第251話 町長モーリス
モーリス町長は後ろで見ている恐ろしいドラゴンの視線と、そんな魔物を軽く手懐けているルシールの気配を感じながら、ぎこちなく町に向かって歩いていた。
(噂で使徒様はいろいろとすごいと聞いてたが、ヤバいだろ? なんなんだよドラゴンの護衛って! なんなんだよゴネットって!)
稲穂畑の間にある畦道は真っ直ぐ町まで続いている。
その距離は今までの人生で一番長く感じられた。
(町長になったばかりだってのに何でこんなことが起こるんだよ……)
モーリスが親から引き継いで町長になったのは一週間前。
町で挨拶して回り、国には手紙を出し、近くの町にも報告に行き、今朝帰ってきたら神の使徒から手紙が届いていた。
慌てて準備を開始したのだが、その数時間後の昼に飛行魔導船が見えたのだ。
(俺が何かしたのか? 手紙じゃなくて首都に行って報告すべきだったのか?)
手紙を要約すると近日中に町へ行くからよろしく、という内容であり、何の用事で来たのかはわかっていなかった。
そんなモーリスについてきているセージが歩きながらふと気づく。
「あれっ? これってもしかして……稲?」
ハッとするセージをルシールが不思議そうな目で見る。
「稲? 稲ってなんだ? 小麦じゃないのか?」
「麦系じゃなくて米っぽい。たぶんだけど」
農業に力を入れていないのでセージは自信をもって答えられなかった。
しかし、当然モーリスは知っている。
(まさか稲のことを知っている? ほとんど知られていないはずなのに)
「稲で合っております。よくご存知で」
「やっぱり! 栽培していたんですね!」
モーリスはセージの食いつきにビクッとしながら頷く。
「モレナ山脈周辺だけ稲作をしておりまして、グレン……ストンリバー神聖国ではこの町だけのようです」
「知らなかったです! いやーこんな近くに米があったとは!」
「私も聞いたことがなかったな。小麦が有名だと聞いていたんだが米だったか」
「もちろん小麦も育てております! 小麦はほとんど献上や出荷しておりまして、町では合間に作られた米を食べているのです!」
(隠しているわけではないんです! 本当です!)
モーリスはだらだらと冷や汗をかくが、セージは気づいていない。
「へぇー米と小麦を育てるって聞いたことはありますけど、実際に見たのは初めてです。できるんですね」
「その農法は気になるな。聞いても良いか?」
「他のところでは育たないかもしれません。あっ、もちろん、お教えするのは構わないんです! ただ、かつて挑戦した町がありまして……」
モーリスは止まらない冷や汗を拭って簡単に説明し始める。
かつても今回のように話を聞いて、周辺の町から農法を学びに来た人がいた。
ヒリフリアナに住み込みでしっかり学び、苗を持って町に帰った。
単純に計算すると二倍の収穫になり、収入は増える。
そんな夢を描いていたのだが、そう上手くはいかず、育てることができなかった。
そんなことが何度かあり、結局ヒリフリアナ周辺の土壌や湖の水が必要なのだろうと諦められている。
「やっぱりそんなに上手くはいかないですか。でも、ここだけだったとしても米があるのは嬉しいですね」
「私は知らないんだが、そんなに米は美味しいものなのか?」
不思議そうにセージを見るルシール。
ルシールは米がどういうものなのかも知らなかった。
「米は主食だし、それだけでは特別美味しいってわけじゃないかも。いや、美味しいといえば美味しいけど。何というか、前は米があるのが当たり前でさ。パンより米派だったし、今無性に食べたい」
(おおっ! 使徒様は米がお好きなのか! あれっ? でも、どうして米のことを? ほとんど出回ってなくて、領主様くらいしか、ハッ! まさかナイジェール侯爵とエルフとの隠し子という噂は本当だったのか? 魔物を仲間にする職業になるにはエルフの秘術が必要とか……?)
モーリスの頭の中を想像がかけ巡る。
「私も食べてみたいな。そこまで言われると気になるぞ」
「まぁ米にも種類があるから僕が求めてるものかはわからないけどね。というか、あんまり期待して違ってたら嫌だし。町に着いたらまず米を――」
その時、稲穂畑から突然ガサッと人が出てきた。
身長は150cmを過ぎた程度で小柄、顔にはあどけなさが残る。
それは聖域の谷の案内人コーディの一人娘、カミラであった。
(カミラ? 何でこんなところに?)
