出逢い

第1話 春の嵐

「綺麗だね」


 降りしきる桜を眺めている俺の耳に突然、柔らかな声音が響いた。

 振り返ると、俺と同じように桜の雨を眺めながら顔をほころばせている一人の女性がいた。


「桜、好きなんだ」


 その女性は春色のカーディガンと腰まで伸びるストレートの亜麻色の髪をなびかせてこちらを振り向く。

 しかしその女性は俺の姿をその瞳に収めるや否や、パッチリとした目をさらに大きく見開いて後退あとずさる。


「……誰⁉」


 その問いを紡いだ桜色の唇は真一文字に引き結ばれ、通った鼻筋の根本には皺が寄る。


 確かに覇気のない目にそれが隠れそうな程に長いボサボサ髪、そんな冴えない男に対する第一声としては間違っていない。

 花見を楽しむカップルや若者の集団が多数いるこの広場にそんな奴が一人で来ている、というのはそれだけで警戒するには充分だろう。

 だが、急に知らない人から話しかけられた俺もまた、彼女の一挙手一投足を警戒してしまう。

 お互いがお互いを警戒し合っているその空間は、春の陽気に似つかわしくない異様な緊迫感に支配されていた。


 そんな居心地の悪い沈黙が彼女に冷静さを取り戻させたのか、徐々に眉間の皺が薄くなる。そして慌てた様子で「すみません!」と頭を下げつつキョロキョロと辺りを見回し始める。


「あの……私、妹と来たのだけれど……どこにいるか知りません?」

「いや、知らないっすね……」


 初対面の人の妹を知っているとかそんなの変態だ。

 俺の返答に「そうですよね……」と苦笑いを浮かべた女性は、少し怒ったように頬を膨らませながら独り言のように呟く。


「もう!人が多いから離れないで、ってあれだけ言ったのに!」

「それはおねーちゃんの方でしょ!」


 しかしてその独り言はしっかりと相手に届いていたようで、彼女の脳天に背後からチョップが降ってきた。


「タワー登るって言ったじゃん!そんで!はぐれるといけないから離れないで、って言ったじゃん!」


 彼女の背後から現れたのは、目の前の女性に似た雰囲気をまといつつも、短めの髪型と口元から覗く犬歯のせいか、どことなく活発な印象を受ける少女だった。


「あれ⁉タケくんじゃん!なんでこんなところにいるの?」


 その少女は俺に気付くと、立ち去ろうと背を向けていた俺の腕を目にも止まらぬ速さでガシリと掴む。

 『おねーちゃん』と呼ばれた女性がチョップを喰らう直前、いち早くその背後に彼女の姿を認識した俺は即座に回れ右をしていた……のだが、しかし間に合わなかった。

 華奢な見た目からは想像出来ない握力で鷲掴みにされている。これを振りほどいてまで逃げる勇気は俺にはないし、そもそも振りほどけない。馬力が違いすぎる。


「おう、吾妻あづまか」


 観念して一つ息を吐き、あたかも「今気がつきました」という風に右手を挙げる。

 この少女の名は吾妻ひめ。俺に何かとしつこく絡んでくるのでちょっと……いや、かなり面倒だ。


「そっちで呼ぶな!ホンっト、タケくんだけは未だに名前で呼んでくれないんだよね」


 けっこー怒ってるんだよ⁉と唇をとがらせてプンスカ怒っている。

 確か自分の苗字がどうとか言っていた気がするが、俺には関係ない。

 というか『ヒメ』と呼ぶと自分が王子様か騎士にでもなったみたいな気がして何か嫌だ。それにこいつの場合は姫というタイプじゃない。そこらの兵士よりは強そうだから『戦姫』って感じだ。なんだったら『戦鬼』でも良い。原型が消えた。


「あら?媛の知り合いだったの?」


 その質問に媛は「あーそっか、初対面か」と一人で納得し、「紹介するね」と俺たちの間に立つ。


「こっちはあたしのおねーちゃんの、吾妻はや


 そう呼ばれた彼女は「どうも」と会釈をする。


「んで、こっちは同級生の八剱やつるぎたける


 媛に名前を呼ばれたタイミングで「ども」とこちらも会釈で返す。

 そんな俺を見た彼女は「あぁ、あなたが!」と嬉しそうに唇の前で両手を合わせている。

 その反応に少し思考を巡らせてみるが、どうやら俺はお姉ちゃんと呼ばれた彼女の妹を知っていたらしいという知りたくなかった事実に気付いただけで、目の前の女性にそんな反応をされる心当たりは見つからなかった。そうか、俺は変態だったのか……。

 一方で媛はそんな俺たちを見比べながら「じゃー今度はあたしから質問ね!」と言いながら、腕を組みながら人差し指を自分の頬に当てる。


「名前も知らない二人が見つめ合って何してたの?」


 それは媛にしては真っ当な質問だった。一部訂正が必要ではあるが。


「お前がどこに行ったか知らないかって聞かれただけだし、そもそも見つめ合ってない」

「ほんとぉ~?ほんとぉ~にそれだけ?」


 例え本当に見つめ合っていたのだとしても言うわけが無いけどな。


「断じて何もないから安心しろ」

「私のおねーちゃんが可愛くないとでも⁉」

「……そうは言ってない」

「へぇー、そういう目で見てたんだ?」


 お前が言い出したんだろ、とは思ったがどっちに話が転んでも損しかしない気がする。こうなった女子の相手は真っ当にするものではない。とりあえず話を終わらせる方向に持って行こう。


「何が言いたいんだ?」

「べぇ~つに?」


 弁解しないと後が面倒になりそうだ。


「……それとこれとは話が別だろ」

「どれとどれ?あたし何も言ってないんだけどなぁ?」


 その表情、なんかムカつく。


「知ってるか?『目は口ほどに物を言う』という諺があってだな?」

「タケくんが普段からをしてるからじゃな~い?」

「舐めるな?それ以外のこともしっかり考えてる!」

「……じゃあやっぱり考えてはいるんじゃん」


 媛の勝ち誇ったような笑みを見て、自身の失言に気付く。しかしやられっぱなしでは終われない。


「……めたな?というかこの会話で伝わっているという事はお前も同じって事にならないか?」

「なッ、に言ってるのよ⁉そんなわけないし!そもそもなんの話だかよく分かってないし!」

「この話題持ち出したのお前だろ」

「うっさい!死ね!変態!」


 ぐっ……さっきの変態認定のせいで否定できない。


「仲良いのね、二人とも」


 そんな中身のない言い合いをしている俺らを見ていた彼女——吾妻榮は、ふふふ、と柔和な微笑みを浮かべてタワーへ向かって歩いて行く。


「ってまた勝手に行く!待ってよおねーちゃん‼」


 媛が姉の後ろ姿を追いかける。その二人を見送った俺の元には春の穏やかな空気が戻ってくる。


 一陣の風が花びらを舞い上げる。

 吹き抜ける風は散りゆく者たちに一切の情けを掛けずに過ぎ去ってゆく。


 その風の辿り着く先には、一体何が待っているのだろうか。

 そんな事を考えながら、今もなお宙を舞う桜の花びらを見送った。

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