第7話 挑戦

 ぱ〜んぽ〜ん、ぱ〜んぽ〜ん、と文字に起こすと全く意味の分からない擬音語であるが、駅の改札付近という情報を付け足すとどうだろうか。

 脳内で人込みの風景と共に自動再生されるであろうこのメロディを、俺はかれこれ五十分ほど聞き続けている。分からない、という人はきっとよほどの田舎町か電車の無い街の人間なのだろう。

 まぁこの駅から出ているローカル線でもこの駅以外では聞くことの出来ないメロディなので、聞いたことの無い人をバカにする事なんて出来ないが。


 そんな田舎小僧の俺は今、改札正面にある壁に背中を預けて待ちぼうけをしていた。

 さすがにそろそろ駅員さんからの視線が厳しくなってきており、さっきから警備員さんも頻繁に俺の近くを行ったり来たりし始めている。モテモテである。

 別に忠犬ハチ公よろしくご主人様を待っているだとか、相手が遅刻しているという訳ではない。ただ単純に俺が早く着きすぎてしまったのだ。

 なんせ誰かと出掛けるのなんて家族以外では中学生以来記憶にない。あまりに不慣れすぎたが為に待ち合わせの一時間半前に家を出てしまい今に至る。

 自分が悪いので文句は言えないが、さすがに居づらくなってきた。

 場所を変えようか、と駅の西口に意識を向けたその時——


「不審者はっけ~ん‼」


 元気なその声と共に媛が改札を抜けて向かって来る。

 その声に肩を強張らせたのは俺よりも警備員さんの方だろう。だがそれを発した彼女が笑顔で駆けていることから、その緊張が杞憂に終わったことを彼らは悟る。

 しかし俺はむしろ、駆け寄ってくる彼女のその姿に視線と身体の自由を奪われ、硬直する。


「なによ⁉」

「な、なんでもない」


 怒気を孕んだその声に脊髄反射でそう答え、慌てて意識と視線を他所へ向ける。


「何で目を逸らすのよ⁉」


 それはそうだろう。いくらイメージと違い過ぎる格好であるとはいえ、凝視は良くない。

 しかし、そうは言ってもやはり普段の制服とは違う、同級生の私服姿というのはどうしても見慣れず魅入ってしまう。

 今日の彼女は、上半身は白っぽいレースのブラウスに同じような色のシャツを羽織り、髪では白い花型のヘアピンが、足元では明るい茶色のショートブーツがそれぞれアクセントを効かせている。

 そして足元から視線を少し上げると、ゆらゆらと揺れる桜色のすそが膝を見え隠れさせている。その不安定な揺らめきと普段の媛の言動とのギャップに、脳の処理が追い付かない。そのなかにあってただ心臓だけは正常に機能しているようで、処理落ち直前の脳に向けて全速力で血液を送り込んでいるようだった。

 普段の制服もたしかにスカートではあるが、制服とはまた違うその女の子っぽさは目のやり場に困ってしまう。


「何と言うか……その、意外?だったもので」


 顔だけ明後日の方へ向けながら、そう答えた。


「なっ、何言ってんのよ変態!」


 媛が膝を隠すようにスカートを抑えながら怒った声を出す。

 心臓が血液を送り込み過ぎたようで、俺の頭は思考を失いかけているらしい。もう彼女のどこを見て良いか分からない。だって、視線を逸らせば怒られて、見れば変態と罵られるとか二者択ゼロである。無理ゲーだ。

 もう明後日を通り越して明々後日しあさっての方向にまで視線をやっているのだが、どうせ怒られるなら凝視してやった方が仕返しになるのか?

 しかし実際にそんな変態のような事を出来る度胸があったなら、年齢=いない歴なんて事にはなっていない。

 とはいえ言われっぱなしというのもかんさわるので、せめてもの抵抗としてささやかな訂正を試みる。


「変態は言い過ぎだろ」

「でも間違ってはないでしょ⁉」


 無意味な抵抗だった。確かに間違ってない。

 忘れていたが俺が変態であることも不審者であることも否定は出来なかった。さっきとか不審者の極みだったしな。

 そう心の中で諦めたのと同時に、媛の脳天にチョップが炸裂する。


「痛った~い!なんで⁉」

「当たり前。まずは『おはよう』でしょう?」


 少し遅れてやってきた榮さんはそう言いながら、媛をチョップした右手を左手でさすっている。

 今日の彼女の格好は動きやすさ重視のパンツスタイル。青系のパンツにスポーティな白いスニーカー、そして白のシャツに前回も着ていた春色のカーディガンを羽織っている。長い亜麻色の髪は一つに結ばれている。


