第2話 先生、家出する
長さの違う箸をきちんと揃え、机に置いて手を合わせる。そうして零した「ごちそうさま」という言葉に、ぎゅっと込めた感謝の気持ちは、今までのごちそうさまに比べ、圧倒的なまでに熱量があったと思ってしまうくらいでした。
「おう! まあ、あり合わせで作ったもんだし……味はアレだったかもしれねぇけど……」
「いえ、とても美味しかったですよ。真白さんも食べることがあれば、きっと喜ばれると思います」
「そ、そっか。へへ」
灰人くんは、照れたように顔を赤らめ、鼻下を指でこする。その笑みはやはり年相応の男子といったあどけなさで、思わず私は彼の頭へと手を伸ばし、ゆっくりと撫でていました。狼人族らしい少し硬めの髪質ではありますが、まだ小さなその頭は撫でやすい大きさで……まあ、なんといいますか、なかなか良い手触りです。
「せ、先生っ。なんだよ、いったい……」
「ああ、すみません。つい撫でたくなってしまいまして。ありがとうございます、灰人くん」
「お、おう?」
「さて、お腹も膨れたところで、本題を進めるとしましょうか」
言いながら私はお皿を水へと浸ける。……つまり、後片付けは私がやりますよ、というちょっとした合図。こうでもしないと、灰人くんは後片付けまでやってくれそうな勢いでしたからね。そういった気遣いは、真白さんにしてあげてほしいものですし。
「お待たせいたしました。どうでしょう、髪はある程度乾きましたか?」
「は、はい!」
「乾いてはいるみたい……ですが、少し荒く扱い過ぎですね。髪は痛みやすいですから、優しく水気を取って、先の方から整えて」
私が灰人くんの作ってくれたご飯を食べている間、女の子には部屋の隅で髪の手入れをしてもらっていました。そんな彼女から髪拭き用に手渡していたてぬぐいを受け取り、後ろへと回ってから、優しく髪を整えていきます。押さえすぎず、弱すぎず……水気の取れるちょうどいい強さでてぬぐいで髪を挟み、しっかりと水気を取っていく。それと同時に、髪の生え方を意識しながら髪の位置を直したり、手櫛を通したり。
「はい、終わりましたよ」
「あ、ありがとう、ございます」
「いえいえ、生乾きでは身体を壊しかねませんから」
身体を洗うのも、髪を洗うのも、乾かすのだって……長い目で見れば本人の身体を守るための行為。もちろん、彼女のようにきちんとした食事も取れず、ギリギリ生きていると言える程度の生活をしているならば、それ以前の問題ということになってしまうのですが……。
「では、改めて……」
「あ、あの! ご飯を食べてしまって、ごめんなさい、です。こんなにボロボロな家だったから、誰も住んでないと思って……」
「……誰も住んでない家に、温かいご飯は置いてないと思いますが」
「そ、そう、ですよね……」
……まあ、きっと、お腹が空いていて、そこまでの考えに至れなかったということなのでしょう。私は生まれてこの方、ありがたいことに極限の空腹状態というものにはなったことがないので、どうなのかは定かでないのですが。
「ひとまず、その話は今の言葉で一区切りにしましょう。それよりも、まずはあなたのことを教えていただけますか?」
「え? あ、えっと……私は、その……」
「どこかに突き出したりはしませんから。ひとまずお名前と年齢を教えていただけますか?」
「は、はい! えっと、
十四……思っていた以上に年を重ねていたことに驚きつつ、毛毬と名乗った女の子の身体をもう一度しっかりと目で確認する。細く凹凸の少ない体躯に、オドオドとした意思の弱そうな仕草。
ふむ、どうも、
それよりも、もっと根本……ある意味、元々気弱なんですという方が、しっくりくるような感じの雰囲気です。
「話したくなければ話さなくても結構ですが……毛毬さんは、ご家族の方となにかあったのですか?」
「――!」
私の問いに、彼女の身体がピクッと震える。その、分かりやすいほどに分かる反応に、私は小さくため息を吐いて、「実は、私は家出をしてきたのです」と、苦笑がちに口を開きました。
そして、興味を示すように私の顔を見た彼女に向かって、「きっと、毛毬さんの状況とは似ても似つかないお話だと思いますが……もしよろしければ、聞いてみていただけますか?」と、言葉を投げ掛ける。
十四という、私にとっては
「……」
「実は私、この村の出身ではないのです。実家は遠くの遠くの方、岩島と呼ばれる島にありまして。ここからですと、歩いて……何日かかるのか分からないくらい遠くにあります。そこは山に挟まれたのどかな村で、灰人くんの住む小牧村とよく似た雰囲気をした村でした」
「先生って、そんな遠くから来てたのか!? てっきりもっと近くに住んでたのかと思ってた……」
「ふふ。そういえば灰人くんにも話したことは無かったですね」
というよりも、私の過去を知っているのは……村では真白さんくらいでしょうか。真白さんには、こちらでご厄介になる際、きちんとお話をさせていただきましたから。
「なあ、先生の家ってやっぱり医者だったのか?」
「いえ、医者の家ではなく、代々薬屋を営んでいますね。もちろん、その人に合った薬を出すために、いろいろなことを学びますので……軽く人を看ることくらいは出来ますよ」
私の返しに、灰人くんは「なるほどなー」と、納得したように頷く。
ただ、正直なところ……灰人くんにはまだ、医者と薬師の違いはよく分かっていないのかもしれませんが。
「でも、だったら先生って、なんで家を出てきたんだ? ずっと薬屋ってことは、先生も跡を継ぐってことなんだろ?」
「ええ、その通りですね。私も跡を継ぐため、今の灰人くんよりももっと小さいころから、ずーっと勉強を受けてきました」
「……だったら、なんでこんなところにいるんだよ」
「こんなところ、というのはいただけませんね。ここは良いところですよ」
「いや、そういう意味じゃねえし!」
「ふふ。もちろん分かっていますよ。灰人くんがこの村を大切に思っていることは、ちゃんと」
「だから、そういうことじゃねぇって!」
顔を赤くしながら反論する灰人くんに笑ってみせれば、少しオドオドとしていた毛毬さんの顔にも小さく笑みが浮かんでいた。……良かった、少しは緊張が取れてきたみたいです。
「どうしてこの村に来たのかと言われると……家出をした後に向かった街が、私に合わなかっただけですよ。そうして流れ流れて、ここにやってきたのです」
「……なんだそりゃ」
「勢いのままに飛び出してきたので……なんといいますか、まっすぐ帰るのも……」
「あー、分かるかもなー。俺も、ばあちゃんと喧嘩した時とか、家に帰りにくいしさ……」
「ふふ、そうですね」
年相応の子供らしさを込めて放たれた言葉に、私はつい笑ってしまい……灰人くんに「なんで笑うんだよ」という恨み節をいただいてしまいました。そうですね、私も人のことを笑えない立場……でしたね。
「というわけで、私も家族とはなかなか会いにくく……いえ、会いに行きにくくて。こんなボロボロな家に住んでいるのです」
「……会いたくなったりは、しないんですか?」
「そうですね。時折帰りたくはなりますが……今はまだ、その時ではないのかと思います」
「その時、ですか?」
「ええ」と、私は頷いて、毛毬さんにしっかりと顔を向けて座り直す。まだ彼女の過去は分かりませんが……どこか彼女の心が、少しだけ開いたような気がしたので。
「いつか私もここを立って、家へと帰る時がくるのでしょう。ですが、その時の私は、飛び出したことに自信を持って
「……?」
「……だって、怒られるのは嫌ですし」
「……えっと」
「ぶふっ! 先生、子供みてぇ」
「親の前では、私はいつまでも子供ですよ。ですから、怒られたくないものです」
面白そうに笑う灰人くんに、私も少し笑い返す。
先ほど灰人くんを笑ってしまった件は、これにてお返しできた……ということで良いですかね?
「……それで、毛毬さん。あなたも同じ、今は家に帰りたくない人なのですか?」
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