彼女はずっと黙ったままコーヒーのスプーンをまわしている。

 彼は何となく気まずそうにあたりの様子を窺う。

 この重い空気をどうにかしなければ。彼女の隣で男はじっと考えていた。

 ウエイトレスが二人に歩み寄り席が空いたことを告げる。ウエイトレスの後につづいて、彼女と彼はレストランの通路を歩いていく。

 テーブルとテーブルの間が微妙に狭いように、彼女には感じられた。男の方はそんなことは気にせずにゆったりと歩いている。

 自然に彼女の体が男のほうに寄っていく。誰かに見られているような気がした。

 男と女の目が合う。彼女のスプーンが止まった。

「どうしたの」女が男にきいた。

「何でもない」男が答える。

「ドビュッシーですね」彼は彼女に尋ねた。

「そうかしら」そう言って微笑む。

 彼は不意をつかれ通路のほうを見る。ウエイトレスに案内され、男と女が通り過ぎて行った。

「グラナドスだったかしら」

「それともアルベニス」

「モンポウだよ」

 独り言のように男がつぶやいた。


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