第15話 食い違い

 金田が復帰して一週間が経過した。

 先週のうちは異様な空気が教室内を支配しており、温かい……いやあれはもう熱いとか暑苦しいとか言った方が正しいかもしれない。

 そんな感じで、A組の面々は久々に登校してきた金田のことを、彼女が可哀そうに思えて来るほどのハイテンションで迎えたのだった。

 当然金田は戸惑っていたが、知らぬ存ぜぬな態度で迎えられるよりは良かったようで、今週に入ると教室内の雰囲気はすっかり元通りになっていた。

 そして戻った委員長はその手腕を存分に振るい、それまででもかなり順調だった準備をさらに加速させた。


 その結果、本番の約二週間前にして大半の準備を完了させてしまい、出来ることが前日の準備と本番のみとなってしまっている。

 やらなければならない事は早く終わらせた方が楽だ、というのはゴールデンウィーク最終日に嫌というほど身に染みたがそれも限度がある。どうすんだ残りの準備期間。


「あ~今日の学祭準備の時間だが……やること無い班は自習でもしといてくれ」


 先生も困り顔である。

 そりゃそうだ。他のクラスが和気藹々わきあいあいと進めているのに対し、A組では皆がまるで職人のように真剣な表情で事に当たっていた。その結果の今である。一クラスだけ方向性が違い過ぎる。

 というわけで自習時間という名の自由時間になる。

 一応授業扱いの時間なので他のクラスを無意味に訪れることも出来ず、各々が各々の過ごし方を模索し始める。

 学内がお祭りモードで浮かれている中でも真面目に勉強を始める職人顔の奴らが半分ほど、もう半分ほどはお喋りタイムへと突入していく。


 「金田はちょっと来てくれるか?」


 声を掛けられた委員長は先生と共に教室を後にする。

 二人が去った教室内の空気は少しギクシャクとし出す。

 意識しないように、という意識が違和感として現れる。


 彼女の復帰は同時に事後処理の始まりでもあった。

 学校としては家出をした生徒をお咎めなしとは出来ず、とはいえ今までの優等生振りもあり扱いに困っているようだった。

 という訳で処分は学校主体というよりは学年主任に一任され、そして主任は学生・金田の優秀振りを知っているので問題無しとの判断をし、最終的な処分は林才先生に任されることになったらしい。これが徳を積む、というものなのか。


 俺が先生から聞かされたのはここまでで、その処分の内容までは聞かされていない。

 まぁ俺が関わっているのは金田の家出事件についてであって、金田本人のことでは無い。だから知らされなくてもどうでも良い。

 ただここまでの生活振りを見ているとそこまで目立った罰を受けている様子も無いので、先生はやはりあくまで『家庭の事情』での休みだったとするつもりなのかもしれない。何はともあれ俺の役割は終わったのだ。


 文化祭においてもあとは前日の準備と当日の裏方、そして片付けをするだけなのでこちらも終わったも同然だ。なのでそれまでは俺にやるべきタスクは特に無い。

 宿題も駄弁る友達も俺は持ち合わせていないので、残りの時間の全てを睡眠時間に充てることにして机に突っ伏した。


       *


 目が覚めると教室には人がまばらにいるだけになっていた。

 先生の姿は確認できず、クラスメイトの数もまばらである。時計を見ると、針は既に放課後になっていることを示していた。

 どうやら誰も起こしてくれなかったらしい。

 起こしてもらえなかったことに少し哀しさを覚え、それ以上にこんな時間まで起きなかった自分の阿呆さ加減に呆れてしまう。

 先ほどまで寝ていたというのに、なんだか疲れたというかスキッリしない。


 こういう時に行く場所は決まってあそこだ。


 傾斜何度かは知らないがとにかく急な上り坂。

 かのタワーのある公園——太田山公園はその名の通り『太田山』という山の上にある小さな公園だ。

 公園といっても遊具などは無く、ボール遊びもままならない狭さなのだが、代わりにタワーと小さなやしろと敷地の横に歴史資料館がある。

 公園というよりは広場のような場所だ。狭いけど広場である。

 タワーの頂上からは市内のほぼ全方位を一望出来る。という事はそれなりの高さがある訳で、必然的に公園までの坂道も険しくなる。

 舗装されている道なので車でも登れるのだが、生憎と俺の愛車は自転車だ。そんな急な坂道を漕いだままで登り切れる訳もなく、途中からは手押しで頂上を目指す。


 学校から約四十分。到着する頃には陽が傾き始めていた。

 公園内には他に人が見当たらなかったので、タワーの階段をゆっくりと登る。そして登るにつれて景色が開けていく。

 田舎特有の開けた土地の奥には青い東京湾と、そこにまたがる横断道路を望むことが出来る。

 空気が澄んでいる日には東京の高層ビルやシンボルたる二本のタワーを見る事も出来るし、夜には夜景が少し見えたりもする。

 そして何より、そんな景色を誰でも無料で楽しめるのがここの良いところだ。

 平日のこの時間は特に人が少ないので、そのすべてを独占できる。気分転換には持って来いな俺のお気に入りの場所だ。


「……え⁉」

「……は⁉」


 がしかし、この日は先客がいた。

 その先客は俺の姿を認めると、切れ長の目を見開き、驚いたような声を上げる。

 俺もその先客の姿を視界に捉え、呆気にとられる。


「な、何であんたがここに!」

「お、お前こそ何でここに⁉」


 それは俺よりも問題児の優等生、金田だった。

 予期していなかったこの遭遇にお互い慌てふためく。


「わ、私がどこに行こうと私の勝手でしょう⁉」


 平然を装って答えてはいるが、声に動揺がはっきりと表れている。

 他人のそういう姿を見ると我に返るのが人間というものらしく、平静を装うことなくに冷静に返す。


「そりゃそうだが、それを言えば俺がどこに行こうが勝手だろう」

「何よ、そんなに私を捕まえたいの?」


 そんな俺を見て平静さを取り戻したらしい彼女は、一つ息を吐いてからそう返し、試すような笑みを浮かべている。

 どうやら図書館の時のことを言っているらしい。だがその言い方だと俺が変態みたいに聞こえるからやめてほしい。


「本当にたまたまだ。追いかけるにしたってどうやるっていうんだよ」

「……GPSとか?」

「マジの変態じゃねぇか」

「冗談よ。驚いたからイジワルしただけ」


 どんな理屈だ。

 しかしそう言いながら笑う彼女は心なしか気落ちしているように見えた。

 それもそうか。こんな場所に一人で来ている時点で俺と似たような精神状態なのだろう。

 文句の一つでも言ってやりたかったが、そんな相手にトドメをさすような真似は出来ない。それにいつかのように問答無用で逃げる訳でも無く、今なお景色を眺めている彼女を下手に刺激するのは下策だ。せっかくのチャンスなので聞きたかった事を聞く。


