第8話 こいのぼり/ゆうゆうと波にのり、しかと地にたつ
「ねぇ、渚君。知ってる?」
俺が美影に惚れていると言うのは周知の事実なわけで。
クラスメイト。どころかクラス学年問わず大多数の女子たちが大々的に俺の恋の応援をしているのもそうなわけで。
美影の事ならどんな事でも知りたいけど、自分が訊いて美影が答える。逆も然りな直接的なやり取り以外での情報収集はしたくなかったわけで。
(『今のままじゃ確実に負け戦なのに何を悠長な事を言ってるの!?打つにはまず情報収集と偶然の出会いでしょ!?』ね)
放課後。お節介なクラスメイトの女子に背中を蹴り出された俺は今、学校のある舞塚駅から六駅離れた佐々見駅から徒歩十五分の道のりを過ぎた先の古風なコンビニエンスストア「たけ」の前に立っていた。
「たけ」の建物自体は壁の半分がガラス張り、半分がコンクリートと他のコンビニエンスストアとは遜色はないけど、入り口を除いて四方をぐるっと細い竹が囲っていた。囲っていると言っても竹は腹の高さまでだから店の中はちゃんと見える。
「……やっぱ。なぁ。本人から聞いたんじゃないし。俺の家、三駅離れてるし」
『美影君がここで働いているの一年生が見たって行って来い』
恋する乙女は最強だとよく聞くが、恋を応援する乙女も然りだろう。
俺は小さく溜息を出した。
三駅も離れている事に加えて、ここらへんに目ぼしい立ち寄り先もない以上、偶然の出会いの言い訳は通用しないだろう。
ここはさっさと背を向けて帰るに越した事はない。
そう思うのだが。
美影が働いている光景を見てみたい。
との願望が俺を店の前に縫い止めているわけで。
だから、店の外からほんの少しでも美影の姿が見られたら、多分それだけでもう満足で。
その姿が見えないから今こうしているわけで。
「いい天気ですねぇ」
えらく渋く低音な声が耳に入って来て、思わず右に顔を向けて見れば。
「あー、ですねぇ」
うおっと少しだけ驚きながら、視線がかっちりとぶつかり合ったスキンヘッドな強面男性に相槌を打った。
それで満足してどっかに行くと思ったのに、動こうとはしない。
年齢は、四十くらい、だろうか。鼠色の甚平を着ているその男性は動かないどころか、物腰の柔らかそうな口調とは裏腹の強面な顔を俺に固定させていた。
……もしや、強盗とか何かに疑われている、とか?
店の前にどれくらいいるのか分からない(俺的にはそんなに経っていない感覚だ)けど、もしかしたら結構な時間が過ぎて行っていたのかもしれない。
空の色を見てもまだ橙色には染まってはいないけど。
そうだとしたら、強盗かどうかは別として、不審人物に見えて当然だろう。
実は片想いをしているやつの働いている姿を一目見たくて。
と莫迦正直に告白したらどうなるだろう。
そうなのかい?と警戒心を緩めてくれるだろうか。
それとも、逆に警戒心を強めるとか?
「実は俺片想いをしている人の働いている姿を一目見たくてここに立っていました」
男性に向かい合って至極真面目にそう告白すると、男性はそうなんですかと厳かに笑った。おお。すげー怖い。
「ではまだその姿を目にしていないわけですね」
「そうなんですよ」
「では、お茶でも飲んで待っていましょうか?」
「はへ?」
はい、と答えそうになって寸での処で躱した俺。
おっさんいい人、から、何だろうこのおっさんと、警戒心が生まれてしまった。
もしかしてまだ疑われている?
お茶でも飲んで待っていましょうか。
は実は。
警察に連れて行く、の遠まわしな言い方。
だとか?
もしそうなら、友達なんですよと一言付け加えればその危機は回避できるんだろう。
だけど、せめて自分からだけは美影を友達として呼びたくない。
て言う莫迦だけど譲れない矜持が邪魔してできない。
じゃなくて、言いたくない。
「じゃあ行きましょうか?」
痺れを切らしたおっさんが俺の手首を掴んで、店の中へと歩き出した。
下手に抵抗すれば不信感をますます強めさせるだけだろうな。
そう思った俺は為すがまま店の中に入って行こうとしたけど、美影に会ったらどうしようかと今更ながらの疑問にぶち当たった。
そもそも直接会えないから外で見ていたのに、今店の中に入って会ってしまったら今迄の行動が水の泡じゃん。
どころか、美影に迷惑を掛けるかもしれない。
これもまた、今更ながら、だと、後悔してもしきれない。
抵抗して逃げ出すべきだろう。
おっさんに掴まれている手首をぼんやりと見つめていた俺が、店の入り口の直前で踏み止まろうとした時だった。
「店長。また強引に人を茶室に連れて行こうとするな」
全身の水分が一気に乾されたような感覚に陥った。
ドッドッドっと心臓の音が生命危機に反応して過度に主張を始めた。
風前の灯火。
どうやって逃げ出すかを考えるも、考えが四方八方に飛んで行って混乱だけが増していく中、ふとその言葉が浮かんだ。
後ろにいる美影からは俺の顔が見えていない事だけが救いだったけど、それも時間の問題なんだ。
美影に前に立たれるよりも早くに、観念して自分から名乗り出るか。
そう思うと同時に口を開こうとするよりも早くに。
おっさんが先制攻撃をかました。
「この少年が想い人の働いている姿を一目見たいと言うから協力してあげようとしたんだよ」
そう言って、俺の身体を反転させて美影に向い合せた。
顔は見ていない。見れるわけがない。
心底呆れ返ってしまっているだろうから。
水分も抜かれてカラカラの身体はほんの少しでも強い風に当たれば塵と化しそうだ。
つーか、塵になって逃げたい。
それが叶わないならせめて。
漫画みたいに白目を剥いて後ろに倒れたい。
そんで次に目を覚ました時にはここに来た理由だけすっぽりと抜けていればいい。
「店長。こいつが渚」
「この子が。へぇ」
興味深そうに相槌を打ったおっさん、もとい店長に掴まれている手首だけが強い脈動を打って。
俺がこの世界に確かに存在していると教えてくれた。
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