第10話 放課後

 結局その日、彼女が教室に現れることは無かった。

 あれだけ盛んだった噂話も今は自粛モードのようで、教室全体で彼女に関する話題自体がタブーな雰囲気になっていた。


「おっつー」


 帰りのHRも終わり、荷物を担いだところでその進路に影が差す。


「タケっち今日はたしかバイト休みだったよね?」

「なんで俺のスケジュールをお前が把握してるんだ?」

「細かいことは良いってことで。ちょいと付き合ってくれんかね、貸し一で」


 そんな感じでナギに丸め込まれるようにして連れて来られたのは、田舎と呼ばれる地域にならほぼ百パーセント存在する大型ショッピングモールだった。

 最寄り駅からバスで十五分程と地味に遠いうえに、近隣の高校や中学を含む学生たちのユートピアになっているために、俺は滅多に訪れない場所である。


「で、ここに何の用なんだ?」

「日用品の特売があるんだ。一人当たりの数量限定で、頭数になって欲しくて」


 なるほど。だがそれなら部活の仲間を誘う方が良いのでは?そっちの方が頭数は揃うだろうし。

 それに部活仲間でなくともナギであれば誘える人間には困らないはずだ。少なくとも俺が適任であるはずは無い。

 そんな疑問を抱えつつ、男二人で主婦たちの波に乗り込む。

 両手を日用品で塞いでいる制服姿の男子高校生が二人。主婦たちの皆さまからはこの光景、さぞ奇怪に映っていることだろう。

 しかしナギの存在の加護なのか、不審がられる気配はすれど、それを前面に出されることは無かった。世の中は不公平だ。

 そんなこんなで本当に日用品だけを買ってバス停まで戻って来た。二人並んでベンチに腰を下ろす。一息ついたところで、俺を誘った理由を改めて尋ねる。


「何でわざわざ俺を誘ったんだ?」

「今日の事を聞きたくてさ」

「今日の?」

奏音かなでのこと。何か知ってるんだろ?」

「……何でそう思った?」


 あの事は誰にも話していないし、その手の話題には無反応を貫いたつもりだったが。


「あれだけ意識して無関心なフリをしてれば普通に気付くさ」

「いや気付かねぇから普通」

「まぁクラスの中で気付いたのは俺くらいだと思うけど」

「シンプルに気持ち悪い」


 どんだけ俺の事好きなんだよ。

 そう言いかけたが、その発言自体が気持ち悪かったので止めた。


「知っていたところで教える必要性がない」

「そうかもね。でも、もし彼女が何かに困っているならさ……クラスで協力すれば彼女の力になってあげられたりしないかな、って」

「それはやめとけ。部外者が口を出していい話じゃないと思うぞ」

「直接的ではないにせよさ……例えば帰ってきやすい空気を作っておくとか、出来ることはあると思うんだよ」


 こいつは聖人君子か。良い奴過ぎる。だがそれは果たして正しいのだろうか。

 良い行いがすべて正しいとは限らない。求められていない手助けはお節介とも言える。

 しかしそれが善か偽善かは受け取った相手の感じ方次第だ。俺自身がその問いの答えを持ち合わせているわけではないので黙っておく。

 そんな俺を見たナギは何故か笑い出す。


「急にどうした」

「いや……奏音のこと、タケっちになら任せられるなって」

「意味が分からん」

「むやみに自分の意見とか考えを押し付けないじゃん、タケっちって」

「答えになってねぇよ」


 しかし、俺の返事を無視してナギは続ける。


「それに少なくともタケっちは今回の真相を知ってるみたいだからさ」

「待てよ、だから知らないって——」

——そう言えるってことは何かしら心当たりはあるんだろう?」


 気を付けていたつもりだったが言質げんちを取られていた。無駄に頭がいい奴はこれがあるから油断ならない。咄嗟のその返しに返せる言葉が見つからず押し黙る。

 その沈黙を図星と受け取ったのであろうナギは、ほっとしたような表情を浮かべて話を続ける。


「でも知っていたのがタケっちで良かったよ」

「どういう意味だ?」

「タケっちなら何とか出来るって意味」

「全く分からん」

「今は分からなくてもいいさ。でもタケっちなら奏音を助けられる」

「助ける?何で?」


 金田を助ける義理なんざ俺には無い。


「俺がタケっちに助けられてるからかな。今とか特にそうだし。だから多分きっと、奏音のことも助けてくれる」

「意味が分からん。それにそういうのはお前の役目だろ」

「それは無理。オレには…………奏音だけは助けられない」


 端正な顔立ちをしたナギの顔が僅かに歪む。

 その瞳はここではないどこか遠くを見ていた。組んだ両手は白みがかるほどに強く握りしめられている。それはまるで、自分の中の何かを押さえつけているかのようだった。

 美しさと醜さを同居させた不安定なその表情かおは、夕焼けに照らされることで見る者の目を離せなくする歳不相応な妖艶さを放つ。

 同性でありながら少しの間見惚れてしまった事に気付き、慌てて視線を逸らす。話題を変えようと、どうでも良い質問をする。


「きょ、今日とか部活のメンバー誘えばもっと頭数増えたんじゃないか?」


 隠せなかった動揺に声が少し上擦る。なんでこんなに心臓が騒がしいんだ?これは、もしかして:こ——


「そんなに沢山は要らないからね。それに『安売りに付き合って』とか……そんなのあまり知られたくないし」


 そう言いながら笑みを浮かべるナギのその瞳は、いつの間にか現実いまへと帰って来ていた。

 というかそれ、俺になら知られても良いのか。まぁ、俺から誰かに情報が漏れることはほぼ無いからな。なんせ漏れ出る先が無い。

 現実を突きつけられたことで俺の心臓も通常運手へと戻る。そう、全てはまやかしだ。そんなことがあっていいわけがない。


「それにタケっちを共犯にするのが目的の一つだし」

「怖いな。なんの共犯だよ」

「秘密を知るという犯罪さ」

「この程度のこと秘密でも何でも無いだろ」


 そんなふざけた会話をしているうちにそれなりの時間が経っていたらしく、バスがゆっくりと滑り込んでくる。

 ナギの考えていることはやっぱりほとんど分からなかった。だが多分これでいい。

 知り過ぎるというのはしがらみを抱えるという事だ。そんなものは極力抱えないに尽きる。そもそも人はこの世に生まれたというだけで、既にしがらみ雁字搦がんじがらめなのだ。

 これ以上絡めとられて身動きが取れなくなるなんざ、まっぴら御免だ。

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