第22話 天地の狭間に空、浮くは綿雲(1)
―――『世界星』
草玄がソルティアに連れ去られて数時間も待たずして、SPO(Space Peace Organization)、通称、宇宙平和機関本部が設置されているその星に、咲に頼んで連れて来てもらった葵は今、重苦しい扉の前に一人佇んで、一時、その扉を凝視していたが、気が済んだのか。開ける事のなかった扉に背を向けて、或る人物の元へと歩き出した。
「初めまして、ですね」
通常ならその部屋に入り目的の人物と会うまでには、多くの手続きを通さなければならないのだが、葵はすんなりとその部屋へと足を踏み入れて、その人物と会う事ができた。
「お初にお目にかかる。葵殿」
葵の目的の人物、前SPO代表者にして空の父親でもある厳耕は、厳然な態度をより一層厳しくさせて、椅子に掛けていた腰を上げて、目の前にいる葵に小さく会釈をした。
SPO代表者には代々口承で受け継がれていく事項があり、その中には不老不死の存在と『葵』と呼ばれる不死の少女もいた。
少なくとも、SPOの上層部と各星の王の間では、不老不死が夢物語ではなく現実のものとして認識されていた。
かつて神が地上にばら撒いた不老不死の力。
その存在が悲惨な戦を幾度も引き起こした事実もある。
SPOは危険因子であるそれを自分たちの統制下に置こうと考え、或る人物に接触を取った。
それがすでに不死の力を得ていた『葵』である。
当時のSPO代表者が葵の存在をどうやって知ったか、何故彼女に頼もうと考えたのかは定かではないが、不老不死の力が如何に危険なものであるか、それを野放しにせずに自分たちの統制下に置きたいとの旨を葵に伝えた後、捜すのに協力をしてくれないかと願い出た。
それに対し、葵はいいですよと即決した。
ただし、不老不死の力が何処に在るかは自分しか知らないようにするとの条件を付けて。
決して一人の判断で使用しないとの口約束の元、その条件は飲まれ、以後、葵は不老不死の力を捜す旅に出た。
その旅の中で葵は槇とも出会い、不老不死を罰の道具として使った裁判所をSPO代表者に通告して、なくさせた。
責任者だけを罰すればいいものを、裁判所そのものを滅したのは、罪の大きさを知らせしめる為。
不老不死は禁忌。使おうとする者は容赦なく罰すると。
SPOが今現在把握している不老不死者は、葵と槇、そして
厳耕は彼女らの存在を先代から教えられてから、ずっと思って来た。
全く以て気に入らないと。
他の二人は兎も角、彼女は必ず代表者には一度姿を見せる。先代の代表者にそう告げられてからずっと待っていたのだが、自分がその任に着いている時にではなく、娘の麗歌に譲った今、こうして目の前に現れた。
厳耕がじっと睨むように葵を見つめていると、葵は突然頭を下げた。
きっと在任中に現れなかった事を謝罪するのだろうと思っていたら、その通りだった。
「事情がおありだったのでしょうから」
頭を上げてくださいと告げて頭を上げた彼女に、厳耕は胸の中にずっと抱えていた不満を吐露した。
せめて代表者にだけは不老不死の力が安置されている場所を教えてほしいと。
「代表者の命を慮っての事なら、心配は無用です」
不老不死の力を手に入れたい輩など、山ほどいる。それこそ現実にあると知っているのなら尚更。それ欲しさに場所を知っている者の命を脅かす可能性も高い。
だから不老不死の者だけが知る様にした。
もしくは、此方を信用していないだけか。
どちらにせよ、どちらの考えも気に食わなかった。
彼らだけに一任するべきではなく、此方もまた背負うべき事なのだから。
(此方も?いや)
「代表者は全てを把握し、全てを背負う者です。報告書を読むだけじゃ、それを果たしているとは言えません」
「あなたたち普通の人間が取り扱う必要はありませんよ」
冷たく突き放すような口調に、気に食わない気持ちが増した。
「あなたは自分が普通の人間ではないと?」
