第216話 ビリーの旅路

 魔王の領域に入ったビリーはしばらく国境付近の城塞都市で待機していた。

 魔王から一番遠いのが国境付近だろうという考えからである。

 それに、国境なので要塞があり、安全だろうと思っていた。


 しかし、それもつかの間、サルゴン帝国が攻めてくるという情報が回る。

 すぐにビリーはミストリープ領都に向けて出発。

 いくつかの町を経由して、クルムロフにたどり着いた。


(ふぅ、明日には領都につきそうだなぁ。行けるようならそのままケルテット向けて進んでしまうか。でも、ここまで順調に進んでたし、そろそろ魔物に襲われそうだよなぁ)


 ビリーは町の門で聞いたおすすめの宿、神殿の前にある『紫玉しぎょくまもり』という宿に入った。

 その時、カンカンカンカンとけたたましい音が町中に鳴り響く。


「はえっ? な、何が起こったんですか?」


「こりゃあ魔物の襲来ですね。たまにあるんですよ。でも安心してください。この町の外壁を壊せる魔物なんていないですからね。それにここはミストリープ領ですよ? 魔法の堪能な騎士様がたくさんいらっしゃいます。すぐに済みますよ」


 宿屋のおじさんは余裕たっぷりに言った。そして、焦りもせずに宿の説明をしていく。


(確かにミストリープ領の壁はどこも分厚く頑丈そうだったなぁ。でも少し不安が……)


 その後、ビリーはお金を払って二階に上がり、神殿が見える部屋に入った。

 町の宿に光の魔道具などはないため、ビリーの手には蝋燭をのせた燭台がある。


(おぉっ! 綺麗な部屋じゃないか!)


 蝋燭の光に照らされた部屋は掃除が行き届いており、ベッドのシーツもピシリとセットされていた。

 宿屋によっては、部屋に入ってまず虫除けの薬を焚いたり、ベッドに『ドライ』の魔法をかけたりしなきゃいけないこともあるくらいだ。

 ただ整っているというだけで良い宿である。


(ここは当たりだな!)


 テンションが上がるビリーの耳に、ドゴォッ!という凄まじい音が届き、地響きで足元が揺れた。


(な、なんだなんだ!?)


 突然のことに驚き固まるビリー。

 すると、外から怒声と共に戦いの音が響いてくる。

 そして、さらに響くドドドドドッ!と地面を削るような凄まじい音。


 蝋燭を机に置いて窓を開けると、部屋に光が差し込んだ。

 ビリーは舞い上がる土煙の中で見るも無惨に壊れた神殿と壁、削れた地面、侵入した魔物と押し返す騎士たちが見えた。


(外壁、壊れてるじゃないかっ!)


「あんた何やってんだ! 早く逃げろ!」


 声がした下を見ると、さっきの宿屋のおじさんがビリーを見上げている。

 おじさんは「急げ!」と叫ぶと、後は振り返りもせずに走り去った。


(えぇぇええええ!?)


 ビリーは慌てて荷物を持ち、階段を降りる。

 歳の割には健脚だが、速くはない。

 ビリーが外に出た時には周囲に誰もいなかった。


(とりあえずあっちに……んんっ?)


 ビリーは神殿の瓦礫の中に紫に光る玉があるのを発見する。


(あれはもしや!)


 今は緊急事態。

 早く逃げないといけない。

 それはわかっていた。

 それでも、ビリーはその紫の宝玉に向かって走りだす。


(ひぇえええ!)


 ビリーとしてもなぜこんな状況でそれを取りに行っているのかわからなかった。

 何故かはわからないが、そのまま放置してはいけない気がしたのだ。


 ビリーは瓦礫の上を進んで、紫の宝玉を掴み、ぐっと引っ張り出す。

 そして素早く袋にしまった。


(よし! 急いで逃――!)


 その時、ガラガラガラと崩れる音がして、そちらに視線を向ける。

 そこにいたのは瓦礫に上ってきたタイガーベアだ。


(逃げる!)


 幸いまだ距離はあった。

 けれども、そんな距離は瞬く間に縮む。

 ビリーは瓦礫の上をもたもたと走り、タイガーベアがそれをドスドスと追いかける。

 そしてタイガーベアが跳躍。

 ズシンッという地響きと共に着地したのはビリーのすぐ近く。

 ビリーは「ひょあー!!」と叫びながら地面を転がり、手に持っていたビンが割れる。

 タイガーベアはビリーに向かって一歩踏み出し攻撃しようとしたところで、ずるりと滑った。


(やった! 踏んだ!)


