第5話 猫も木から落ちる
あれから、大工道具を入れた背負いかごを背負って、ひいこら言いながら私たちは家に帰ってきました。もっとも、背負いかごはひとつだけなので、毛毬には軽い道具を手で持ってもらっていたのですが……逆にすればよかったですね……。
気付けば太陽は頂点を過ぎて、少し顔を傾けていたり。
「さ、さて……荷物を置いたら、少し休憩して……。それから点検に入りましょう」
「は、はい!」
我が家の哀愁漂うぼろぼろ壁のそばに荷物を置いて、軽く背中を伸ばす。「ん、んんん~」とか、ちょっとなんとも言えない声を出しながら伸ばしてみれば、少しだけ身体が軽くなったような気持ちに。
そして、家の中に溜めていた綺麗な水を手で掬い、ごくんと一口。うん、とても美味しいですね。
「ほら、毛毬も。往復だけでも、結構汗をかいたでしょう?」
「い、いいんですか?」
「ええ、もちろん」
頷く私の顔を見て、ぱぁっと毛毬はその顔に笑顔を咲かす。そして、恐る恐る水を手にとって、ごくんと一口飲みました。
「ほぁ~……」
「どう? 汗をかいた後のお水は美味しいでしょう」
「はい、すっごく……美味しくて、その」
「……。はあ、もう少し飲んでも良いですけど……」
「良いですか!」
「でも、飲みすぎないようにしてくださいね」
「はい!」
嬉しそうに水を飲む毛毬に、私は「しょうがないですね……」と、ちょっと諦めつつ笑ってしまう。まあ、飲んだ分はまた明日にでも取りに行ってもらうとしましょう。
そんなことを考えつつ、汗も引いてきたところで、私は家の中から、机をズルズルと引き出す。その机の上には、紙と硯と筆を置いて……湿らせた指先から一滴の水を硯に落としてから、ズリズリズリズリと墨の塊を硯の上でこすりこすり。ある程度墨が広がったところで、再度水を数滴落として……うん、そろそろ良いでしょう。
「では、まず壁から見ていきましょうか。大きく壊れたところ以外にも、腐っているところや、折れかけているところなども、しっかり確認していきましょう」
「は、はい」
「この紙に、壁を描いて……ダメなところに印をつけておきましょうか。そうすれば、どこから直せば良いかが分かりやすいですし」
「え、えっと、じゃあ私が見ていきます」
「はい、分かりました。お願いしますね」
「はい!」
言うが早いか、毛毬は目の前の壁を「むむむむ~」と凝視しながら、その身体を上下左右に滑らせる。なんだか、滑稽な舞を見ているような感じですね。腰から上だけがぐねぐねしていますし。
「せ、先生。ここに大きな穴が、あと、こっちにも」
「ふむふむ。穴、と」
「こ、これも直した方が、いいところ、ですか?」
「えーっと……ヒビが入ってますね。後回しでもいいですが、直せるなら直しておきましょう。よく見つけましたね」
「は、はい!」
自信が無さそうに教えてくれた毛毬に手を伸ばし、優しく頭を撫でてあげる。ちょっとごわごわとした感触が指の間をすり抜けて、気持ち良さが手のひらから伝わってきました。……まあ、気持ちいいのは私だけではないみたいで、毛毬も少しくすぐったそうに目を細めていて……それに気付いて、慌てて壁の方へと走っていきましたが。
「せ、先生! ここに穴です!」
「はい、穴……と」
「こっちにヒビです! あと、ここ折れてます!」
「はいはい、ヒビと折れ……と」
「先生、ここに鳥の巣がありますっ!」
「はい、鳥の……いえ、毛毬。それは別に良いですね……」
「あ、はい……」
突然の謎情報に、私が指摘を入れると、毛毬は少ししょんぼりとしてしまいました。
ううむ……毛毬なりに張り切って頑張ってくれていたのでしょうし、別に悪いと言うわけではないのですが……そうですね……。
「ま、まあ、鳥の巣は潰してしまうと可愛そうですから、紙に印を付けておいて、後で移動させましょうか」
「……は、はい!」
「はい。では、壁の残りを見てもらえますか?」
「分かりました!」
