第12話 ケルットーリ・コルホラは弟子になる
セージとの出会いから二か月後のことだ。
薬屋の午前中は忙しい。朝から出発する旅人や冒険者が回復薬などを買っていくからだ。
逆に午後になると日常に使われる薬を買い求める人がまばらに来るくらいで暇になる。
トーリはそんな合間の時間に店のカウンター内で軽く調合をしたり資料を読んだりするのが日課だった。
「トーリさん、こんにちは!」
元気よく挨拶して入ってきたのはセージ。二日に一回、昼過ぎになるとスライムを売りに来るのだ。大量に持って来られても消費できないため、二日に一匹、小銅貨二枚で固定である。
「……いらっしゃい」
トーリは未だにセージへの対応を決めかねていた。年齢は五歳だが、トーリの中ではセージは神の国の住人だからだ。
今は表面上普通にしているが、丁寧に対応すべきかと未だに悩んでいる。たまに丁寧に話す練習をこっそり一人でしているくらいだ。
「今日もスライムを売りに来たのか? いつも通り小銅貨二枚な」
「はい。それもあるんですが、弟子入りをお願いしたいと思いまして」
(もう弟子入りの話か。セージは人族、というか神の国の者だから別にいいんだが、師匠が許さないだろうし。ランク10を超えるまでは弟子になれないのがエルフ流だからな)
「前に言った通り、まず薬師のランクを上げないと。それに、まだ師匠の返事も来てな……」
「昨日ランク12になりました」
「んっ?」
トーリはセージの言葉に固まる。
「それで、いろいろとお聞きしたいんですが」
(どういうことだ? ランク12になるまで普通一年以上はかかるぞ。まぁ少しはレシピを教えたが、それにしても早すぎる。まだ二か月だぞ)
「ちょっとどういうことかわからないんだが」
セージは首を傾げると「あっ!」と思い付いたように言う。
「前世の記憶がある話はしましたよね? なんだかわからないんですが元から薬師のランクは9まで上がっていたんですよ。ちなみに調理師はマスターしています」
「そうか、前世から錬金術師を目指してたんだな」
「いや、そういうわけではなくて。普通に生活してたらたまたまそうなってただけというか。特に意識してなかったんですが」
「だが、調理師をマスターするなんて膨大な数のメニューと多種多様な食材を使わないと無理だろう。それに薬師ランクがそんなに上がるなんてどんな物を使ったんだ」
「あーなるほど。買いたいと思えば大抵なんでも買えて、一般的に様々な料理を作る地域だったというか」
この世界では物流はあるものの、基本は地産地消がメインだ。肉や香辛料は高価であるし、魚なんて内陸のこの町では見ることも稀だろう。貴族であれば氷魔法を駆使して運ばれた物を食べることもあるが、庶民では乾物でさえ高くて手が出ない。
セージの前世は東京。原産地が地球の裏側だったとしても手に入る世界だ。まったく環境が異なる。
「買いたい物が買える? セージは貴族? いや、貴族の料理人だったのか?」
「いやいや、庶民も庶民、平均より少し下くらいですし、料理人でもありません」
(庶民の平均より下で、なんでも手に入る。これが神の国か……)
なるほど、といった風に頷く。トーリの中の神の国のイメージが加速していた。
「さすがだな」
セージは何がさすがなのかわからず困惑しながら再び聞く。
「それで、ランクを上げたので弟子入りして回復薬のことを教えて頂こうかと思ってきたんですが」
「ああそうだったな。すまないが少し待ってくれ。弟子をとるには師匠の許可が必要なんだが、それを書いた手紙の返事がまだなんだ。基本の回復薬の製法ならギルドで聞けばわかる」
「ギルド?」
「ん? ギルドを知らないのか?」
「冒険者ギルドは聞いたことがありますけど」
(なんで冒険者ギルドだけなんだ。なんだか何でも知っていそうなのに変な部分が抜けている感じがするな)
「基本的に生産職にはそれぞれギルドがあって、特に中級職のギルドは大きくて国の管理になる。それだけ貴重ってことだな。もちろん薬師ギルドもある」
「ギルドに所属していないと販売ができないとかですかね? 商品の値段も大まかに決められているとか」
