高校2年生 6月編
第12話 蒼い梅の小雨に/心身が、津深と。
『好きだ』
薫風のように居心地の良かったその言葉が、
あの手紙を受け取ってからは、
夏真っ盛りの太陽の日差しのように、
その熱から逃げ出したいほどに
居心地の悪いものへと変わってしまった。
「今じゃないだけましなのか」
纏わりつく水分に息苦しさを覚えて辟易する季節。
ぽつり、ぽつり、しとしとと。
曇天の中、降って来る小雨を窓越しに眺めて。
想いを馳せるのは、この雨の向こう側。
カラカラに。
水分を奪い取るくせに。
ジリジリと。
肌を焼き焦がすくせに。
チカリと。
一瞬間、針を刺すような痛みで視界を暗闇に満たしたかと思えば。
グンッと。
白雷の世界に引きずり込むくせに。
消えてしまえと憎たらしく思うほどに。
鬱陶しいだけなはずなのに。
どうしてか。
世界から壮快さを奪い去らなくて。
それどころか。
「はら、減ったな」
欲求によって、思考を中断させられたのか。
理性によって、思考を中断させたのか。
美影は欲するままに食べ物を口に運んで食べ続ける中。
『美影は普通なのよ』
ふと、おばさんの声が聞こえて。
視線を小雨から食べ物へと固定させた。
梅雨の真っただ中に開催されるうちの六月の文化祭のテーマは創設以来一貫して「雨」であり、それにまつわる展示や飲食店、ライブ、劇を堪能した後は、キャンプファイヤーならぬ、ダンシングレイニーで幕を閉じる。
濡れていい格好(専ら体操服)に着替えて雨の中に飛び込み、叫んだり、全力疾走したり、転げ回ったり、飛び跳ねたりと。
まぁ、童心に帰るような事をしまくるわけである。
その際の姿がちょっと狂気染みているのはご愛嬌と言う事で。
(村もそなたも護る為には、これしかないのだ)
(
うお、美影カッケェェェ!!
と、心の中で転げ回っている俺。
実際には、腰をほんの少し浮かした状態で、目の前に立っている美影の腹辺りの着物を握りしめ、美影を一心に見つめている場面を演じている。
ただ今、文化祭真っただ中で、劇を上演中。
俺が女役で朝顔の浴衣を、美影が男役で岡っ引きの衣装を身に付けている。
劇の内容は、まぁ、よくある類のもので。
神の逆鱗に触れた村が雨に襲われる事態になって、俺が演じる
神を討つ事に成功した磐月だったが、それは己の命と引き替えだった。
恋人の死に絶望を抱いた小夜は彼の後を追って自ら命を絶つ。
折り重なった二人の身体からは血が地面にしとどに流れ落ち、辺り一面を紅く染めたかと思えば、二人の遺体は地面の中へと沈んで行った。
辿り着いたのは紅の雨が降る世界。
生き返るのか。はたまた死んだままなのか。
生き返ったとして、それは奇跡なのか、罰なのか。
は。観客にお任せします。の消化不良の劇である。
(つーか。美影本当にスゲーな)
練習中から抱いていた感想は募る一方で。
女優である母が演劇界へと誘うのも頷けるくらい、観客も同じく演じている俺たちさえも、脚本の世界へと誘うのだ。
いや、誘うなんて生易しいものではなく。
引きずり込む。の方が正しい。
(ファンが増えるだろうな)
嘆息一つ。けれどそれの何十倍も誇らしいし、嬉しい。
(あなたがいない世界なんて…)
劇の佳境。雲の切れ間から日差しが降り注ぐ中、目の前に横たわる傷だらけの磐月の冷たい頬に手を添えたまま、小夜は六回口を動かして、小刀で己の心臓を突き刺した。
「………」
垂れ幕が下りて午前の部の劇が完全に終了すると、俺は隣にいた美影に向かい合った。
美影は眉根を寄せただけで何も言わず、ポケットからポケットティッシュを、さらにそこからティッシュを一枚取り出して、俺の目元に押し付けた。
途端、しとしとと弱く流れていた涙が、相撲の突っ張りのように、ぶわりと流れ落ちた。
「毎回飽きもせずによく泣くな」
ティッシュを強請る俺に、美影は呆れながらもティッシュを渡してくれた。
俺はありがと、と言って受け取って、思う存分に涙を流し落した後、ニッと口の端を上げて美影を見上げた。
「好きだ」
これまで口にしてきた告白は、恋文を渡した時から変化をもたらした。
自分にも。
そして美影にも。
自分にとっての変化と言えば。
今迄の告白を風と例えるなら。
今は雨と言ったところかと、自己分析する。
「好きだ」
美影は無言で俺を見下げる。
怒っているような、不機嫌なような。
混乱しているような。
まぁ、嬉しいと思っているわけではないのは確かで。
それでも。
「なぁ。行こうぜ。のえるも待ってるだろうし」
「ああ」
次の劇の上演は午後三時。
約四時間の休憩時間も大いに楽しもうと。俺は美影の後ろに回って背中を押して、早く行こうと急かした。
梅雨はまだ入ったばかり。
しとしとと。地面を濡らし。
どかどかと。生命を分け与えるそれは。
うつうつと。心を曇らせる?
うつらうつらと。微睡みを与える?
それとも……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます