第24話 初嵐、銀杏を巻き起こす
季節は紅葉で山が彩る秋。静寂の世界へ踏み込む一歩手前だからか。憂う気持ちがどの季節よりも表面に現れる。はずなのだが。
「璉。むかつくんだが」
「私もですね」
――『鴻蘆星』緑の地帯内にある公園にて。
銀杏独特の臭いが微かに漂い、色付いた銀杏の狐色の葉がはらはらと地面に落ちる中、おもむろに口を開いた空と璉の視線の先にいるのは――。
「葵。葵」
融けたチーズのように、肉が頭蓋骨から崩れ落ちるのではないだろうかと危惧するほど、にやけきった笑みで後ろから葵を抱きしめている草玄がいた。
「葵」
「何?」
「呼んだだけ」
ウザい。
空と璉の心の声がシンクロした瞬間であり、堪らず葵から草玄を引き離すべく動いた瞬間でもあった。
「調子に乗り過ぎじゃないか、草玄」
意外に呆気なく引き離す事に成功した空と璉は今、長い椅子に葵と並んで座る草玄を見下ろした。
「いや。だってよ。やっと復縁したんだぜ。調子に乗らなくてどうすんだよ?」
にへらにへらと幸福絶頂期ですよ、という笑みを浮かべる草玄。自覚があるなら余計性質が悪いと空は思った。
(葵は、どうせ今まで待たせたから悪いとか思って好き勝手やらせているんだろうな)
ちらと葵を一瞥すれば、頬を桜色に染めている彼女がいた。恋している乙女の顔だ。らしくない彼女の姿に、されど幸せなのだとも分かるから、本当ならこんな風に口出しなどしたくはなかったのだが。
(葵は兎も角、草玄を見ていると苛立ちが募る)
二人を、特に草玄を見なければいいと言うのは分かっている。分かってはいるのだが、行動を共にしている以上、やはり嫌が応にも、視界の端でも真ん前でも姿を捉えてしまうわけで。
「イチャツクなら人がいないとこでやってくれ」
「やだ。いつ何時でもイチャツキたい」
にへら。
イラ。
「一応この星の王子でしょう。立場を弁えた行動を取った方が宜しいのでは?」
「王子の前に葵の恋人だし」
にへらにへら。
イライライライラ。
空と璉は殴りたい衝動を抑えられそうになく、とりあえず拳で空を切って、怒りを一時的に発散させた後、頼みの綱の葵を見た。だが今も頬を染めたまま、虚ろな瞳をして、無言で座っていて、あちらを見れば苛立ちが、こちらを見れば不安が増長してしまう。
「…葵。大丈夫か?」
「あーうん。大丈夫。て言うか。大丈夫?」
聞き返してきた葵に、空は率直に大丈夫じゃないだろうと告げてしまった。
「…だよね」
悲愴感を漂わせた表情でぽつりと呟いた葵は、椅子の上に正座になって同じ姿勢を取った草玄と相対した。
「あのさ。外では止めようか」
「なら中では思う存分していい?」
「…外でも中でも自重しようか」
「分かった」
分かってない。三人はにへら笑みを継続中の草玄を見てそう思った。
「葵。一発殴れば正気に戻るんじゃないか?」
「いえ。タコ殴りにしなければ駄目でしょう」
「二人とも、腕まくりしないで抑えて」
空と璉を宥めた後、葵は真正面の草玄に向き直した。
純粋無垢な笑みと言うべきか。ほとんどの事は許しても構わないと思ってしまう。
と思った時点で、葵は激しく髪の毛を掻き回した。
(駄目だ。流されてる?と言うか浸ってる?)
