第191話 クリスティーナの全力
クリスティーナは扉を出ると、使用人の格好をしたルシールと共に屋敷を出た。
目の前に止まっていた馬車の扉を執事姿のトニーが開けて、クリスティーナは優雅に乗り込む。
そして、御者姿のギルが馬を出発させた。
ルシールたちは何かあった時のために入り込んでいたのである。
不測の事態が起こったとしてもこのパーティーであれば切り抜けられるからだ。
ウィットモア子爵家の敷地から出て、クリスティーナは詰まっていた息をふぅと吐き出した。
(なんとか、無事終わりましたわ)
クリスティーナは終始余裕のある表情を作っていたが、内心はひやひやとしていたのである。
最初はまだよかった。
計画通りに話せて、リュブリン連邦の件にクラークが関わっていることを確認できたからだ。
ただ、クラークの「よろしければその情報というのを教えていただけますかな?」という質問からは迷いの連続であった。
強気に出るべきか、折れるべきか、それとも引くべきか。
目的はリュブリン連邦の内容を書かせること。
それを達成するためにクリスティーナは初めての交渉に挑んでいたのであった。
(でも、良い報告ができそうですわ)
そして、この交渉をすることになったのは、クリスティーナの独断ではなく、エヴァンジェリンたちが関わっていた。
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混沌地帯から近い町ブルックから、飛行魔導船を泊めているウィットモアまで馬車で移動しているときのことだ。
(トビアスさんはウィットモア領の執事。ウィットモア家ということはシトリン家が関わっている可能性があるわ)
現在のグレンガルム王国は王族派とシトリン派の二大派閥がある。
王都内の公爵家の1/3と、国境を守る侯爵家、そして侯爵家と関わりが深い領は王族派。
王都周辺の領や公爵家の1/3はシトリン派閥になっている。
中立もいるが公爵家以外で完全な中立を保っている貴族はほとんどいない。
そして、王都からヘンゼンムートを挟んで隣のウィットモア家もシトリン派閥だ。
(やはり、あの計画の一部ではないでしょうか)
シトリン家が秘密裏に進めている計画がある。
簡単に言うと国を強くすることだが、それにともなって周辺諸国に影響を与えるため、ほとんどの者は正確に知らない。
クリスティーナがその計画について知っているのは、第二学園教官のネイオミから、シトリン家がラングドン家やナイジェール家を狙っているという話を聞いたからだ。
自分で調べてみればいいと言われて、クリスティーナは本当に調べた。
ナイジェール領が狙われているのは塩、魔石、鉱石など資源が豊富だという理由。
これについては想定通りだった。
クリスティーナとセージが婚姻し、内部をシトリン家の息がかかった者で固めることで、シトリン家に融通を利かせることができる。
ただ、最近まで男爵であったラングドン家については想像もつかなかった。
資源はあるが、ナイジェールほどではなく、わざわざ狙うとは思えない。
ラングドン家は、魔法はいまいちだが、騎士の練度が高いことで有名だ。
最初はそこにメリットがあるのかと考えた。
しかし、調べてみると別のところに狙いがあるとわかったのである。
ノーマン・ラングドンは慎重に事を進めていたのだが、騎士団の被害を最小限にするためにある程度は解禁していた。
ポンポンと国宝級の物が出てきて感覚が麻痺していた部分もあるだろう。
ラングドン家は子爵になり、男爵より装備などの戦力は上がる傾向だ。
そこでノーマンはギリギリ子爵級の枠に入る物を選んで解放していた。
しかし、貴族の中には見栄を張る者もいる。
実質はすでに伯爵級、接近戦だけでいえば侯爵にも匹敵するほどの戦力だ。
しかも子爵になって一年も経たない間に急成長するなど底が知れない。
装備だけでなく高品質の回復薬などもラングドン領から流れていることは突き止めていた。
シトリン家はそこに目をつけたのである。
そして、クリスティーナはナイジェール領とラングドン領のことを調べる過程で、その奥にある計画のことがおぼろげに見えてきた。
