第11話 大人

 五月二日。

 今日が終われば連休が再開する。それを心の支えに授業を受けるが、教室内の浮ついた空気はまだ抜けきっておらず、イマイチ集中し切れないまま昼休みを迎えた。

 つい先ほど購買で買ってきたばかりの焼きそばパンを手に取る。そこへこの時間の教室で見ることは滅多に無い巨体が前扉から顔を覗かせた。

 教室内の視線が自然とその巨体——林才先生に集まるが、当の本人はそれに一切反応せず、窓際に座る俺を手招きする。

 嫌な予感がするが、拒否する訳にもいかない。焼きそばパンは諦め、大人しく席を立つ。嗚呼、今日の昼休みは他所よそで食おう。教室中の視線が今度は俺の背中に刺さりまくる。痛くはないが、この空気の教室に居たくはない。


「いま大丈夫か?」

「今さらっすよ、その確認……」


 半ば呆れながら答える。だが、先生の目は真剣だった。そのただならぬ気配に眉をひそめる。

 何事かと視線で問うが、先生はそれには答えず廊下を歩きだす。仕方なしにその後ろを追いかける。

 遠ざかる教室からは休み時間のそれとは異なる騒めきが聞こえてくる。

 ただでさえ委員長不在で浮ついているときにクラスの問題児が呼び出されたとあれば、そりゃ騒ぎになるわな。俺、問題起こしたこと無いんだけどね?

 廊下を進み、曲がり角を右に曲がると特別棟へと繋がる渡り廊下がある。

 そこに差し掛かると先生は歩く速度を極端に落とし、歩きながら首だけでこちらを振り返る。


「一つ、いや二つ質問させてくれ。まず月曜日なんだが、金田に会わなかったか?」


 月曜日というと……四月二十八日か。その日は尊都とライブハウスに行った日である。答えはイエス。


「まぁ、会いました」

「そうか、じゃあ二つ目。金田はその時、何をしていた?」

「それは……」


 出会った時か、それともあの日にしていた事か。

 ライブの事なら口外しない約束なので話せない。だが、この剣幕が相手では話さない訳にはいかないかもしれない。

 しかし先生は、言い淀んだ俺を問い詰めることはしなかった。その代わりとばかりにもう一つ質問が飛んでくる。


「それじゃ三つ目になっちまうが許せ。最後だ。それはいわゆる……悪い事か?」

「それは断じて違います」

「そうか。分かった、俺はお前を信じる」


 間髪入れずに帰って来た俺からの返答を、初めからそう返って来ると分かっていたかのように受け止めてペースを上げる。

 そして特別棟の一階にある校長室の扉をノックする。


「失礼します。林才です」


 扉が開くと、机を挟んで二つずつ向かい合っているソファの右手奥側に初老の男性が座っており、その向かいの長椅子型のソファには見慣れない一組の男女が座っていた。

 女性は小奇麗なワンピースの上に薄手のケープを羽織っており、その左隣にはビシッとしたスーツを着た、四十歳程だろうか、精悍な顔つきの男性が座っている。


「お待たせしました。金田に最後に会ったと思われる生徒を連れてきました」


 そう言いながら先生は俺に初老の男性——たしか校長先生だったと思う——の隣に座るよう促す。

 席に着き、正面に座る男女の顔を見てふと気付く。この二人はもしかして……?

 先生に説明を求めようとしたが、それよりも早く校長と思しき隣の男性が声を発する。


「急に呼び出しで済まないね、えー……」

「八剱です」


 ソファの背もたれの後ろから、林才先生が校長に耳打ちする。


「そうだったそうだった!ヤツルギ君、我々に一つ力を貸してほしい」


 そう言いながら俺の返答は待たずに、向かいに座る二人へ視線を誘導する。


「ここにいるお二人は君のクラスの委員長である金田奏音さんのご両親だ」


 やはりか。纏っている独特の雰囲気がそっくりだったので、もしかしてとは思ったがやはりそうだった。

 女性の方は切れ長の目元や通った鼻筋が金田そっくりだ。

 男性の方はまっすぐに引き結んだ口元や俺を睨みつける鋭い視線にあの日の金田の面影がある。というか何で俺睨まれてるんですか?


「で、その奏音さんなんだが実は、一昨日の晩から行方不明になっていてね」

「…………は?」


 聞き慣れないその単語に思わず素で返してしまったが、そのことは誰からも咎められなかった。

 ユクエフメイって……居場所が分からない・帰ってこない・安否不明、っていう行方不明だよな?

 当事者として聞くことは滅多にない言葉に一瞬理解が追い付かなかったが、それでも自分なりに噛み砕いて状況を飲み込んだ。するといくつかの疑問が湧いてくる。


「それで、何で俺が呼ばれたんでしょうか?」


 まずは至極当然の疑問をぶつける。

 別に俺は高校生探偵もやってないし、千里眼も持っていない。


「彼女が足取りが途絶えた日、最後に会ったのが君だという情報があってだね。彼女がどこかに行くだとか、悩んでいる様子だったとか……何か手掛かりになるものが無いかと思ったのだよ」


 理由は分かった。だが腑に落ちない点がある。


「……警察には?」


 行方不明というのであれば警察が動いているはず。であればここに警察官の一人でもいてしかるべきだが、それらしき姿は無い。


「それがだね、何と言うか……」


 校長の弁はどうにも歯切れが悪く、要領を得ない。


「——わたくしどもからお願いをしたんです。警察へはまだ届け出ないでほしい、と」


 それを見かねた金田の母親がここで初めて口を開いた。

 その口調は柔らかで、声も金田によく似ている。容姿も当然金田に似ていて美人なのだが、いまはその表情に疲れの色が強く表れている。

 それはそうだろう。自分の娘が行方不明になって心配しない親はいない。

 であればこそ、余計にその判断をした意味が分からない。

 さすがに理解しかねて林才先生に目で訴える。先生は表情を硬くしたまま説明してくれた。


「金田さんはこの地域の発展に尽力されている金田グループの社長さんだ。影響力が大きい分、何かあれば噂やら何やらが広まりやすい。だからなるべく周囲にはさとられないようにしたい、ということだそうだ」

「事件なら警察に任せるが、家出となれば世間体的にも良くない。我々としては公になる前に事が収束するのが望ましい。私たちを一族を良く思わない人たちも一定数いるのでね、その連中に隙を見せる訳にはいかないのだよ」


 厳格そうな顔で、厳格な声で、目の前に座る男の口からも理由が述べられる。


「なッ——」 


 何だよそれ——思わずそう言いかけた。だが普段ヘラヘラしてる林才先生の、その真一文字に結ばれた口元と皺の寄った眉間が目に入り、寸でのところで言葉を飲み込む。

 それでも納得した訳じゃない。おかしな点はまだある。

 警察に届け出ないという判断は百歩……いや千歩譲って理解はするとして、だったら何でそんな知られたくない事をただの生徒である俺に話すのか。


「公にしないためならばごく少数の人間に情報を渡し、その人間の内だけで動く方がリスクが低いと判断した。そして君が呼ばれたのは、最後に奏音を目撃している重要参考人だからだ」


 そう話す金田の父親の口調は淡々としていた。

 俺にはそれが、警察と自力のどちらが自分たちにとって損か得か——ただその点にのみこだわっているように聞こえた。

 もし本当にそうだとしたら、なんともおぞましいことだ。

 でもそれだけじゃない。俺はこの男が怖いと感じた。


 男のその眼が、少し笑っているように見えてしまったから。


       *


「連絡事項は特になし。そんじゃ、残りの連休も気を付けて過ごせよ~。清見きよみ、号令」


 いつもと変わらぬ調子だが、いつもとは最後が少し違う締めの言葉で帰りのHRが終わる。

 帰り支度の時間を少し長めにとり、生徒数が少し減ってから向かったのは社会科教室。

 扉を開けると林才先生が窓から校庭を見下ろしていた。


「お待たせしました」

「いや、待ってないぞ」


 恋人の待ち合わせか?

