大学1年生 7月編
第16話 打ち水/波紋と涼を生み出す
大学受験。
大学合格。
高校卒業。
母さんに問答無用で追い出されて短い春休みに準備をして始めた独り暮らし。
地元から少し離れた大学の建築学部建築学科に入学。
新しい環境。新しい友人関係。
基本・必修科目の授業スケジュールの立て方や教科書購入、強烈な先輩方のサークル勧誘などなど大学独自の手法で何度戸惑ったか。
広すぎる構内を何度迷ったか。
長すぎる授業時間に何度机とこんにちわしたくなったか。
専門用語の嵐に何度頭を痛くしたか。
豊富な店やメニューに何度よだれを滴り落したか。
起きて。
準備をして。
食パンを食べて牛乳を飲んで。
家を出て。
電車に乗って。
授業に出て。
友達と話したり、ご飯食べたり。
授業に出て。
電車に乗って。
家に帰って。
一人で飲むには多すぎる味噌汁と冷凍ご飯は常備、おかず一品の夕飯を食べて。
課題をやったり本を読んだり。
風呂に入って。
準備をして。
寝る。
大体一か月で大学生活にも慣れてきて。
毎日毎日が目まぐるしく、変わりない時が過ぎていく中でも。
女
だ
っ
た
じ
ゃ
あ
な
未だに雨が止むことはなく。
季節が巡ることもない。
梅雨も明けて広がるのは目に痛いほどの真っ青な空。
おちてくればいい。
何度そう思っただろうか。
「………あ~。俺、とうとう、やっちゃ、ったか」
鏡張りの壁の半面と天井。
天井の真ん中からは光線を発射しそうなキラキラの丸いボール。
大人四人が余裕に寝れるほどの真っ白なベッド。
部屋の片隅にはカラオケボックス。
映画やドラマでしか知りえなかったラブホテルの一室ではありませんか。
そうでしょう。
自問自答して、
額に押し当てていた手を下ろして、
隣で呑気に寝ている相手を見て、
ああ、こいつですかそうですか、
納得して。
頭を抱えて、整理し始める。
本日、否、昨日七月二十八日。前期試験終了日。
建築、住居・インテリア、都市デザイン工学、それぞれの学科から一人、二人呼ばれて、このメンバーで卒論を完成させろと入学式当日に集められて以降、つるんでいたメンバーと夕飯を食べに行った。
酒は飲んでいなかった、はずなのだが。
明日から初の長期夏休みだからかのハイテンション。
次第に吐き出す試験や日頃の鬱憤。
異様な盛り上がりを見せて、疲労がなくなるばかりか増加。
疲れたとお開きになった時。
まだ話をしたいという一人に付き合って、カラオケに行って……
(ここからが思い出せない…つーか。俺、なんでこいつに付き合ったんだっけ)
警戒していた相手なのに。
俺はすぴすぴ可愛らしい寝息を立てる男を横目で見て、深い、深い溜息を吐き出した。
男の名は、
入学式当日。
集められたメンバーの中にいた住居・インテリア学科の一人で。
貴族のお生まれですかという端正な顔立ち、長髪長身で。
その風体に似合いの気品がありつつの自信家で。
俺が男だと知りつつもお付き合いを申し込んできた同類だった。
その時考えたのは、
冗談とあしらうよりも、
こいつと付き合って俺が男が好きなのかどうなのか確かめるほうがいいのではないか、だった。
が。
『ハニー。席を取っておいたよ』
『ハニー。お腹空かないかい』
『ハニー。ほらこっちにおいで。日差しに当たってしまうよ』
『ハニー。どんな愛の巣(=卒論として提出する家の模型)を創ろうか』
生理的に受け付けませんでした。
(俺の気持ちを確かめる為に、こいつの気持ちを利用するのも、申し訳ないと思っていたしな)
そうして、一週間過ごして、結論を出して。
断ったのだが。
しつこいところも俺に似ているのか。
諦めないよと爽やかスマイル。
以降、アタック継続中。
俺の気持ちヤジロベエ状態。
ぶっちゃけヤッちゃえば分かるのではないだろうかと。
ちょっと自暴自棄な考えに傾く時も、なきにしもあらずで。
校長に大学合格を報告しに行ったその日に、
美影の居場所を教えてもらって約六か月が経った今でも、
会いに行けないままの
膠着状態を何とか打破したかったのだ。
(夢の中では……)
頭を抱えた右手で前髪を強く掴んだ。
夢の中で見るのは。
高校二年の時の現実の美影と。
俺が創り出した願望の男の美影。
前者の場面は決まって、別れを告げられた時。
横切られて、振り向いて、真っ暗な場面で夢は終わりを告げる。
後者は……俺を抱く場面。
俺は抱かれる側、所謂ネコだった。
(男のくせに、抱かれたいとか……どんだけ気持ち悪いんだよ)
夢の終わりは決まって、女の美影の裸体。
興奮するばかりか、吐き気さえ催してくるなんて。
(前世がよっぽど女難だったんだろうな)
自分で茶化して、慰めて、諦めたほうがいいと思っても。
諦められない。
会いたい。
会いたいと。
居場所を知っているくせに。
会えば答えが出るかもしれないのに。
(……俺、こいつと何もないよ、な)
ふと突き当たる危機感に、
ダラダラと冷や汗が全身から噴き出てくる。
「いやいや。身体のどこも痛くないし。すっきり感もないし。第一、俺たちどっちも服着てるし。ないない」
ここに来たのもどうせ帰るのが面倒、金がないとかそういう理由だろう。
ソウソウ、ウハハと笑って不安を払拭。
さてさて、そろそろ吉柳を起こしてわが家へ帰ろう。
そう思って顔を見ると、目と目が合う。
瞬間冷や汗再発。
「熱い夜を過ごしたね」
「そーだな。カラオケで熱中しすぎたな。おかげで喉が痛い」
「帰したくないな」
「金が加算するし早く帰ろうぜ。自分の家に」
「僕なら泣かせないのに」
「…寝ぼけてんのか。目がとろーんってしてるぞ」
「…笹田美影は女だ。君を幸せにはできないよ」
「…おまえ」
自然、目つきは険しくなる。
慎重にならんと、声音も低くなる。
冷や汗は、止まる。
これが。
「仕方がないよ。僕たちは男を好きになるように遺伝子がプログラミングされているだけ」
目の前の男が。
「変だなんて、自分を否定することなんて、これっぽっちもしなくていい」
美影、
「笹田美影が好きじゃなかったんだと、失望しなくていい」
だったら、
「違ったと、認めていいんだ」
「女だったからと」
いいと
思うなんて。
迫ってくる手とそれを追いかけて来る顔に。
ああ、これはキスをされるんだろうなと。
思考は他人事のように、
身体は受け入れ態勢に入る中で。
なぎさと。
ぶっきらぼうな声音が唐突に頭の中に広がって。
涙腺が決壊すると同時に、
渾身の力で吉柳を突き飛ばしてその場から立ち去った。
「……あんま渚を混乱させるなよ」
「…僕だって、どうしたらいいか、わからないんだよ。ただ、泣かせたくない。僕だって、一目惚れで、でも、諦めようと思ったけど、笹田美影が女だってわかったから諦められない」
渚と同じ学科で卒論メンバーの一人で、渚には忘れ去られていたが、実は二人に付き合ってカラオケ店に入って歌いまくって疲れ切り、今の今までソファで寝転んでいた佐之助は項垂れている吉柳を見て、いいやつなんだよなーとやるせない気持ちになった。
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