第14話 迷宮の彼方に隠した秘密、真っ白な世界だった(5)
『父親はいないと聞かされてて育った。貧乏な家でよ。母親は身体を酷使して俺が五歳の頃に死んだ。こんな世の中だから世話しようって物珍しいやつはいなくて。花街に売られた。最初は姉さんや兄さんの世話をして、十歳くらいからは客を取らされた。女も男も。もう数えるのが気怠いほどに、抱いたり、抱かれたり。でも、そん時くらいだったんだよな。生きているって感じがしたのは。俺もだけど、客も。生き甲斐なんて持ってなくて、でも死ぬほどこの世界に絶望しているわけでもない。ただ、漂うように日々を暮して、生きているか死んでいるかを確認する為に、わざわざ金を出して抱いたり抱かれたりしてよ。
十年はそんな風に生きて。ああ、俺はこれからもずっとこのままなんだって思ってた。要らないと棄てられる日までずっと。けどよ、そんな時に老師が急に現れて。『おまえの父親に託されて来た』って言われて。その時は国王だって言われずに同僚って言われたけどよ。俺は流されるままに老子についてったら、いきなり役人になってもらうからって、叩きこまれてよ』
クッと肩を鳴らした。
『とんでもねぇ男で、嫌気が差して逃げても逃げても追いかけてきやがって。その甲斐あってか役人になって。上司にはとんでもねぇやつに当たるわ。同僚には勝負をしかけまくるやつはいるわで。ま、人並みの生活ってやつを味わせてもらってたと思う。けど、それでも花街には通ってたな。染みついた生活から抜けられないのか。まだ生きている感じがしなかったのか。多分、両方だろうが。変わんねぇな俺。多分、これからも。で、二十八の時におまえに出会った。正直、最初は気に食わなかった。『私は生きてます』って、自信満々な態度でよ。何でそんなんなんだって。冷たく当たった。なのに、何でかな。何時もおまえを捜していた。自分にないもん、持ってただろうな。羨ましかったんだよ。それが、何でだろうな』
目の前に座る葵を目を細めて見つめ、穏やかな笑みを浮かべた。
『おまえの傍は心地好かったんだよ。お日さん本体じゃなくて、そのお日さんに当てられたさ、ふかふかの布団のように。すげー心地好かった。何時かさ。おまえ怪我した時あったろ。誤魔化してたけどよ。そん時に診てもらった黄志に言われたわけ。恋してるなって。ああ、俺恋してんだって。そう気付いたら、すげー浮かれた。で、付き合おうって言って、了承してくれてさ。俺さ、夢心地にいるようで。二週間。本当に浮いてたな。ふわふわとさ。綿毛のように』
草玄は不意に、真顔になった。
『けど、おまえに別れようって告げられて。ショックだったのは勿論だが、こっちが本当の俺だって納得もした。おまえは俺には分不相応過ぎたんだよ。高嶺の花よりも、もっと遠くの存在で。近くにいてくれたのが奇跡だったんだって。五年。仕方がないって。これが現実だって。自分に言い聞かせてたな。なのに。おまえ、また現れるし。諦めろって、無理だろ、それ。諦めらんねぇよ。てな。で、今も強引に引き留めてるわけだ』
遠くに行ってしまわないように、地に縛り付ける。優しい彼女。無下にはしないから。
『俺さ。自分で自分のこと、気持ち悪いってずっと思ってた。何で死んだような身体なのに生きてんだって。死ななくて。抱き続けて。抱かれ続けて。子ども生まれたら殺そうって決めてた。俺の血さ、残したくなかったんだよ。一滴も。結局、子どもが身籠ったことはなくて、殺さずに済んだわけだ。なぁ、葵』
草玄は蔭りのある表情を葵に見せた。闇の一歩手前、薄暗い色を漂わせながら。
『俺はこういうやつだ。表面上格好つけているが、中身は空っぽ。あるのは、性欲と相手に合せる為の情報くらいか。俺を見ろって。俺には何にもないのにな。莫迦みてぇ。人並みの生活なんて、できるわけないわけで』
格好をつける自分。今こそその本領を発揮するべき。なのに、未練がましい気持ちが前に出て、抑えきれない。
『でも、俺。葵となら、普通の生活ってやつを過ごせる気がする。俺、葵。じゃないと』
こうやって、自分は彼女を地に縛る。同情させるような言葉を用いて、自分の傍に。
綺麗な彼女。汚い自分。もう自分は綺麗にはなれない。なら、彼女に汚れてもらうしか。
(違う。俺は)
『俺、生きてたいんだ。葵となら、生きれるんだよ。俺』
要はおまえがいないなら自分は死ぬと言っているようなもので。
この世で最悪の告白だった。
草玄は全身の力が一気に抜けて行くのを感じた。それでも、顔は葵に固定したまま。
『これが、俺の本性』
自分では断ち切れない。だから。
『軽蔑したか?』
(おまえじゃないと、俺は、解き放てない)
『草玄は、さ。優しい人だね』
『俺のどこが。卑怯な言い方でおまえを手に入れようとしてるんだぞ』
捨てて欲しい。なのに。瞳に映る彼女は穏やかな表情を浮かべていた。全てを包み込むような海のように、雄大で、自由に、逃げることなく佇んでいる。
『でも、何時だって逃げ道をくれる。五年前も、今だってそうでしょ?話を聴いててさ。逃げろって。すごい勢いで語りかけて来るようだった。私は、草玄を苦しめる存在なんだって。私は傍にいない方がいいと思う。草玄はもう大丈夫だから。真矢姫から聞いた。優しくしてくれたって』
『あんなの、建前で』
『優しくできない人は結局できない。何時かボロが出る。でも、一年間ずっと優しかったって。その間、人を抱いた?抱かれた?』
『…抱いてねぇ。けど、頭の中で、おまえを抱いてた』
『想像は自由だし。お金でも、お互いに了承した上だし。草玄は無理強いしない。知ってた?付き合ってた二週間の間、私ずっと女の人にも男の人にも追いかけられてたんだよ。『あんたに草玄様は相応しくない』って。好かれていた。優しいよ、草玄は。皆、魅力に気付いていたってわけ。それに空っぽ上等。遠くまで行けるじゃん』
『………おまえ、莫迦だな。俺は風船かよ』
『自分で歩くのも一幸。けど、流されて見る景色もさ、一幸じゃない?自分で歩くよりもさ、多くのものが見れるよ。で、何時かは割れて地面に辿り着く。割れるまで流されてさ、破片になって、自分の足で立って歩けばいい。そう、どっちも体験できれば二幸になる』
『何だそれ?』
『いや。いい事を言おうとしたんだけど、中々難しい。それに独自性がない。まだまだだね』
『本当に、おまえは』
心地がいい。沈んだ気分を何時の間にかその軽快な態度で掬ってくれる。
(全く、敵わない)
草玄は緩んだ表情を引き締め直した。
『葵。これが最後の機会だ。多分、もう、手放せない』
『それは……うん』
『俺と一緒にいる?いない?』
『一緒にいる。この世界では』
『…本当に?』
『本当』
『やらしいこと、するぞ』
『出来れば控えて』
『我慢できないかも』
『なら干物を思い浮かべて。それでも駄目なら最終手段。拳で目を覚まさせるから』
『暴力反対』
『ならくすぐる』
『…俺、暴力振るうかも』
『なら応戦する。武器使う。強いから、大丈夫』
『浮気、するかも』
『どーぞ、どーぞ』
『金遣い、荒いかもよ』
『その時は怒る』
『怖いな』
『怖いよ』
草玄はふっと肩の力を抜き、苦笑した。
『なんか、よ。もう結婚するみたいだな。普通の恋人みたいに、さ』
『でも、普通じゃないからね~』
『そんなに慎重だと嫁の貰い手がなくなるぞ』
『だから今まで独り身だったの』
『けど、これからは違う。了承した』
『『一緒にいる』は『結婚する』、の同義語じゃないよね』
『詐欺じゃね?』
『まぁ、何処に落ち着くか分からないけどさ。とりあえずはよろしくって事で』
『生殺しだ』
『まぁまぁ。結婚だけが人生じゃないしさ』
『おまえにだけは言われたくねぇ』
拗ねた態度を取る草玄に、葵はぽりぽりと頬を掻きながら、陽気な中にほんの少し真面目な声音を混ぜ口を開いた。
『じゃあ、さ。もう一つだけ約束する』
『約束?』
『最初の結婚は草玄にする』
『素直に喜べないんですけど。『最初』の文字がどう考えても邪魔ではないでしょうか?』
『女は予防策を怠りませんから』
『男は考えなしの特攻型って言いたいのか?』
