第35話 雲の落下地点

「ソルティア!命の一部を私に預けてください!」

「絶対にいや。理由は訊かないでよね知っているでしょ」



 にっこり。それはそれはもう綺麗で満面な笑みを申し出た葵に向けたソルティアは漆黒の翼を動かし突風を生み出して、白の空の向こう、遥か彼方へと姿を消していった。



「命を預けて輪廻転生から外れれば魂が洗えなくなりますからね。断るのは明白でしょう。何故、彼女に?神様の方が直ぐに預けてくれると思いますよ」

「あー。うん、まあ」



 気まずげな態度の葵に、孔冥は気持ちはなんとなく分かりますけどねと返した。



「あの神様の一部だけでも自分の身体に入れるなんて、私なら死んでも嫌ですし」

「俺もおまえに預けるのは御免被るな」



 天界、死神の領域にて。



 滅多に自室から出ない神様の登場に、孔冥は漸く脱引きこもり化をしましたかと、にこやかに告げた。

 神様の仕事は自身の領域である天地を見守る事ともう一つ、死神や天使たちを労わる事も含まれている。

 具体的に言えば、『よ、最近調子いいんじゃない?』『ちょっと最近調子悪いんじゃない?』と褒めたり心配したり、ご飯に誘ったり一緒に遊びに出かけたりする事である。

 なので、死神たちにとって閻魔大王が厳しめ親ポジションの上司と例えるなら、神様は甘やかし祖父母ポジションの上司と言えよう。

 ただし天使たちにとっては、ほとんどが当てはまらないが。



「他の神様方にようやく恥じらわずに顔を合わせる事ができますよ」

「あ。あー。そうそう。閻魔大王を労わりにな」

「そうですか。きちんとご馳走してあげたんですよね」

「あー。したした」

「もうちょっと気合の入った発言はできないんでしょうかね。嘘丸出しでしょうが」

「いいんだよ。あいつが一緒に酒飲もうっつったんだから。会う度説教ばっかしやがって。助かった。葵の傍にいてくれる事にしてくれて」

「…後輩にびっしり伝えておきますし、時々でも帰ってきますから。あしからず」



 否定しない孔冥に、神様はにやにやと笑い出した。孔冥は気色の悪いですよと言い放っては小さく会釈をし、後輩に会って来ますと葵に告げて瞬間移動でその場から消えた。



「孔冥にソルティア。草玄、厳耕。四人も伴侶がいては大変だな、葵。ああ。俺も入れれば五人か。しっかり尽くせよ」

「…否定はしません。一人以外は。その顔止めてください」

「そうそうたるメンバーだが」

「欲深い自分ですから」

「せいぜい殺されないようにこれまで通り呑気さ丸出しで生きて行く事だな」

「……草玄、来ましたか?」

「本人に会って確かめろ」

「………会いますけど、会いますけどね」

「演技は終いか?」

「終いです」

「そりゃあ、怖いな」



 くっくっくっと、喉を鳴らす神様に相対する葵は、佇まいを新たにして、これからもお願いしますと頭を下げた。神様は愉快な気持ちのまま、頭を上げた葵に極上の微笑を贈った。



「ソルティア攻略がまだだろ。それが終わってから酒でも持って、もう一度伝えに来い」









「俺は性根から腐ってんだな。同じ過ちを繰り返す。傷つけた事も信じなかった事も後悔してるが、俺の痛みをぶつけようとした事には後悔してない。だからもう絶対に会わない。本当はあいつの大切な人がいるここにいない方がいいんだろうけどな。もう少しだけ、先生に甘えさせてもらって、それで、先生がいなくても、一人でも確実な居場所を作ってあいつにも近づかないように知らせてもらう……先生にも、草玄にも感謝している。傍にいてくれてありがとな?何だ」




 鴻蘆星にて。


 仄暗い灯りで照らされている落ち着いた雰囲気かつ少人数しか入れないジュースバーで、並んで座りジュースを飲んでいたキサカの眼前に、草玄は一枚の白い封筒を見せた。


「葵の取り繕いが書かれているラブレター」



 草玄は野菜ソムリエから受け取ったブドウのシングルストレートを僅かに口に含んで、舌で数秒転がして飲み込んだ。そして、片手に持っていた葵から直接手渡されたラブレターを両手で持ち、視線を固定する。



「俺さ。実は不老不死じゃないわけ」



 キサカは目を瞠った。



「そうなのか。あんなに大々的に公表していたのに」

「あんな大袈裟に公表したのは不老不死に対する反応が知りたかったのと、命以外は俺にも預けるっつー意思表示みたいなもんで。まあ。しゃーねーわな。俺は別に葵と、仲間以外、どれだけ殺そうが気にしないけどよ。葵は違うからな」

「…じゃあ、諦めたのか?」

「…ちょっとな、思ったんだけどよ。でも、一方通行じゃないなら、問題なしなわけ」

「ああ。ラブレターだったな」

「…俺はさ、葵と二人だけでも生きていける。絶対だって。でも、葵は俺のそんな所が怖かったんだろうな。俺もちょっと怖くなる」



 草玄は目を細めて、キサカを見つめたかと思えば、バシッと背中を叩いた。



「おまえにはさ、先生とあの場所が必要なわけ。一人になったら、メレセさんも心配だろうし。大体、大丈夫なわけねーだろうが。先生の愛と勇気をもらって、ほんの少しでも返していけよ」

「…あの人のはでかすぎて、全然返せねーよ」

「好きであんたを見張ってんだからいいのよ」

「「先生」」



 二人が振り返った先には話題の先生がいた。先生はキサカの横に腰を下ろし、野菜ソムリエにカボチャのポタージュを頼んだ。



「勝手に出て行こうとしたって分かるし、強制的に連れ戻すし。どーせ、悪い自分の方が恵まれているとか考えているんでしょうけど。あんた一人にした方が全員不安だから」

「…はい、」


 先生はその逞しい手で、ぐわしぐわしとキサカの頭を撫でた後、ほんの少し後頭部を押して手を放し、組んだ腕を台の上に乗せて草玄へと顔を向けた。


「先生。俺、行って来るわ」

「行ってらっしゃい」


 草玄は先生と一笑を交わし合った後、残りのジュースを一気に飲み干して、城へと帰って行った。















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