第14話 迷惑

「まさか……」


 強制参加の会議がやっと終わったと思ったら、窓の外には黒い雲が垂れこめていた。程無くして振り出した雨は現在、教室の窓を激しく叩いている。


「まさか本当に降るとは……」


 アイツ本当に神の子なんじゃないだろうか。

 当の本人は折り畳み傘を持ってるとかで颯爽と帰って行った。一応は「駅まで一緒に入って行けば?」と誘ってくれたが丁重にお断りした。槍が降ったら傘では防げん。

 そんな訳で教室にとどまり、何をするでも無く、窓を叩く雨粒をぼうっと眺めていた。

 教室内ではまだ話し合いという名の駄弁りに興じ、放課後という青春を謳歌している者共が数組いる。彼らもまた雨が止むのを待っているようだ。

 それも活気があるというよりは穏やかな雰囲気で、つい数時間前までの熱気が嘘のように閑散としている。

 そんな雨宿りの様子を視界の端に収めつつ、熱気を生むきっかけとなったナギの行動を思い起こす。


 あの時、あのタイミング、あの空気の中でなければ成功しなかったであろう扇動は恐ろしいほどの成果を上げた。

 受験勉強に対する意識が高い面々が揃うA組だが、担任の影響かイベントに対しては積極的だ。

 ナギにその意図があったのかは不明だが、その習性を利用しての演出はまるで、事前にああなることが分かっていたかのようだった。

 それも『ナギだから』と言われれば頷く以外の選択肢は無いんだけどな。さすがナギ、略してサスナギだ。略す意味無ぇな。ついでに使いどころも無さそうだ。

 何はともあれ、ヤツは己に課した『彼女が帰って来やすい空気を作る』という役割を果たしたと言えるのではないか。


 それに比べ、逆に先生の方はらしくなかったように思う。

 いつもの気怠い調子で「来週から金田来るから。以上」とかでも言っておけば良かったのに、あんな柄でもない神妙な顔で話をされれば誰だって戸惑う。

 事情を知ってる俺ですら戸惑ったしな。というかそもそも今回のこと聞かされて無いのだが。

 何にせよ、直接話を聞いたほうが早いだろう。

 黒板の上に掛かっている時計の長い針が『六』を指し示す。手元の携帯電話の画面に映るメールが指定している時間だ。

 社会科教室へと足を運ぶと、そこにはメールの送り主である林才先生がインスタントみそ汁のカップを手に待っていた。


「おう、悪いな八剱」


 みそ汁に口をつけながら振り返る。


「そう思ってるなら目の前でみそ汁を啜んないでください」

「だってこの時間腹減るし」


 貴方がお腹が空くという事は俺もお腹が空く頃合いなんですがね。

 ただ、それを言うと負けな気がしたので代わりに苦言を呈する。


「子供じゃないんですから」

「大人は子供の延長戦だ。つまりいくつになっても子供なのだよ」

「そんな名言っぽく言われても」


 実際、名言でも何でもない。ただの屁理屈だ。

 しかしそんな俺のことなどお構いなしに、先生は遠い目をして呟く。


「……大人って、何なんだろうな」

「急に賢者モードにならないでください」

「責任は増えるのに自由は減るし、お小言は増えるのに給料は大して増えないし」

「教師が生徒にしていい発言じゃ無いっすね」

「お前が相手だと妙に気が緩んじまうんだよなぁ」


 そう言いながらふにゃっと笑う。

 これが綺麗なお姉さん相手とかだったら最高なんだが、残念ながら熊のようなおっさんだ。


「で、そろそろ教えてくれますか?」

「そうだな。本当は先に教えておくのが筋だったのかもしれんが、出来なくてすまなかった」

「悪い結果になった訳じゃないんで、そこはどうでも良いっす」

「そ、そうか。じゃあ本題だ」


 そう言って飲み干したみそ汁のカップをゴミ箱へ放り込む。


「ふぅ……今日の昼だ。金田の父親から『来週からは登校させる』という連絡が入った。ただ、まだ家に帰って来たという訳じゃあ無いらしい」


 一応事情を聞いてはみたんだがあまり多くは答えてくれなくてな、と苦虫を嚙み潰したような表情でそう語る先生の目には、どことなく怒りが滲んでいるようにも見えた。

 この人がこんな顔をするのは珍しいので興味は沸くが、それよりも今は金田についての話が最優先だ。


「家出はしたまま、と?」

「そうらしい。詳しいことは俺も分からないが、あの口振りからすると親戚かなんかの厄介になってるのかもな」


 確かにその可能性はあり得る。いくらお金持ちの家の娘とはいえ、二週間もホテルやらネカフェやらで過ごしていられるとは考えにくい。それに仮にそうだったなら、登校再開の目途が立つとは思えない。


