第12話 遭遇
五月五日。
連休後半に入って早三日。
昨日までの二日間はバイトに捧げたので、俺のゴールデンウィーク後半戦は今日からスタートである。あと二日しかねぇ。儚すぎる。
そんな貴重な休みを無駄にしないために、一分一秒でも早く課題を終わらせなければならない。
しかしながら俺は、自室で机に齧りついて勉強出来るような強靭なメンタルなど持ち合わせていない。漫画やらゲームやらの誘惑に簡単に屈する残念なメンタルの持ち主である。
という事で家を飛び出し約四十分、学校近くの図書館まで自転車を走らせる。
その時間で課題を進めれば良い、という意見についてはごもっともだとは思うが『メリハリが大事』という詭弁で回避させていただく。
ところで何でわざわざ四十分もかけて移動するのか。それは家の近くの図書館が
昼下がりの図書館はまだ大型連休中という事もあってかそれなりに空いており、そのおかげで吹き抜けになっている二階のガラス際、一階の書架が見下ろせる席を確保できた。
席に着き、リュックから課題プリントの束を取り出す。毎度のことながら応用クラスの課題量はエグい。
そんな課題の山へむけて、シャープペンを鳴らしてアタックを開始する。なぜ山に挑むのか?それはこれが提出しなければならない宿題の山だからだ。避けて通れるなら是非ともそうしたい。そんなボヤキはさておいて、静かに手を動かし始める。
そして二時間ほどが経っただろうか。予定よりも快調に進んでいたその手がふと止まる。
図書館の心地よい静寂の中に微かな緊張感とでも言おうか、異質な何かを感じた。周囲を見回してみるが、二階にはおかしな所や変わった点は無い。
それならと吹き抜けから階下の書架を見下ろすが、こちらも特に何かが起きている様子は無い。
俺の勘違いか。そう思い視線を手元に戻すその途中、視線の端の書架の端、壁際の椅子に座る黒髪の女が目に留まる。
何かの間違いだろうと見て見ぬふりをしようとしたが、不意に顔を上げたその女と視線が合ってしまう。
女は切れ長の綺麗な目を見開いた。眼鏡はしておらず、髪も結って雰囲気を変えている。更にはマスクと帽子をかぶり、まるで芸能人の変装のような出で立ちだ。
何で気付いちまったんだ俺のバカ。気付かなければ視線が合う事もなかったのに。
学校での彼女しか知らない奴らなら騙せたであろうその変装も、あの日の姿を知っている俺には通じない。
自ら厄介ごとに首を突っ込みかけている自分に嫌気が差すが、気付いてしまったものは仕方が無い。目が合ってしまった以上は無視できない。手を上げて挨拶の意を表してみる。
しかしそれを見た彼女は手にしていた本を近くの書架へ仕舞うと、急ぎ足で出口へと向かっていく。
まさかのシカトという反応に一瞬死にたくなったが、寸でのところで踏みとどまり急いで彼女の姿を追う。
しかし出入り口付近には既にその姿は無い。舌打ちをしながら大通りまで急ぐ。
向かって左が駅方面、その逆方向には特に何もない。となれば彼女が向かうのは必然的に左だ。
その読みは当然のように的中しており、走って遠ざかる後ろ姿が二つ先の信号辺りに見える。それを急いで追いかける。
だが所詮は帰宅部の体力。男子と女子という体格差のおかげで一瞬距離は縮まったように感じたが、スタミナの差でどんどんと離されて行き、駅までのそう長くはない距離の間で見失う。一応は金田も帰宅部のはずなのに何で置いて行かれるんだ?
近くの商業施設の中を探してはみたが姿は無く、完全に見失ってしまった。
ひとまずこの事を先生には報告しておくべきだろう、と携帯を探してポケットを
「——しまった!」
荷物を全て図書館に置き去りにしていた事に気付き、笑う膝を鼓舞しながら図書館までよろよろと戻ったのだった。
*
『そうか。でも、元気なら良かった』
「元気過ぎて捕り逃したんですけどね」
『ははは。まぁ事件性が無いことが分かったんだ。十分お手柄もんだよ』
図書館に戻り荷物の無事を確認した俺はそれらを一旦片付けて図書館を出た。そしてすぐに先生に連絡を入れる。
先生は電話の向こうで笑いながらそう評してくれたのだが、走力で負けて置き去りにされたという事実のダメージは意外と大きくて、自分で言いながらちょっと泣きそうになる。頑張れ、俺。
一通りの報告を終えると「あとの事は大人に任せろ」ということで電話は終わった。だが果たして、それで解決するのだろうか。
俺から逃げる彼女の後ろ姿を思い出す。
彼女はなぜ逃げるのか。
何から逃げているのか。
その部分が解消されない限り解決はしないのではないか。
色々と思うところが無いでもない。だが俺が考えても仕方のないことである。先生の言う通り、あとは大人に任せるしかないのだろう。
何とも歯痒いが、正論がいつも正しいとは限らない。時と場合によっては邪論やら論外な手法の方がコトがうまく運ぶこともある。
まだ終わっていない宿題も本来であれば今日のうちに終わらせてしまうというのが正論なのだろうが、今さらやる気にはなれない。
人間は追い込まれた方が効率が上がる、という愚論が明日の俺に証明される事を願いつつ帰宅の途に着いた。
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