人様ならいい。幸せになれよと、親指を上げて祝福するだろう。
だが自分は別。全くの別。こんな桃色世界にもう足を突っ込みたくない。
「草玄」
「ん?」
にへら笑みに言葉が詰まると同時に、これが惚れた弱みなのかと衝撃が走る。
だがそれでもこの桃色世界から抜け出さんと、口を開こうとした時だった。
「葵。好き」
甘い痺れが身体中を駆け巡って口は開いたまま固定させられる。
顔が、熱い。
「葵は?」
葵は訳も分からずに泣きたくなった。
(小動物に見えている時点でおかしいと頭では分かっているのに)
「葵。しっかりしろ。傍目から見たらこいつは気持ち悪いだけだぞ」
空に肩を掴まれ大きく揺さぶられた葵。そうだと彼女に同意し頭を振って幻惑を追い払い、さぁもう大丈夫だと草玄を見つめるも、むず痒くなるような、それでも嫌ではない刺激が身体中を支配して、口を開くも巧く言葉が出て来なかった。
答えを出さない葵に痺れを切らしたのか。じりじりと距離を詰める草玄。葵はどうしていいか分からずに、だがとりあえず確定しているこの恥ずかしさから逃げ出さんと、立ち上がり、脱兎の如く走り去った。草玄は当然追おうとしたのだが。
「草玄様~」
長い髪を振り回しながら駆け走って来るお菊人形、もとい署長によって、行く手を阻まれた。途端、草玄は鬼のような形相を浮かべた。
「退け」
「王宮に早急にお戻りください」
だが署長は草玄の血も凍るような姿に全く物怖じせずに、むんずと彼の首根っこを掴むや超速急で王宮へと駆け走って行った。
「どっちを追う?」
「…じゃんけんで決めますか?」
残された二人。実際なんかもうどうでもいいと思いながらも、とりあえずじゃんけんして、負けた璉が草玄を、勝った空が葵を追う事にした。
――王宮内の談話室にて。
周りは墨色の本箱に囲まれ、下に枇杷色で丸の絨毯が敷かれたその場所で、ソファに無理やり座らされた草玄は今、中央のテーブルに開かれて乗せられた一枚の紙、具体的には一枚の写真と一文が乗せられているそれから、同じくソファに座る両親に視線を合わせた。
「これくれ」
「『これくれ』じゃねぇだろ」
草玄の父、サルガは息子の堕落しきった姿に思わず目元を手で覆って数秒、力なく退かしたその手の人差し指で写真を指しながら、草玄に視線を合わせた。
「何だこの緩みきった情けない姿は?」
サルガが指差した写真には、先程の後ろから葵を抱きしめる草玄が映っていた。
「何だって。恋人同士の姿だろ」
「おまえが普通の息子だったら何も言わねぇ。けどおまえは王なんだよ。自重しろ」
トントンと苛立ちを表すように、テーブルを人差し指で叩くサルガ。だが草玄は知るかよと悪気なく言い放った。
「大体、王子だろ。子どもが抜けてんぞ」
「あなたはもう王子ではなく王ざますよ」
「へーそう……は?」
しれっとごく自然に告げた母、ミヤクに、草玄は口を開けた、傍目には間抜けな顔を向けた。
「だから、王位継承が滞りなく行われて、あなたが王になったざます」
「何時?」
「あなたが葵さんとこの星に演説に来た日にざます」
「俺、了承した?」
「了承するもしないも。おまえしか王になれないんだからんなの要らねえよ」
「身も固まったし丁度いいかと思って速急にやったざます」
「ハァ?」
草玄は声を荒げた後、気持ちを落ち着かせる為に暫し固く瞼を閉じ、ゆっくりと瞼を開けて両親を睨むように見つめた。
「悪いけど、俺はやんねぇよ。大体、あと数時間もしたらこの星出るしよ」
「葵さんだけで十分だと了承も得ているざます」
「…誰に?」
「葵さんとSPOの幹部の方々ざます」
(あに……姉貴~)
項垂れ、拳を作る中、だからかとも合点が行った。
自分を好き勝手させていたのは、別れを知っていたからだと。
(葵の、莫迦たれ)
「けど俺不老不死だぜ。永遠とこの星の王やれってか?」
草玄はふんぞり返った。
「それについては大丈夫ざます」
入るざますとのミヤクの合図の元、部屋の扉が開かれて、或る一人の人物が入って来た。
「この子の名前は
ミヤクに蘇理と紹介された少年はミヤクと同じクリーム色のおかっぱ頭で、見た目からして良いとこの坊ちゃんだな、みたいな容姿をしていた。
「つーか。王家ってそこかしこにいるだろ。俺がやる必要なくね?」
遠縁だか薄いだか知らないが、王家の血筋を受け持つ人物は居るはず。
「そうざます。でも、王家を名乗れるのは我が血筋のみざます」
「だったらそいつは」
「葵さんは子どもを産めない。だからこそ、この子に来てもらったざます」
苦肉の策だと、サルガが告げた。
「ならそいつに「王は六十までやるべしと、法で決まっとる。そして今回、わし、六十。引退しなければならない。おまえがいないのなら蘇理にやってもらっとったが、おまえ生きているし。六十までやれ。その間に蘇理に色々教えてもやれ」
「もやれって何だよ。教えろってか?教えてもらえってか?」
「両方の意味だ」
「よろしくお願いします。お父様」
「…お父様?」
にこやかに挨拶をされて、目が点になる草玄。ああ、さすがは坊ちゃん。笑顔が素晴らしいよ。心が洗われるようだ。など思いながら、一度は蘇理に向けていた視線をサルガに合わせた。
「この子は王家の血筋を持つ子の中で唯一王になってもいいよ、と手を挙げてくれた貴重な子だ。大切に育てろよ」
「いや。もう育てなくても勝手に育つだろ」
ちなみに何歳だと尋ねると、七歳だと返ってきて、やっぱ必要ないじゃんと思い至る。
「いや。必要だろ」
「いや、七歳だろ。しっかりしてるし。もう、こいつがいいよ」
やる気のない口調に、びきりと、額に血管を浮かばせたサルガ。ふざけんなと語気を強めた。
「王子として生まれたんだ。ちゃんと己の役割を果たせ」
「果たすよ。葵の恋人っつー役割をな」
「好き勝手させて来たんだ。一度は親の言うこと聞け。な?」
「あ~すみませんね。親不孝な息子で」
「草玄様。ご両親に向かってなんという態度ですか?見損なっていましたがさらに見損ないました」
今まで傍観に徹していた署長だったが、もう我慢ならないと口を開いた。
「人にはそれぞれ宿命があります。そしてあなたは王になるという宿命があった。きちんと果たしてください。葵さんは果たしているでしょう」
葵という名に反応を示す草玄。実に不愉快そうだ。
「別に一生してくださいとお願いしているわけではないでしょう。六十までです。不老不死になったあなたにとってとても短い時間で、それ以降はずっと葵さんといられる。王になっている時だってずっと会えないわけではない。何が不満ですか?」
畳みかけて告げた署長。草玄は呆れたような、諦めたような、嘲笑うような一笑を発した。
「不満?あるに決まってんだろ。不老不死だからって、何があるか分かんねえだろうが」
子どもだから。親だから。若者だから。女だから。男だから。年寄りだから。
自分とは違うからとそうやって押し付けてくる考えに、反吐が出る。
「志を持たない王が玉座に座ってても国民が不憫なだけだ」
「草玄」
叱りつけるようなその瞳に、哀憫を含ませた瞳を返す。
「血がそんなに大事か、おふくろ」
何かに縛り付ける血がそんなに?
