第26話 浮上と落下の水しぶきの差は幾許か

 ――鴻蘆星にて。



 私がお母さんですよと告白されて、お父さんが葵に惚れているから応援しようと提案されて、瞑想を始めること数分にして。

 仏陀の境地に到りそうだったりそうではなかったり。


 

 家族は姉上しかいないと思っていたし、今更。

 そう今更。

 母親が名乗り出ようが、父親が誰に惚れようが(天地が裂けてもそんなことは有り得ないとは思っていたが)自分には何の影響も出ない。それは確定的事項だった。



 名乗り出た母親が、草玄の前世のお兄さんでなかったら。

 父親が惚れた相手が、葵でなかったのなら。



「完全無視だった」

「まぁまぁ。色々否定したいことはあるだろうけど、人生なんてさ。嫌なことがどうしたってぶつかってくるもんなんだよ」

「あんたが全てを胸の内に留めていたなら、私の人生は平穏無事に過ごせていた」

「あらあら。母親をあんた呼ばわり?」

「今まで名乗り出なかったくせになんで今更」



 とてつもなく苛々する。

 空はしれっと何でもない顔をしている更級を睨みつけると、麗歌がまぁまぁと二人の間に割って入った。



「姉上は平気なのか?」

「ん~ん。全然。思考が停止している感じ?」


 確かに、目に生気が宿っていないと、空は感じた。

 麗歌は苦笑して、朗らかな笑みを浮かべた。


「でも、お母さんに会えたほうが嬉しいっていうのが本音、かな」



(……姉上は頭脳明晰で眉目秀麗な更級さんしか知らないから、そんな呑気な感想が抱けるんだ)



 では自分も何も知らなかったら?

 姉上のように、嬉しいと、思えただろうか。

 と自問してみても、答えはすぐに見つかる。

 否だ。

 今更と、否定の答えしか出てこない。

 受け入れられるわけがない。

 別段、今まで放っておいてと、憎む気持ちや悲しむ気持ちがあるからではない。

 今更名乗り出て、お母さんと受け入れてという姿勢が、面倒なだけだ。



(いや。そもそも。この人はどんな魂胆で母親と名乗り、あまつさえ、あの人が葵に惚れているとか言い出したんだ)



 一応考えてみるも、面倒の一言がどんどん肥大化して、思考を放棄。

 ああ。めんどい。

 勉強しなくちゃいけないのに、これ以上、思考を使えるわけないだろ。


 放っておくか。


 別に何かを要求……父親の恋を応援しようと、提案はされたが、提案であって、強要されているわけではないし。

 葵と草玄にあの人が割って入れるわけないし。

 そもそも、あの人が葵に恋?

 笑いが込み上げて、へそで茶が沸かせそうだ。



「だってさ。あの仕事人間が恋だよ。しかもあの年で初恋。可愛いじゃん。応援したくなるじゃん」

「いや。元弟の幸せを乱す可能性があることを勧めてどうするんだ?」

「ん~。や。それはさ。障害があれば恋はもっと盛り上がるし、二人の仲も確固たるものになるかもしれないだろ。それに、厳耕は葵と話せて、最終的にはお茶友達になれれば本望だと思うんだよね。それなら、応援したいじゃん」



 ああ。突き出される親指をへし曲げたい。



「あら。二人はもう仲良くなっているの?ずるいわ」

「姉上。曲解しないでくれ」

「そうそう。仲良し。やっぱり血の繋がりっていいよね」


 更級に肩に手を回されたばかりか頬擦りをされた空。

 瞬間、鳥肌が立ち、肘鉄を食らわす。

 前に避けられ、苛立ち倍増。

 勝ち誇った顔を見て、さらに強大。


 関わりたくない。関わらなければいい。

 けれどきっと、有言実行の塊であるこの人からは逃げられない。



(…草玄か、葵に、言えば、何とか)



 ならない可能性は大だが、何もしないよりましだろう。

 そう判断した空は携帯を取り出し、まずは草玄へと繋いだら、とりあえずすぐに向かうとの返事をもらい、今いる公園の名前を告げて通話を切った。

 次は葵にもと思っていたら、本人がこちらに向かっているのを発見し、空は彼女のもとへと走って行った。

 そして、あと三分の一。声を張れば気付かれるだろうという距離まで詰めた時。

 空が辿り着くより早く、葵に視認されたのは――。



「好きです」

「は?」「え?」

「は?」「え?」

「え?」

「え?」「え?」

 


 空。葵。空。葵。葵。草玄。璉。愛の告白場面に直面した各々が、順々に声を出した。


 突然現れ、思い詰めた表情での厳耕の告白もさることながら、否、それよりも尚一層、葵の反応に、誰もが、そして誰よりも葵本人が驚愕しているようで。



「葵の浮気者~!!」



 衝撃を受けた草玄は駆け走って行きました。




「…葵。あまりのありえなさに、熱でも出たのか?」

「いや。うん。あれ。そう、なのかな。そうなのかも」


 真っ赤にさせている頬を隠すように押さえていた右手を額に移動させた葵は、衝撃を隠せない様子で。

 空は璉と目配せをすると、厳耕が動くよりも早く、葵の手首を掴んで病院へと向かった。














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