その計画の目的は王国の東にあるサルゴン帝国の西端、旧スピアリング王国を奪取することである。
そのために獣族の里リュブリン連邦、エルフ族の里ルシッカ、ドワーフ族の里フォルクヴァルツを統治して国力を高め、前衛の獣族、中衛の人族、後衛のエルフ族、ドワーフ族の装備、そして、そこに勇者が加わり、飛行魔導船などの魔導具を配備。
サルゴン帝国の一部を落とし、その後防衛することは可能だろう。
ただ、獣族、エルフ族、ドワーフ族を無理やり統治したところで協力が得られるとは限らない。
むしろ協力させることは困難だろう。
それに、戦場で裏切られたりする可能性があり危険である。
ドワーフ族に関しては鉱石や魔物の素材など原料や肉、酒の優遇措置をとり、現在良好な関係を築いてきた。
ラングドン領の装備を合わせると、十分な量を確保できる。
エルフ族は交渉が進んでいなかったが、現在は高品質の回復薬を見せて交渉中だ。
これについては高品質薬が作れるラングドン領の人材の確保が急務である。
「で、リュブリン連邦は、アーシャンデール共和国の獣族犬科に協力して征服して、獣族犬科から支援を受けようって話なのね?」
「詳しいことはまだ調査中ですが、おそらくそうだと思いますわ」
エヴァンジェリンの言葉にクリスティーナが答える。
(リュブリン連邦についてもしっかり調べるべきでした。セージ様なら獣族とも交流があると想定すべきでしたのに)
リュブリン連邦のことは付随的にわかってきただけで、基本的にラングドン領やナイジェール領のことを調べさせていた。
セージが関わるところを優先するのは当然である。
まさかセージがリュブリン連邦の元里長と親しいなどと想像はできないだろう。
それでもクリスティーナは反省した。
そして、ディオンと会った時にクリスティーナは最優先で調べるように手紙を送っている。
ただ、さすがにこの短期間で有用な返信が来ることはなく、断片的な情報からの推測しかできなかった。
「つまり、シトリン家から依頼を受けたウィットモア家が、呪いを使ったりして月鏡の装備を盗ませようとしたってこと?」
「その可能性が高いと考えています。ただ、依頼をした記録もウィットモア家がしている内容もシトリン家では見つかっていません」
リュブリン連邦を攻める時に重要になるのは月鏡の装備である。
獣族に有効な魔法を反射されると厄介だ。
リュブリン連邦の英雄アニエス・ド・リールがこれをつかって戦況を変えたことからも警戒されていた。
「ふーん。まぁ私も多少は調べていたから情報はあるし、呪いの件はウィットモアの独断かもね。シトリン家は方針を伝えただけだろうし。でも、どうしてそんなにまどろっこしいことをするわけ?」
そんなエヴァンジェリンの疑問にはアルヴィンが答える。
「月鏡を奪ったのもアーシャンデールのせいにして、グレンガルム王国としてはリュブリン連邦と友好な関係を維持したいからじゃないかな」
「征服するつもりなのに?」
「アーシャンデール共和国からの侵略でリュブリン連邦から出ていくとすると、グレンガルム王国かザンパルト王国しかない。今はグレンガルム王国と友好的だから多くはこっちに流れてくるだろう。そのままその獣族の働き口としてサルゴン帝国との戦いに投入する、とかそんな考えがあるのかもしれないな」
「まさか。猫科と犬科の獣族にエルフ族が混ぜるってわけ?」
猫科と犬科はもちろん、獣族とエルフ族も仲が悪い。これは今までの歴史と関連している。
全てを一つのグループにするのは無謀といえるだろう。
「そこは戦略だ。大規模な戦闘になるだろうから分けることはそう難しいことじゃない。それに、サルゴン帝国に侵攻するとなったらミストリープ家が関わるだろうから、エルフ族より獣族の力を求めている可能性が高いな」
「へぇー。対抗試合で獣族が出てたし、その辺の交渉は進んでそうね」
最初は情報を持っているクリスティーナが話していたが、徐々にアルヴィンとエヴァンジェリンの話になってきた。
(なるほど。やはりアルヴィン様はよく考えられていますわ。私もがんばらないと)
アルヴィンは王子であり第一学園の首席だ。第一王子のように次期王としての教育は受けていないが、しっかりと勉強はしてきている。