「はい」
「不老不死の力は普通の人間が取り扱うべきではないと?」
「そうですね」
「それを判断するのはあなたではない」
厳耕は畳みかけるように、だが口早矢にではなくゆったりとした口調で反論した。
「この地にあるのなら、それは誰もが使う権利があると言う事。使うべきではないと、あなた方が勝手に判断する事ではない。違いますか?」
「だから専用の議会を作った。それでは駄目ですか?場所を知って何になりますか?」
本音は不老不死の力は誰にも使う事なくこのまま隠しておきたい。
それでも、それは自分本位な考えで。だから、不老不死の使用に関する議会の設置には反対せずに、議会招集にも議会の決定にも応じた。
「だが使うと決めても、あなた方が教えなかったら、どうにもならない」
「それは私たちを信用していない。と言う事ですよね?」
違わないとは言い切れない。だが、言いたいのはそんな事ではなかった。
「そうやって自分たちは違う生き物だから構うなと言う態度が気に食わない」
神の気紛れでも悪戯でも何でも、地上にばら撒かれた以上、地上の者がどうにかすべきだった。
地上の者が、だ。
「あなた方も我々同様地上の者だ。寿命が長いと言ってどうして区別する?差別する?」
別段、自分は不老不死の力なんぞに興味はない。
それでも欲する者がいて、現に戦まで引き起こした厄介な代物だ。
SPOが管理するのが道理。
此処までは理解できる。納得できる。
だが実際に管理しているのは、不老不死の力を持った者。
厳耕は瞬間、目を丸くして、苦々しく口の端を上げた。
(……差別しているのは、私も同じか)
同じ地上の者だと考えているのなら、彼らに一任したままでいいはず。
今になって歴代の代表者たちが彼らに一任した理由が分かった気がした。
同じ地上の者として、彼らを見ていたからだ。と。
だが、彼らは?
歴代の代表者たちの想いを酌んでくれているのだろうか?酌んでいてくれているとは思う。だが、同じ、だとは考えてはいないはずだ。その考えは今、直に接してみて、確定的な事実だと思い知った。
(区別しないと生きてはいけないのだろうか?)
ふとそんな考えが過って、きっとそうなのだろうと、勝手に納得した。
「…私にだけ教えてもらえないでしょうか?」
何処かふてくされている様に見える厳耕。葵は彼のその似つかわしくない態度に、ぱちくりと瞼を瞬かせた。
「知ってどうするんですか?」
「知りたいだけです。別にどうこうするつもりはない。第一、不老不死なんぞに興味はないですから」
「なら知らなくてもいいのでは?」
「興味はなくとも、知るべき事項ですから」
代表者としての誇示か、と葵は感じた。
きっと歴代の代表者よりも上を行きたいのだろうと。
(家族には無関心なくせに。こういう人を仕事莫迦って言うのかな)
「ならあなたが死ぬ直前にでもこっそり教えますよ」
「…何故そこまでして隠しておく必要があるんでしょうか?」
何を言い出すんだと訝しむ葵に対し、厳耕は言葉を紡いだ。
「不老不死になりたい人に抽選でも何でもしてさっさと渡せばいいでしょうが」
しれっと言い放った言葉に、開いた口が塞がらなかった。
「そんな事をしたらまた戦争が起こるでしょうが」
「分かりませんな。何故不老不死にそこまで執着するか。全く」
「あなたは死ぬのが怖くないんですね」
「ええ。少しも」
厳耕は疑いの余地もなく言い放った。すごいなと、葵は素直にそんな感想を抱いた。
「そうですね。不老不死の力に何の魅力も感じない日が来たのなら、隠すのを止めますか」
「…それは、」
どういう意味なのかと、その疑念を口にする事はなく、ただ、そんな日が早く来ればいいと思った。
不老不死の力なんぞに、戦を起こすほどに執着する莫迦たちの気持ちが分からないからこそ余計に。
「後ろめたく生きる必要など何処にもない」
ぽつりと呟かれた言葉に、葵は目を丸くした。
(???励まされた、の、か、な?)