「私はヒリフリアナのカミラです! 聖域の祠への案内人をしています! 是非連れていってください! お願いします!」
カミラは一気にそう言い切って頭を下げた。
(おいおいおいおいおーい!)
驚いて呆然としていた町人が慌ててカミラを捕まえる。
「何やってんだカミラ!」
「道はちゃんと案内できます! よろしくお願いします!」
「馬鹿っ! もうやめろ!」
「ちょっ、おまっ、こっちに来い!」
そうしてカミラはあっという間に町の者に引きずられるようにして連れていかれた。
(なんてことをしてくれたんだっ!)
急な出来事で呆気にとられるセージたちに、モーリスはあわあわと頭を下げる。
「申し訳ありません、セージ様」
「それはいいんですが、さっきのカミラという子はどうしたんですか?」
セージに怒っている様子は見られない。
しかし、とある領では領主の乗る馬車の数メートル前に飛び出してしまった子供が罰を受けた、なんて噂も聞く。
油断はできなかった。
(ああもうなんとか弁解してやらないと!)
「その、あの子は最近いろいろありましてですね」
モーリスは「実は」とその理由を話し始める。
カミラの母親は元々体が弱い方で、年に数回は病に倒れるほどであった。
三週間前、原因不明の病に倒れ、そこから回復していない。
体が弱いとは言っても普段は一週間ほど休めば治る程度だ。
これほど長く続く、しかも治る気配がないのはおかしいと考えたカミラの父親は、精霊の薬を求めて聖域の祠に行くことにした。
カミラの父親は聖域の祠の管理者であり案内人だ。
今まで幾度となく祠に行き、精霊に会ったこともある。
通えば精霊に会えるだろうと考えていた。
しかし、無事精霊に会えたものの、その精霊に襲われて、命からがら町まで逃げ帰ることになったという話だ。
そんな話をしているうちに町に到着し、モーリスはセージを家の応接室に案内する。
「町ですぐに治療を受けたのですが、呪いをかけられたようで、今は療養中になります」
「精霊ってニンフですよね? 呪い、ですか?」
応接室のソファに座ったセージが訝しげに見てくる。
それだけでモーリスの心は焦ってしまう。
「呪いかどうかはわからないんですが……別の町で聞いた話によると呪いのようだと。それで、きっとカミラは精霊様を倒して呪いを解こうと思っているのでしょう」
「うーん。そもそもニンフは呪いなんて使えないはずですし、友好的なはずなんですが」
「ええ、今までこんなことは一度もありませんでした。精霊様の色も異なっている様子で、攻撃もしてくるそうなので、別の魔物だと思っているのですが、たしかに姿は同じだと言っていまして」
その町長の言葉にセージは「んっ?」と引っ掛かる。
「もしかして紫色のニンフですか?」
「その通りです! まさに紫色らしいのですが、ご存知なのですか?」
「心当たりがありますね。もしかして呪いというのは回復できない、復活の魔法が効かないようなものですか?」
「ええはい! ステータスに呪いが書いているわけでもなく町の教会でも治せなかったんですが、そんな呪いがあると噂で聞いたもので」
モーリスはステータス異常はないのにHPが下がって回復しない呪いがあったという噂を聞いており、今回もそれに似た呪いなのかと考えていた。
そんなモーリスの考えを、「それ、呪いじゃないですね」と軽く打ち砕くセージ。
(へっ? 違う?)
「おそらく永続反射バグです」
回復の精霊ニンフとの戦闘はゲームのFSのイベントであった。
簡単なイベント戦で基本は負けることがなく、勝つこともできない。
そもそも回復の精霊であるニンフの技に攻撃魔法は無く、物理攻撃もしないのだ。
通常の戦いにはならず、時間経過で終わる戦闘である。
ただ、それに例外があった。
ニンフの持つ技で間接的にダメージを与えられる技『反鏡の守り』。
『反鏡の守り』は一度だけ魔法を反射する技であり、相手にも掛けられる。
そして、永続反射バグとは特殊な条件の時に起こる。
ニンフから『反鏡の守り』を受け、その状態で魔法を受けることなくHP0になり、その後、時間経過で終わるはずのイベント戦を道具『煙玉』によって逃げることだ。
通常プレイではまず起こらないのだが、これをやってしまうと『反鏡の守り』が永続的効果になり、回復や復活魔法すら反射してしまうというバグが発生する。
(永続反射ばぐ、とは……?)
