第190話 クラーク・ウィットモア
ウィットモア子爵家の応接室。
そこではウィットモア家当主、クラーク・ウィットモアとクリスティーナ・シトリンが向かい合い座っていた。
「この度はお時間をいただきありがとうございます、ウィットモア子爵閣下」
「クリスティーナ殿とお話できる時間がいただけて嬉しく思いますよ。ランク上げの成果はいかがでしたか?」
「上々でしたわ」
「それは何よりですな。時間があれば領都をご案内できればよかったのですが」
「少しですが巡らせていただきました。ウィットモア領都の町並みは素晴らしいですね。コルコの丘から見た景色には感動いたしました。来てよかったですわ」
「おお、あそこに行かれましたか!」
クラークとクリスティーナは挨拶を交わした後、雑談に入っていた。
クリスティーナは公爵令嬢なので子爵当主のクラークの方が制度上は身分が上になる。
しかし、シトリン公爵の令嬢となると気軽に話せるものではない。
お互いに丁寧な対応で探りながらの会話であった。
「ところで、明日の朝、王都に帰る予定でしたかな? 何かご用がおありで?」
今の時間は夕方。
令嬢が訪ねてくるにしては遅い時間だ。
クラークは何かあるのではと考えて警戒していた。
「ええ、その通りです。出発の前に伝えておきたいことがあって来ましたの。シトリン家からの依頼についてですわ」
「……そうでしたか」
クラークはそう言って執事に合図を出した。
執事はスッと下がって使用人を連れて出ていく。
明確には言われていないが、クラークが思い付く『シトリン家からの依頼』は、不用意に話せる内容ではないからだ。
部屋に残ったのはクラークとクリスティーナ、親子の様な年齢差の二人だけとなる。
まずはクラークが口火を切った。
「依頼についてと申しますと、どの件のことですかな?」
「あら? リュブリン連邦の件と言った方がよろしかったでしょうか。いくつも依頼があるとは思っていませんでしたの」
クラークはクリスティーナの返しに内心驚いていた。
まさか本当にクリスティーナからその話を聞くとは思っていなかったからだ。
この件は極秘の任務。
娘とはいえ簡単に話さないだろうと思っていた。
クラークは驚きながらも、表情に余裕を見せる。
「リュブリン連邦の件は現在遂行中ですが、いかがいたしましたか?」
「何度も失敗しているようですわね。それでさらにリュブリン連邦の警戒が強まってしまっているとか」
「まさか調べられたので?」
「当然ですわ。私がランク上げのためだけにここまで来ていたと思っておられましたか?」
「いえ、そんなことは……」
クラークは思わず口ごもってしまう。
先日ウィットモアに来たとき、ナイジェール侯爵の対応を優先したため、クリスティーナとは挨拶しかしていない。
ただ、ナイジェール侯爵と話をして、本当にランク上げのためだけに来ていると考えていたため、寝耳に水の話である。
それに、以前王都で会ったときは、シトリン公爵に隠れるようなタイプで物静かな令嬢だと感じていた。
まさかこうして詰められるとは夢にも思わなかったことだ。
「用事というのはそのことですの。シトリン家からの依頼が未だに達成されていないことに関しての報告書、そして、これからの方針を示す計画書を作成してください。できれば今すぐいただきたいですわ」
「さすがに今すぐというのは無理があるのでは?」
「今すぐ書けない理由がおありですか?」
「いえいえ、正確にお伝えするには確認が必要になりますのでね」
「シトリン家からの依頼についてウィットモア子爵閣下は正確に把握しておられないということでしょうか。遂行中とはいえ資料はまとめているものと考えておりましたが」
その言葉にクラークは一瞬詰まったが、すぐに「当然まとめておりますとも」と頷く。
「ですが、何事も確認が必要ということでしてね」
そこでクリスティーナがじっとクラークを見た。
クラークは冷や汗がじんわりとにじんだが、表情には焦りを出さないように意識する。
シトリン家への報告を何とか引き延ばしたいからだ。
「わかりました。明日の朝には飛行魔導船に乗りますので仕方ありませんね。私が集めた情報がありますので、そのまま王都に帰るとしましょう」
「よろしければその情報というのを教えていただけますかな?」
クラークはクリスティーナがどこまで掴んでいるのかをどうしても把握しておきたかった。
ただ、ウィットモア家のことをウィットモア家当主のクラークが教えろというおかしな状況になっている。
その事にクラークも気づいていたが堂々とする姿勢だけは崩さなかった。
クリスティーナは眉をひそめながら答える。
「教えるというのは、ウィットモア子爵閣下の任務の情報を、ですか?」
「ええ、私の認識では想定通りに進んでいるのですが、クリスティーナ殿は違うようですからな。間違いがあれば訂正いたしましょう」
そこで少しの間が開いた。
間違いを訂正するのではなく、クラークから説明すればいいことである。
それでもクラークは自分から言わずに、クリスティーナの言葉を待った。
「まぁいいでしょう。ある道具を使ったり、金で雇ったりした冒険者や商人にリュブリン連邦へ潜入させていることはわかっています。実行は執事に任せているようですね。依頼をした中で五人はリュブリン連邦に潜入できたようですが、一人も成功しなかったとか。そして、今後も成功の見込みはなさそうですわ」
「私の見解とはことなるようですな。次こそは成功するでしょう。今は同時に複数か所から襲撃する新たな計画を練っておりましてな」
「本当かしら。その計画はまだ進んでないのではなくて?」
それはその通りであったがクラークはそれを認めるわけにはいかない。
「そのようなことはありませんぞ。順調に進んでいますからな。これまでのリュブリン連邦襲撃は今回の計画の準備だったのですよ」
「そうでしょうか。私が調べた中では次に送る人材にも困っている、と感じましたが。申し訳ありませんが、報告は私の調査通りに行いますわ。それでは」
そう言ってクリスティーナが立ち上がる。
クラークはどうするべきか迷った。
このままクリスティーナを帰し、シトリン家に報告されるとまずい。
実際のところクリスティーナの言う通りであったからだ。
シトリン公爵家から調査官が派遣され、調べられることになった場合、クラークはウィットモア子爵から降ろされる、最悪の場合は罪人として捕らわれることもありえた。
なんとか時間を稼がなければならないのである。
クラーク自身が公爵家に出向いて説明することが確実だ。
しかし、それをしてしまうと指揮が取れない。
ことがことだけに信頼のおける執事一人にしか詳しい内容を伝えていないのである。
しかも、その執事とは今日連絡が取れておらず、この上手くいっていない現状で離れることなどできなかった。
退出の挨拶をしようとしたクリスティーナに、クラークは「お待ちください」と声をかける。
クラークは今まで堂々と余裕をもった対応にしようと努めていたが、わずかに焦りを含む声を出した。
「シトリン公爵閣下へ手紙を書きます。今からすぐに詳細を調べ、明日の出発までには必ず用意しましょう。届けてくださいますか」
「えぇ、わかりました。明日また受け取りに伺いますわ。ごきげんよう」
クリスティーナは微笑みながら挨拶をして執務室を出ていった。
扉がしまって一つ息をつくと、クラークは頭を抱える。
今からすぐに手紙の内容を考えなければならない。
矛盾がなく、上手く進んでいるように感じられる内容を。
一向に帰ってこない執事トビアスを待ちつつ、手紙の内容に頭を悩ませ、クラークは眠れない夜を過ごすのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます