第38話 冷流へと沈んでいた楓が日光を浴び紅の葉へと彩られる

「お父様の他にも恋人がいると聞きました」

「はい」

「お盛んですね、お母様」

「…はい」


 草玄の次に王位を継ぐ事になっている少年、蘇理は、草玄からの言伝を守り、葵をお母様と呼んだ。今の所、何の感情も抱かない。すごく長く生きている人。すごい人。な、はずなのに。


(平々凡々)


 威厳も何もあったもんじゃないな。

 常より冷めた瞳で見続ける先。明らかに狼狽している葵の次の発言をただ静かに待った。






「……葵を傷つけた」



 葵と別れた後、思った以上にしっかりとした足取りで迷いなく公園に向かい、目についたベンチに腰を掛けた途端、空の目からは勝手に涙が出てきた。


 煩わしいと思いながらも、拭おうとも、止めようともしない。

 そうして一刻。何時からいたか定かではない、最も相手にしたくない相手に根負けしたように告げた。

 誰でも良かったわけではない。

 恐らく、この人でなかったのなら、口にはしなかった。

 顔が歪むのは、その所為でもあった。

 嗚咽の声だけは断固として嚙み殺した。



 傷つけると分かっていても、自分の願いを優先させた。

 葵に長生きしてほしかったから、人を殺し続けてほしいと口にした。

 言いたくなかった。

 人を殺してなどと。

 自分たちから最も遠い場所に位置する犯罪。忌憚するもの。

 言葉として発する事など、一生なかったはず。

 反して、願いたかった。

 どうしても。

 生きていてほしいと伝えたかった。

 傷つけると分かっていても、




 こんな感情など知りたくなかった。




 悔しい?

 このどす黒く渦巻く正体に一番近い言葉はこれだろうか。




「葵を傷つけた」


 先程よりも、明確に言い切った空は強めた。

 太腿を押さえつける力を。

 瞼を押さえつける力を。




(ちょっと焚きつけ過ぎたかな)



『貰ってばかりで、返せてないよね』



 葵が厳耕の傍で涙を見せていた時に、空たちに告げた言葉。

 主に草玄に発破をかける。加えて、空と璉に甘えてばかりいないようにとくぎを刺すつもりでの発言だったのだが。

 空には、何かを返さなければいけないとの焦りを生み出させてしまったらしい。



(あー。ちょっと、失敗、かな)



 少々反省しつつも、更級は触ろうとも、言葉を掛けようとも思わなかった。

 ただ聞いてほしいだけだと分かっていたから。











「あーのさ。お母様って呼び方は止めてくれないかな?」

「何故ですか?」



 即座に返される質問に、葵はさらに狼狽した。


 何故こんな状況になっているのかと。

 草玄に城に行って会ってほしい子どもがいるからと言われて来てみれば、草玄の両親に迎え入れられ、挨拶もままならない内に、或る一室に案内され。そこに子どもがいたので、ああこの子かと思ったら、現王である草玄に英才教育を仰ぎ、仰がれるべく息子の立場にいる、貴方はお父様の恋人なのでと、名前と共に簡潔な自己紹介と状況説明をする。

 頭がこんがらがった。

 淀みなく告げられるお母様にお盛ん発言。状況を求めようにも、ここまで案内してくれた二人はもう姿を消していて、助けになる人はいない。



「お父様と結婚なさるおつもりはないのですか?」



 言葉の端々から英傑さが滲み出ている。さすがは次期王になる子だ。

 感心しつつも、葵はどう答えようかと頭を悩ませた。残念な事に働かない。



「結婚は、しない、です」



 言葉尻が弱まったのは致し方ないと思う。

 恐らく、草玄は望んでいるだろうが、できない。



(堂々と二股宣言しているわけだし)



 現王の恋人が二股。何たるスキャンダル。

 一過性ながらも雑誌に載りそうな話題だ。



「お父様を愛しているのですか?」

「はい」

「お父様だけでは足りなかったのですか?」

「はい」


 いたたまれない。矢継ぎ早の質問に、葵は身体を縮こませた。


「貴方が不死だからですか?」

「…はい」


 改めて知る欲深さに、息が詰まる。

 恐らく。確実に。不死の力を手にしていなかったら、一人しか選ばなかったはず。




「…お父様に聞きました。貴女は世界に恋をしていると。だから何時でも輝いて見えると」


 平々凡々な人が何故こんなにも気の遠くなる年月を生きて来たのか。

 何が彼女を駆り立てるのか。

 他人の命を奪いながらも。



『葵自身はそう思ってないし、俺も違うだろうとは思っているけど。奪った他人の分まで。て考えはあるんだろうな』



 幾年もの時間が流れて、生きている理由は世界に恋をしているだけではないと、お父様は告げた。



(罰せられる機会を待っている?)



 違うだろうが、もしそうであるのなら、



 蘇理は佇まいを意識した。背筋を伸ばして、顎を僅かに引く。目線は相手に沿って。


 悪くないとは思わない。命を奪い続けているのは事実で、罰せられるべき。

 自責の念に駆られながらも、好き放題生きて来たのだろう。

 ならば、この辺りで終止符を打つべきだ。

 そう考えてもいるのだろう。



「呼び方を改めるつもりはありません、お母様」



 異論を許さない声音で、態度で、向かい合う。

 確かに、目の前の人は、生きている事で世界に貢献してきた。生きている事で、世界が素晴らしいものだと証明してきた。本人は全く意図せずに。


 大きな代償を払って。

 人間として。

 

 対価だと思ってなどいない。

 拭いきれないと思っているのだろう。

 選ばれたからこういうものだと割り切れていないのだろう。

 人間だから。



「貴方だからですよ」


 人間という枠組みに固執しなければ、命を奪う事はなかっただろうに。



(愚かな人だ)



 蘇理は微笑んだ。

 圧倒的な冷たさに、僅かな温かみを伴わせて。



「お父様も、あくせくと動いていますよ。真実、貴方の為に」

「草玄……ううん。何でもない」



 目を瞠り、次には口を閉ざした葵に、蘇理は親子らしく一緒に料理でもしましょうかと声を掛けた。

 お母様と。観念するようにと、その呼称を告げる事を忘れずに。











「ありがとう、ね。何もしていないんだけど」



 焚火が自然と徐々に鎮火していくように、涙を引っ込めた空。非情に不本意だと言わんばかりに顔を歪ませて礼を言うや、この場を立ち去った。

 その背を見つめながら、更級はくすくすと笑った。



「あーあ。まだ子どもだったか」



 からかい交じりのその声音。無色透明なはずのそれは、しかし確かに色がついていた。

 その色から連想できるのは、温もりとも呼べるだろうか。













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