『違う?』
『……違わないような気もするし、そうじゃないような気もするが…越えられない壁だな』
敢え無く口を閉じた草玄に、葵はニマニマと満足げな笑みを浮かべた。
『いや~。初めて草玄に勝ったような気がする。よしよし。これで武術の方でも勝てれば』
『あ~。有り得ないね。それだけは絶対に、天地が引っくり返っても』
負けたままでは気が済まない。だからと言って男の意地ではありません。事実です。
『いやいや。数千年の武力は今もまだ発展途上ですから』
『数千年経っても俺に勝てないようではもう停まっているんじゃないですか~』
『アッハッハ。なら試そうか。あの時からもう五年経っているわけだしね』
『ウハハハハ。五年如きの年数で差が縮まるとでも?もう一千年は必要では?』
『ウホホホホ。ご冗談を』
『ダハハハハ。なら見せてもらおうか』
すでに最初の対決を開始させている葵と草玄。そう。どちらが大きい笑い声を発するか。を実行中であり、大変、隣近所にご迷惑である。
『…葵様は色気が足りませんわ』
『真矢姫。人には望んでも手に入らないものもあるのですよ』
『と言うよりも、葵様ご自身が望んでないのでは?』
『なら代わりに』
『わたくしたちがお祈りしましょう』
影からこっそり二人の様子を覗いていた真矢姫と孔冥。共に厳かに合掌した。
『負けた』
昼食を取るのを忘れるほどに今まで草玄と手合せをしていた葵。つい先程決着が付いて夕食の用意をする前に自室へと戻り、寝台の上にどさりと身体を前のめりに倒した。
『…強く、なってるのかな?』
攻撃はほぼ寸前で躱されている状況。拳や脚はブンと空しく空回りするばかりだ。数千年。魂だけの状態になってもほぼ毎日、身体は鍛えてきたはずなのだが。
『やっぱ、才能って必要なんだろうな』
越えられない壁と言うのは確かに、存在するのだろう。が。
勢いよく起き上がり寝台の上に立った。
『諦めたらそこで終わり。ですよね。師匠……よっし。夕食の支度をするか』
拳を作り気合いを入れ直した葵は、寝台の上から飛び降り台所へと向かった。
(何を話してるんだろ?)
台所の扉を開けようとした葵だったが自分の名が耳に入り、扉に耳を当て話を伺うことにした。どうやら草玄と孔冥が話しているようだ。
『強くなっている。前は大分距離を空けて躱せてたんだが。今はギリギリだしな』
『そうですか…浮かない顔ですね』
『葵はさ、何であんなに強くなろうとしてんだ?』
『宇宙一になる為』
『茶化すな』
『茶化していませんよ。本人は半分くらいは本気です。そう言う目標を持ってないとあんなに長生きできませんし』
『ならもう半分は?』
『精神を鍛えるにはまず肉体から。弱いと口にしていますからね、葵は』
『…あいつさ、俺がもし暴力振るったらどうするつったら、応戦するって言ったんだよ』
『でしょうね』
『無理してんじゃねぇかって、思った。どんなに怖くても自分に大丈夫って言い聞かせてよ。無理して、自分を抑え込んでんじゃないかって』
『ですがそれは普通でしょう。最初は苦痛そのものですが、それが本当に大丈夫になってくる。違いますか?』
『怖いんだよ。本当に大丈夫になってよ、考えもなしに飛び込んで行くんじゃないかって』
『慢心、ですか』
『こんな戦ばかりの世界で、しかも王位の血を継いで。負わなくていいもんまで背負い込んで。平和協定って』
『今すぐには無理でしょうがね。ですが、誰も口にしないよりは一歩進めたと思いますよ。誰もが望んでいる事でしょう?』
『誰もが葵と同じ考えとは限らんよ。戦を望む連中もいる。自分の利益の為にな』
『死んだら利益も何もない、欲が深すぎると身を滅ぼす事を知らないお莫迦さん達。まぁ、葵も同じですがね。生きたいと願い、自然に逆らい不死の道を進んでいる。きっと誰よりも欲深い』
『ああ』
『まぁ、良からぬ事を企んでいないから、自然にまだ殺されていないわけで。誰もが葵のような欲深さを持っていたら人類は繁栄していませんでしたよ。いや。葵が一人で助かりましたね』
