第35話 ヤーナ・ルシッカは散財する
ヤナはいつも無表情であったが、このときは微かに笑みが溢れるほど機嫌が良かった。
それは、これから本屋に行くからだ。
ヤナは趣味が魔法と言っても過言ではなく、知識を溜めることが嬉しかった。そして、その源泉となるのは良質な本である。
これこそがエルフの森から出て、人族の町に来た理由である。本を取り扱っているのが人族くらいなのだ。
エルフの里では口伝が多く文字にしない。そして、伝える相手は限定され、里内の者にしか話さないのである。他種族でもそういう傾向が強い。
本を書く、読むという習慣がないのである。
ハイエルフは本にして知識をまとめていたが、暗号のように別の言語を使って読めないようにしていた。
知識を広めようとする意識が少ないのである。
その点、人族では知識が解放されており、金さえあれば学ぶことができる。様々な書物が出回り、神の本でさえ写本にして売るということをする。
他種族にはない感性であった。
そして、ヤナにはありがたいことである。
ヤナが冒険者をしているのもただ単に最も稼げて、自由に生活でき、魔法の実践ができるからという理由だ。
全ては魔法の勉強を中心に考える。それがヤナの生き方だった。
(この前の手紙に書いた呪文の文法考察についての議論は有意義だった。それについての本があれば買おう。金ならある)
ヤナは金貨三枚を用意していた。今回のギルドからの依頼金と素材の価値が高かったのである。
ヤナのパーティーはセージと出会った時点で高ランクだったが、さらに七年間成長を続けて、一流の冒険者パーティーになっていた。
冒険者はランク分けされており、一級~十級の十段階評価である。ヤナたちは一級、王都でもトップのパーティーだ。
そのランクになると指名依頼を出すだけで金貨五枚はかかり、そこから内容によってプラスされる。
もちろん指名されることは少ないのだが、今回はドラゴンの討伐依頼の指名が入り、依頼料とドラゴンの素材売却で大きな利益が出ていた。もちろん拠点の維持や生活費、道具のメンテナンスに消耗品の補填、様々なものが差し引かれるのだが、それでも個人に金貨が分けられるほどであった。
ちなみに金の管理はリーダーのカイルがしている。しっかり金を管理できることが、着実に実績を残せた一因であるのは間違いない。ミュリエルのように散財して、そのまま破産してしまう冒険者は少なくないのだ。
ヤナは王都の大通りを歩き、武器屋の角で曲がる。行き付けの本屋、ダンの本屋に向かっていた。王都中の本屋を巡って、最も良いと思った店である。他にも良い店は二つあるのだが、まずはダンの店に行くのが決まりだった。
(先客……まさか、セージ?)
店に着くとセージの横顔が見える。キラキラのした目で本棚を観察しているところだった。
七年ぶりの再会なのでセージが成長していて見た目は大きく変わっていたのだが、上級魔法について話をしたときのような目の輝きで間違いないと感じていた。
「セージ?」
後ろから声をかけると、驚いたように振り向いたセージが嬉しそうに言った。
「ヤナさん! お久しぶり、ですね。ずっと手紙でやり取りしていたので久しぶりという感じもしませんけど。王都に来るとは聞いていましたが、まさか会うとは思っていませんでした」
ヤナは偶然の再会に驚きながらも喜んだ。また魔法談義ができると思ったからである。
(まだまだ話したいことはたくさんある。今日は拠点に招待して泊まってもらおう)
ヤナはセージとやり取りしながらどの本を買うか、セージと魔法の何について話すかを考えていた。
しかし、その考えが一瞬で吹き飛ぶようなことを、積まれた本を指しながらセージが言った。
「これってヤナさんへのおすすめの本なんですよね? この『英雄ゴランと塔の姫』って冒険物語っぽいじゃないですか。だから、そういう本も好きなのかなって」
その本はヤナには読めなかった。ヤナだけではなく、世界を探しても読める者はいないと確信できる。
それは神の言語で書かれた本、遥か昔に神がこの世界の者のために書き記したとされる本の写本だからである。これが読めたら世界が変わるとさえ言われているのだ。
セージは特に辞書を見たわけでもなく、なんでも無いように読んでいることにヤナは戦慄した。
(grandis魔法詞どころじゃない。これは偶然読めたなんてことはありえない。何でもないように読めるということは、膨大な神の言語の知識が詰まっているはず。どういうことなの)
何か教えたのかとダンの方を見たが、今までに見たことがないほど目を見開き驚いた表情をしていた。
ダンの驚愕の顔を初めて見て、ヤナは少し落ち着きを取り戻す。
「セージ、これが、読めるの?」
「ええ、そりゃ読め……あっ」
セージは視線をうろうろと動かしたあと、諦めたように笑った。
「あ、あーそうですね。実は読めるんです。でも読めることは誰にも言っていませんので内密にお願いしますね」
にっこり笑って人差し指を口に当てるセージにヤナは真剣な表情で頷いた。
(そんな簡単に言えるわけない。こんなのどの国でも言語学の研究者のトップに立てる。いいえ、そんな規模の話じゃない。世界を変えられる力を持っているようなもの)
ダンはカウンターの下からごそごそと三冊の本を取り出しカウンターに置いた。
(これって以前私が買わなかった本?)