ちなみに同じ馬車の中にいるベンはある程度情報を持っているものの発言を控えており、ルシールとセージは国の内情など知らないので置物のようであった。
「シトリン公爵までは仕方ないにしても、ウィットモア子爵でさえどうすることもできないのがな。あの執事が勝手にやったって言えば終わりだから」
「ウィットモアが指示したのは明らかじゃない。もう捕まえればいいでしょ」
「いや、さすがに子爵を証拠なしで捕まえるわけにはいかない」
「そう? ディオンがいるじゃない。国宝が盗まれそうだったんでしょ? とりあえず捕まえて、リュブリン連邦から正式に抗議をしたらいいのよ」
「盗もうとしているのがグレンガルム王国という証拠がないからな。強引にいくとリュブリン連邦とグレンガルム王国の戦いに発展するぞ」
「別にいいじゃない。ウィットモアとリュブリン連邦の間には混沌地帯があるんだし。通行はナイジェールとラングドン経由になるんだから、大丈夫よね?」
エヴァンジェリンから話をふられた二人は、きょとんとして同時に頷いた。
「あなたたち聞いてた? そもそもセージとディオンの仲がいいから何とかしようって話なのよ?」
「聞いてましたよ? でも、貴族の内情とか知らなかったので」
「まったくもう。あなたも貴族なんだから少しくらいわかりなさいよ」
セージを睨むエヴァンジェリンをアルヴィンが「まあまあ」となだめる。
「さすがに戦いを起こすのはまずいよ。リュブリン連邦の戦力的に厳しい」
「ルシール自由騎士団が手伝えばどうとでもなるでしょ」
「人数が少なすぎるな。アーシャンデールからも攻められる可能性が高い。それに飛行魔導船もある。多数の場所から攻められるとどうしようもない。王国の勇者に対しては圧倒できるほどではないし、個の力だけでは民を守りきれないことになる。そもそもナイジェールとラングドンにも協力を要請することになるだろう。それを断るとグレンガルム王国が内戦になり民が――」
「あーもう! わかったわ! とりあえずウィットモアがリュブリン連邦に盗みに入ったって証拠があればいいんでしょ?」
「あの執事だけでは証拠にはならないぞ」
「それくらいわかってるわよ。証拠がないなら作ればいいの。ねぇ、クリスティーナ」
(証拠をつくる?)
クリスティーナはまさか話を振られるとは思わずきょとんとする。
「どういうことでしょうか」
「シトリン家にあてた正式な書簡があればいいのよ。それがあればアーシャンデールへの牽制にもなるわ。あの国は親リュブリン派もいるんだし」
「ですが、そのような書面は見つかっておりません。そもそもあるかどうかも……」
「作ればいいって言ってんでしょ。クリスティーナ、あなたがウィットモア子爵に書かせてきなさい」
「私が書かせる?」
「そうよ。当然じゃない。証拠がないなら作らせればいいのよ」
「令嬢の私が子爵に、ですか? エヴァンジェリン様とアルヴィン様が行った方が良いのではないでしょうか」
「私たちが行っても警戒されて終わりじゃない。シトリン家のあなただからいけるの。相手が書きたくなるように誘導してやればいいだけ。心配しなくても大丈夫よ。ウィットモア子爵はたいしたやつじゃないわ。言ってきそうなことくらいわかるでしょ。ねぇお兄様」
急に投げられて「えっ?」となるアルヴィンは、少し考えて答える。
「まぁだいたい想像はできるけど」
「まっそういうことだから。ウィットモア子爵が悪事を働いているのよ? セージの友人の国に対してね。放っておくわけにはいかないわよね? セージもそう思うでしょ?」
セージはエヴァンジェリンの言葉を少し考えてから口を開く。
「それは、そうですね。ディオンさんのことがなくても放置はできません」
平和思考のセージとしては命に関わる呪いや盗みはアウトである。
貴族だろうと関係なく、罪を償わないといけないと考えていた。
そのはっきりとしたセージの答えにクリスティーナは決心する。
「全力を尽くします」
こうして、クリスティーナはクラークと面会することになったのであった。
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