『葵も、死ぬ日が来るのか?』
『あの人が死を望んだら、ですかね』
『死なない。死ねないっつってた』
『はい』
『生きてんだな』
『はい』
『不死のやつって、もっと根暗なやつだと思ってた。人類滅べだの世界なくなれだのぶつぶつ呟いてるやつ。で、その実現の為に人生をつぎ込む』
『人がすごい世界がすごい、を口にしている人ですからね。最初の世界が余程平和だったのでしょう。あとは本人の能天気さ。楽天的な性格も』
『莫迦だよな、あいつ』
『ええ』
『初恋にしては、とんでもない女に惚れたな』
『今からなら引き返せますよ』
『誰が。んなことしたら、葵は喜ぶ。ふ。空しい。お互い好きなのに』
『好きだから幸せになって欲しいのですよ』
『自分が幸せにしたいって思うんじゃないか?』
『自分に自信ないですからね』
『俺もないが、それを吹き飛ばすほど、葵が好きで……葵は』
『これからも。そうやって悩む羽目になるかもしれませんよ』
『傍にいるって言ってくれた。葵にとっては、結構大きな一歩だったと思う』
『なら、あまり急かさないでくれると有難いです』
『それも、あんま自信ねぇ』
『真矢姫と祈りましたから。葵に色気をと。その内…五十年後には色気ムンムンの女性に』
『五十年後。俺が八十三、葵が七十三……まだ、いけるな。つーか、男は生涯現役だしな』
『その意気です。長い目で見守っていて下さい』
『漢気だな、漢気』
『はい』
(……出て行くタイミングが。色気って。私を満足させてみなさい、的な、アレ?……無理。現実的に無理。生涯無理……そう言えば、草玄。頭の中で私を抱いてるって言ってた。つまり、私をそういう眼で見ているわけで)
カーッと全身に熱が帯びる。
(大体、何で接吻されたのにその都度その都度平気でいられたんだ、自分。しかも、自分に似合わない言葉を発したような~~~~)
今すぐに廊下を転げ回りたい衝動に駆られる。
(駄目だ。恋愛、恐るべし。いや、雰囲気。そう、雰囲気の所為で)
『何をしているのですか?葵様』
『真矢姫』
『お顔が真っ赤ですよ。もしや、風邪ではありませんか?』
心配げな表情で近づいてくる真矢姫に、葵は大丈夫ですと両腕を左右に振った。
『莫迦は風邪を引かないと言うでしょう』
『それはただの諺です』
(…莫迦は否定しないんだ。まぁ、事実だし、別にいいんだけどね)
『二人して扉の前で何話してん……葵。どうかしたか?顔が『あ~。風邪引いたかもしれないから部屋で寝てる。移るといけないから誰も近づかないで』
草玄の出現により熱はさらに急上昇してしまった葵。早く一歩でも遠く彼から離れようとくるりと背を向けその場を去ろうとしたのだが。
『触らないで!』
後ろから腕を掴まれとっさに振り払ってしまい、恐る恐る振り向くと、呆然と立ち尽くす草玄が瞳に映ってしまった。申し訳なさと、だがそれ以上の恥ずかしさで一言謝罪してその場を猛速急で駆け走って自室へと駆け込み内側から鍵を掛けると、崩れ落ちるようにその場に座り込み、膝に顔を埋めた。
(あ~もう)
こんな恋愛ごっこをしている場合ではないのに。もっと冷静になって物事に対処すべきなのに。どうしてこんな。
(~~~)
彼にそう言う対象と見られている。今更ながらにそう認識すると、にっちもさっちもいかない。
(いや。落ち着いて。自分だって草玄に子どもが欲しいって言ったわけで。つまり~~~)
情報はある。だが経験は全く皆無である。
(けど、草玄は、違くて。今まで、数えきれない人と、身体を重ねてきたわけで)
実際、具体的な映像を思い描いてみると、言葉にできない。
『葵。どうかしましたか?』
『……自分の言葉の軽薄さに嫌悪中……草玄、は?』
『まぁ、落ち込む中、ですかね』
孔冥は扉に背を預け、葵に話しかけた。
『夢物語が現実になろうとして怖くなりましたか?』
『……鸛が運んで来てくれたらいいのに。キャベツ畑に』
『現実逃避しない』
『ならお互いの血を飲むだけで子どもが宿ればいいのに』