 割ったビンの中身は油だ。

 ビリーはその隙に立ち上がって、再度逃げる。

 タイガーベアは油のついた足で追いかけにくそうだが、ビリーとは比べるまでもなく速い。

 すぐに近付いて攻撃しようとする。


「キェエエ!」


 ビリーは至近距離でいくつもの薬品を投げつける。

 光玉、煙玉、音響玉、火炎瓶。

 数々の危機を乗り越えてきたビリー。

 自分の能力が低いこともわかっており、相手が避けられないタイミングは至近距離しかない。

 この時を狙っていたのである。


(あとは建物の中に逃げ――)


「ぐふぅっ」


 タイガーベアの振り回した腕が、たまたまビリーの背中に当たり、ガラスが割れるような音と共に地面に転がった。


(万事休すっ!)


 それでもビリーはすぐに這いずってでも逃げようとした。

 そこで声が響く。


「フロスト!」


 タイガーベアが氷に包まれ、弾ける。

 その次の瞬間には「デマイズスラッシュ」という声と共に剣が閃いた。


(ひょあー!!)


 あまりの強さに心の中で叫ぶビリー。

 タイガーベアを倒した女性は後ろからくる魔物に向かって走る。

 そして、魔法を使った少年が寄ってきた。

 パーティー申請が届いたことにすぐ気が付き、ビリーは承認する。

 すると、ステータスが表示された。


 セージ Lv.90

 HP 9999/9999

 MP 8999/9999


(ふぇえー!!)


 そして、ビリーのHPが0から全回復する。

 当然、HP0から全回復する魔法なんてビリーは知らない。


(ふぁあー!!)


「よかったらこれを飲んでください」


「えっあっありがとうございます!」


 ビリーは受け取って一応『鑑定』をしてみた。

 すると『千寿の雫』と表示される。


(ふぉおー!!)


 ビリーはアーシャンデール共和国に行ったとき、伝説として『千寿の雫』の話を聞いたことがあった。

 寿命が延びるなどと言われていたため、ただの伝説だろうと思っていたが、鑑定した説明文にも同じことが書いてある。

 まさかそんなものが渡されると思っておらず、セージと『千寿の雫』を見比べた。


「あの、千寿の雫なんてそんな大それたものを飲む訳には……」


「いくらでも作れますから飲んでください、早く!」


(いくらでも作れる!?)


 ビリーは驚きながらも、そうでなければ自分に渡さないかと妙に納得し、えいやと飲んだ。


(こ、これはっ!)


 疲れが癒され、体の不具合が溶け出すような感覚。

 倒れたときにできたじんじんと痛む傷が治るわけではないが、体はずいぶんと楽になった。


 ビリーはその未知の感覚と同時に、味にも驚く。

 センの葉の爽やかな香り、しかし、センの葉独特の苦味やえぐ味は一切なく、スッキリとした後味。

 それはビリーの目指す薬そのものであった。


(少年がこのような境地までたどりつくとは。しかし、そんな薬師なら私でも知っているはず。セージという薬師なんて聞いたことが……んんんっ、セージ?)


 ビリーはトーリから受け取った手紙のことを思い出す。

 そこには新たにトーリの師匠となったセージという者のことが書かれていた。


(まさか、この者があのセージ、いや、セージ様!)


 セージはビリーを守るようにして魔物を警戒している。

 でも、その警戒もすぐに終わった。

 セージパーティーの面々がその圧倒的な武力で、迅速に魔物を殲滅しきったのだ。

 一息ついたセージがビリーの方を向く。


「ビリーさんってケルテットで薬屋をしていました?」


「はいぃ! その通りです、私がそのビリーです!」


 ビリーの反応にセージは虚をつかれる。

 細身だが強面で背の高いビリーの印象とは全く異なっていた。


「あなた様はトーリの師匠のセージ様でしょうか」


「あぁ、トーリさんから聞いてたんですか。なんて聞いているかは知りませんが、そんなにかしこまらなくていいですよ。ほら、ただの少年ですし」


「はぁ、そうなんですね?」


 ビリーは曖昧な返事をしながら、ちらりと視界の端にあるセージのステータスを確認する。

 ただの少年のステータスじゃないという突っ込みは飲み込んだ。


「それより体は大丈夫ですか?」


「えぇ、今さっき飲んだ薬のおかげで前より調子がいいくらいです、はい」


「じゃあちょっと怪我人の様子を見てくるので少し待っていてもらえますか? さっきのアイテムについて後で聞きたいんです」


「アイテム?」


「何やら強力に光ったり音が出たりするやつです」


「あぁ、光玉と音響玉ですね。わかりました。ここで座って待っています」


 セージは「お願いしますね」と言って走り去る。


(あー……これからどうなるんだろうなぁ)


 ビリーは地面に座り込んだまま、複雑な思いを胸に、空を見上げるのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る