第27話 文化祭・幕裏

 音がしないように慎重に機材を運ぶ。どうしても音が鳴るものは歓声が響く間に準備する。

 通常の何倍もの時間をかけて何とか準備が整う。

 そして携帯を取り出して三回コールする。

 あとは最も信頼の置ける共犯者が大暴れしてくれるのを待つだけである。


 しかし、その大暴れは想定外の文言で彩られていた。

 たしかに事情を知っていれば伝わるけれど、知らない人間が聞けばただの嫉妬でしかない。

 ともにスタンバイをしている二人の少女も、少しだけ眉をひそめている。

 でも、彼に任せると決めた以上は信じる。


 オレは自分が信じた友のことを何があっても信じる。

 それがオレの信念だから——


       *


「ねー、なぎくんのお父さん、今日は来ないの?」


 授業参観の日。教室の後ろではクラスメイトがお母さんに抱きついたり、お父さんに肩車をしてもらったりしている。


「あ、うん。ぼくのうちにはお父さんはいないんだ」


 自分の家が周りと違う、と気付いたのは案外早かった。たぶん幼稚園の卒業式の時には気付いてたと思う。

 それ自体はどうでも良かったけど、その返事によって気を遣われるような空気になるのがたまらなく嫌だった。

 そして今日もたぶん、このあとそんな空気に——


「えー!いいなぁ!うちの父ちゃん怒るとめっちゃ怖いんだよ」

「それはあーくんがわるいことするからでしょ?」

「げ!ばれてた?」


 周囲がどっ、と笑いに包まれる。

 彼のおかげで、危惧していた空気にはならなかった。


「だって俺たち友達だろ?」


 その日の帰り際。勇気を持って伝えたありがとうに、彼は事もなげにそう答えた。

 なんのことかよくわからないけど、と言いつつ快活に笑う彼にその気は無かったのかもしれない。

 それでもオレは彼のその一言に救われたのだ。


 友達。


 その日からその言葉が、オレの心の中心になった。


       *


「え、転校?」

「うん。新しいお父さんが出来て、それで引っ越すことになっちゃった」

「そっか……寂しいけど、俺たちはずっと友達だからな!」


 ありきたりな別れの言葉。

 小説やドラマなんかで何度も聞いたことがあるようなそんな言葉だけど、友達から掛けられたその一言は、いつまでもオレの心の支えだった。


 引っ越し先の学校でも友達は出来た。

 しかしやっぱりそこには転校生であるオレに対する多少の遠慮というか浅さがあった。


 でも、せっかく仲良くしてくれているんだ。オレが努力しなくちゃ!


 その思いから身に着いたのが、愛想笑あいそわらい。

 この笑顔まほうのおかげで浅く広くという友達の形を作ることができた。

 その後も親の離婚や再婚の度に転校した。

 何度も初めからになる友達作りに心が荒みそうになりながらも、彼のあの別れの言葉が俺を支えてくれた。


 それから数年が経ち、中学二年の夏の前に俺は地元に舞い戻った。

 母親と、そしてこの地を離れた時にはいなかった弟妹達と。

 懐かしい顔はみんな笑顔でオレのことを受け入れてくれた。

 昔と変わらないみんなと、昔みたいに腹を抱えて笑える日々がまた始まると思ってた。


 でも、現実はそう甘くなかった。


 オレの顔に張り付いた愛想笑い。これがどれだけ拭っても剥がれない。

 みんなは相変わらず優しかった。笑いの輪からオレを省くようなことはしなかった。

 それなのに本心から笑えない。

 その遠慮というか引け目のようなものが無意識のうちに働いてしまい、更に心が凍っていく。


 武器になったはずの笑顔まほうは、いつの間にか心を縛る笑顔のろいになっていた。


 変わらないみんなが羨ましくて、変わってしまった自分が嫌になった。

 その自己嫌悪から一人でいる少しずつ時間が増えていく。

 しかし転機が訪れた。弟妹たちの世話を理由に友達から逃げ出す自分が嫌になりかけていたある日、オレは出逢った。

 品行方正、容姿端麗、学力優秀。

 その子は同級生で、お嬢様のような少女だった。


 もちろん、学年で彼女を知らなかったのは転校してきたオレくらいだと思う。

 だから、彼女を初めて見た時の衝撃は凄まじかった。


 なんて綺麗で……そしてなんて哀しいのだろう、と。

 彼女の紡ぐ言葉のほとんどは家名のためだ。

 彼女の浮かべる笑顔はほとんどがハリボテだ。

 彼女のその小さな背中は、オレのなんかより大きな呪いを背負っていた。


 同類であることを感じ取ったのだろうか、俺たちは次第に恋仲になった。

 彼女といる時間は、自己嫌悪を忘れられた。いつの間にか笑顔になっていた。

 彼女と一緒に笑えるそんな一瞬が、オレの癒しだった。当時のオレには友達との時間よりも大事な時間になっていた。

 しかし、それもそう長くは続かなかった。


「別れて欲しい」


 夏休みの前に突然彼女から切り出された。

 高校受験が本格的になる三年生になるし、受験が終わるまではあまり遊べなくなるだろうとは思っていた。だが、その言葉は全くの予想外だった。


 オレにとっては大事な時間だった。しかし彼女にとってはそうでも無かったのかもしれない。

 そうだったのなら、仕方が無い。オレは素直にその言葉を受け入れた。

 彼女の言葉の本当の意味を知ったのは、夏休みが明ける直前だった。

 発端は夏休み最大のイベント、市内の花火大会。家族で遊びに行った先で彼女の家族と鉢合わせた。


 彼女の父親を見た瞬間、なんとなく悟った。

 ああ、だからそう言ったのか、と。


 だから奏音は——妹は、別れようと言ったのだ、と。

 奏音の父親は、オレの父親でもあった。つまり異母兄妹だ。


 父親はオレに学費と生活費の今まで以上の援助を申し出てきた。いわゆる口止め料。それが分かってからだろうか。母さんは受け取る事を拒んだ。

 でも、オレにはそれを貰う権利があるはずだ。

 母さんにはきっと、今まで俺たち兄妹を育ててきたという自負があるのだろう。途中で再婚したりはしたけれど、それでもいまは女手一つだ。

 それでも、家計が楽になるのなら、弟妹達が少しでも楽を出来るようになるのなら使えるものは何だって使うべきだと、そう母さんを説得して今の貸家の家賃と高校の学費を受け取った。