「やりたいって志を持っているそいつの方がよっぽど王に向いてるだろう」
「でもこの子はまだ幼いざます。誰かが傍にいてあげないと」
「おふくろたちがいるだろ」
ミヤクはゆっくりと頭を振った。
「すでに引退した身ざます」
「…どんだけ言われようと、俺は王にはならない」
草玄は立ち上がり扉へと歩を進め、扉を押しながら去り際に一言、謝罪を残した。
「いいんですか?」
「いいんだよ」
草玄は扉を開けたその先にいた璉と共に今は長い廊下を歩いていた。
「葵の傍から離れないって、もう決めたんだよ。あいつの、死に際には絶対傍にいてやりたいから」
不老不死の自分とは違い、不死の葵は必ず死を迎える。また生まれ変わっては来るが。
「永遠を生きるなんて夢物語も、葵となら現実にできる。ずっと、一緒に」
幸福に満ちた、という点では先程と同じ。だが今は見られる笑みだ。
「ですが葵はそれを望んでいないようですね」
「……葵は、子どもは親を大切にするもんだって思ってるからな」
草玄は寂しげに呟いた。
「咲。どうしたの?」
駆け走る最中、後ろから名を呼ばれ立ち止まり振り返った葵に、抱きついた咲。何故か泣きじゃくっていた。
「何処か痛いの?それとも、孔冥が急にいなくなって寂しい?」
葵はしゃがんで咲に視線を合わせた。咲は大きく頭を振った。
「このまま、草玄といちゃ駄目!」
大きな瞳を涙で潤わせながら、頬を真っ赤にさせて、咲は嘆願するように告げた。
「このまま、草玄と、いたら、葵。鬼になっちゃう!」
「鬼に?」
どう言う事なのか、全く見当がつかなかった葵は、咲の背中を優しく撫でて落ち着くように告げた。咲は涙を拭い、しゃくりあげながら、ぽつりぽつりと、胸の内を吐露した。
「…そっか」
深刻な表情を浮かべる咲には悪いが、微妙な話だなと思う葵。第三者の自分からすれば笑い話だなともちらと思ったりもするが、当事者にとっては、ひどく心痛を抱く事なのだと思い返し、不謹慎な事を考えたと反省しつつ、行こうかと提案した。
行き先を察した咲は行かないと頭を振った。
「でも、さ。咲は嫌なんでしょ?ちゃんと言った方がいいよ」
「……」
「私も行くから。ね?」
口を強く結ぶ咲は葵に視線を合わせたまま数十分そのままの状態でいたのだが、次の瞬間、こくりと頷いた。
「じゃあ」
葵は咲に手を差し出し、咲はその手を握って、瞬間移動を発動させた。
行先は、天界である。
(って私も。言うだけじゃなくて、ちゃんとしないとね)
嫌ではないのだが、嫌なのだ。
―――『世界星』。
時間は葵たちがこの星を旅立った直後に遡る。
「何、を」
宇宙船場で葵たちを見送った直後であった。鈍い痛みが腹部に生じたかと思えば、厳耕は堪らず目の前にいた人物の方へと身体を崩した。その人物は彼を受け止め、不敵とも取られる笑みを浮かべた。
空の姉、麗歌は突然の出来事に小さな悲鳴を上げて、口元に両手を当てた。顔面蒼白。当然だ。父親がいきなり殴られたのだから。
「どうしてあなたが。更級さん」
戦慄かせる麗歌に、厳耕を殴った人物、更級は表情を変えずに、行こうかと告げた。
「つーか発信力の速さ怖ええな……握り潰さねぇと外で葵とイチャイチャできなくなる!」
「あんたは本当に大莫迦ですね」
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