第28話 花びらは風に翻弄され、雨に落下を早ませられる。重力だけが自然なのか。
生を宿す為に、魂は真っ白でなければならない。
ただでさえ、両親、彼らの祖先たちの遺伝子を肉体に引き継いでいるのだ。
魂までさえも、莫大な情報を持ってしまったならば。
増殖するそれに追いつく間もなく細胞の劣化は早まり、寿命を縮める事になるだろう。
死ぬ。
こんなにも早くにこの人の人生は終わりを迎える。
私の魂が宿った為に。
謝罪しなければならない。
許される事では決してないけれど。
後悔をしていないから。
後悔はしていないのだ。
(えーと、どうしてこんな状況になってるんだっけ?)
――『鴻蘆星』『緑の地帯』の間近に建てられた『文化の町』の一角、『仙水門』。
茶同教室の場としても提供されている、萱葺き屋根に古木が用いられた古風溢れる一戸建てのその建物の縁台。そこに腰かけていた葵はすでに飲み干してしまった茶器を親指でなぞりながら、隣の人を見ないように反芻していた。
空と璉に病院という病院に連れ込まれ、あらゆる検査を受け、昔では考えられないほど早くに結果を知らされた。
身体に異常はなし。ただこれは私たちでも草津の湯でも算薔薇の滝でも治せないそうつまり!
(お医者さんが断定しようとした瞬間、空たちが睨みを利かせて黙らせたんだよね)
何件の病院に行ったかは覚えていないが、次の病院に行こうとなった所から、ぷつりと記憶が途切れて、今に至っている。
(…のどかだよね)
日本の古風な建物に合わされた日本風の庭園。色付く紅葉と、はらはらと散る山茶花に、小さな池に、大きな岩に、敷き詰められているのはふかふかの緑苔。心を静かに、穏やかにさせる様式。なはずなのだが。
(……恋なのかな~)
キャッ、ウソ、などと、恥じらいを帯びた感想など抱くはずもなく、ただただ、重苦しい溜息しか出て来ない。だが、身体も精神に呼応してくれればいいのにと、切に願うほど、動悸も、身体の火照りも治まらない。
(最初は空の気持ちが同調した結果なのかもとか思ったけど)
元々は空の中にいた自分。
父親である厳耕を毛嫌いしている空も実は彼に認められたかったのだとしたら。
好意を示されて、空が嬉しいと反応しているのかもと。
(まぁ、すぐに打ち消したけどね)
空にとって、父親としても、一人の人間としても、気に食わず認めていない存在。
無視をできるのなら無視をしていたかっただろう。
姉である麗歌がいるから、そして今回は自分がいるから、できないだけで。
(まぁ、これだけ永く生きて来たんだから、恋する人が何百人いてもおかしくないんだよね)
茶化して、小さく笑っても、この状況は打破できず。
散乱した気持ちをどうにもできない苛立ちを隣の人、厳耕に、ではなく、或る人物にぶつけられないかと思ってしまう。
仕事人間で、人に興味を示すような、ましてや好意を相手に伝えるような人間ではなく、一族の誇りを持って、一生政務に関わって生きていく人間なのに、と。
それがどうして、二人並んで、お茶を一緒にしているのか。
この有り得ない状況の原因は、前義兄であり現産母に当たる更級だと、葵は確信していた。彼女が彼に何か吹き込んだに違いないと。
「葵殿」
「はひっ!」
(ああ、もう嫌だ)
つらつらと、遥か昔、彼女をお義兄様と呼んでいた時代の事を反芻していた葵。突然声を掛けられて、声はひっくり返るわ、身体は跳ねるわ、鼓動も跳ねるわ、脈は速くなるわ、火照りは増すわで、自分自身の肉体の反応にさらに赤みも緊張も増してしまった。
「突然、私のような者に好きだと告白されても困惑するしかないのかもしれませんな」
(本当ですよ!!って言うか、本当にもう!お義兄さん!彼に何をしたんですか!)
その気持ちは違うのかもしれない。
そう、訂正してしまいたい。
厳耕はちらと葵を見て、その葛藤する姿に、視線をまた、庭に戻し、けれど、後悔はしていないと、僅かに唇に力を入れた。
言葉にしてより一層、気持ちが高まる。増長していく。
「こうして、時々、並んで、静かにお茶を飲みたい。それが私の願いです」
静かな、深みのある声音。
望んでいるのはそれだけだと。
(望んでいるのは、)
立ち去らなくてはいけない。
身体を動かしさえすればいい。
上半身を前のめりにすればいい。
足を動かすだけでいいのに。
「あなたも、本当はそれを望んでいたのではないですか?」
はらはらと。
山茶花の花びらと同じく。
天から地へと涙が静かに落ちていく。
らしくないと、分かっている。
思いもしない感情に戸惑っている。
先を望むはずもないと思っていた。
彼女の伴侶のようにはなれないと、今でも思っている。
ずっと一緒にいたいとも思わない。
肉体的接触も全く望まない。
ただ。
ただ一時の忘却を。静寂を。安らぎを。癒しを。
彼女が望む日常を。と。
「あなたが望む場所で一緒にお茶を飲みたいです」
応えはない。きっと、今暫く。もしかしたら、自分が死ぬまで。
心は見せてもらえないだろう。
これ以上は、踏み込むべきではないだろう。
けれど、今、彼女の隣にいるのは、自分である。
涙を拭いさえも、拭う布さえも渡さない、自分であった。
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