第26話 文化祭・終幕
何だかんだと忙しく時間が過ぎた文化祭も、あとは閉幕式と後夜祭を残すだけになった。
文字にしてみるとあっけなく感じられるかもしれないが、閉幕式も余興が盛りだくさんである。有志の生徒が漫才やダンスを披露したり、生徒会が用意したイベントやゲーム等々が催される。
そのどれもが各々の青春の一ページとなり、思い出という名の記憶として刻まれてゆく。
どの瞬間をも忘れないように、その瞬間を笑い、想い、そして楽しむ。
そんな楽しい時間もあっという間に過ぎ去ってしまうのが哀しいところで、とうとう最後にして最大のイベントの時刻となる。
ステージをスポットライトが照らすと、一組の男女がマイクを手に
「という事で皆さん、とうとう最後のイベントの時間になりました」
その一言に、生徒達からは本気と冗談が半分くらいずつ混じった不満げなレスポンスが飛ぶ。
それに対して、今度は女の子がマイクを持ち上げる。
「もう終わってしまう……でもその前に!伝えておきたい想い、伝えらえなかった想いがある人もいるかもしれません。そんな悩める子羊たちを救う最後の企画!」
そこで一旦マイクを離し、そして二人は息をそろえてコールする。
「「想いよ届け!愛の告白ターイム!!」」
そんなちょっと間抜けなタイトルコールでも、色めき立っちゃうのが高校生である。
毎年恒例の企画になっており、閉幕式最大のイベントでもある。
「タイトルの通り、伝えたい事、そしてそれを伝えたい相手が今日ここににいる方はこの場でそれを伝えてしまおう!というコーナーです」
「早速ですが、ここで想いを伝えたい勇者の方はいらっしゃいますか⁉」
もう勇者って言っちゃってるじゃん。馬鹿にしてるじゃん!
しかしこの会場にはそれなりの数の勇者がいたらしい。魔王も真っ青だろう。
こんなところで勇気を振り絞れるのなら個人的に告白した方がリスクが少ないのではないか、なぜわざわざ人前で告白なんてリスキーな事をするのだろうか、と疑問に思うのだがそれは野暮というものなのだろう。
きっかけ、というのは些細なものである。
大きな成功も、また大きな失敗も、そのきっかけというのは案外大したことが無かったりする。
友達との関係の始まりだって話すきっかけがあるかどうかだし、そのきっかけがあったところでその先は個人個人の努力次第だ。
この観衆の面前での告白もきっかけの一つであり、告白が上手くいったとしても恋仲が続くかどうかはその後の各々の頑張り次第である。
それに例え失敗したとしても、それで未来永劫チャンスが無くなる訳じゃない。むしろそれがきっかけになって次は上手くいくかもしれない。
つまり大事なのはどう始まったかではなく、どう進んだか。
でもその大事な部分に気付いていながら、そのきっかけすら掴めない人間がこの世にはたくさんいる。
ここで告白している生徒たちは、きっとそういう想いに押しつぶされそうになっていたのだろう。
何かきっかけを、何か接点を、と。そんな抑え切れない想いを胸に抱き、いまその一歩を踏み出している。
しかし、その一歩すら踏み出せない者もまた、この世にたくさんいる。
大歓声が上がる。
どうやらカップルが成立したらしい。
司会の二人も興奮気味にお祝いの言葉を連呼している。
そしてその生まれたてのカップルが降壇すると、また期待の入り混じった緊張感ある静寂が訪れる。
「他に想い残していることがある人はいませんかー?」
しかし観客はざわつくばかりで、それ以上の反応は起きない。
その時、制服のポケットの中で携帯が三回だけ振動する。合図だ。
一回だけ深く息を吐き、そしてゆっくりと右手を上げる。
「はい、そこの人!ステージへどうぞ!」
司会に指名され、体育館後方から端の方を通ってステージ前まで移動する。
緊張で膝が震えているのが分かる。ステージ横の階段を上ろうと足を上げるが、足に感覚が無い。どれだけ緊張してるんだ俺は。
普段であればそうやって自分の小心者っぷりを笑うところだが、いまはその笑みすら零れて来ない。
ダメだ、ステージに立てる気がしない。