 そしてそれは、奏音との関係の終止符でもあった。


 抜け殻になった俺は第一志望を見事に滑り、第二志望にランクを落として高校生になった。

 春を迎えてもまだオレは抜け殻のままだった。そんな折、風の噂で奏音がこの高校にいることを知る。

 少しだけ、ほんの少しだけ、様子を見に行こう。


 その出来心が新たな出逢いを生んだ。


 その男は群れず、慣れ合わず、そして自分を偽らない。

 その偽らないというスタイルはきっと隣にいる人を傷つける。だから一人でいる。そしてその在り方を他人には決して押し付けない。

 空気が読めないヤツと言ってしまえばそれまでだけど、彼のその在り方がオレにはただただ眩しかった。

 オレのくすんだ笑顔より、彼の芯のある仏頂面の方が輝いて見えた。


 友達じゃなく、友になりたい。

 たくさんいる中の一人ではなく、唯一無二の友に。

 オレなら彼の隣に立てる気がする。

 だってもう、傷つくところが無いくらいボロボロだから。


 そんなことを考えていると、自然と腹の底から笑いが込み上げてきた。

 そうだ。オレは今きっと、自分史上最大のどん底にいる。だったらあとは上がるだけじゃないか、と。

 もう傷つくところが無いんだから、怖いものなんてない。

 怖いものが無いのなら、どんなことだって笑えるはずだ。

 笑っていればその傷も、気が付く頃には癒えてるはずだ。


 そんな考えを持つきっかけになってくれた彼。

 きっと彼はそんなこと知りもしないだろうけど、オレは勝手に助けられたと思っている。

 そしてオレは、自分を助けてくれた友を何があっても信じる。

 例え彼が酔狂なスピーチをして、それを誰かが非難したとしても、オレだけはそれを笑ってやる。


 その日から高谷那岐は『笑顔』を取り戻した。


       *


「——俺たちがジャックする!!!」


 その合図にはっとする。

 どうやら一瞬、上の空になっていたらしい。話の内容はほとんど聞いてなかったけど、きっと酷いものなのだろう。

 そんな告白スピーチをしてる友の姿を見れないのが残念だが、想像するだけでも十分面白い。思わず笑みが溢れてしまう。


 緞帳どんちょうがゆっくりと上がる。

 奏音とタケっちを照らしていたスポットライトが、ステージの中程で佇むオレたちのところまで届く。

 その瞬間、観衆から大きな歓声が沸く。


「那岐、あんた何して……」


 その驚いた顔がちょっと可愛くて、少しだけイジワルしたくなる。


「何でも良いでしょ?お祭りなんだし」

「どういうつもりなのよ?」


 困惑が隠せていない奏音をもう少しイジリたいところだけど、生憎そんな時間はなさそうだ。

 これは奇策。スピードが命。

 既に舞台の下では生徒会が動き始めている。タケっちの後ろに立つ司会と思しき二人も動き出している。

 奏音の準備は整ってないが、最悪の場合は整う前に始める必要があるかもしれない。

 握りしめたギターがキュッと鳴る。

 短い期間だったけど、精一杯練習した。上手くは無いけど、聞かせられるくらいにはなったと思う。


 タケっちが司会の二人を引き連れ、舞台袖に捌ける。

 それを横目に見ながら、心の中で最大級の感謝を送る。そして、目の前に立つ少女に声を掛ける。


「奏音、想いの伝え方って一つじゃないと思うんだ。手紙だったり、態度だったり、結果だったり……色々あると思う。でもそのどれであっても大事なのは、伝えたいっていうその心だと思うんだ」


 奏音の奥、体育館後方の扉に視線を向ける。自然と彼女もそちらを見やり、そして諦めたように笑う。

 舞台袖へと去って行くタケっちを見ると、ちょうどこちらを振り返ったところだった。彼はオレ達に向けて何かを呟いた。

 何を言ったのかは聞こえなかったけど、でも言いたいことは分かる。


「奏音、文化祭のテーマは覚えてる?」

「分かったわよ……那岐こそけるのよね?」


 覚悟を決めた奏音は強い。なんせ一カ月も家出してしまうんだから。


「精一杯頑張らせてもらうよ」

「そっちの二人も良いわね?」

「は、はい!」

「準備出来てないのはアナタだけだから」


 気合い十分なましろちゃんと強気な咲ちゃんの返事を受けて、奏音は髪を結う。それに合わせて前奏をギターで奏でる。

 そのメロディーを聞いた奏音は、驚いた顔をした。だが次の瞬間には不敵な笑みを浮かべる。

 振り返って眼鏡を投げ捨てる。そして大きく息を吸い込む。


 伝えたくて、なのにいつまでも伝えられなかったオレ達の想いを、俺の楽器おとと、奏音の奏でるこえに乗せて——。

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