4章 ついきゅう編

第34話 結ぶものは何色とも呼べない

 葵にとっての人間とは、

 己を人間と認識し、

 老いて死を迎える生物。



 死から逃れられたとしても。

 その定義から外れるものであったのなら、

 加えて。

 依存しなければ、





「狂いは早くに生じていた」





 不老不死も有老不死も。

 殺さずも殺すも。

 どちらにしても蝕むのは彼女自身。

 そんな彼女の滑稽さに囚われたのは自分自身。



『相思相愛なのだがな。おまえたちは』



 何故神様はああも自分と彼女を結び合わせようとするのか。

 自我を創り出してくれたのは確かに彼女だ。

 思考も感情も働く時はほとんど彼女の事。

 必要として必要とされて?

 肯定するのは戸惑いがある。

 彼女から必要とされているのは肯定するが。

 自分はどうか?

 彼女を必要としているのか。

 

 神様は微睡みをもたらしてくれた。

 彼女はざわめきをもたらした。

 喜びよりも嘆きを。

 こんな自分勝手なものなど、と。

 そのままに行動させてくれないくせに、と。











 少女は混乱していた。

 その原因は目の前にいる三人の人物。

 一人は、不死にならないかと告げる影を纏う男性。一人は、その直後に受け取るなと怒鳴る美形の男性。一人は、自身と姿かたちがそっくりな少女。


「えーと」


 混沌。

 眼前にいる三人の異様な雰囲気に、その単語が浮かんだ少女はとりあえず片手を上げて言葉を発した。



「私、死にたくないんで受け取りたいなって思うんですけど」

「……客観的に見て、私って軽いよね」

「地に足がついていませんから。今もね」

「あー」



 にへらと笑う過去の葵を見て、この時代に飛んできた葵は自分ってこんなに軽かったのかと認識し、加えて、孔冥にも冷やかに肯定されて、苦笑いするしかなかった。孔冥はその呑気な態度に眉をひそめながらも、過去葵を見据えた。



「どうせ夢うつつで受け取ろうとしているんでしょう。止めておきなさい。あなたももう高校生でしょう。どれだけ自分が莫迦な事を決断しようとしているか分かってもいいはずです」

「…あー、まあ。受け取った途端に、金払えって迫る悪徳商法人だったらやばいかなー。とか浮かぶくらいには、冷静になったと思うんですけど」

「ならもっと冷静になってこのまま去るのが賢明ですね」

「まあ。そうなんでしょうけど」

「彼女は無視しなさい。あなたに悪影響しか及ぼしませんから」



 過去葵が孔冥の隣に佇む葵を見つめたので、孔冥は諫めた。

 過去葵は孔冥の言に従わず葵に視線を固定させたまま、けれど、孔冥へと言葉を届けた。



「どれだけ冷静になろうとしても、無理ですね。私は、受け取りますよ」

「…葵」

「警鐘音が鳴っているんですよね。逃すなって」



 虚勢少々自信満々な笑みを浮かべて。

 過去葵は一歩一歩、足を踏み出し続けた。

 浮遊と着地。夢心地と現実を交互に味わいながら。

 目線は真っ直ぐに。揺らぎはない。


 そんな彼女と影を纏う男性との間を隔てる一人、葵は身体をずらして道を作った。

 壁となっている孔冥は微動だにしないまま。

 できた道へと近づく彼女を睨み付ける。

 茶番。

 そう分かっていても動かないのは最早意地。

 僅かでも動くものかと。

 表情は冷淡さを保ったまま。

 気を抜かずに踏ん張る。



(声になど、)



 出さなければ良かったのだ。

 殺すと。

 内に秘め続けていれば。

 過去の葵が来るより先に元凶から受け取っていたのに。

 



 確実に葵を殺していたのに、




 言葉に出して。

 一気にしぼんだ。

 葵の顔を見て。

 殺意が霧散した。




(嫌なのに、)




 傍にいる事に苛立ちを覚え始めたのは何時頃からか。

 離れようと思ったのは、つい最近だ。

 草玄が不老不死となったからだろう。

 愚かにも安堵した。


 ああ。

 これでやっと葵にも背負ってくれる相手ができたと。


 違うだろう。


 望まないのだ、葵は。

 何も背負わせてはくれないのだ。

 だから殺そうとしたのか?

 葵本人が狂ってしまったと発言する前に。葵本人に失望するよりも早くに壊して言い訳を作ろうとしたのか。


 違うだろう。


 ただ単純に。

 初めて手を伸ばして、掴んで、受け入れた相手にさえも、その身を背負わせない葵に失望したから壊したくなった。


 そうだ。もう、自分は葵に失望してしまっている。

 見ていられなくなったから離れた。

 それで終いにすれば良かった。

 以前に戻るだけだ。神様の元で微睡みを甘受すれば良かったのだ。


 それなのにどうしてここにいる?

 こんなにも苛立ちが募る?