「何はともあれ一件落着……なんですかね?」

「学校としては、な。ただ金田自身の問題が解決する訳じゃない」

「それこそコンプライアンス案件ですけどね。先生の立場上、そうも言ってられないのかもしれないですけど」

「そうなんだよなぁ。普段はコンプラを言い訳に出来るんだが今回ばっかりはなぁ」


 どうしたもんか、と髪をガシガシ掻く先生は、今度は何故か少し嬉しそうな顔をしていた。


「ところで先生。さっきの、らしくなかったっすね」


 金田の件については聞けたのでこれで帰っても良いのだが、俺の個人的な興味で、教室での『らしくない話し振り』について突っ込んでみる。

 当の本人は「おいおい、そこ突っ込むか?」と若干鼻白んでいたが、俺が席を立たないのを見て諦めたのか、一つ溜め息を吐きつつ答える。


「はぁ……まぁ何だ、皆が金田についての話題を避けていたのは俺も気付いてたさ。だからあまり雑に伝えるのもはばかられてな。慎重に行こうと決めて話し出したんだが、慣れて無さ過ぎて……要はミスった」


 最後の方は照れ隠しなのか、かなり小声だった。

 大の大人の男が肩を落としているのが妙に可笑しくて思わず噴き出す。


「おい、人の失敗を笑うなよ!」

「今の先生を笑ったんすよ」

「それもやめいっ!!」


 先生が俺の頭を右手で小突く。


「先生も人間なんすよね」

「どうしたんだ急に。賢者モードか?」


 小突かれた側頭部を軽くさすりながら続ける。 


「俺らからすると『先生』って俺らよりも遥かに色んなことを知ってる存在じゃないっすか。それこそ小学生の時とかは、先生には知らない事なんて無いんだ、とか思ってたくらいでしたし。でもこうやって話をしてると先生にだって知らない事が沢山あって、悩んで、笑って、怒って、学生俺らと同じ人間なんだなって」


「なに当たり前のこと言ってんだ。そうだよ、人間だ。だから愚痴も零すし失敗もする。俺は特に多いけどな。それでも先生をやっていけてる。だからお前らはもっと失敗して良いし、もっと愚痴って良いんだ。というか学生の内に沢山失敗しとけ。社会に出たらどんな小さな失敗も許さないっていう妖怪があちこちにいるからな」


「社会、怖い」

「だけどそれ以上に得られるものがある。俺の場合はお前らとかな」


 目を細めてそう言える先生にとっては、それはネタでも何でもないただの事実なのだろう。

 でも言われる側からすると、その本音は全身がむず痒くなる。


「先生……さすがにそのセリフはクサいっす」


 少し身を引きつつ、真顔で茶化す。


「マジで引かないでくれ、割と傷つくから!」という想像通りの反応をしてくれたが、先生は俺の想像を超えてエキサイトしていく。


「俺はなぁ、お前ら良い子過ぎて心配なんだよ。お前も!変に空気を読むA組の皆も!もっとバカで良いんだ。そういう意味では今回の金田には『よくやった』と言いたいくらいだ。無理した笑顔張り付けてお嬢様してたクセに、いきなり家出だぞ?聞いた時は心配したが今じゃグッジョブと思ってる!!」

「それも教師が生徒にしていい発言じゃないっすね」

「構うもんか!ここにゃお前しかいないしな!それにどうせ俺の話なんざ誰もまともに聞いちゃいないしなぁ!」

「それ教師としてどうなんですか」


 若干ふてくされた顔をしていた先生だったが、その表情がふっと緩む。


「良いんだよ俺の事は。それよりも、お前らはもっと迷惑をかけて来い。迷惑をかけるのも、それをどう取り返すかを経験するのも勉強だ。迷惑を迷惑がられないのは学生の特権だぞ?」

「何というか、先生が言うとリアリティありますね」

「おう!もちろん実体験だからな!」


 それも現在進行形のな!と半分自棄になった自虐だが、それはさすがに笑えない。けどそれを笑えるくらい、もっと気楽に考えて良いのかもしれない。 

 誰にも迷惑をかけないなんて事、出来っこない。みんなお互いに持ちつ持たれつのはずだ。


「誰かに迷惑をかけたっていうなら、その分を後から取り返せばいい。それだけのこった」

「じゃあ先生も今日のHRで皆にかけた迷惑、取り返さなきゃですね」

「バカタレ!お前たちには普段から迷惑かけられっ放しだからおあいこだ!」

「さっきと言ってること違うじゃないっすか!」

「知るかそんなもん!!」


 そんな事を言いながらも、先生のその表情はどこか楽しげだった。

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