「それは知っていたのか」
「いえ、そんな感じだろうなと。もちろん良い部分もあるんですよね?」
(本当に知らなかったのか? 試されているのか? いや、ちがう。これが神の国の理解力ということか)
トーリはセージの理解の早さに驚きつつも全て神の国ということで納得した。
「レシピの一部を公開していたり、素材の融通をしてくれるところが良い部分だな。他のギルド、さっき言った冒険者ギルドなどと連携していて、使える素材は優先的に運ばれるんだ」
「なるほど。ギルドで登録しないと素材を得るのも大変なわけですね。レシピは一通りだけですか?」
「大まかに言えば、だな。ただ、ギルドで学べるのは基本の手順と素材で、有名な薬師、錬金術師たちは効果を高めるための工夫をしている。だから店によって品質が全く違うんだ」
「なるほど。だから製法は気軽に教えられないんですね」
「まぁそういうことだな。私にも師匠がいて、その人に聞かないといけない。セージもギルドで登録すれば基本のレシピはわかるぞ」
「ちなみに、なんとかして五歳でギルドに登録する事ってできますか?」
「それは……無理だ。どのギルドでも登録は十二歳以上。十歳になれば小間使いとしてギルドで働けるから、そこでこっそり聞いたりするが、五歳ではそれもできない」
(そういえばセージは五歳だったんだな。五歳で薬師ランク12になんて普通なれないからすっかり忘れていた。そもそも五歳にレシピって教えて良いんだろうか)
「初心者用の本とかありませんか?」
「ここにはない。ギルドに置いてあるのも持ち出し厳禁だ。私のレシピはあるが、さすがに見せるわけにはいかない。まぁ師匠から返事がくるまでちょっと待っててくれ」
(久しぶりにギルドに行って基本のレシピを見てくるか。それなら教えても大丈夫だろう)
そんなことを考えているとセージがカウンターに置いてある本を指して言った。それはセージが来るまでトーリが読んでいた本だ。
「その本はダメなんですか?」
「これは初心者用の本じゃないんだ」
(それにまだ解読中で読めないしな。古代エルフ語の辞書でもあればなぁ)
「でも、初級用の薬師の本って表紙に書いてますけど」
「……えっ?」
「えっ?」
セージとトーリが見合って固まる。
この世界の人族が使う文字はローマ字表記の日本語だ。英語は古代エルフ語と呼ばれている。
文字が同じなので、明らかに読めない文章の場合は英語でなくても全て古代エルフ語だと言われがちではある。
ちなみに、一般的に古代エルフ語は昔の大戦で失われたハイエルフの言語だと考えられている。しかし、実際は海魚族の使う言語をハイエルフが暗号として使っているという話だ。
(薬師の本って部分が読めたから古物商から買って必死に解読してたのに初級用なんて……ってそうじゃなくて!)
「読めるのか!?」
「だいたい読めると思います。専門用語は読めませんけど」
セージは英語が得意なのだが、得意と言えるほど勉強したのは海魚族語を原語で理解するためと言っても過言ではない。仕事でも役立ったが元々はゲームのためだ。
(当たり前のように読めるって、これが神の国の知識なのか! エルフの里の言語研究家でもほとんど読めなかったと言うのに)
「本当か? じゃあこれは何だ?」
トーリは内心を隠し、冷静に別の本を二冊取り出して見せる。トーリはハイエルフの言語の本を三冊買っていた。ハイエルフの言語を読めるわけではないが、トーリはそれを見ながら試行錯誤していたのだった。
「これは初級用の錬金術師の本ですね。もう片方は……何ですかね。読めないですけど、こんな言葉あります? 違う言語ですか?」
(これも初級だったのか! しかも、もう片方は偽物!? どうりで安いはずだ! あっ、表紙は本物で中身が違う可能性もある。どうなんだろう)
「……少し読んでみるか?」
「良いんですか? それじゃあ」
セージは初級薬師の本をパラパラとページをめくっていく。
(えっ、その速度で読んでるわけないよな? 読めるところを探しているのか?)