葵は葵で厳耕の言葉の意図が分からず、頭の中でクエスチョンマークが飛び交っていたが、もしそうなら仕事相手にではなく家族にそうしろよと、心の中で彼を詰った。
一方、鬼に魂を食べられたはずの草玄は今、肉体に魂を戻された状態で、葵と同じく『世界星』でソルティアに告げられた或る人物と向かい合っていた。
ソルティアにこの星に連れて来られてから魂を肉体に戻された草玄は、何故天界に連れて行き鬼に魂を食べさせないのかと言う疑念をぶつけるよりも早く、自分が死ぬまでに遺された時間を問いかけた。
『五日間、か』
『これはどうやっても覆す事のできない事。不老不死の力を手に入れる以外はね』
向かい合っていたソルティアは心の中を覗き込むように草玄を見つめた。
『あんたと別れてからの葵は見るに堪えなかった。あの葵が、だ』
関心がある様に見えて、実は無関心。自分が大切なように見えて、実はどうでもいい。
ソルティアが葵に抱いていた印象だったが、違うのだと、最近思うようになった。
『生物って本当に厄介だね。複雑怪奇で、面倒臭い』
独り言のように呟くと、ソルティアは宙に浮かび草玄を見下ろした。
『更級と言う女性に会いな。不老不死の力に関する議会員の一人だ』
「久しぶりだね。草玄」
灰色の長い髪に利発そうな面立ちの女性は、にこやかにそう告げた。草玄はどんな顔をすればいいか分からずに、とりあえずと、或る事を確認すべく口を開いた。
「久しぶりだな。兄貴」
去り際に一言、汚れ持ちのあんたの兄貴だよと告げられたが、まさか、と信じられない気持ちの方が勝っていた。
例えば相手が自分を知っていても。例えば死神であるソルティアにそう告げられたとしても。例えば目の前の彼女が『珂国』の王にして異母兄弟である彼と同じ名前だとしても。
「今は姉貴だよ。草玄」
「…やっぱ、兄貴に違いないらしいな」
面立ちは変わっていても、その懐かしい雰囲気に認めざるを得ないのかもしれないが、前世と今世では性別が変わるのは仕方がないにしても、やはり、兄貴が姉貴に変わったという事実はかなりの衝撃を受けるのであった。
「つーか、何で俺が草玄だって分かったんだよ?それに、未練あったのかよ?それとも偶々か?」
「分かったのは勘で。未練はまぁ、そんなにはなかったんだけどね。子どもを産んでみたかったなと、可愛い弟の恋路を見送りたかったなって」
更級は親指と人差し指を折りながら告げた。
「できれば前世の記憶を持ったままその二つを叶えたいなーと思っていたら、幼い死神が叶えてくれてさ」
「死神。仕事放棄し過ぎじゃね」
「まぁまぁ。彼らのおかげでまたこうして姉弟が会えたんだからさ。感謝してよね」
かなりの違和感を覚えて意気消沈する草玄であったが、時間はないのだと思い直し本題に入った。
(まぁ、実際。逢えたのは嬉しいっちゃ嬉しいしな)
「不老不死の力を俺にくれ」
「代表者を含む七人の議員と三人の不老不死者を招集して全員の合意を得ないと無理だよ」
鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をする草玄に、更級はにこりと微笑みかけた。
「可愛い弟の為だもの。意地悪はしないって」
「…ありがとう」
そう易々と答えを教えてくれるとは予想していなかっただけに、更級の言葉を素直に呑み込む事ができなかったが、その穏やかな笑みに頑なな心は解かれていった。
「協力してくれないか?」
「葵が了承したらね」
一縷の望みが完全に途絶えたような気がした。
「それが出来たら苦労はしないんだよ」
「葵とは会えた?」
「ああ」
「連絡は取れる?」
