第30話 文化祭・閉幕

 数刻前までの熱気はどこへやら、先ほどまで熱狂していた群衆は後夜祭へ参加するべく校庭へと繰り出して行った。

 そしてもぬけの殻となった体育館では、その中心で二組の男女が向かい合っている。

 彼らは向かい合ったまま、お互いにその顔を見合わせている。

 窓から差し込む夕陽が穏やかな雰囲気を醸し出しているが、彼らの周囲の空気は少しだけ緊張を帯びている。


「勝手に家を飛び出してごめんなさい」


 先に動いたのは制服を着た少女だった。


「私はただ分かって欲しかった。私は私なんだって。ただそれだけを認めて欲しかった」


 その少女は堰が切れたように、胸の内を吐き出す。


「みんなに迷惑をかけたし、みんなを心配させたのは分かってる……やり方が間違ってたのも……でもっ……!」


 切れた堰は言葉だけでは無かった。

 少女のその綺麗な切れ長の目元から、一筋の雫が零れ落ちる。

 その肩を、スーツを着た男が優しく包み込む。


「私……いや、俺も悪かった。俺はお前たちの為にと思ってやっていた。でも、それはお前たちを——」

「——父さん。それ以上はいいよ。オレも奏音も分かってる。それを分かった上での今日だよ」

「そうか。そうか……そうか。俺は……本当に……っ」


 そこから先は嗚咽が漏れるだけで、意味のある言葉にはならなかった。

 制服の少女とよく似たもう一人の女性は、泣き合う二人の背を優しく包んだ。

 三人は言葉も無く、ただ泣いていた。いや、言葉が無いんじゃない。いらないのだ。


 だって、家族だから。

 だから泣きながらもあんなに幸せそうな表情を浮かべているのだ。

 先ほどまでその空間を駆け巡っていた想いの届いた先は、いまここにあった。


       *


 陽が沈み、薄暗くなってきた校庭には大きな炎が揺らめいている。

 その周りではしゃぐ若者たちは大人になった時、この瞬間の事をどのように思い出すのだろうか。彼らの中に今日という日は、どのように残るのだろうか。

 先ほどまで涙を流していた彼女は今、友達に囲まれている。

 一方で彼女の想いを見届けた彼は今、なぜか友達に追いかけ回されている。きっと質問攻めに遭っているのだろう。

 片や友達に囲まれ、片や追い回され、それでも二人のその表情は心の底から幸せそうに見えた。


「八剱、お疲れさん」


 校庭の隅。立ち上がる炎の明かりが照らし切れない木陰でその光景を眺めていたところに、林才先生がやって来る。


「先生も。それと、ありがとうございました」


 例の如く、先生にも今回の件の事情はほとんど話せていない。

 それでも「任せておけ」の一言で頼みを引き受けてくれた。


「感謝を言うのは俺の方だ。八剱、ありがとうな」

「何がですか?」

「なぁに、こっちの話だ。忘れてくれ」


 先生は何故か晴れ晴れとした表情をしている。


「お前も混ざってきたらどうだ」

「ははは。面白い冗談ですね……はぁ……」


 冗談では無い事が分かっているから余計にダメージがでかい。

 というのも全てが終わった後、俺は司会の二人に約束した通りに説明と謝罪をするべく、キャンプファイヤーの準備している生徒会と文化祭実行委員会のもとへと一人で向かった。


「すみませんでした。全部説明するので——」

「——あぁ!あの!!」


 ……何の話だ?

 女の子を泣かせた記憶なんて——


「あ」


 そうか、媛が生徒会室に駆け込んだやつか。

 それ以外に心当たりがない。そもそも女の子と会話することも滅多にないからな。

 しかし気付きはしたが、時既に遅しだった。

 校庭の真ん中で権力者生徒会役員が口にした誤解まみれのその事実誤解は、真実として瞬く間に全校生徒に広まってゆく。

 先ほどまで俺の事を認識すらしていなかった周囲の人間が、一瞬にして敵になる。

 三百六十度全方位から疑念と蔑みの視線を向けられる。


 こりゃ七十五日と四十五日のどっちが先に来るかの競争だなぁ。


 そんな悲しすぎる計算をしなくて良いように、そっとその危険地帯から避難して来ての今である。

 ちなみにくだんのゲリラライブについては「想いを伝える企画において、その伝え方に決まりは無いので問題ない」との事だった。何だその明らかな後付けルールは。ナギか?ナギがいるからなのか?

 ただ裁定者がそう言う以上、そして巻き込んでしまったメンバーが不問になる以上は文句なぞあろうはずがない。

 ため息ぐらいは吐きたくなるが、結果オーライならそれで良し。


「溜め息を吐いた割にはスッキリした表情かおしてるな」

「まぁ、そうですね」


 その理由はさっきの不問になった件だけではない。

 生徒が体育館から校庭に移動したあと、俺は通用口から舞台袖に戻った。

 すると誰もいないはずの体育館の中心に人影が見えた。舞台袖のアナウンス席に設けられている小窓から様子を伺う。

 彼らまで距離があるのと、体育館特有の音の反響のせいで何を喋っていたのかまでは分からない。

 だが、彼らの想いが届いたことだけは分かった。

 そして同時に、他人とでは決して作り出せないその暖かな空気に胸が苦しくなった。

 その苦しさで気が付いた。なぜ俺がここまで彼らの真実に動揺し、そして力になりたいと願ったのか。


 俺は、金田とナギと同類だったのだ。


 家族と向き合えず、本音が言えないその境遇。

 形も規模も理由も違うが、その境遇に置かれているという事実だけは同じだった。

 ナギの家族についてもそうだ。ナギも、ナギの弟妹たちも同じ境遇なのだ。

 しかしそんな同じ境遇にありながら、彼女は動き、彼らは笑った。

 それに対して俺は、逃げはしないが向き合いもしていない。ただ現実逃避をして、その境遇を理由にして自分の行動を正当化していた。


 飢えていたのだ。救いという存在に。


 自分が救われないから、誰かを救って自分も救われた気になりたかったのだ。

 誰かを救う存在でいれば自分のことを棚に上げられるから。たとえ失敗しても、自分は何も失わない場所にいられるから。

 その自分の卑怯さに反吐が出る。だが、出て来たのはそれだけじゃなかった。


——素直な自分でいないと、いざって時に自分が何をしたいか分からなくなっちゃうよ。


 榮さんのこの一言から、俺の心の中に湧き出た一つの問い。


——自分のしたいこと、って何だ?


 ずっと胸のうちに燻ぶっていた自分自身への問い掛け。その答えが吐き出した反吐に混じって転がり出て来たのだ。


「先生。俺、進路についてちゃんと親と話しをしてみようと思うんです」

「ん。そうか」


 先生のその返事は短かった。だが、それで十分だった。

 先生は満足そうに木陰から去って行く。

 キャンプファイヤーの火もだいぶ弱くなり、生徒も少しずつ教室へ移動し始めている。


 広い田舎の夜空には、満天の星がその前途を照らすように明るく煌めいていた。

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