「いや、なんかタケくん相手だとそれは違うっていうか」

「誰が相手でも失礼でしょう?」

「あの、俺もあんまし気にしてないんで大丈夫っすよ」


 いつもの事だからな。もう慣れっこだ。


「せっかくのお休みなのにごめんね?迷惑じゃなかった?」

「迷惑なんてことはないですけど、それより今日はどこに?」

「あれ?媛から行き先聞いてない?」

「榮さんの苦手克服の旅、としか聞いてないです」


 何度か尋ねたが、はぐらかすばかりでついぞ教えてくれなかった。てっきり榮さんからの指示なのかと思っていたが、この反応を見るにそうでは無かったらしい。

 榮さんは媛にずいっと顔を寄せて尋問モードだ。


「媛?何そのタイトル。なんでちゃんと話しておかないの?」

「え、いや、その……」

「協力してもらうのにその態度はお姉ちゃんどうかと思うなぁ」

「っていうか、協力してもらうのあたしじゃなくておねーちゃんじゃん!」

「それはそうだけど、媛も賛成したでしょ?」


 旅が始まる前から姉妹喧嘩が始まった。しかしさすがは姉。口調は怒っていてもゆったりとしたままだが、少しずつ媛の逃げ道を塞いでゆく。

 みるみるうちに大勢は決し、もはや媛からはぐぅの音も上がらない。


「あの、……それで結局どこへ?」


 やり込められた媛を見て、榮さんは敵に回してはいけないという事を肝に命じながら本題を尋ねる。

 恥ずかしいもの見せちゃったね、と肩をすぼめた榮さんは、仕切り直しというように一つ咳払いをしてから目的地を告げた。


「今日は中之島大橋なかのしまおおはしに登ります」


       *


 中之島大橋。

 高さ二十七メートル。長さ二百三十六メートル。日本一の高さを誇るである。

 その大きさ故に忘れられがちだが、コレは大きめの交差点などに設置されている歩道橋と分類上は同じなのである。

 その真っ赤な見た目から地元民には『赤い橋』というなんともど直球過ぎる呼び方をされている。また、かつてテレビドラマのロケ地になった影響で『恋人の聖地』などとも呼ばれていたが、今では恋人よりも釣り人の方が多いスポットになっている。

 なぜ今回の目的地がそんな場所なのか、その答えは駅からの道すがら聞くことが出来た。


「高所恐怖症の克服、ですか」

「そうなの。この前もほら、タワーのふもとの公園までは登れたでしょう?だからイケる!と思ったんだけど」

「おねーちゃんってこう見えて頑固だからさ、思い立ったら一直線で人の話聞かないんだよね」

「そういう媛だっていち——」

「おねーちゃん⁉それ以上言ったらあたし帰るよ⁉」

「ごめんごめん」


 そんな子猫のじゃれ合いのような姉妹喧嘩を聞きながら、港に向かって伸びる商店街を時間にして十五分ほど歩いて行くと少しずつ磯の香りが漂い出し、視界が開けて港へ出る。その景色の先、そう遠くないところにその大きな赤い姿が鎮座している。

 小さいころから幾度となく目にしているが、改めて見るこの景色はやはり綺麗だ。

 橋の造形もさることながら、その足元で煌めく水面や橋の向こうの水平線、そしてそこを往来する貨物船やボートが時間の経過を忘れさせる。実に長閑のどかである。


「おぉ!やっと見えた……ってあれ?おねーちゃん?」


 媛も大橋を見て感嘆の声を上げたが、榮さんからの反応が一切ない。

 そのことに気付いて振り返ると、榮さんは大橋の全貌を視界に収められるその位置で歩いている姿勢のままフリーズしていた。


「榮さんどうしました?」

「おねーちゃ~ん?どした~?」


 反応がない。いや、反応がないということ自体が反応だ。


「おねーちゃんもしかして、ビビってる?」

「び、びびびびび」

「い、一旦落ち着こう⁉なんか壊れたFAXみたいになってるから‼」

「FAXは壊れてなくてもこんな音しなかったか?」


 最近使ってるの見ないから忘れたけど。


「確かに……ってそんなの今はどうでもいいから‼」


 その間も榮さんはバグり続けている。

 人通りが多く無い場所ではあるが、道の真ん中で立ち往生というのはよろしくない。


「ひとまず休めるところに行こう」


 近くにあったコンビニまで榮さんを運び込み、そこで休息を取る。


「おねーちゃんだいじょぶ?」

「…………ぅ」

「大丈夫じゃなさそうだな」


 買ってきたペットボトルの蓋を開けて媛に差し出す。それを受け取った媛は榮さんを介抱しながら尋ねるが、状態はあまりかんばしくないようだ。


「でも、さっきよりは良くなったみたい」


 確かに榮さんの浅かった呼吸は少しずつ落ち着いてきている。さっきの声掛けにも、声は小さかったが反応はしている。

 しかし榮さんのこの反応はなんだ?ただの恐怖症とかそいうレベルのものじゃない。拒絶反応と言ってもいいレベルだ。

 彼女の反応が何に起因するものなのかは分からないが、無理をすべきではないことは分かる。


「今日はこの辺で止めとくべきなんじゃないかと思うんだが」 

「待って、私は大丈夫だから!絶対登れるから‼」


 一息ついたことで何とか言語機能を復活させた榮さんは待ったをかけるが、俺の袖を掴むその左手は小刻みに震えていて今にも滑り落ちてしまうのではないかと思えるほどに頼りない。

 しかしそう訴える瞳はまだ諦めておらず、その奥には力強い意志と覚悟が読み取れる。

 一体何が彼女をそこまで駆り立てているのだろうか。


「おねーちゃん。今回はあたしもタケくんに賛成だよ」


 妹からも反対をされて悔しそうに俯くが、まだ諦めの気配はない。

 彼女の覚悟を尊重したいのは山々だが珍しく媛と意見が合致したのも事実で、今の榮さんはそれほどまでに弱々しい。まだ大橋が見えただけの段階でその状態になるのでは到底登りきれると思えない。


 どうしたものかと媛と顔を見合わせるが媛も困り顔だ。

 座り込んで俯いてしまっている彼女のその表情を覗うことは出来ないが、黙っているということは諦めていないという事と同義だ。

 何とか力になれないかと考えるが、これだけ離れた距離でこの状態というのは常識的に考えて異常だ。たとえ登ったとして、またこのような状態になってしまったら俺と媛では手に負えないかもしれない。

 それでも……と、思案を繰り返してはみたものの、結局のところこれは本人の問題だ。その判断は本人にゆだねる他ない。

 榮さんが完全に落ち着きを取り戻すまで待ち、タイミングを見計らって改めて尋ねる。


「どうしますか。どちらであっても俺は付き合います」

「……また、迷惑かけちゃってるよね。でも、もう諦めたくないの。だから甘えてもいいかな?」

「あたしはやっぱり反対……だけどおねーちゃんが聞くわけないもんね。今日はあたしも付き合ってあげる」

「それじゃあ行きますか」


 通常のペースであればこのコンビニからは十五分もあれば着くであろう距離を、その何倍もの時間をかけて休み休み進んでいく。大橋のふもとへ到着したのは駅を出てから二時間ほど経過した頃だった。


「ゴール‼」

「いや、むしろここからがスタートなんだけどな」

「そうだった!」


 だが気持ちは分かる。移動した距離自体はそうでもないが、時間がかかっているせいか実際の運動量以上の疲労感がある。


「二人ともごめんね。でもありがとう」

「感謝も謝罪も登れてからだよ、おねーちゃん!」

「……そうね。ここまで来れたおかげで少し自信ついたし、今なら登れる気がする!」


 榮さんはそう言いながら腕まくりをする。

 茜色の陽がその白い肌を照らす。何か見てはいけないものを見たような気分になり、逸らすように視線を大橋に向ける。


「そう言って前回のタワーにも挑んだんだけどね」

「ま、まぁ今回は海抜的にはタワーよりも低いから難易度も低いんじゃないか」


 意識を逸らすために意識的に会話に混ざる。


「そうだといいんだけどね」


 そう言いながら媛は、既に大橋の入り口付近で待ち構えている。

 榮さんも大橋の存在自体には慣れてきたのか、間近でその姿を見上げても笑みを浮かべている。これはもしかしたら本当に行けるかもしれない。

 それに最悪の場合また俺が負ぶって降りてくればいい。

……断じてそれを期待しているわけではないぞ?ほんとだぞ?

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