草玄は孔冥に手渡されていた、葵と直通できる携帯を更級の前に差し出した。更級は借りるねと告げて、一つしかない赤いボタンを押した携帯を耳に近づけた。
「あ、葵。草玄の異母兄弟だった更級だけど……そうそう、『珂国』の王だった。実は女性に転生してさ。記憶を持ったまま。うん。で、今、草玄と会ってるんだけど、葵にも会いたいからさ来てくれない?今『世界星』の七番地のコラン公園にいるんだけど…いい。良かった。じゃあ、待ってるから」
更級は草玄に通信し終えた携帯を返して、これまでの大体の概要を話すように告げた。
「お友達でいましょう、か」
一通り聞き終えた更級はぽつりとそう呟いた後、言葉を紡いだ。
「なら尚更葵の了承を得てからじゃないとね」
「それは葵の「本意かどうかを決めるのは本人だけだよ」
草玄はぐっと言葉を詰まらせた。
「おまえが不老不死の力を求めるのは葵と一緒にいる為。葵が本当におまえと一緒にいたいのなら、私は是が非でも叶えるよ。でも、葵の了承の言葉がなければ、おまえの主張は妄想に過ぎないんだよ。例え態度で分かったとしても。それは此方の都合のいい解釈かも知れないしね」
草玄は口を尖らせた。
「俺の味方じゃないのかよ」
「同時に葵の味方でもある。可愛い義妹だもの。当然よね」
「…だよな」
やはり目の前にいる女性は兄なのだと痛感した。
「まぁまぁ、気落ちしない。援護射撃はしてあげるからさ」
「両方に、だろ?」
「まぁね」
更級はその回答にさらに気落ちする草玄の肩に力強く手を添え、いってぇとぼやく草玄に優しく告げた。
「前世で葵がおまえと結婚したのは、恋慕の情より子を産まなければと言う義務感に駆られているからだと、私は感じた。おまえはべた惚れだったけどね」
「…んなの、分かってんだよ」
更級はいじけるなと言うように肩を優しく叩いた。
「葵自身も最終的な決め手が恋慕か義務感かが曖昧なまま事に及んでしまった。それが今でも分からないまま。要するにおまえが好きか自信がないんだよ」
「あっけらかんと言うなよな」
草玄は地面にのめり込みたい気分になった。恐らく、と言うよりも、確実に当たっているだけに、心が鉛のように重たくなる。
好かれていないとは思わない。だが、それが恋慕かどうかと言われれば。
(あ~。俺の勘違いだったら、かなり痛いやつじゃねぇか)
その可能性を考えていなかったわけではないが、無理やり塗り潰してなかった事にしたかったのかもしれない。
情事に及びあまつさえ子どもまで産んだのだから、好きでなければいけないと、葵が思い込もうとしているのではないか、なんて。
(あ~。ネガティブ思考過ぎか。でもぜってー考えてそうだし。何で単純明快じゃないんだよ。めんどくせ~)
頭を抱えて考え得る限りの可能性を頭の中で思い浮かべた草玄だったが、このままじゃまた泥沼に嵌るから悩むのは止めようと覚悟を決めた。
(今までグダグダしてきたんだ。最期くらいは。潔く腹を括ろう)
「俺は葵を背負う覚悟はあります。なので葵も俺を背負ってください」
草玄は目の前に現れた葵を視認するや、真直ぐに葵の瞳を見据えて間髪入れずにそう告げて、手を差し出した。
「今すぐ答えをくれ。覚悟があるか否かを」
(…早急だな。時間がないにしても援護射撃する暇すらないじゃん)
傍らにいた更級はそのまま口を挟まない事はせずに、黙って見守る事にした。
葵は無言で自分を直視する草玄の瞳よりも手に注目した。
(背負う覚悟)
数日を待たずして、目の前の人は亡くなる。
ならばそれまでは。
それぐらい、なら。
(私って、根っからの逃げ腰なんだ)
不老不死の力はあげられない。それは確定している。自分の為になど。
(…自分の為?)
『覚悟があるか否かを』
自問自答をするほどに、心が揺らがされた。
好きかどうかと訊かれていたのなら好きだと答えた。それが恋慕か親愛かと訊かれていたのなら、恐らく、言葉に詰まっていた。
だが、きっと、申し訳ないと思うだけで、動揺する事はなかったはずだ。
最後の最期に、何故と、恨めしい気持ちが生まれる。
こんなはずではなかったのに、と。
「我が儘、聴いてもらってもいい?」
自信がないからと告げては、ずっと逃げて来たのに。
「私の為だけじゃなくて、世界の為にも、生きてくれる?」
不老不死を楯に、ずっと逃げて来たのに。
「私も、草玄の為だけにじゃなくて、世界の為にも生きてもいい?」
とうとう。なのか。やっと。なのか。
「まだ曖昧だけど」
「背負う覚悟はできたから」
葵は差し出された手の平の真上で一旦手を止めた。
「草玄の答えを聞かせて」
(分かっているくせに)
にやける口元はそのままに、けれど即答しそうになるのを必死に抑える。
「世界の為、ね。またドでかい規模だよな」
「あ~、はいはい。そういうのはもう時間の無駄だから。返事だけ即決に」
今まで傍観に徹していた更級は漸く口を挟んだ。草玄は邪魔すんなよなと睨み付けるも、時間の無駄と一蹴された。
「あと五日しか時間がないんだよ。その間にやるべきこと色々あるだろう。死んだらどうしようもないんだからね」
「分かってるよ」
余韻にも浸らせてもらえないのかと口を尖らせながらも、確かに大人げない事をしようとしたと反省した後、再度気持ちを入れ直し、口を開いた。
「世界の為にも、自分の為にも、葵の為にも生きるし、生きて行こう…今はグダグダなしな」
「分かってる」
葵は宙に浮いている草玄の手首を握った。
「これからよろしくお願いします」
草玄もまた自分の手首を掴む葵の手首を掴んだ。
「よろしくお願いします」
「じゃあ、早速代表者と議員を呼び寄せようね。葵は槇と彗をよろしく。草玄は何で不老不死の力が欲しいかを説明する為の、感動的かつ簡潔な文章を考えてね。全員だからね。全員」
幸福な瞬間の余韻も何のその。テキパキと指示を出しながら歩き出す更級の後に続くように、葵と草玄は手を離して自分がやるべき事をする為に足を踏み出した。
それから一日を経たずして、全員の召集が叶ったものの、一回目の議会では大敗し、それから幾度も議会を開いては、否決。開いては否決を繰り返し、気付けば、草玄が死ぬまで残り一日となっていた。
「まぁ、死んでも草玄の事を想い続けるから。浮気もしないし大丈夫だよ」
生きていても死んでいてもどっちでも構わない、との、曖昧だが、曖昧ではないその態度に、草玄は大いに危機感を抱いた。
(答えを出せてもう満足してんだ、こいつ。何、何なの?)
今までと何が変わったのだろう?ふと草玄はそう思いながら、隣に座る晴れやかな顔をしている葵を生気のない瞳で見つめた。
「遺骨もちゃんと背負うから、大丈夫だよ」
続く思い遣りのある発言に。ぶちっと。頭の中の血管が切れる音を、草玄は確かに耳にした。
「何が大丈夫なんだよ。背負うって、そういう意味じゃないからね。つーか、何?死ねってか?一緒に生きたくないってか?俺とあれこれしたくないってか?死ぬかもしれないのに、何その嬉しそうな顔。可愛いくしてりゃあ、何でも許されると思ってんなよ。この野郎」
息も絶え絶えに葵を睨みつけるも、変わる事のない表情が瞳に映り、何なんだよもー、と項垂れてしまった。
「俺と一生一緒にいたくないのかよ」
以前にも訊いた事のある問い掛けで、返される答えも予想は付いたが。
「いたいよ」
草玄は思いもしない回答に項垂れていた頭を勢いよく上げて、見開いた目で葵を凝視しながら、今なんて言ったと、素っ頓狂な声で問いかけた。
「明日の私は分からないけど、今なら、一生一緒にいたいよ」
(…明日死ぬかもしれないから、こんな嬉しい言葉をくれんのか?それとも、夢。何処から?何、もしかして、葵が俺の手を取ったのも夢?やっぱ、背負わない?)
