第29話 文化祭・場外
遅い。約束の時間はとっくに過ぎている。
一体どれだけ待たせる気だ。いや、もう来ないつもりなのかもしれない。
そりゃそうか。自分が不利になると分かっている場所にわざわざ自分から足を踏み入れる馬鹿はそうそういない。
だがもし本当に来ないつもりであればこのあと殴り込み確定だ。
林才湊は焦っていた。
俺のこの焦りの元凶を作ったその男は、ゆっくりとステージに向かっている。
いや、違うか。焦りの元凶は彼ではない。伝えた時間をとうに過ぎているというのに連絡ひとつ寄越さないあのバカの方だ。
今まで何事も諦めて来た教え子が初めて頼って来たのだ。
そんな彼の信頼を教師として、そして大人として裏切る訳にはいかない。
焦りの度合いに比例するように、貧乏ゆすりが早くなる。しかし、じっとなどしてられない。
彼がステージの真ん中までたどり着いてしまった。
これはさすがにもう間に合わないか……と諦めかけたその時、携帯電話が震えた。
や~っと来やがったかあのスカポンタン!
立場上、口が裂けても言えない罵倒を心の中で呟く。
緊張感に満ちた体育館の空気を邪魔しないように、そっと後方の出入り口から外に出る。
そこには土曜日だというにも関わらず、しっかりとスーツを身に纏った奴とその伴侶が並んで立っていた。
「遅かったな」
「すまない。急いで来たつもりだったのだが。間に合わなかっただろうか」
「今回は間に合ってるから安心しろ」
その一言に安堵の表情を浮かべるのは金田の父親だ。
そしてこいつは俺の大学時代の友人でもある。
「とりあえず中に入れよ。もう始まんぞ?」
「ああ……いや。うん、そうだな」
釈然としない反応だ。あの時の校長室での奴とは全く別人である。
「なにしてんだ。始まるって言ってんだろ」
「分かっている。だが、私が行って良いものなのだろうか」
「呼ばれてんだから良いも悪いもあるか」
「そうではない。果たして私には、あの子たちに会う資格があるのだろうかという事だ」
なるほど。言いたいことは分からないでもない。
「私はあの子たちに重荷を背負わせた。私の過去が、あの子たちが生まれながらに後ろ指をさされる理由になりかねなかった」
コイツの過去。
それは二人の女に、それぞれ子供を身籠らせたこと。
今でこそ中絶なんて言葉があるが、現代の技術をもってしても女性にかかる負担は計り知れない。
「私には責任があった。二人の父親として、二人を護る責任が」
コイツは宣言をした。
責任は必ず取ると、二人の家族へ頭を下げて回った。
自身の会社を一大企業にまで押し上げ、その言葉に恥じぬ結果を残しはした。経済的な責任は果たしていたと言えるだろう。
そしてそれは、確かにあの子たちの未来を守る事に繋がってはいただろう。
しかし、子供は勝手に育たない。
親がいて、家族があって、そしてそこに愛があって初めて、子は人へと成長する。
ただ飯を食わせて体を大きくするというだけならば、家畜と何ら変わらない。
だから俺は、コイツが責任を果たしていると思っちゃいない。それに父親としての責任というのならば今こそその時だろう。
子の成長を見守る事も、責任の一つのはずだ。
「だったら尚の事、お前のその責任の結果を見に行くべきなんじゃねぇのか」
「ふふ。酷なことをズケズケと言えるのは相変わらずだな」
「それが責任ってもんだろうが。責任ってのは後から取るんじゃない。それをしたその場から取り続けなきゃならないんだよ」
少なくとも俺はそう考えてる。だからコイツの言う責任が薄っぺらく見えてしまう。
「そうだな。お前の言う通りかもしれない。私はあの娘が生まれた時、涙が止まらなかった。その小さな体から発せられる
「ふざけんじゃねぇ!!!」
気が付くと奴の胸ぐらを掴んでいた。一瞬でも気を抜くとそのままの勢いで殴ってしまいそうだ。
それを辛うじて抑え込む。そして、行き場を失った怒りは言葉となって溢れ出す。
「いつまで逃げてんだ!いつまで
奴の言う責任とはただの言い訳に他ならない。
責任という言葉を隠れ蓑にした自己満足なのだ。
まだ怒りの感情は収まらないが、この男の横で目を伏せている伴侶の姿を見て掴んでいた胸ぐらをゆっくりと離す。
「テメェがしたことは絶対に許されない。それは変えようの無い事実だ。だがそれを見続けてどうする。そこにあるのはもう後悔だけだろう。それ以外には何もないはずだ。だったら今ある
過去は変わらない。事実は変えられない。
どれだけ願っても喚いても、人間である以上は変えようがない。
でも、今ここにある現実は自分次第で変えられる。そして今が変われば、きっと未来は変わる。
「だが、それでも私は……」
「ったく!」
まだ決心が付かないという顔をしているバカの腕を引っ掴み、体育館に押し込む。土足のままだが知ったことか。それより今は時間が惜しい。さっきから何度か歓声が上がってるのを背中に感じていた。もういつ始まってもおかしくない。
ステージではちょうど八剱が舞台袖に捌けていくところだった。
残された少年少女のうち、背中を向けている少女が髪を結って振り返る。
そして、体育館の中を彼と彼女の想いが駆け巡る。
あの子たちの
肩を震わせる二人の
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