三分の二くらいのところまでページを進めると、あるところで止まりじっくり読み始める。
(その部分は読めるのか?)
「どうだ? 読めそうか?」
「そうですね。だいたい読めると思います。薬師の心構えから始まって、前半は基本的な器具の構造と取り扱い方、中盤は適切な採取の方法、ここを読むと挿し絵があるんで単語が何かわかりますね。後半に魔法薬の製法が書いてあります。回復薬は簡単って言ってましたけど思ったより複雑ですね」
(全部読めるのか!? いや、挿し絵からそれっぽいことを言っているだけかも。でも、もし本当なら)
「ちなみにHP回復薬の作り方はどう書いてある?」
「ポイントはたくさんありますが、要約すると薬草を乾燥させてから擂り潰し、粉末にする。それを清水に入れて蒸留する。以上です。言葉にすると簡単ですが結構手間がかかりますよね」
(薬草と清水を使うのは正しいが、乾燥粉末にする必要があるのか? それに、蒸留するなんて聞いたことがない。加熱しすぎると薬効が無くなるというのが一般的だが)
「間違いないか?」
「はい。これは間違いないと思いますよ。他にも細かい注意点がありますが。ほら、この部分です」
トーリはそのページを見てみたが、読める部分は薬草と清水の単語のみだった。
(見ても全く読めん。けど、嘘をついているようには思えないし、本当に読めるのか。あっ、読めると言うことは正しい古代エルフ語の本だったということだよな。初心者用とはいえ偽の写本も多く出回っていることを考えると運がよかった、のか?)
「何か間違いがありましたか?」
黙って考え込むトーリにセージが声をかける。
「いや、そうじゃない。私の知っている製法とは違うらしい。HP回復薬の作り方は、薬草の薬効を清水で煮出すだけだ。薬草を乾燥粉末にはしないし、そんなことをしたらろ過しにくくなる。それに一般的には熱で薬効が消えると言われている。だから原料の質、薬草と清水の比の他に煮出す時間や火加減が品質を決めると言われているんだ」
「うーん、なるほど。じゃあ作ってみますか。注意事項もしっかり守って、この本の通りに」
気軽に言うセージをポカンと見つめる。実のところ本を買ってから一年以上は過ぎており、あまりの難解さに読むことを諦めかけていたのだ。
(あぁそうか、作ればいいのか。これが本物だとしたら、かつて薬師の最高峰と言われたハイエルフのレシピで作れるのか)
そう思うと震えるほどの喜びが身を駆け巡る。ハイエルフは滅亡したが、未だに現代エルフにとって憧れだった。
(いや、まだ成功すると決まったわけではない。落ち着け、落ち着くんだ)
「トーリさん?」
「あっそうだな。作ろうか。あぁそうだ、今日はもう店を閉めよう」
「ちょっ、ちょっと待ってください。材料とか器具は揃っているんですか?」
トーリはピタリと止まり、セージの方を向く。
(忘れてた。見ても何が必要かわからないし。そういえば私が読めないってことを言ってなかった)
「それは……わからない。実は、その本はあんまり、いや、全く読めないんだ」
トーリとセージの間に微妙な空気が流れる。
(試したりせずに最初から読めないって言っておいたら良かった)
後悔しながら目をそらすと、薄々そんな予感がしていたセージは微笑んで言った。
「わかりました。じゃあ説明しますね」
「い、良いのか?」
「もちろんです。元々この本はトーリさんの物ですから」
(なんて心が広い! やはり神の国の……いや、神の子だ)
「お願いします! 師匠!」
勢いよく頭を下げるトーリに、微妙な表情をするセージであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます