文化祭
第9話 裏と表
「ライブハウス?」
「そ。お
四月二十八日。
世は俗に言う、ゴールデンウィークと呼ばれる期間に突入していた。
今年の大型連休は期間中に平日が混じり、三連休、平日三日、そして四連休、と連休が飛び石になる。
部活動がある者は部活に
我が家では四月から神奈川で寮暮らしを始めた妹——
そこで冒頭の会話に繋がる。
「確かに行ったことないな。尊都はあるのか?」
「動画の中で」
「それ、行ったって言わねぇよ」
それで良いなら全人類が月に行ったことがある、という事になる。月面移住計画、完遂!そんな横暴な完遂があって良いはずがない。
そんな訳で都会文化に興味を抱き始めた妹の要望に応えるべく、我が町には数少ない、駅の西口にあるライブハウスを訪れたのだが——
「……」
「お兄ぃ~?」
「……」
「置いてくよ?お腹空いたから早く帰りたいんだけど」
「タフだなお前」
ライブハウスと駅のほぼ中間地点にある、木目調のベンチに座って
正直、舐めていた。
片田舎のそこまで大きくないライブハウスだし大したこと無いだろう、などと高を括っていた。
この日は計四組のライブだった。そしてそのどれもがえげつない盛り上がりを見せたのだった。
場慣れしていない俺は目を白黒、いや、黄色だったり赤だったりの方が多かったかもしれない。とにかく目が眩むほどの煌びやかなステージと爆音でノックアウトされた。
一方で同じく初体験の尊都はというと、こちらはピンピンしている。これが若さというやつか。
「単純に体力の差だと思うけど」
たしかにスポーツ推薦で進学している奴と俺が同じ体力なはず無いしな。
「にしても最後の女の人、凄かったね」
「ん……?あぁ、あの人か」
その時にはもうだいぶ瀕死状態だったが、その声とシルエットは印象に残っている。
「
「というか出てきた奴ら全員そんな感じだったけどな」
「あ、アカウントあった」
尊都が見せてきた画面にはSNSのアカウントが表示されている。そこにはライブハウスの写真と共に感謝の言葉が綴られている。
「今日はありがとうございました」
脳内に響いた彼女の透き通った声。
遂に聞こえないはずの声が聞こえ出したらしい。先ほどのライブからずっとフワフワとした心地でいたが、もしかしたらすでに魂がフワフワしていたのかもしれない。
しかし尊都に袖を引かれて指さす方を見ると、ライブハウスの入り口に頭を下げている一人の女いた。
その様子から察するに、先の声は彼女から発せられのであろう。良かった。俺、まだ生きてた。
彼女は頭を上げると駅方面へ、つまり俺たちのいる方へと歩きはじめる。
少しずつ距離が縮まる。そしてその顔がはっきりと見える位置まで来た時、彼女は俺達——いや正確には俺の姿を認めて足を止めた。
「あんた……」
「お兄ぃ知り合い?」
「え?俺知り合い?」
「いや質問してるのあたし」
おっしゃる通りだ。
やっと正常な動きを取り戻し始めた脳内で、目の前の人物に合致する知り合いを検索する。
ライブ……ヒット無し。
女友達……ヒット無し。
というか俺の交友関係なんざ検索するまでも無いほどに狭い。その中にいない以上は調べようがない。
うん、名前が分からない以上は仕方ないな。
残念だが思い出すことは断念し……いや待てよ?名前……?
尊都が手にしているスマホ画面を覗き見る。
その画面は今も先ほどのアカウントを表示し続けていた。その名義は『奏』と書いて『ソウ』。これはこの漢字の音読みだ。では訓読みをすると……?
「かなで……お前、
「なんで
その呼び名を知っているという事は間違いない。うちのクラスの人間だ。
そして彼女——金田はうちのクラスの委員長である。委員長だったから辛うじて名前を把握していたが、もし俺が名前を知らない娘だったらどうなっていた事か。
金田はいわゆる優等生である。
成績優秀は言うまでもなく、教師陣からの信頼も厚い。
もちろん同級生からの人望も厚く、言葉遣いや制服の着こなし、言動の端々に品を感じさせるその立ち居振る舞いから、お嬢様のような印象を受ける。間違っても人を呼ぶときに蔑称を使うような奴じゃない。
それに、今の彼女の格好も普段のイメージとはかけ離れている。
いつもはおさげにしている腰まである流れるような黒髪は、高い位置でポニーテールになっている。露わになった耳にはシルバーのピアスが煌めく。
普段かけている眼鏡も今はしておらず、切れ長の綺麗な目はメイクでより印象的になっている。
体育の時間と夏服のとき以外は制服に隠されているうなじや二の腕、太腿といった部位はシャツとホットパンツによって露わとなり、スタイルの良さを見せつける。
そのすらっとした肢体がより魅力的に映るのは足元を飾る踵の高い黒のブーツのせいだろうか。
目の前に立つ彼女の顔は確かに金田本人ではあるが、普段とのギャップの大きさに脳が理解を拒否している。
そんな普段とは真逆とも言える姿でライブハウスにいるとなれば、当然の疑問が口を
「金田こそこんなところで何やってんだ?」
「質問してるのは私」
おっしゃる通りですね。
学ばない自分を戒めながら、彼女の質問に簡潔に答える。
「ライブを観に来たからだな」
「でしょうね。で?先生に告げ口でもする?」
「なんで?」
「なんで、って……そのために待ち伏せしていたんじゃないの?」
「わざわざそんな事しねぇわ」
そもそも、今の今まで金田だってことに気付いてもいなかったんだからな。
「じゃあ……なんでここにいるのよ」
結局元の質問に戻ってきた。だが『ライブにあてられて瀕死になってました』なんて恥ずかしくて恥ずか死してしまう。
「妹とお前のライブが良かった、って話してたんだよ」
こういう時は相手を褒めるに限る。面倒ごとに巻き込まれない為の処世術だ。
「そ、そう……ありがと」
そう言いながらそっぽを向いてしまう。奇妙な沈黙が場を支配する。
「尊都、こういう時どうすればいい?」
「それ、あたしに聞くの?」
「質問してるのは俺だ」
「抱きしめてあげれば?」
「兄が前科持ちになっても良いと?」
「証拠は押さえてあげるから安心して」
「全力プッシュじゃねぇか」
自力でどうにかするしかないか。
以前に媛がやっていた空気の変え方を参考に新たな話題を探す。
俺と金田の共通点は同じクラスという点だ。逆にいえばそれしかない。その程度にしか彼女を知らないのだ。故に表面的なことしか分からない。
この場で話題に出来るとするならいつもとの違いだろうか。普段と大きく違う点。ひとまずはそこを話題にしてみるか。
「なぁ金田、いつもとはだいぶ違う……」
そこまで言いかけた時、それまで明後日の方向を向いていた彼女がキッ、と鋭い視線を向けてきた。どうやらそこに触れるのはタブーらしい。初手で地雷を踏み抜いたようだ。引きが強すぎる自分が怖い。それ以上に俺を睨む金田の視線が怖い。
金田はツカツカと俯き加減で寄って来ると、俺の耳元で低く囁く。
「今日の事、学校で言ったらぶっ飛ばすから」
そう言い残すと、そのまま駅へと消えていった。
囁きというより恫喝であった。
「女って怖ぇ」
「学校で言ったらぶっ飛ばす、とか言われた?」
「なんで分かるんだよ」
「女の勘?」
女って怖ぇ。
女性は可能な限り怒らせないようにしようと、そう強く心に誓った俺なのであった。
*
四月三十日。
面倒なことに今日から三日間は連休の谷間で学校だ。尊都も学校があるので、昨日のうちに神奈川の寮へと帰って行った。
という訳でしぶしぶ制服に袖を通して登校する。
まぁ仮に休みだったとしてもバイト三昧なうえに、休みの日数分増える宿題の山が待っていた事だろう。
どちらにせよやることが山積みであるならば、学校で授業を受けている方がむしろ休んでいると言えなくもないかもしれない。
「そう思えば谷間というのも悪くないな」
「……最低」
「なんでいるんだよ」
独り言も受け取り手がいれば会話になる。なってしまう。
そんな感じで勝手に会話を始めて勝手に誤解をしているのは、何を隠そう隠せるほどのモノを持ちえない少女——媛である。
「またお前か」
「どういう意味よ⁉」
その口調には若干の怒気が含まれている。
どうやら俺は誓いを丸二日も守れないらしい。三日坊主にすら負けた。
「怒るならわざわざ来なくていいだろ」