「坊主、セージだったか。この本も読めるのか?」
「はい、読めますけど、『勇者ゴランと崖の上の人魚』って続編ですかね? 次は、『神学論入門』です。最後は、ぁあぁああ!」
「どうしたの!?」
急に変な叫び声をあげるセージにヤナが驚く。ヤナがそんな姿を見せるのは珍しいのだが、セージはそれどころではなかった。
「ダンさん、ちょっと開けてみてもいいですか?」
「ああ、少しならな。大切に扱ってくれ」
そろりと開けて、数ページめくり、そっと閉じた。
(セージが驚くことって何が書いてあるの?)
「これはいくらですか?」
「金貨一枚だ」
「買います。今はお金がないのですが、必ず持ってきますので置いていてください」
金貨一枚は百万円ほどの価値がある。
最近金の巡りがいいセージにとっても大きな額だが、それでも安いと思えるほどの物で買うと即答した。
その姿を見て、ヤナは自分が買おうと決意する。
(金貨一枚で、セージが驚くことが書いてあるなら安い。それを教えて貰うためには私が買うしかない)
「私が買う。だから代わりに読んで」
「えっ? 金貨一枚ですよ?」
「いい。この本には何が書いてある?」
「表紙には『魔法呪文学~基礎編~』と書いてあります。特級呪文がいくつか載っていて、その意味の解説が書いてあるようですね」
その言葉にヤナは絶句した。その姿を見て何やら嬉しそうにセージは言う。
「驚きですよね。こんな本に出会えるなんて運がいいです」
「本当にそれが読める?」
「これなら確実ですね。エルフの本を読むより断然楽ですよ」
(エルフの本より楽って、ハイエルフ語も読めるの!? セージって何者? 本当に人族?)
エルフの言語はヤナでも読めない。その言語は失われたのである。五百年以上生きている世代のエルフに、わずかに単語が読める者がいるくらいだ。
「他にも好きな本を買って。金貨は三枚ある」
この世界で神の言語を読もうと思っても読める者がいない。国のトップの言語学者でもひらがなだけでさえ怪しいくらいである。
本の数が少なく、さらに全て手書きだというところが言語の解析を難しくする要因だ。
同じように書いているつもりでも違う文字になってしまうことがある。オリジナルが何かもわからず、どれが正しいのかわからない。
「金貨三枚って、そんな大金いいんですか?」
「いい。好きなもの選んで。お金が足りなかったら後から買いに来るから」
(金貨三枚くらい、この本を完全に読めるなら安い。金貨百枚でも絶対稼いで払うくらい)
「じゃあ、遠慮無く。今から言う本取ってもらえますか? 魔道具作成の手引きと技工師入門、魔道具一覧、中級錬金術書、あっ、そのエルフ語で書かれてるやつ、それです、あとは……」
セージは持っていた大銀貨五枚と合わせて、ちょうど金貨三枚と大銀貨五枚分になるように本を選別して購入するのであった。
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