五
「僕が心配なのはな。妙齢の男女が一つ屋根の下で暮らすってことや」
「いえいえ。まだ暮らすって決めたわけじゃないですよね。修磨、さん」
「俺が心配しているのは、これからの飯のことだけで、他に心配はないが」
冬の日暮れは早いもので、空はもう紺青色に塗りあげられていた。蝋色一色となった暗い部屋を心許無い提灯の灯火が照らす中、希羅が襖を器用に作り直した後、丸い卓袱台を囲みながら、洸縁、希羅、修磨の三人は白だし味で白に近い鰤と肌色のかしわ、菜種色の伊達巻、深緑のかつお菜、白と桃色のかまぼこ、真っ白なおもちと彩り豊かな雑煮を口にし、これからのことを話し合っていた。
尤も、一人だけ見当違いな発言を口にしていたが、洸縁は丸無視した。
「でな、僕も一緒に「えっ!?じゃあ、このままこの家の跡継ぎに!」
希羅は目を爛々に輝かせて、がしっと洸縁の手を両手で包み込んだ。その行為には何処か必死さが含まれていて。洸縁は申し訳なさそうに苦笑いした。
「ごめんな。何時も言っとるけど、それは無理やわ」
「ええ~」
希羅はあからさまに落ち込んだ態度を見せ、部屋の隅っこに行き、洸縁たちに体操座りで背を向け、床に『の』の字を書いていた。
洸縁は希羅の傍に近寄り頭をぽんぽんと優しく撫でた。
「本当は一緒に居たいんやで。でもな、僕には僕でやることがあってな。ちょくちょく来るから堪忍してな。と、言うことでな、修磨。希羅ちゃんに手、出したら承知せんで」
向き直り眼光を鋭くさせ修磨に殺気を放つ仁王立ちの洸縁だったが、そう忠告された当の本人は何処吹く風で。修磨は手をひらひら動かしながら、さもどうでもいいと言う風に答えた。
「あ~。それは果嵐(からん)の氷山から風雪が噴き出るくらい、有り得ない行為だから安心しろ」
氷山とは、冬に突風と共に貴重な自然な恵みである雪をもたらしてくれる山のことだが、その中でも形状、降雪量共に最大とされる果嵐は此処数百年、雪を噴出することがなくなり、今回みたいに有り得ない時に言う事例として良く使われるようになった。表面上、虹色な為、別名『舞い桜の山』とも呼ばれ、雪が降った時は息を飲むほど、幻想的で美しい原風景だったとか。今ではその風景は本当の意味で幻のものとなってしまった。
また、岩肌が丸裸の山は恵みの山と評され、唯一妖怪が棲まず人が気兼ねなく近づける山であった。
洸縁は修磨の発言を予想していたのか、それでも満足そうに微笑んだ。
「それを聞いて一安心や。ところでな、修磨。ちょいと外に出ててや」
「極寒の外に出ろって、おまえ。血も涙もないな」
「失礼なこと言うわ。事情があるんや。察しや」
洸縁は笑顔のままだったが何処か緊迫感を感じさせる面立ちで。
修磨は視線を未だに背を向けたままの希羅へと移行させた。
「そう言う、ことか」
洸縁の言わんとすることを読み取ったのか。洸縁と希羅に背を向けてすたすたと戸口の方へと歩を進めた修磨に、そのまま戸口に手を掛け外に行くかと思って見ていた洸縁だったが、その考えは見事裏切られた。
急に足を止め、くるりと洸縁たちの方に身体を向き直した修磨は、まるで「犯人はおまえだ」と、探偵が犯人を指すように人差し指を洸縁に向けた。
「何やねん」
洸縁は修磨の言わんとすることが九割九分の確率で分かってしまい、呆れたような表情を向けた。食い意地が張っているということを知っていれば(食べっぷりと発言から即分かる)、推理は至極簡単だ。それでも一応問い掛けたのは、他の答えがあるかもと言う一分に賭けたからだ。まぁ、ないと思うが。
「俺に隠れてう「はい。さいなら」
洸縁は『美味い』の『う』の頭文字が出た時点で、その細腕からは考えられないほどの力で修磨の襟元を掴み、問答無用で外へと放り投げた。無論、戸口をきちんと開いてからである。
「…んだよ」
小さな光を放つ星々が手に届きそうなほどに間近に感じられる天空の下、ピシャリと閉められた戸の前で、修磨は頭をがしがしと掻いて身体を起こし、その場を後にした。
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