「怒りたくて来てるんじゃないもん。怒られるようなことをするタケくんが悪いんだもん」
「まて、今回に関しては完全に誤解だ」
「今回に関しては、ね?」
意味深に強調してくる媛。
何だか分からないが、これ以上の言質を取らせるわけにいかないので強引に話題を変える。
「今日は何の用だ?」
「用は特にないかな。というか用事が無いと来ちゃダメなの?」
ダメってことは無いが……逆になぜ用事が無いのに来るのだろうか。私は不思議でたまらない。
しかしその質問は媛の機嫌を更に損ねるであろうことがなんとなく分かったので、代わりに気になっていたことを一つ質問する。
「あれから榮さんはどうなんだ?」
「ん~相変わらず、かな。っていうか気にしてくれてたなら連絡くれれば良かったのに」
何も知らない媛に罪は無いが、一方的にフラれた格好になっているのにこちらから連絡なんぞ出来っこない。それも間に媛を挟むことになるので気まずさが臨界点を突破する。
そんな状態だったので、大橋に登って以降の彼女を俺は知らないままだった。
「でもそうか、元気なら良かったよ」
「元気、か……そうだね、うん。ありがと」
その微妙な間と媛の硬い笑みに違和感を覚えるが、触れてはいけないような空気を察して何も見なかったことにする。媛もそれを分かっているのか、別の話題を持ち出す。
「そういえばタケくんはお休み中に何してた?」
「妹が帰ってきてたからずっと我が儘に付き合ってた」
「あ~、あの足の速い妹ちゃんか」
「お前なんで知ってんだ?」
媛とは高校で初めて知り合ったはずだ。そして妹について話したことは無かったはずである。
「あ、あぁ、ほら!あたし中学まで運動部だったから!陸上競技会の短距離で話題になってたし!ほら、『
俺たちの地域では、春と秋に地域のほぼ全ての中学校が参加する陸上大会がある。
各学校で選手の選抜方法は違うが、大体は全校生徒の中から有志や推薦で選ばれる。よって運動部に所属してる奴らには半ば強制参加のイベントだったりする。
「なるほどな。にしても良く覚えてたな」
「ま、まぁね」
あはは、と乾いた笑い方をする媛を
「ん?あれ?帰って来てる、ってどういうこと?」
「スポーツ推薦で神奈川の高校に通ってる」
「あ、そうなんだ。じゃあこのお休みはお兄ちゃんやってるんだね」
「お兄ちゃんはいつでもお兄ちゃんだけどな」
それに、もう帰ったしな。
「そうかもしれないけどさぁ。妹からするとやっぱり違うんだよ」
「よく分からんな」
「タケくんの分からずや!」
「使い方間違ってんぞ」
「あはは。じゃ、あたしはそろそろ教室戻るね」
時計を見るとHR開始の二分前だ。普段であれば先生が「席付け~」とか言いながらのっそりと現れる頃合いなのだが、今日はまだその巨体を見せていない。
それどころか何やら教室内の空気が少し
教室という狭い空間のため、その空気に気付けば原因にもすぐに行き着く。
この空気の中心にあるのは空席の机。その席の主である委員長がまだ登校していない。そしてHRに現れない先生。
クラスの誰もが、彼女に何かがあったことを予感する。
時間が経つにつれて
想像が憶測を生み、それが邪推へと派生する。本人たちは内輪ネタのつもりだろうが、それは意図せず周りに波及し、広まるにつれて内容が変質していく。
こうして生まれるのが『噂』というものだ。
元々は人間の純粋な好奇心から生まれるために根源の特定が出来ず、今回に限っては悪意でないから余計に
噂が生まれて広まって行く様子が、まるで観察キットのように分かりやすく体現されていた
「あ~A組の皆さん、今日の一限目はひとまず自習ということになりましたので……」
しかしながらそれは我らが担任ではなく、いつかどこかで見かけたことがあるような無いような、そんな感じの初老の男性教諭だった。
一限が潰れたことでただの噂が現実味を帯び、更に尾ひれ胸びれが付きながらその日のうちに他のクラスまで広まっていった。
本当に金田が原因なのか、それは現時点では不明だが、もしそうだとしたら十中八九アレだろう。
だが別に学校では常識の範囲での活動であれば、バンド等の音楽活動や個人活動を特に制限していない。そして彼女がそこを犯すとは思えない。
仮にライブの事を誰かが学校にタレコミをしたのだとしても、あのライブ自体が高校生をターゲットに行われたものだったらしく、良識的な範囲で開催されたイベントである以上、問題になるとは思えない。
色々と考えてはみたが、全く分からん。というかそもそも俺が考える必要が無い。
それでも何故か頭の隅で引っかかる彼女の存在に、嫌な予感が止まらなかった。
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