「俺も驚いたよ……まさかお前が家出するとはな」


 彼女の横に並んで景色を眺める。オレンジに染まる町並みは時間の経過をいつもよりゆっくりに感じさせる。


「みんな、全部知ってるのかしら?」

「いや、多分知らない。生徒じゃ俺くらいじゃないか?」

「そう。なら良かった」


 だが、そう言いながらも彼女の表情は晴れない。


「そう言う割に不服そうだな」

「そう見える?ならそうなのかもね」


 自嘲気味に笑うその表情からは本心が読めない。


「お前、何がしたいんだ?」


 学校での彼女、ライブハウスでの彼女、そして目の前にいる彼女。

 その一体どれが本当の姿なのか。そして彼女が求めているものは何なのか。

 俺が知る必要は無いと思いつつ、一度関わった以上気にはなる。答えが返って来るとは思わないが、それでもひと思いに聞いてみた。


「……あんたなんかに分かる訳ないでしょ」


 彼女は手すりに背中を預けながら、天を仰いでそう答えた。


「そうだな。伝えてくれなきゃ分かる訳ないな」

「そうね。伝えられない以上、分かってもらうなんてこと出来っこないわね」


 その表情には少しずつ影が差す。


「私にも……よく分からないのよ」


 風に靡く黒髪が彼女の表情を隠す。しかし、震える声までは隠せなかった。

 時折、鼻をすする音が響くだけの静寂が続く。

 そして吹き抜ける風に流されるかのように、彼女がゆっくりと口を開く。


「何であんたは私の事をさ、その……言いふらさなかったのよ」

「何でだろうな。たぶん怒られたくなかったんだろ」

「ふっ、何よそれ」


 笑った拍子に彼女の声に芯が戻る。


「誰だって怒られるのは嫌だろ」

「そうね……普通はそうなのかもしれないわね」


 そう言いながら指で目元を拭う。


「何でかなぁ、あんた相手だと気が緩んじゃう」

「そうですかい。俺はお尋ね者相手で気が気じゃないけどな」

「私、別に罪は犯してないわよ?」

「どこがだよ。警察沙汰になりかけてるってのによく言うぜ。親も心配で堪らんだろうよ」

「それならきっと大丈夫よ。あの親が私の事を本気で心配する訳無いんだから」

「あの親父はともかく、母親は違うだろ」

「私の両親に会ったのね。そう、お母さんは……ううん、結局同じよ。お父さんと」


 涙を拭ったその目は遠くを見ている。その目は最近いつかどこかで見た瞳と同じだった。あれはいつだったか——


「心配はするでしょうけど、それは外聞のため。私の身を案じての事じゃ無いのよ」


 そう言って深く重たい息を吐いた金田は、俯き加減でぼそりと呟く。


「…………私って何なんだろう」


 きっと答えを求めての言葉じゃない。だから俺は、答えに成り得ない言葉で答える。


「ただの女子高校生だろ。何かである必要はないし、急いで何かになる必要もない。誰が何と言おうと俺らはただの高校生だからな」


 返事が無いので金田を見ると、豆鉄砲でも喰らったかのような顔でこちらを見ていた。 


「……あんたバカでしょ?」

「失礼だな」


 やっと発した言葉が罵倒かよ。

 しかし、その言葉に悪意は含まれていない。


「あんたの言うように生きれたら、さぞかし楽なんだろうなぁ」


 そう、さっきの一言にはどちらかというと哀しみが含まれていたように思う。


「バカ言うんじゃねぇよ。俺みたいな一般人は日々を生きるのに精一杯だ。楽な訳あるか」

「価値観の話よ。知ってるんでしょ?私の家の事」


 金田はそう言いながら左手でスマホを弄り出す。


「先生から聞いた」

「そのせいで昔からとにかく厳しかった。言葉遣いも常に気を付けなきゃいけないし、この歳になっても門限は十八時。だから部活も出来ないし、放課後に誰かと遊ぶことだってままならなかった。そんな中で出会ったのが音楽だった。誰かとじゃなくても出来て、誰とでも繋がれる。私のたった一つの外界との繋がり」

「学校も一つの外界だろ」

「学校の先生だってお父さんの立場を知ってるし、そのせいで悪さ出来ないって分かっているから当たらず触らずよ。まぁ林才先生だけは別だけど」


 あの人にはそういうの、通じないもんなぁ。


「だから私はどんどんのめり込んだ。ネットに上げれば誰かが反応してくれて、それが良きにしろ悪しきにしろ私自身を評価してくれた。それがたまらなく嬉しかった」


 だから先ほどの彼女は怒られることに対してああ言ったのか。合点がいった。


「でも隠し事はいつかバレる時が来て、それがあの日だった。いつもはちゃんと証拠を隠して帰ってたのに、あの日はそれが甘かった。落とし切れてなかったメイクで勘付かれて、色々言い訳してみたんだけど結局バレて。それで家を飛び出したの」

「そうか……ん?待て、お前一回家に帰ったのか?」

「そうだけど?」


 それはおかしい。あの時、校長室で俺が受けた説明は確か『最後に金田に会ったのが俺』だったはずだ。だからわざわざ呼ばれたのだ。

 金田の話だと少なくとも『最後に会った』のは俺じゃないことになる。


「で?それが何なのよ?」

「大したことじゃないんだが、聞いてた話と少し違ったんでな」

「それってどういう——」

「——奏音?いつまでここに……」


 俺たちの会話に割って入って来たその声の主は、階段を登り切ったその場所で俺と目が合い動きを止めた。


 それはクラスのもう一人の優等生、ナギだった。

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