷月と、ちゃんと呼ぶようにした。



 三人で行動する事が多くなっていたのだが、俺たちが八歳となってから十五歳までの計七年間、最初の二年間を除けば、ほぼ会う事はなかった。

 三人が三人とも会う時間がなかったのだ。



 それぞれの区画に設置されている、七年生で寮に入る事が義務付けられている国が建てた学校を国学校こくがっこうと言い、十五歳になるまでには卒業できるように必ず通わなければならないが、それ以降の就学、多くが『史の区画』に設置してある、国民たちが建てた私学校に行くか行かないかの選択は個人の自由であった。



 ただ、『雪芒』のように、特殊な技能を用いる一部の者には国学校への入学も免除されていた。

 俺と仙弥は八歳に国学校に入学して寮に入った為、春夏冬の休暇にしか自宅に帰れず、氷月は国学校へは通わない代わりに、八歳からは『雪芒』になるべく修行を積んでいた為、俺たちが長期休暇で自宅に帰って来ても、会えない事の方が多かった。


 十分に遊べたのは、一年にも満たない短い時間。



 氷月が八歳になるまでの二年間。『雪芒』の修行が始まるまでの空白の時間。俺たちが帰る度に遊んではいたが、それ以外の時間をどう過ごしていたのか。


 仲間も、氷月と同じ年である仲間の妹も、俺たちと同じ年に入学した為、他に遊び相手はいなかったのに。



 一人にさせたくない。



 入学の時も、戻らなければいけない時も、後ろ髪を引かれた。



 加治たちがいてくれるからと安心はできたが。



 卒業したら卒業したで、王家の血筋を受け継いでいる、城で生活してもらうと、生活が思っていた通りに進む事はなかった。母親は変わらずに自宅に住み続けているというのに。











「繊月、か」



 窓を開けて見上げて月を探し、見つけては、一時注視し、次には、視線を下げて、煌々たる彩鮮やかな光に満ちる町を見つめる。


 満月ならいざ知らず。否、満月でさえ霞むあの灯りの中で、あの細さの月を見る者が果たしてどれくらいいるのか。


 いないだろうなと答えを出し、再び見上げた先。


 地上の灯りが届かず。星が全くない。繊月と、そこだけは避けてやると言いたげな暗闇だけがあるこの光景が、氷月に似ていると思った。







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