第17話 不穏
ナギの家での尋問から数日、文化祭当日まであと十日を切った。
現在は例によって文化祭準備に割り当てられている時間だ。
そして例によってA組は実質自習時間なので、これもまた例によって駄弁り勢と勉強勢がそれぞれのやるべき事に精を出している。
俺はというと珍しく机の上にノートを広げている。しかし勉強をしているのかというとそうではなく、そのノートにはいくつかの欄が設けられており、その空欄を埋めることに四苦八苦している。
今日の出来事って項目、何を書いていいのか分からない。わざわざ文字に起こすような出来事なんてそうそう起きん。
それに今日のひとことって誰得なんだ?生徒と先生のコミュニケーションとは言うが、先生からの返事を読めるの次の日直のときだからな?
約一か月も放置する事になるし、返事の内容を自分が知らない間に他の連中がそれを見る、というのを分かってて真面目に書く奴は果たしているのだろうか。
そう心の中で愚痴ってもこのページを埋めないと帰れない事実は変わらないし、そもそも俺が愚痴ったところでこの項目を埋めなくて良くなる訳じゃない。
適度に適当に適量の文字を並べ、それっぽい日誌を作らなければならないが、何か話題になるようなヒントが欲しい。
教室を見渡すと、金田は数人の女子生徒たちと机を近づけてテキストを開いている。簡易的な勉強会が開かれているようだ。
一見和気あいあいとしているように見えるがしかし、やはり彼女の表情はあの時のものとは程遠い。
一方、もう一人の優等生はというと、いつかのように外を眺めて物思いに耽っている。
廊下側の席の俺からは窓を向いているヤツのその表情までは伺えないが、その後ろ姿……いや後ろ頭か?とにかくその姿からは重たいオーラを感じる。
アイツこの間もあんな感じだったな、と思いつつも今回は特に声を掛けるでもなく、そんな平和一色の教室の中の出来事を探す。
視界の端では先生が何やらプリントとにらめっこしている。
そのすぐ近くでは副委員長君が電卓を弾いて頭を掻いている。
教室の後ろでは男子数人のグループがスマホを突き合わせて遊んでいる。
教室の真ん中付近では金田たちとは別の女子達が井戸端会議に花を咲かせている。
平和だ。至って平和な日常が帰って来た。
それ自体は非常に喜ばしいことのはずなのだが、どこかで火種が燻ぶっているような、そんな不穏なものを感じるのは俺の思い過ごしだろうか。
真の平和が一日も早く訪れますように。
未だに半分も埋まっていない日誌の『今日のひとこと』の欄に書いたその一言のせいで、その後しばらく陰で『教祖』と揶揄されるようになるのはまた別の話。
*
放課後。
A組のゼミは通常の授業後に行われる。そしてそれは文化祭の準備期間であっても関係なく実施される。よって日直の仕事を終えて帰る頃には部活に明け暮れる者共を除けば、生徒の姿はほとんど見られない時間帯になる。
このように遅くなる日にバイトは入れられないので、大人しく自宅を目指して自転車を走らせる。
初夏と言われるこの季節。日中は夏を感じる事も少なくないが、陽が沈む夕方はまだ少し寒い。
快調に飛ばす自転車は風を切って走る、と文字にすれば如何にも心地良さそうだが、現実には結構な重労働だし何より季節の影響を受けすぎる。要するに寒い。特に指先が。
まぁ家に帰るまでの辛抱だ、と最短ルートである交差点に差し掛かった時、その角に見覚えのある少女の姿を認めてブレーキを掛ける。あれはたしか——
「あ、もしかして、ネコちゃんのおにいちゃん?」
何かを探していた様子だったその子——ナギの妹であるヤナちゃんは俺の事を覚えてくれていたらしい。
友好的に迎えられる、というのは嬉しいものだな。なんせ普段は存在を認識されているのかすら怪しいからな、俺。
ただその呼ばれ方だと、俺とヤナ(猫)が兄妹みたいになってしまうんだが。まぁ良いか。
「お、おぉ……久しぶり?」
「おひさしぶりです!」
ペコリ、と頭を下げる少女は屈託のない笑みを浮かべている。
この場合なんていうのが年上として正解なんだ?妹はいるが、アイツはアレだし、こんな小さな子供の相手なんてしたこと無いから分からん。
だが一つ、お兄さんとして聞かなければいけないということは分かる。
「こんな時間にどうしたんだ?」
まだ小学生だというのにしっかりした挨拶が出来る子だ。そんなしっかりした子が何でこんな時間に一人でいるのか、疑問に思わない訳が無い。
「それは……」
今の時間に出歩いていることが悪い事だという認識はあるらしい。
実際には悪い事というか危ない事なんだけどな。事実として俺みたいな人間に声をかけられてしまっている訳だし。自分で言ってて悲しくなるからやめよう。
「何か失くしたのか?良ければ一緒に探すぞ?」
子供のころの実体験を思い出しながら、何の気なしに尋ねる。自転車の鍵を失くして帰れなくなって、真っ暗になるまで探し回った挙句、色んな意味で怒られるまでがワンセット。
失くすだけでも最悪なのにその上で怒られるのはマジで堪える。『早く見つかれ』という思いと『帰るのが嫌だ』って思いがせめぎ合い、見つかる頃には帰るのが憂鬱になっていたのを思い出す。
「ううん。さがしてはいるんだけど、失くしてはいないの」
「そうか。で、何を探してるんだ?」
「お兄ちゃん」
「……」
今 度 は お 前 か ?
昼間感じた不穏な気配ってのはこれだったのか⁉
金田の件がやっとひと段落したと思ったのに!もう俺の方が逃げ出したいわ!
そんな叫びをグッと堪えて目の前の少女を送り届ける事を最優先に考える。
小学生は帰りましょう、と言われる時間になってまで帰ってこない兄を探している健気な女の子を置いて逃げ出すわけには行かない。
アイツの事だから妹や弟たちの事を身勝手に放り出すことは無いだろう。家に戻れば何かしら進展があるかもしれない。そう説得して、その小さく冷えた手を引いて歩く。
「ナギは……お兄ちゃんはまだ帰ってなかったのか?」
「うん。今日は『遅い日』だけど、それでもいつもの時間に返って来なくて、それで、少しだけ待ってたけど、それでも帰って来なかったの」
『遅い日』ってのはゼミがある日のことだろう。さすがのナギもゼミの日は帰りが遅くなるらしい。当たり前か。
ただ、そんな当たり前の事すら当たり前と思わせないのが高谷那岐という男である。なんせサスナギだからな。自分で言っておきながら意味分からんけど。
「金田は帰って来てないのか?」
「かね……?あ!お姉ちゃんか!うんとね、帰っては来てたけど、お兄ちゃんのことは知らない、って」
金田が聞いてないとなるとマジで失踪してる説あるな、コレ。
一刻も早く状況を確認したくて気持ちは逸るが、小学生の女の子の歩くペースに合わせるとどうしても限界がある。
そんな訳で急げる限りの急ぎ足でナギの家まで向かったのだった。
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