第157話 侯爵と公爵
「セージ・ナイジェールと申します」
セージは連れてこられた部屋に入り、今日教えられたばかりの貴族風の礼、左手を腰の後ろに置き、ゆっくりと礼をしながら右手を左胸に移動させる。
ソファに座ったままその所作に頷いたのは、継承式で司会をしていたブランドン・シトリン公爵である。
「さぁ、座りたまえ」
促されるままセージはソファに座り、その後ろにベンが立つ。
「貴族の仲間入りをした気分はどうだね」
「今はまだ戸惑いが大きいでしょうか」
(というか仲間入りした意識はないんだけどね)
「戸惑うのも無理はない。急に侯爵とは驚いただろう。しかし、もう侯爵になったのだ。貴族の自覚を持ち、これからのことを考えていかなければならん」
「えぇ、若輩者ゆえ、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします」
セージが心にもないことを言うと、ブランドンは鷹揚に頷く。
「ほぅ、よくわかっているじゃないか。騎士爵や男爵などは話にならないこともあるが、ナイジェール殿は違うようだ。しかし、侯爵にもなるとやらなければならないことも多い。領地の運営や魔物の管理だけでなく、隣国の情報を知ることも重要だ。そして、王宮での社交もある。わかるかね? 王宮での社交というのは……」
(まぁ王宮で絡む気はないし、どうでもいいんだけど。というか本棚が気になるな。何とか公爵に目線を合わせたままタイトル読めないかな)
セージは公爵の話を何となく聞いて相槌を打ちながら、真剣な眼差しを向ける。
ランク上げで魔物をすぐに察知できるよう意識し続けていたことで、視野を広く持つことは鍛えられていた。
(歴史や政治関係が多そうだけど、あれは魔法関連の本かな? けど、そこまで魅力的な本はなさそうだ。やっぱり図書館……そういえば、王宮内にも図書館ってあるのかな?)
「……ということだ。覚えなければならないことは数多い。わかるかね?」
「はい。これから貴族として、学びに注力したいと思います」
「そうだな。第三学園では一級生まで無理矢理上げられたようだが、それでは貴族は務まらん。継承式でも言っていたように、来年の四月からは第一学園の二級生になる。そこから学びが始まるのだ。わかるかね?」
(あーそんな話があったような気がするけど、興味なかったからな。在学だけして出席しないってありかな? とりあえず第一学園は図書館さえ見れたら――)
「どうした? わかったかね?」
ブランドンは固まるセージを訝しげに見る。
セージは慌てて取り繕った。
「はい。第一学園での学びについていけるか不安になってしまいました。編入までの間にも学びたいと考えているのですが、王宮や第一学園の図書館などは使用できるでしょうか」
「当然だ。王宮の図書室は侯爵の証があれば自由に入れる。学園の図書館は学園生なら自由に観覧できるが、話は通しておこう」
(よし! しばらくはおとなしくしておかないと。本を読みきるまでは)
「ありがとうございます」
「しかし、書物で学べることには限りがある。一からの学びであればその労力は非常に大きい。学園の講義では三級生から……」
(本さえ見れたら学園に用はないな。第一学園の講義内容にもよるけど。つまらなければ別に行かなくていいや。逃げても大丈夫かな? うーん。また今度ノーマン総長とかルシィさんに相談しよう)
セージは別のことを考えながら、ブランドンの話を半分聞く。
(というか、この人話が長いんだよな。いや、興味がないから長く感じるだけ?)
「……特にこの三つの講義は押さえておくべきだ」
話が一段落した時、スッと使用人が耳打ちする。
するとブランドンは一つ頷いて手で合図を出した。
「そこで、ナイジェール殿に是非紹介したい者がいる」
その言葉と同時に、ノックの音が響く。
ブランドンが指示すると使用人が扉を開け、一人の令嬢が入ってきた。
「私の娘、クリスティーナだ。挨拶をしなさい」
「初めまして。クリスティーナ・シトリンと申します。よろしくお願いいたします」
少し緊張した面持ちで礼をするクリスティーナにセージは「セージ・ナイジェールです」と礼を返す。
(へぇー、公爵と似てないな。母親の遺伝かな?)
