第8話 夢の置き土産

 もぞりと動く感触を背中に覚え、私はまぶたを開く。月明かりの差し込む部屋は、数秒前まで私が見ていた景色となんら変わらず、視線だけを天井へ向ければ、ぽっかり空いた穴の先に、輝く無数の星空が広がっていました。


「毛毬。眠れないのですか?」

「あっ、その……はい……」


 小さく呟かれた言葉に、私は“それは、そうでしょうね”と、軽いため息を吐く。――もっとも、眠れないのは毛毬だけではないわけで……まったくもって人のことは言えないのですが。


「ごめんなさい。こんな狭いところで」

「だ、だいじょうぶ、です!」

「そうですか? 寒さが肌を刺す時期では無いとはいえ、」


 ――腕や足は敷いたゴザから出ているでしょうし……と言おうとした私を遮るように、毛毬は「あったかい、です」と身体を震わせました。

 そう言われてしまうと、私の方からはなにも言うことができず、「そうですか」と短く。しかし考えてみれば、毛毬は家を追い出されてから昨日までの期間、ずっと野宿をしていたわけで……こんなおんぼろな家でも、多少の風は防げているのであれば、暖かく感じてもおかしくはないでしょう。

 ゆえに――――


「明日は朝から水を取りに行って貰いますから、疲れを残さないよう、早く寝る方がいいと思いますよ」

「……それって、本気だったんですか?」

「ええ、もちろん。“働かざる者食うべからず”と言いますし、しっかり働いてもらいます」

「は、はい……」


 少しおののいたような声で頷いたあと、毛毬はなにも喋らず寝ようとしていました。そんな彼女に私は声を出さず小さく笑い、「おやすみなさい、毛毬」と再び目を閉じると……数秒ほどで、意識は眠りへと落ちていきました。


■□□


 薄く靄が掛かったような……言うなれば、まるで寝ぼけ眼の視界で見えたのは、焦げ茶色の古い薬棚。ああ、これは夢ですね、とすぐに分かってしまうほどに見慣れた“それ”は、私が飛び出してきた実家にある、今もまだ現役であろう薬棚でした。


「ああ、紅葉。起きちゃったかい?」

「うん。えっと、ごめんなさい」

「いいよいいよ。紅葉くらいの歳の子には、まだちょっと難しいことだからね。でも、ゆくゆくは覚えないと。紅葉はこの家を継ぐ子だからね」

「……うん」


 ええ、わかりました。わかりましたよ、わかりました。これは私がまだ灰人くん八歳よりも小さい頃の記憶ですね。

 この頃は私もまだまだ全然知識が無く、技術もありませんでした。しかし、我が家は男の子に恵まれず、要となる薬を見えないところで私が作れば良いということで……私は同年代の子供達が、外で田畑の手伝いや遊びをしている間、ずっと家で勉強をすることになったのです。

 春の暖かい日も、夏の暑い日も、秋の肌寒い日も、冬の凍えそうな日も。毎日、毎日、毎日、毎日……寝る時間とご飯の時間以外は、とにかく勉強の日々でした。

 入荷する材料を見て、食べて、嗅いで、乾燥させて、牽いて、焼いて、浸して……とにかく様々なこと試して、たった一つの草の知識ですら、ひたすらに、ただひたすらに、体へと染み込ませていく。そんな日々でした。


 伝統のある家……などではなく、ただ曾祖父の代から(今で言う)薬屋を営んでいた。それだけの家でした。

 しかし、それなりに長く続けていれば、やはりなかなかに村や近くの町には名前が知れ渡るわけで……まあ、なんと言いますか……ご飯とかには困らない程度は毎日お客さんが来ていましたね。

 ともあれ、私がその家を継ぐことになんの疑問も抱かない、そんな大人達を見て……次第に成長していく私は、一人決意していたのです。


 ――――この家から出て行って、外の世界を見に行こう、と。


 今思えば結局、私は他の子供達が羨ましかったのかもしれません。同じような年齢の子達と、笑ったり泣いたり、喧嘩したり……そんな日々に憧れていたのかも知れません。しかしどこでねじくれたか、いつの間にか家を出て行くことが、一番の目標になっていたのです。

 いやはやなんと言いますか……若さって言うのは、時におかしな方へと流れていくものなのだな、と。いや、まだ私も子供って言われてもおかしくない年齢ではありますが。……や、さすがに子供ではないですね。


 ともあれ、こうして小さい頃の私を見てみると、自分自身の忘れてしまっていたものを思い出すことが出来て、とても良いものですね。もちろん、出来ることならば金輪際見たくはありませんが。

 まあ今回は、毛毬や灰人くんへ昔話をしたからでしょう。私の中に仕舞われていた、実家の思い出という箱の縄が、少しばかり緩んでしまっていたのが原因かと。次が無いように、キツく縛っておかないといけませんね。ふん。


□□


「……ん、んぅ」


 暗闇に差し込んだ光のようなものを感じ、私はゆっくりと目を開く。寝ぼけ眼に映る景色は部屋ではなく、おんぼろで質素な部屋と、ぽっかり開いた穴から差し込む薄明かりでした。

 どうやら夢の中で、むんず! と記憶の箱を縛ったからか、夢から覚めたみたいですね。いえ、全くもってそこに因果関係はないのでしょうけども。


「ん……」

「おや、毛毬。起こしてしまいましたか?」

「はぇ……? おはよう、ございましゅ……?」

「はい、おはようございます。では早速、お水を汲んできていただけますか?」

「……え? すぐ、ですか?」

「ああ、もちろん着替えてからで大丈夫ですので。いい眠気覚ましになると思いますよ」

「……はい」


 起きて少し背を伸ばし、のそのそと着替えた毛毬に桶を渡し、その背を見送る。少しばかり恨めしいような顔をしていた毛毬には悪いですが……運動も兼ねて、彼女にはこれからも毎日お願いすることにしましょう。

 それに私も、やるべきことがありますから。……まずは昨日、全く片付けることが出来なかった道具類などを片付けて、その後朝ご飯の準備をして……まあ、大忙しですね。

 しかし、不思議と嫌な気持ちにならいのは、そういうことなのでしょう。まったくもって不本意ですが、あの夢には少しばかりの感謝をしてあげるとしましょう。


「あの家を出て良かったのかは未だに分かりませんが、少なくとも、私は毛毬との生活を楽しみにしているみたい……ですね。まったく、我ながら子供っぽい自分に、ちょっと呆れてしまいそうですが」


 それでも、ここにいて……ここに来て良かったですと、あの頃の私に言えるような気がしています。まあもちろん、恥ずかしいので言いませんが。


「今日も良い空模様ですね……。せめて屋根くらいは直せるよう、今日も一日がんばりましょう」

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