第25話 天の川にざわめく星々
(うわー。思ったよりも)
咲と共に天界の彼女の家へと瞬間移動した葵が目にしたのは、
咲の母親であろう女性が鬼の様な形相で、好い寄って来るこれまた咲の父親であろう男性を足蹴りして自分から遠ざけようとしている光景だった。
幸い、というべきだろうか。どれだけ攻撃を受けて傷をこさえたとしても、瞬時に治るものだから、ちどろみどろな陰惨な光景にならなかったのは。
ただ咲の母親からしたら堪ったものではないだろう。
『お父さん。お母さんが好き過ぎて、結婚して二百年経っても、新婚時代のままのノリでお母さんに甘えて。でも、お母さんは十年くらいでお父さんの態度が嫌になり始めてて。最初は嫌だって言ってたらしいんだけど、何度言ったって、お父さん。聞かなくて』
(で、暴力で訴えるしかなかったと)
怒髪天を衝く咲の母親には、とても、本当に申し訳ないのだが、一種のコントを見ているようだ。咲の父親は喜々として攻撃を受けているし。
(本気で嫌がっているっていうのが分からないのか。それとも、あれも愛情表現の一つ、とか)
昔々、両親から夫婦の愛情とは子どもからしたら不可解なものもあるのよ、と言われた事を思い出した葵は、だが、隣にいる咲の顔を見て、気持ちを訊かない事にはと二人に話しかけた。
「ほんっっっっっっっとに嫌なのよ。落ち着いてほしいのよ」
「うんうん。わかってる」
だらしのない顔に、額、と言わずに顔、否、身体中に血管が浮き出る顔。そして、吹き飛ぶ咲の父親はノーダメージ。どころか、生命力がアップしたように、気色の艶が増した。
「本当に咲のお母さんのことが好きなんですね」
「うん」
「…お母さん、は、その、お父さんのことは」
ニコニコ笑みを絶やさない父親から憔悴しきっている母親へと目線を合わせると、母親はちらと父親を一瞥してから、深い、とても深い溜息を太長く吐き出してから、嫌いにはなれませんと、呟いた。苦虫を噛み潰したかのように渋った声音で。
「本っっ当に鬱陶しいんですよ。所構わず触ってくるし、告白してくるし。可愛いとは思っていました。母性本能を擽られました。けど、四六時中、しかも、結婚してから、いえ、付き合ってからも含めて二百七年それが続くとなると、一人にしてほしいっていうか、一人の時間がほしいってずっと思っていて」
細長い溜息には魂が籠っているかのようだ。
母親は一度俯くと、隣にいる父親にひたと向かい合った。
心なしか、耳が紅い。
「……ちょっと、女同士で話があるから」
「……ん~~。じゃあ」
腕を組んで、悩んで、一歩、二歩、三歩、離れて、話してどうぞと掌を向ける父親、に、渾身の一撃を与えて、遥か彼方へ追いやった母親は。
「…咲。ごめんね。お父さんに暴力を与えるお母さんなんて、見たくないよね」
弱弱しく笑ってから、膝を折り、咲を抱きしめた。
「ただ、ね。嫌だから、だけで、お父さんを殴ったり、蹴ったりしているだけじゃなくて」
すーはーと、深呼吸を一度、二度。顔は完全に真っ赤っかである。
「お母さんね。お父さんみたいに、自分の気持ち、伝えるのが下手で。照れ隠し、が、つい、手とか脚とかで出しちゃって」
「ちゃんと、お父さん、好き、だから、ね」
しどろもどろに伝え切って後、全身の力が抜けたように咲から身体を離して地面に尻をつけた母親は、葵を見上げて優しく微笑んだ。
「ありがとうございます」
「???いえ、あの。何もお礼を言われるようなことは全く」
いきなり礼を述べられても、ただいただけなのにと疑問符を頭の中に埋め尽くす葵に、母親はいてくれたことに対する礼ですと、気持ちを解した。
「だめですね。娘が私たちのことを心配してくれていたことは、わかっていたのに。大丈夫だって、ちゃんと伝えなくちゃいけないのに。どうにも、自分の気持ちを伝えるのが、恥ずかしくて」
母親はごめんねと、咲の頭を優しく撫でた。咲はううんと頭を振った。
「お母さんが、嫌でお父さんの傍にいるんじゃないってわかって、よかった」
怖いのだと、咲は言っていた。
母親の口から直接、父親が嫌いだと聞くのが。
本当に嫌なら、離婚してほしいのだとも、もし、別れられない原因が子どもである自分にあるのなら、気にしなくていいという覚悟も持っていたけれど。
二人が別れたらと思うと訊く勇気は持てなかったと。
三人が一緒にいられなくなる事が、堪らなく怖かったのだと。