幼さを残す可愛らしい顔立ちはブランドンと印象が駆け離れていた。
そして、ふわりとした長い髪に鼈甲の髪飾りを付け、フリルの多いドレスを着ている。
「来年、クリスティーナは二級生になる。ナイジェール殿と同じだな。三級生の魔法科で上位の成績を修めているため助けになるだろう。三級生の講義を今から受けることはできないが、重要な講義内容はクリスティーナから教わるといい。定期的に会う機会を設けよう」
「お心遣い感謝いたします」
(定期的には要らないな。第一学園の講義内容は少し気になるけど)
「詳細な予定はクリスティーナから話をしなさい。さて、最後にもう一つ、貴族の義務を教えよう」
「はい」
「それは子を成すことだ。わかるかね? 平民ではまだ先のことかもしれんが、上級貴族なら十五歳になる頃には婚約している。成人の宴では婚約者を連れている者が多数いるものだ。侯爵であるナイジェール殿もそれを考えてもらわねばならん」
「婚約者はいますのでご安心ください」
(ルシィさんと先に婚約しておいてよかった。これでとやかく言われないで済む)
きっぱりと言い切るセージに、ブランドンは一瞬虚をつかれたが、顔には出さずに首を振る。
「残念なことだが、貴族の中でも上級貴族になったからには相手は貴族でないとならんのだ。品格というものがあるからな。どうしてもというのであれば妾や愛人として平民を囲うこともできるが、勧められんな」
「相手は貴族ですので問題ありません」
「……なに? 貴族だと? 誰だ?」
その言葉にブランドンは少しの焦りを覚えた。
セージの価値は高まっており、狙っている貴族は他にもいる。
ただ、今はセージが貴族になってすぐの面会だ。先を越す者がいるとは思えなかった。
「私の婚約者は、ラングドン子爵令嬢ルシール様です」
ブランドンはその言葉を聞いてピンとくる。
貴族の動向は注視しており、情報を集めさせていた。
その中に平民と婚約して貴族籍を抜ける子爵令嬢の情報があったことを思い出したのだ。
その情報に興味はなく、ルシールの名前さえ覚えていなかったが、ブランドンは納得した。
ラングドン子爵が有用なセージを囲うために、娘と婚約させたのだと思ったからだ。
婚約の書類がすでに通った後となればややこしいが、まだ結婚はしていない。
ブランドンは、相手が下級貴族である子爵であればどうとでもなると考えた。
「そういうことか。しかし、侯爵になったということもある。まだ婚約の内は心変わりもあるだろう。それに相手は侯爵夫人にふさわしくあるべきだ。わかるかね?」
セージはその言葉を聞いてハッとする。
(そうか。一時的とはいえ侯爵夫人、侯爵の婚約者とか言われる立場になるのか。侯爵になったことをルシィさんに言っておかないとなぁ。気にしないでいてくれるといいんだけど、嫌だったら……なるべく早く王国騎士団より強くなって侯爵を辞めるしかないか)
「……そうですね。立場が変わりますし」
セージとしてはルシールの立場が変わることを危惧していた。
しかしブランドンは、セージの立場が侯爵に変わってラングドン子爵令嬢とはつりあわない、という意味に受け取り、満足そうに頷く。
「クリスティーナはナイジェール殿と同じ年だが、まだ婚約者はおらん。仲良くしてやってくれ」
シトリン家は政治分野の地位が王家と並ぶほどになっており、騎士団ではトップである。
ただ、魔法騎士団では王家派に及ばない位置にいる。
ブランドンはクリスティーナとセージを結婚させて、精霊士を取り込み、魔法騎士団でも確固たる地位を確立したいと考えていた。
すぐに第一学園に入れなかったのもそのためだ。
侯爵なので、下級貴族は相手にならないが、上級貴族や王家はそうはいかない。
そこで、先にクリスティーナをつけて、婚約させようという考えだったのだ。
ただセージは、クリスティーナに婚約者ができるまではクラスメートとして仲良くしてもいい、と受け取って「はい」と返事をする。
「さて、王宮には慣れていないだろう。貴族は自由に入れるが、王族専用の場所などもある。私が案内したいところなのだが、公務があってな。クリスティーナに任せようと思うが、いいかね?」
「はい、よろしくお願いいたします」
「クリスティーナ。ナイジェール殿を案内しなさい」
「かしこまりました。ナイジェール侯爵閣下、こちらへどうぞ」
クリスティーナは父親からの期待に答えようと、緊張した面持ちで案内を始めるのであった。
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