第4話 沈黙は金
社会科教室を飛び出し、すごすごと駐輪場へ向かう。
その道中、少しずつではあるが頭が冷えてきたことで徐々に申し訳なさが募ってきていた。
あれは完全に俺が悪い。口は災いの元、という諺が身に沁みる。とはいえ今から戻って頭を下げられるほどの大人にはなれず、どちらかといえば一刻も早く学校を離れたくて仕方がなかった。
バイトまでの時間が微妙に空くので自習室あたりで時間を潰そうと思っていたのだが、さっきの今では勉強をする気分には到底なれない。
どこで道草を食おうかと思案しながら自転車に跨る。
そして漕ぎ出そうと右足でペダルを踏み込んだ……はずだったのだが、ペダルは沈み込むどころか浮き上がった——と同時に車体ごと後ろに引っ張られ、前輪が浮いた『ウイリー』の状態になる。
安定感を失った車体をギリギリのところで立て直し振り返ると、自転車の荷台を両手で握った媛が悪びれる様子も無く笑顔を浮かべていた。
この華奢な身体のどこにそんなパワーがあるのだろうか。それとも俺が非力なだけなのだろうか?
そんな疑問が心の内に浮かんでくるが、口は災いの元であることをつい先ほどの経験から学んでいるので黙っておく。
「何で黙ってるのよ?あたし何かした?」
ところが媛は黙ったままの俺のことがお気に召さないのか、不満そうに口をとがらせている。
この場においては危険行為をした媛が悪いのは火を見るよりも明らかであるが、そのことを指摘するのはその火に容器ごと油を投げ込むようなものなのでだんまりを決め込む。
「そりゃあちょっと危ないかもと思ったけど、でもそんなに怒らなくてもいいじゃん!」
そう思ったならしないでください、と言いたいところだがそれもぐっと堪える。沈黙は金だ。
「ねぇ聞いてる?そろそろ本当に怒るよ?」
どうやら媛には『沈黙は金』というより『沈黙が禁』だったらしい。相手に合わせた対応って難しいですね。
怒られる筋合いはないのだが、怒られるのは嫌なので沈黙を破る。
「何の用だ?」
「やっぱ怒ってんじゃん」
「いや、怒ってるというよりは怒られていると言うほうが正し……」
「私は怒ってないけど?」
コイツを本気で怒らせるとこれ以上に怖くなるのか。くわばらくわばら。
「悪かった。本当に怒ってはなくてだな、何というか……少し考え事してたから雑になった」
「雑ってのが引っかかるけど……まぁ、今日は許してあげる」
ギリギリ許された。俺はあなたの執事か何かか?
心の中で毒づく俺を
「で?何か用事があったんじゃないのか?」
「え?あ、そうそう!この間おねーちゃんがお礼したいって言ったじゃん?だけどお金払い忘れちゃったからって」
そう言いながら制服の胸ポケットから紙切れを取り出し、俺に差し出してきた。
少し
「なにこれ」
「メアド」
「それは見れば分かる」
「今度改めてお礼させて、ってさ」
「いや、お礼はもう貰ったようなものだから気にしなくて良いんだが」
まだ返事をしていないので課題というか宿題と化してしまっているが、俺の中ではお礼という事で処理されている。これ以上何かしてもらうと逆に気が引けるので辞退したいが、返事をしてない以上は最低でもあと一回は会う必要があるか。
「あ、そのメアドはあたしのだからね」
「お前の?」
榮さんのじゃなくて?
「うん。それじゃあ待ってるから」
そう言うと正門とは反対方向の体育館方面へと走り去っていった。
「待たれても困るんだがな」
聞かれていたらまず間違いなく怒られていたであろう独り言がポロリと零れた。そこで改めて『沈黙は金』という四文字の偉大さを痛感する。
そんな骨身に沁みるありがたい先人たちの言葉に感謝しつつ、今度こそ自転車を漕ぎ出す……、が今度はペダルに乗せた右足が一切の抵抗を受けることなく沈み込み、踏み込んだ足が勢いよく地面を突く。
何事かと足元をのぞき込むと自転車のチェーンがだらん、と垂れていた。
媛が会話の途中で自転車をじっと見ていたのを思い出して合点がいく。
「……沈黙は
周囲には部活に勤しむ青春真っ盛りの若者しかいない。そいつらに手伝ってもらうというのは何か負けた気がしてきそうなので、仕方なく一人でチェーンと格闘する。しかしこれがなかなか嵌まらない。
時間ギリギリまで頑張ったのだが結局直せず、バイト先へは自分の足で向かう羽目になった。
仕事をしながら「明日覚えてろよ」と心の中で呪うものの、やはりその方法は思いつかないまま帰路に就いたのであった。
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