「でも、暴力は、やだ」
「……うん。ごめん。反省してます……なるべく、振るわないようにする」
「大丈夫!父さん、母さんの気持ちの籠った張り手や足蹴りも愛しているから!」
「莫迦!」
「お母さん!お父さんも!」
「「……ごめん」」
ぷ~と頬を膨らませて両親を睨む咲に対し、母親と父親は頭を下げる。
ああ、きっと、これからも改善したりしなかったりしながら続くのだろうなと、和やかな気持ちで見ていた葵は、ふと、もう傍にはいられないと告げた孔冥に会いたいと思った。
離れたほうが、いいとは、分かっては、いると思う。
いたらきっと、草玄よりも、頼りにするのは、弱音を吐くのは、目に見えて分かっているから。
草玄には、なるべくなら、情けない姿を見せたくない。弱った姿を見せたくない。
何時でも元気で、笑った顔を見せていたい。
甘えられたいのであって、甘えたいわけじゃない、なんて、いうわけではないが。
ただ、惚れられているに値する姿を見せたい、と。
もたれるのではなく、手をつなげる距離、
でも。ほんの半歩進んで背を見ていてほしいと。
(それで、孔冥に甘えてたんじゃ、意味、ないか)
どうにも自分の恋愛観はほかの人と違うようだと苦笑した葵は、ぷりぷりと怒りながら両親に説教をする咲に、孔冥の所に連れて行ってほしいと頼んだ。
「さようなら。と言いましたよね」
一文字一文字を強調されて。
ニッコリ笑顔に気圧されて。
それでも、向けられた背に待ったをかけた。
「今も会ってる。これからも、会えるって思ってる。勝手に思ってる」
「………」
本人に直接、言葉にして、寂しさが充満した。
感じる事はないと思っていた。
実感してしまった。
「孔冥………」
ハナレルノハイヤダ。
と言葉にするのは、ダメだと。
死に別れるわけではない。
彼は生きている。
ずっと、ずっと、自分と同じように、永い刻を。
これが本当の別れになるわけではないのかもしれないという可能性も持っている。
のに。
「離れたくない」
「けど」
「離れるから」
いやだいやだいやだ。
頑是ない子どもが内の中で暴れ回る。
必要な事だと、分かっているのに。
彼が決めた事だから、長い時間、付き合わせたのだから、彼は神様が好きなのだから神様の傍にいさせたいと、ちゃんと、思っているのに。
こんなに。
「時々でいいから。本当に。気が向いた時でいいから。見て」
「滂沱たる涙。上下する鼻水。顔は真っ赤っかで、すげー汚かったな」
「……背中に擦り付けられなくてよかったですよ」
「は。抱きしめられると期待したくせに」
じろりと睨んでも何処吹く風。孔冥は寝そべる神様にさっさと働けと冷音で告げた。が。
神様。やれやれと上半身を起き上がらせるもその場から動かず。ふかふか浮くクッションに左肘をつけて、頬杖をついた。孔冥は書類を分ける手を止めない。
「葵が別れを一番厭がることを一番知っているくせに」
「死に別れ。です。私は死んでいません。死にません。とりあえずは」
「そりゃあ、俺が作ったんだ。耐久性はピカイチだ」
「……あんたはまだ私が、もしくは葵が、お互いに対して恋愛感情を持っているとお考えで?」
「…ん~。そうなりゃ、面白いとは思ってるけどな」
「ああ、そうですか」
神様。思った反応がない事に少し面白くないと思いながら、頬を掻いてのんびり告げる。
「あいつに成長を求めて苦しむのはあいつだぞ。のっけらかんだから、今まで不死でも生きていけた。子どものままだから、だ」
「葵が後悔する、と?」
「可能性の話だ。そうなったらどうしてくれる」
いい暇つぶしが台無しだと頬を膨らませる神様に、孔冥は一笑を投げ打った。
「私と出会う前から葵はずっと一人で生きてきたんですよ。たかだか「私が離れたくらいで?とか思っちゃってないよな」
嫌な顔だと、書類から目を離した事を後悔した。
「おまえは葵にとって重要な存在であることを意識している。それこそ、草玄以上にな。意識して、それでも、葵から離れた。俺の傍にいたい?葵の為?違うだろ」
神様は一笑を零して後、孔冥の胸に人差し指を向けた。
「壊したい気持ちが今は攻め勝った。だろ?」
ニヤリと。底冷えする笑みに、負けぬくらいの真顔を孔冥は返した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます