第9話 鯉が濃い焦がれるのは/空を泳ぐ鳥だった

「あの、俺。ごめん」


 美影の顔を見れないまま、俺は頭を深く下げた。


「俺………もう、絶対!?」



 呆れられるなんてもんじゃない。

 教えられてもいないのに、勝手にアルバイト先に押しかけたから絶対に不快な思いをさせた。

 絶対嫌われた。


 戦々恐々としていた俺は顔を上げられないまま、ここには来ないと宣言しようとしたけど、それを口にするよりも早くに美影が俺の両頬を両手で挟むと、強引に顔を上げさせた。


 目に映り込むのは。

 いつになく。

 と言うよりも、今迄で一番不機嫌な顔をした美影。


 俺は美影に両頬を強く押さえられていたから口を開く事すらできずに、じっと美影の瞳を見つめて審判を待つしかできなかった。



「…俺、この「たけ」で働いているし、ここが俺の家」



 !?じゃあ未だに俺の手首を掴んでいる店長はもしかして美影の父親!!?



 瞼を思い切り持ち上げた俺は店長、もとい美影のお父様に頭を下げようとしたが、美影の手が僅かな行動さえも赦してはくれなかった。

 どれだけ怒っているかが、身に染みて分かって。

 でも、どうしたら赦してくれるのかが分からなくて。


 口を動かす事ができたって、きっと餌を求める鯉みたいに開閉するしかできないんだ。

 ごめん。ごめん。って。


 後悔がこれでもかと押し寄せて、これ以上、不機嫌な顔の美影を真直ぐに見られなくて。

 でも、目を逸らしたら駄目だと思ったからじっと見つめ続けていた。

 それから、数秒か、数十秒か経ったくらいに、美影が俺の頬から手を離した。



「泊まれるか?」



 ごめんと謝るよりも早くに美影に問われた俺は、へっと間抜けな音を出す前に力強く頷いた。



「七時にご飯だから、それまで俺の部屋で待っていてくれ」



 俺はまたぶんぶんと力強く頷いた。

 美影の顔は不機嫌なままなのに、どうして俺を家に招き入れるのかはさっぱり分からないけど、美影の提案を断るなんてできるはずがなかった。

 大体、美影の家に入れる。ましてや、泊まれるなんて。

 よくて三年生の後半くらいに訪れる最大イベントだと思っていたのに。

 出会ってまだ一か月と二週間で、こんな奇跡が舞い降りて来ていいんでしょうか?



 この狂喜しそうな急展開に、後悔と反省の文字なんて吹き飛んでしまった俺は頂点まで舞い上がったところでふと、最大重要物品を持っていない事に気付いた。

 お宅を訪れる際に重要なお土産の存在である。

 少しだけ用事があると言って三駅先のデパ地下に駆け込む?

 このまま家の中へとお邪魔する?

 常識人として取るべき行動は前者。

 だけど、美影は多分、と、考えて、と、美影の家をお暇したら即デパ地下に駆け走って最高級品の日持ちをするお菓子を買って、つまらないものですがと美影のお父様に渡そうと決意した。



「じゃあ、僕が案内しようね」


 俺は手首から手を離したお父様の後に、はいと神妙に返事をして付いて行った。











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