少しだけ陰りが見えた顔も、すぐさま笑顔に戻り、残りの壁へと走っていく。その動きが、なんとも石を追いかける犬のようで、私はそんな毛毬の背中に笑みを溢しました。
それから少しの間、毛毬の報告を紙に記していくと……ええ、これはなかなかにボロボロでしたね。むしろ今までよく倒壊してなかったと、逆に驚いてしまうほどです。まあそれも、支柱として家の中に立ててある柱の数本が、まだ腐ったり折れたりしてなかったからでしょう。
「しかし、これは酷いですね」
「えっと……そのー、はい」
「壁の穴さえ塞げば大丈夫かと思っていましたが……まずは、ダメになっている柱を立て直すところから始めるべきですね」
といっても、梁の組み方は流石に分からないので、ダメになっているものを入れ換えるというよりも、壊れないように添え木するという感じですね。人が足を怪我した際、杖を使うのと同じように、隣に別の柱を立てるところから始めるべきでしょう。
「ですが、その前に……屋根の確認もしておきたいところですね。今、私が寝床にしているところは、雨が降っても濡れない場所ではありますが……二人で寝るには少し厳しい広さです。ですので、屋根の状況を見て、簡易的に修理ができるなら、ひとまず屋根を覆うように修理したいところですね」
「えっと、私が屋根を見れば、良いですか?」
「できれば、ですが……難しいでしょうし、近くの木の上から確認しましょうか」
「はい! 木登りは得意です!」
……それは猫人族だから、なのでしょうか? なんて、そんな疑問を頭に浮かべた私を置いて、毛毬はシュタッと近くの木に飛び乗っていく。
確かに、得意、という感じの動きですね。張り切っているみたいですし、ここは毛毬に任せましょう。
「では毛毬、上から見えた程度で良いですから、教えていただけますか?」
「は、はい! ……一番大きな穴は、入り口から台所にかけての穴みたいです」
「なるほど」
「それから、えっと家の、奥の方、は……」
木の枝を伝って、奥を見ようと毛毬が身体を伸ばし……
「け、毛毬。あまり無茶は、」
「だい、じょうぶで――」
毛毬がそう応えようとした直後、ビキッという音が響き、彼女の身体が一気に傾きました。って、毛毬!?
「にゃ、にゃっ!?」
「け、毛毬、落ち着いて」
「は、はい、ぃッ!?」
直後、ズドンッと音がして、目の前に土煙が上がる。
咄嗟に私は目と口を腕で覆いましたが……これは、なんといいますか……色々と大丈夫なのでしょうか?
「け、毛毬? 大丈夫ですか?」
「にゃ、にゃは……」
砂煙が晴れた時、そこにいたのは枝を抱いたまま寝転がった姿の毛毬。どうやら、見事に背中から落ちたみたいですね。そこまで高くはなかったにせよ、かなりの衝撃があったでしょうし……。
幸いというべきか、家の上には落ちなかったので、家には被害は無いのですが……この墨はもう使えないですね。砂が入ってしまってますし。
「とりあえず、毛毬。頭は打ってないですか?」
「だ、だいじょうぶ、です」
「打ち付けたのは背中ですか? 他に痛いところは?」
「えと、ない……です?」
「訊いているのはこちらなのですが……ひとまず立てますか?」
「あ、はい。たて、ます!」
耳と尻尾をピンとさせて立ち上がった毛毬は、見るからに砂だらけで……せっかく今日の朝に綺麗にしたばかりだというのに、もうなんというか……。
しかし、そこを悲しむよりも、とりあえず傷を調べるのが先ですね。
「毛毬、服を脱いで頂けますか?」
「へっ?」
「怪我を調べますので、服を脱いでください」
「あ、はい。その……」
「はい、なんですか?」
「少しだけ、後ろを向いていてほしいの、ですが……」
「……いいから、さっさと脱ぎなさい」
「ひぃっ!」
後ずさる毛毬に手を伸ばし、むりやりひんむいた結果……どうやら背中を打ち付けていただけみたいでした。少し赤くなっていたので、作りおきの軟膏を塗っておきましょう。
しかし、何を恥ずかしがっているのやら。
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