「葵。俺の両頬を思い切りつねってくれないか?」
「…分かった」
自分のらしくない言葉を信じられないんだろうなと思いながらも、此方に顔を向けた草玄の両頬を親指と人差し指で掴んで、思い切り引っ張った。それから草玄にもういいと言われるまで引っ張り続けて、二十分が経った。赤くなった頬と涙目の草玄に、両頬から手を離した葵はごめんと謝った。
「死んでほしいなんて思ってないけど、大丈夫だって、伝えといた方がいいかなって」
「…悪かった」
顔を真正面に戻した草玄は葵に横顔を見せたまま、彼女の頭に手を添えた。
自分と別れてからの葵はひどい有り様だったと、孔冥にもソルティアにも聴いていた。
死にたくはないけれど、どうやって生きていいかも分からない。
私信を失ったかのように、世界を彷徨っていたのだと。
(けど、俺が死んでも大丈夫なら、一緒にいる意味なくね……とかふてくされるのもあほらしいか)
「惚れた弱みだよな、やっぱ」
苦笑して、一人ごちた。
何時か葵にも同じ気持ちになってもらう為にも、明日は確実に全員一致の賛成をもぎ取らなければ。
そう意気込んで後、葵の頭から手を離して、代わりに手を握って歩き出すと、大人しく付いて来る彼女に、らしくないよなと思いながらも、今ならキスできるんじゃないかと浮かんだ思いを実行しようとしたら、その前に頬を叩かれて、やっぱ葵だよなと、痛みを増した頬を擦りながら実感する草玄であった。
「【私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません】、か」
「何ですかそれは?」
葵の電話で空たちと共にこの星に駆け付けた孔冥は今、用意されたホテルの葵の部屋で椅子に座って葵と向かい合っていた。
「私がまだ力がない時の有名な歌。なんか、思い浮かんだ」
「…今日もし草玄が死んでも、あなたは泣かないんでしょうね」
「多分ね」
「と言うよりも、誰も泣かないんじゃないですかね」
「あー。私たちは。そうかもね」
「おいぃぃ」
勢いよく扉が開いたかと思えば姿を見せた草玄に、孔冥は立ち上がって向かい合った。
「草玄。私もあなたが死んでも大丈夫ですからね」
「にこやかに言うな。死なねえし。ぜってー」
「あ、孔冥。久しぶり」
開いていた扉から姿を現した更級は手を上げながらそう告げて、お久しぶりですと小さく会釈する孔冥にうんと返して後、草玄と葵に視線を合わせて時間だよと告げた。
「大丈夫だって。言ったろ?可愛い弟と義妹の為に、全員一致の賛成票をもぎ取ってみせるって」
だから元気を出せと、更級は草玄の背中を思い切り叩いた。
「ほら。無事に生き残ったら、葵もキスしてくれるって。ね、葵」
「「え?」」
無邪気な笑みを向ける更級に、やはり義兄なのだと実感する葵は次に、自分に疑念を交えた熱視を向ける草玄にどう言ったものかを考えて。
「あ、の。あー。うん」
らしくない。心底らしくないと思いながらも、少しでも元気になればと思って了承したのだった。
「ほら、時間だし。早く行こう」
何も言葉を発さない草玄の背を押しながら、葵は皆が待つ会議室へと向かった。
「相変わらずですね」
「ああでも言わないと葵は動かないでしょ」
「まぁ、ですね」
微笑みあった後、じゃあと、更級もまた会議室へと向かい、孔冥は空たちがいる広間へと向かった。
「孔冥。あんなんでいいのか?」
「まぁ、いいのではないですか」
宇宙船の中で、隣に座る孔冥に話しかけた空は短い息を吐き出した。
結果から言えば二十七回目の会議の末、草玄に不老不死の力が与えられる事になったのだが、その為の条件も言い渡された。
「葵と草玄。二人が不老不死の力を持っている事、SPOが不老不死の力を保有し、またそれに関する決定権を持っている事を大々的に公言する、か」
SPO専用議会の他は、各星の王にしか知らされていないという機密事項だったそれを大々的に公言して大丈夫なのだろうか?
自分も全く不老不死なんぞに興味はないのだが、興味のある者はいるわけで。
陽の光の元に出して、またそれを巡って戦なんかを起こさないのか?