覚悟を決めていたつもりだったが、どうやら俺は踏み出せない人間だったらしい。
震える脚が次の一歩を拒む。もうこのまま回れ右をしてしまいたい気分だ。
階段の一段目で足を止め、もう一度深く呼吸をする。すると、瞑った瞼の裏に彼らの、彼女らの顔が浮かんでは消えていった。
そして最後に浮かんだのは、あの日の彼女の笑顔と憂うヤツの顔。
「よし」
小さく気合を入れて、足を持ち上げる。
大丈夫、今の俺は独りじゃない。まだ膝は小さく震えているが、やるしかない無い。これが俺の『役割』だ。
一歩、また一歩とステージの中心へ近づく。そして司会からマイクを受け取る。
「はい、それではまずお名前とクラスを教えてください!」
「三年A組、八剱健」
観衆側を見渡すと、いつもと変わらない笑顔を見せる榮さんが壁際に佇んでいるのが見えた。
体育館の後方に視線を移すと、クマのような巨体が扉から出ていくところであった。その背中の頼もしさに少しだけ口角が上がる。
目につく顔が二人だけ、というのが俺の人脈の乏しさを物語っている。しかしそれをフル動員したからこそやっとここに辿り着いた。
「では、想いを伝えたいお相手はどこの誰でしょうか⁉」
人々は息を潜め、俺の言葉をじっと待っている。
「同じく三年A組の……」
そこで一旦言葉を切り、そして、観衆の中に佇むその人物を見据える。
「金田奏音を」
一瞬の静寂ののち、黄色い歓声と野太い雄叫びが体育館を埋め尽くす。
金田はその雑音の中を警戒心を隠すことなく、ゆっくりとステージにやって来る。
彼女の表情からは一体どういうつもりか、という強い非難の色が見て取れる。だが、残念ながらその答えを俺は持っていない。
「では、告白をお願いします!!」
司会の声掛けで、また観衆は静かになる。
俺は目の前に立つ金田に向き直る。そしてゆっくりと、渇き切った口を開く。
「金田、俺はお前が嫌いだ」
一瞬で観衆がざわつく。背後で司会の二人が困惑しているのが気配で分かる。
でも俺はそれどころじゃない。
喉がカラカラで口の中が粘っこい。舌が回る気がしない。無理やり唾を作ってそれを飲み込む。
「友達は多いし、信頼はあるし、お嬢様だし、誰にでも優しい——」
金田は顔色を少しずつ険しくしながらも、ただ黙ってそれを聞いていた。
「——そんなお前が大っ嫌いだ」
きっとこの言葉を聞いている人のほとんどは、ただの俺の一方的な妬み嫉みに聞こえている事だろう。
でも、そんなことはどうだって良い。
伝わるべき人に伝わればそれで良い。
金田の表情には呆れと若干の怒りが滲んでいる。どうやらキチンと伝わったらしい。心の中でほくそ笑む。
「で?言いたいことはそれだけかしら?」
「ああ、俺からお前に言うべき事は終わりだ」
「……それはどういう意味かしら?」
「ここから先はお前のターンだ」
俺は大きく息を吸う。そしてたぶん俺史上一番の大声で宣言する。
「今年の文化祭は……俺たちがジャックする!!!」
その一言を合図に、降りていた緞帳がゆっくりと上がっていく。
中ではベースを抱えた畔戸ましろとドラムに座る永井咲、そしてギターを構えるナギが待ち構えていた。
それを見た観衆は一気に沸き立ち、歓声が上がる。
「那岐、あんた何して……」
「何でも良いでしょ?お祭りなんだし」
「どういうつもりなのよ?」
いきなりの事にまだ理解が追い付かないらしい。まぁ無理もない。
得意気に説明してやりたいところだが、しかしどうやら俺には時間が無いらしい。
ここまでは不意打ちだったので生徒会の邪魔は入らなかったが、そろそろ動き出す頃合いだろう。現に司会の二人が動き始めている。その前におっ
手に持っていたマイクと、昨日の媛のクラスの出し物で手に入れたヘアゴムを手渡す。
その直後、司会の二人が俺の肩を抑える。
「あの、ヤツルギさん?どういうことか説明を……」
「うるせぇ。説明も謝罪もあとでいくらでもしてやるから今は黙ってろ」
二人の司会の背中を押し返しながら、俺は舞台袖へと捌ける。
そしてステージの端で一瞬だけ振り返り、ステージに残るメンバーに向けて呟く。
弾けろ!
