第29話 朔に飾る紫苑

「二人きりにして良かっただろう」



 更級は或る一点を見つめ続ける三人、草玄、空、璉に後ろから話しかけた。応えはない。まぁ、当然かと、返事がない事にさして気にかけず更級もまた、庭を見つめ続ける厳耕と涙を流し続ける葵を見つめた。



 来るであろう病院に先回りして、葵に睡眠薬を投入させて眠らせ、ここまで連れて来させ、先生に協力を仰ぎ、そして、一人いじける風体を見せる草玄も捕獲し、彼女を想うならと二人を黙らせ、四人で少し離れた距離から見守っていた。



 贖罪なのか。好意なのか。



(いや、前者は有り得ないな)



 過去から今でさえ。葵の事は応援したいとは思っていた。真実。草玄と同じように。好ましいと。

 空に告げた言葉に偽りはない。

 障害があれば恋はもっと盛り上がるし、二人の仲も確固たるものになるかもしれず、厳耕もまた葵と話せて、最終的にはお茶友達になれれば本望だと。



(まぁ、あそこまで直情的だとは思わなかったけど)



 遺伝子が欲しいと言われた。

 子供を産んで欲しいではなく、優秀な自分の遺伝子が欲しいと。

 自分もまた、男性と交わらず、ただ、子供を産むという体験をしてみたかっただけだ。否と返すわけはない。人として最低なやり取りだったのだろうとは、片隅で思わないわけではなかったが。



 自分の中に自分とは別に命が宿っているというのは、実に充実な日々だった。悪阻や体調不良、身体の変化。疎ましい、煩わしい事でさえ、こうなるのかと興味深かった。

 産んだ時は確かに興奮した。もう一度味わいたいと、真実願った。



 ただ、生まれた子どもを傍に置きたいとは思わなかった。

 厳耕が育てるものだと決めつけていたからだろうか。

 女性になったくせに、母性本能は植え付けてもらえなかったらしい。

 時々目にして、ああ、あんなに大きくなったのかと、近しい他人事のように感じていた。



(まぁ、こんな自分がいきなり母親だからと、迫ってきたら空の反応が正しいだろう)



 姉の麗歌に自分に備わっていた母性本能が丸ごと移ってしまったのか。家族に憧れる彼女は、空と、そして見向きもしない父親に、今まで放って来た母親の自分にさえ、それを望み、惜しげもなく愛情を注ぐ。返す気はない。本当に最低。



 何故、今更近づいたのかと言えば。単純に、面白そうだと感じたから。母親と認めて欲しいわけではない。ただ、そう名乗った方が面白くなるだろうとの行動だ。



 淡々と。時々やるべき事が落ちて来て。それを解決する為に動く。無情の判断も下す。その時、一切合切の感情が削げ落ちる。

 面白そうな事には積極的に。

 生まれ変わっても、このスタンスは変わらないらしい。



(まぁ、もう味わったから今世で十分だけど)



 正直、あそこまで生きていたいと望む葵が信じられない。

 あんなに苦しんでいるのに。

 たった一つ、けれど、大きな広がりを持つ、素朴な願いの為に。



(安らぎを、と。巌耕が望むのも分からないでもないんだよね)



 自分がもう少しマシな性格をしていたら、もしかしたら、厳耕のような行動を取っていたのかもしれない。そうじゃないからしないけど。



「貰ってばかりで、返せてないよね」


 一番近くの傍観者だから言いたい。

 特定の人物に、だけど、全員に伝わる事。


「厳耕が傍にいたほうが葵の為かもね」


 これは、今の二人を見て、真実思った事。

 ほんの少し、予想外の事。



 睨みつけて来た空に、にっこり、微笑みを返して、更級はその場を立ち去った。
















中栄なかえ葵さん、ですね」


 クリーム色の壁紙に包まれる一人部屋の個室。日向が当たる窓際に置かれたベッドに横たわる未来の葵に、孔冥は微笑を送った。















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