疑念は尽きないが、そうならないようにする為の、今回の巡行らしい。
人が住んでいると確認されている星々にあまねく訪れ、葵と草玄が不老不死が如何なるものかの演説を行う。
希望と恐怖。どちらも兼ね合わせていると。
その上で、希望にできると宣言できる者だけが名乗り出て来いと。
「不老不死の力も人生を面白おかしくできる一つの手段として扱えたらいい、か」
「神様と気が合いそうですね」
「…さすがは姉、と言うべきなのか」
色々と疑念は絶えない空だったが、とりあえず、大団円に収まった葵と草玄に再度、良かったなと心の中で呟いた。
「葵。俺、目を瞑るべきか」
宇宙船の中、自分たち以外誰もいないその一室で、向い合せにいる葵に草玄は緊張した面立ちでそう問いかけた。
「あー、の。する?」
するとは言ったものの、やはり気乗りしない葵はしたくないんだけどなぁ、と言う態度を全開にしたのだが、草玄を見て反故にはできないらしいと察し、羞恥心今だけ消えろと念じて、草玄の顎に手を添えて、顔を近づけたのだが。
(キスってどうするんだっけ?)
自分からした事はない、はずで、草玄からも確か三、四回くらいで、しかも何時も勢いよくされて、どうやってしているか、よく分からない。
(このままじゃ、鼻がぶつかるから、鼻がぶつからないように少しだけ顔を斜めにして…唇を合せればいいんだよね)
事務的に。淡々と。全くの色気なしで。この三つを頭に占めて事に及ぼうとした葵。そんな態度を取らない限り、できないのだ。
(ええい、ままよ)
目を固く瞑った葵が顔をほんの少し前に動かすと、柔らかい感触がぶつかり、よし終わったと即座に草玄から離れようとしたのだが、草玄に後頭部を手の平で包み込むように押さえられていて叶わず、咄嗟に、顎に添えていた手を草玄の胸元に添えていた手まで移動させて、両の手で押して抵抗を試みたのだが、それでも、草玄が離す事はしなかった。
唇を動かしてキスを持続させていた草玄は舌をほんの少し出して、葵の唇に軽く押し当てたかと思えば、下唇と上唇の合間を舐めてきた。
(ちょ、)
すでにパニック状態にある葵の瞳から涙が流れ落ちた。その事に気付いたのか。草玄がやっと唇と後頭部を押さえていた手を離した。
草玄は真っ赤になっている葵の目元に人差し指を寄せて、涙を拭った。
「悪い。けど……このまま、先に進んで、いいか?」
ドクドクと全身の血脈が波打つように存在感を出す。
「先にって」
真剣な面立ちにたじろぐも、足は動かない。
「嫌、か?」
「だって、子ども産めないし。先に進まなくたって」
「…本当に子どもがどうなのかが理由か?俺が」
一度口を閉じて後、再度口を開いた。
「最初で最後だったのに。俺、情けないけど、滅茶苦茶緊張して、頭真っ白になって、勢いに任せて葵を抱いた。怖い目に遭わせた。だから、拒むのか?」
「それも、ないとは、言えないけど」
(覚えてないんだ。二回目の事)
自論を述べれば、やる必要のなかった二回目の行為。
この行為はずっと、愛しい者同士が子どもを産む為だけにするべきだと思って来た。
性欲と言う言葉が嫌いで。第一自分には無理だと思って来たから、子どもを産む以外では関わりたくなかった。
それはあの時でも変わらず、子どもを産む事もできないから、関わる事はないと思っていたのに。
「葵が欲しい」
思い起こすのは、あの時と同様に熱を帯びた瞳。
求愛と同時に、恐怖と孤独をも感じさせる瞳。
これ以上見ていたくなくて、思わず目を逸らしてしまった。
「あ、の。次の星に着いてから、ちゃんとしたい」
感情がないまぜになって、どうしようもなく泣きたくなった。
「…分かった…その、嫌なら」
葵は首を振った。
「置いていかないで」
「?葵」
腹部辺りの服を掴んで懇願する葵が、幼い子どものように見えた草玄は、包み込むようにそっと葵を抱きしめて、約束すると誓った。
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