ましろははにかみ、永井咲はシカトし、ナギは深く頷き、そして金田は諦めたような、それでいて少しだけ嬉しそうな笑みを浮かべてヘアゴムに手を通した。
その直後に流れ出したギターのメロディは想いを伝えたいのに伝えられない、そんな実直な歌詞が印象的な誰もが一度は聞いたことのあるであろう名曲。
両手で長い髪を纏め上げ、眼鏡を舞台袖に投げ捨てる。
高い位置で結ばれたポニーテールが大きく揺れる。
急に始まったライブであるにもかかわらず、観衆は手拍子をしたり、リズムに合わせて手を大きく振ったりとノリノリだ。
こうなれば生徒会も実行委員会も口出しは出来ないだろう。
ここまでくればあとは彼ら次第だ。俺の役割もここまでである。
ついさっきまで自分も立っていたステージの上。
そこで躍動する本当の姿の彼女に戸惑う同級生も多いだろう。でもきっと、あの笑顔を前にすればそんなことは些細な事だ。
舞台袖から見る彼らは、本当の意味で輝いていた。
光があるところには陰がある。陰があるから光はより美しく輝いて見える。
彼らは暗くて重たい陰を背負っていた。その困難を乗り越えようと足掻き、藻掻き、そして苦しんだ。
きっとたくさん転んだことだろう。きっとその分傷ついたことだろう。
でもそれらはまるでヤスリのように彼らを磨いた。だからこそ、光を浴びた彼らはああまで眩しく光り輝くのだ。
司会の二人もすっかりステージに魅入っている。
もう、心配はいらないだろう。舞台袖にある通用口から屋外へ出る。
吹き抜ける風が熱気に火照った顔に心地良い。扉が閉まり音と歓声が遠のいた瞬間、その場にへたり込む。
あぁぁぁぁああぁぁああぁあぁぁぁ!!!
めっっっっっっっちゃ緊張した!!!!
足に力が入らん……。
人前に立つってこんなに疲れんのか。知ってたけど知らなかった。もう二度とやらん。
そう心の中で愚痴っていると、不意に目の前にスポーツドリンクが差し出される。
「お~つかれっ!」
それは媛だった。
「わ、悪い。助かる」
ステージに立つ前から感じてた喉の渇きを、一息に潤す。嗚呼、生き返る。
そんな俺を
その沈黙に耐えかねて口を開く。
「すまん、ちゃんと代金は払う」
「もう、そうじゃないでしょ?」
「じゃ、じゃあ説明せずに手伝わせてすまな……」
「それも違う」
じゃあ何だ?もう心当たりは無いぞ?
「もう!なんで悪い事してないのに謝るのかなぁ?」
見かねた媛が答えをくれる。
あぁ、そういう事か。
「……ありがとな」
「どういたしまして!」
やっと笑顔になった媛に少し安堵する。
女の子の真顔は怒った顔より怖いまである。
「でも、やっぱりすまん」
「ん?なにが?」
「今回の事。協力してもらったのに何も説明出来てない」
「あぁ、そんなことかぁ」
媛には緞帳の操作をお願いした。
何も聞かずに了解をしてくれたが、きっと気になってはいるはずだ。でも何も聞いてこない。その優しさが余計に苦しい。
ナギの告白の内容は大きく分けて二つだった。
一つ目は金田が先生から課されていた課題の話。
そしてもう一つは、ナギと金田の家族の秘密。
しかし、そのどちらも俺の口から話すことは出来ない。
「説明できる時が来たら必ず説明する。だから、それまでは聞かないでもらえるとありがたい……」
「うん。じゃあ、教えてくれるまで聞いてあげない!」
そう宣言した媛は、弾けるように笑った。
その笑顔は反則だろ……。
直視するには眩し過ぎるその笑顔に思わず顔を逸らしかけたとき、体育館から歓声が上がる。
どうやら計画はひとまず成功したようだ。
「そういや榮さんは?」
「う~ん、分かんないや」
でもいい歳した大人だし大丈夫でしょ、とそうあっけらかんと笑う媛を見て、確かのその通りだと納得し天を仰ぐ。
その空は梅雨前にしては珍しく、爽快な青だった。
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