「葵」



 自分のものだと。


 幾千もの命を背負う彼女を強いと思ったのは、はじまりのはじまり。

 幾千もの命の重みに報いろうとする彼女を滑稽だと思ったのは、はじまりのおわり。

 幾千もの命を手放さない彼女を汚いと思ったのは、なかばのはじまり。

 幾千もの命に支えられなければ自我を保てない彼女を可哀想だと思ったのは、なかばのなかば。


 

 生きるのが楽しい。

 死ぬのは怖い。

 自信があるからかないからか。

 命を貪っているが故の懺悔か。

 口にする時は何時も笑顔で。

 後悔はないと。



 想像以上の長い時間に狂いが生じなかったのは、影に生きていたからだ。

 他人の人生を生きていたからこそ、自我の弱い葵は生きて来られた。

 その罪に苛まれながらも。もしくはその罪さえも糧にして。

 生き汚い。

 侮蔑の目で見た事は幾度もある。

 けれど離れようとは思わなかった。

 一度たりとも。



 自分のものだと。

 全てを抱えようとする彼女が変わる瞬間を目の当たりにしたかったのかもしれない。

 変わらないと分かったからこそ。

 壊そうと思ったのだ。

 愚かにも。

 分かっているのに。

 制御すべきこの感情を、野放しにしているのは自分の意志だ。

 感情のままに動きたかった。



「孔冥」



 孔冥の手が過去葵の身体に触れる事は叶わず。葵の眼差しに真っ向に立ち向かう。

 視界の端では男の前に立って受け取る体勢を取っている過去葵が映るも、身体は葵へと相対したまま。

 はじまりを変えたいわけではなかった。

 今現在の、目の前のわからずやをどうにかしたかった。



「あなたは勝手過ぎる」



 こんな一文では足りない。足りないが、これ以上言い募る気にはなれない。

 感情の渦に翻弄され、疲労困憊だった。



「ごめん」

「謝るな」

「…ソルティアに命を預けてもらう」

「っふざけるな!」



 望んでいただろう展開。

 だが、この状況での彼女には望んでいない。



(違う本当は、)



 どんな選択肢を掴んだって、



「ふざけるな!あなたは何で!何処まで自分を軽く扱うのか!」



 身体中が沸き立つ。不快な感情。渦巻く。

 壊れそうだ。



「分かっている」

「分かっていない!」



 何だこの状況は。冷やかに笑う冷静な自分が煩わしい。

 冷静な対応を取る葵が憎たらしい。



「分かっているからお願いする。見限らないで。傍にいてくれなくていいから。見限らないでください」

「あなたは!」



 孔冥は片手で両目を覆った。訪れるのは遮断する暗闇。このまま塞ぎ込んでやろうか。



(だから嫌なんだ)



 感情を操られているようで全く以て不快だった。

 求められて喜ぶ自分を抹殺したくなった。同時にひどく悲しむ自分も。



 孔冥は暗闇を解き、葵と、不死の力を受け取った過去葵を睨み付けた。

 男の姿はもうない。

 漸く死ねると笑みを浮かべた男の姿を見たという事。

 一つの呪いも受け取ったという事だ。



「…魔性の女になって全人類から恨まれれば良かったんですよ無理でしょうけど」

「……どうコメントすればいいか全く分からない」

「そんな人生ないです御免です」



 葵、過去葵からそう返された孔冥。腕を組んで、要するにあなたたちが気に食わないんですよと告げた。



「大丈夫。これは大好きの裏返し表現だから」

「いや。別に見知らぬ人にどう思われようがいいから」



 葵が過去葵に告げると、過去葵は手を振ってそう答え、一歩後ろへ身体を動かした。



「そろそろ帰りますね」

「…この状況で帰宅を宣言しますか?普通事情を知っていそうな私たちに何かを尋ねませんかね」

「いやー。聞いたところで悩みが増えそうですし。何より受け取るものも受け取ったし早く帰りたいんで」



 呆れ返る孔冥に対し、あっけらかんとした態度で告げる過去葵。全く地に足がついていない状態の彼女に、孔冥は目に見えそうな細長い溜息しか出て来なかった。



「よく生きて来られましたね」

「運と人に恵まれたね」



 あの年代特有のものだと納得すればいいのか。

 引き留める気力もなく、お辞儀をして去る過去葵の背中を見つめるしかなかった孔冥。恥ずかしげに笑う葵を見る事なく、彼女の後頭部に片手を添えた。



「私に何をあげるかきちんと考えておいてくださいね」

「…一生をかけて渡し続けます」

「今はそれで結構です。ですが近日中に具体的な案を示してください。それと。草玄もきちんとけじめをつけるんですよ」

「……ありがとうございます」

「…疲れたので負ぶってください。高級寿司店に連れて行ってください」

「はい」



 楽々と背負う身体はそれでも小さく、身に余るほどに誰よりも欲深く。


 孔冥は暗闇を作った。



「見えない」

「はい」

「…孔冥」

「はい」

「…ごめん」



(…これまで以上に呑み込む事になるのかもしれない)



 葵の懇願により、一度は暗闇へと封じた。

 そのままでも。そのままが。思っては、首を振る。

 堕ちて。浮いて。堕ちて。登って。

 落とすのは、彼女自身。

 莫迦な人。この印象は揺らぎなく。



「浮気宣言をして承諾を得たんですから、堂々としていなさい」

「…最低」

「それでも嫌いにはなれない」

「はい」

「自分勝手」

「はい」

「史上最悪」

「はい」

「悪の帝王にでもなれば良かったんですよ」

「…ごめん」



 手を振り解かなくても良いのですか。

 言う機会を見出せず。葵の視界を奪ったまま、孔冥は目を閉じた。



 歩みを止めない彼女の向かう先に穴が現れないだろうか。



 笑って、暗闇を解き、微睡みの中へと堕ちる。






 漸く地に足を着けようとした時。

 彼女は人である事を辞めた。













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