セージは堂々と宣言したが、モーリスには何一つ伝わらない。
しかし「可能性は高いですね」と自信ありげに頷くセージに詳しく説明を求めることなどできなかった。
そこでモーリスは一番重要なことを聞く。
「治るんですか?」
「まぁなんとかなります。とりあえずバグ修正のためにダークニンフ戦ですね。ドミデビルを倒せば永続反射バグは解除できるはずですよ」
(おおっ! お? あー……治るってことで合ってる?)
モーリスはセージの言っていることが全くわからなかったが、なんとかなるという言葉を信じる。
「その、治すために我々がどうすればよいか教えていただけますか?」
「結局は魔物を倒して精霊を助けるだけなので僕らがやりますよ」
(魔物を倒して、精霊を助ける……精霊を、助ける? いや、まずは!)
「ありがとうございます!」
モーリスは疑問だらけだったが、まずは頭を下げた。
(何はともあれ使徒様がお救いくださるのだ! まさに噂通りのお方だ!)
急に来てしまった罪悪感を消すためのセージの言葉に、モーリスは感動した。
最初ストンリバー神聖国ができた時、使徒というのは神聖国トップを示すための単なる役職のようなものだと考えていたが、周辺で得た噂、全てを見通すような知識、そして、精霊を助けると軽く言えることから、本当に使徒なのではないかと考え始める。
「そのために聖域の谷への道とか魔物の情報が欲しいんですが教えてもらえますか?」
「それなら先ほどのカミラの父親に聞くのが一番です。今までずっと案内人として活動していましたから」
「じゃあ、会いに行ってきますね。案内してもらえますか?」
「いえいえ! 呼び出しますので少々お待ちください!」
「行きますからいいですよ。今は大変な状態になっているんでしょうから。それより、ちょっとお願いがあるんですけどいいですか?」
(お、お願い……?)
町長は急に来たその言葉を聞いて、一瞬ためらった。
使徒からのお願いだ。
その回答は『はい』しかない。
しかし、グレンガルム王国の時、貴族の指示によって町が崩壊した、なんて噂を伝え聞いたこともある。
ストンリバー神聖国でそんな話は聞かないが、まだ建国したばかり。
使徒の噂は素晴らしい話ばかりで、逆に怪しくもある。
強大な力を持ち、魔物を従える使徒の『お願い』というワードに不安はなくならない。
それでも答えは決まっている。
「はい、私どもで出来ることであれば何でもいたします!」
モーリス町長は気合いを入れてそう返事をした。
その面持ちでセージにも気合いが伝わるくらいだ。
そして、セージはなぜそんなに気合いがいるのかと少し引いていた。
「えっと、じゃあ、米を炊いてもらえませんか」
「米……米を炊く、ですか?」
何を要求されるのかと戦々恐々としていた町長は、呆気にとられたかのように聞き返す。
(そんな簡単なことを? そういえば米を食べたがっていたような?)
「とりあえず食べたいと思いまして。あっ、ちゃんと支払いはしますよ?」
その言葉にモーリスはブンブンと音がなりそうなほど首を振る。
「いえっ! いえいえいえ、そんなとんでもない! 是非とも食べてください! すぐに準備いたしますので!」
(やはり使徒様は噂通りの素晴らしいお方だ! とりあえず一番いい米を用意しなければ! 新米! 新米だ! 今収穫が始まっていた区画は、西! 新米があるはずだ!)
「ジャッキー! 西のマックスさんのとこに走って新米を貰ってきてくれ! ヘザー! 米を炊く準備だ!」
「そんなに急がなくても……まぁいいか。よろしくお願いします。その間にカミラさんの家に行きますね」
こうしてモーリスは最高の米を炊くことに集中し、セージは町人に連れられてカミラの家に向かうのであった。
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