 相手が女の子ならトキめいたりもするのだろうが、残念ながら待っていたのはおっさんだ。腐女子以外には需要が無い。


「ほれ、今日のお詫びだ。どっちがいい」


 そう言いながら両手に持った缶を見せてくる。右手にココア、左手におしるこ。

 どういうチョイスだ。こんなの実質一択である。


「じゃあココアで」

「なんだ?おしるこ嫌いか?」

「別に嫌いじゃないっすけど、この場面にはミスマッチじゃないっすかね」

「そうか?美味いのに」


 嬉々としてプルタブを引く先生。嗚呼、その体型でおしるこを持っている姿はベストマッチだ。ベストおしるこ賞があったら間違いなく受賞できる。何の名誉でもないな、それ。

 俺もココアを受け取って手近な席に座る。てかココア熱っ!もう五月だぞ?うちの学校の自販機どうなってんだ?


「改めて、今日は色々すまんかったな」

「いえ、もう今さらですよ」


 あのあと教室に戻ると、俺に関する様々な噂が遠慮なしに飛び交っていた。

 そんなお楽しみ真っ只中のご本人登場に教室内が水を打ったようにシンとなる。どうやら俺に対しては自粛の必要は無いらしい。

 ナギですらこの噂については無関心の様子だった。確かに気を使われるのは苦手だが、遠慮が無いのとは話が別だ。

 そんな人望の差を感じる出来事もあったが、過ぎたことをどうこう言ってもしょうがないので本題に移る。


「それで金田は……」

「ん。まだ目ぼしい情報はないらしい。事件に巻き込まれてないことを願うしかない」

「そうですか」


 その一言を最後に、お互い何を言うでもない時間が流れる。校庭からは部活動にいそしむ生徒たちの元気な声が聞こえている。

 時計の長針が三回ほど動いたころ、先生は俺に向かって唐突に頭を下げた。


「八剱、この前はすまんかった」

「え?ちょっ、は?」


 いきなりの謝罪に困惑する。この前って……何かあったか?


「教師としては出過ぎた発言だった。お前が色々考えた末での決断だったというのに……本当にすまなかった」


 そこで進路希望の時の話かと気付く。


「いやあの、顔上げてください。あれは俺も悪かったですし、先生が俺の事を考えてくれての言葉だった、っていうのは分かってますから」


 やっと顔を上げた先生の目は本気マジだった。何だったら少し落ち込んでいるようにも見えた。

 ガキな俺でも先生の想いが分かった。それと同時に少しだけ嬉しくなった。あぁ、俺はこの人には見ててもらえているんだ、と。だからだろうか、俺も自然と頭を下げていた。


「俺もちゃんと相談すべきでした。理由も話さず勝手に希望を変えて、それにあんな大声も出したうえに黙って帰って……なので、俺も悪いです。すみませんでした」


 顔を上げて、驚いた顔の先生と目が合って軽く笑い合う。

 やっと謝れたことが少し嬉しくて、素直に謝れた自分にビックリして、それ以上に照れくさくて……それを笑ってはぐらかす。

 何だか少し、大人になれた気がした。

 それと同時に、俺はまだ先生に流されるような形でしか謝れない半人前だ、ということも思い知らされた。いや、やっと半人前になれた、と言うべきなのかもしれない。

 笑い合ったあと、今日見たもう一人の大人を思い出す。あの得体のしれない恐怖が肌をざわつかせる。


 彼女は今どこで何をしているのだろうか。

 優等生としての彼女、大企業の令嬢としての彼女、そして裏の彼女。

 家出の理由やら音楽活動の理由やら、何から何まで分からない事だらけだ。

 そんな状態の俺らに出来るのは、先日ナギが言っていた『帰って来られる場所を作っておくこと』くらいしか無いのかもしれない。

 あの時はお節介ではと思ったが、今は違う。

 想ってくれる人がいるという事は、見ていてくれる人がいるという事は、ただそれだけで心強いという事を、いま身をもって教わったから。

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