『命を生み出すわけですからね。それ相応の努力も必要ですよ。あとは運』
『女に生まれたくなかった』
『男も大変ですよ』
『両性具有体に生まれれば。アメーバ。分裂体でもいい』
『そうしたら人にも、広い世界にも出会えませんよ』
『海とか、川の中にも知識の泉はあるはず』
『考える脳はありませんがね』
『ならどうやって漂えば一番心地いいかとか、微生物は何が美味しいかとか、生存方法だけをのほほんと考える。それくらいの頭はあるでしょ』
『…洒落になりませんね、あなたが言うと』
『自分でも何言ってんだろうって思う』
『多分。いくら考えても答えは出ませんよ。迷い込むだけです』
『…分かってる。でも、今は無理。普通に顔合せる自信ない』
『分かりました。草玄は大丈夫ですから、葵が大丈夫だと思ったら彼に顔を見せてください。食事は部屋の前に置いておきますから』
『ごめん。ありがと』
(…草玄ではなく璉殿だったら良かったのでしょうね)
夕焼け空を見上げながら、世の中は本当にままならないものだと思う孔冥であった。
『葵は?』
『遅かれ早かれああ言う事にはなると思っていました』
孔冥は山茶花の前に腰を下ろしていた草玄の隣に立った。共に目線は真っ白な山茶花に。
『葵さ。何時も口を一文字に結んでたよ。ただ嫌な事に耐えるようにさ。自分の感情。吐き出さずに全部呑み込んで。視線は逸らさずに真直ぐ俺を見る。想像の中なのに、俺の思い通りにならねぇ』
『本音が駄々漏れな事に気付いていますか?』
『溜め込んだら、矛先は全部葵に行っちまう。なら、おまえにどう思われようがどうでもいい。吐き出させてもらう』
『賢明な判断です。で?』
『葵に、嫌われたくねぇ』
『はい』
『けど、抱きてぇ』
『子ども、欲しいですか?』
『葵が欲しい』
『なら子どもは殺しますか?』
草玄は膝の中に顔を埋め、腕を握る力を強くした。
『殺せるわけ、ないだろうが。葵の子だぞ』
『あなたの子どもでもありますよ』
気のせいだろうか。優しく諭すような何時もの声音ではなく、厳しく人を追い詰めるようなものだった。
『はっきりさせておいてください。あなたが生まれる子どもをどうするのか。葵の子だから。だけでは足りませんよ。確実に』
それだけ告げるや、孔冥は踵を返して草玄を一人残し、その場から去って行った。
(子ども。葵と、俺の)
顔を俯かせたまま、唇を強く噛み締める。
どうして子どもが生まれるのか。ただ抱きたいだけなのに。葵だけが欲しいのに。
『子ども、産むなら、草玄とがいいけど』
葵はそう言ってくれた。だが自分は、自分の子どもを生み出したくなど。
(何で。子どもなんか生まれるんだよ)
答えなど、いくら考えても同じなのに。
『さと。どうしたの?』
草玄と顔を合わせないまま一週間の時間が流れた或る日の晩。満月だった。自室の窓の外に連絡鳩であるさとがおり、窓を開けて手に乗せ部屋の中へといれた。
『手紙、はなし』
さとに付いたほんの少し焼け焦げた匂いに、嫌な予感が静かに身体に響き渡る。
葵は必要な物だけを風呂敷に包んで背負い部屋から出て今、或る部屋の前で緊張した面持ちで扉を軽く叩くと、返事が返って来るも扉は開かれず。ほんの少し、安堵する。
『私だけど、ちょっと和国に戻るね』
『何かあったのか?』
『分からない。だけど』
『待ってろ。兄、更級王なら何か情報を』
『ごめん。早く行きたいから』
『なら俺も』
『私一人で大丈夫だから』
『あお『行って来る』
草玄が急いで扉を開けた時にはもう、葵の姿はなかった。
『………嘘、でしょ』
―――和国の首都『守未』
和国は本土から離れた川に囲まれた孤島であり、辿り着くには幾つもの季節によって変化する渦を超えて行かなければいけない為、川の流れを熟知する和国の者以外易々とは足を踏み入れる事はできず、敵に襲われない鉄壁の要塞場所として最適な環境にあった。
だが、瞳に映るのは、真っ赤に燃え盛る町。家。その中には不思議なほどに人はいない。葵は瞼を固く閉じ気持ちを入れ替え、瞼を開いた。
『連れて行かれた?それとも、自然のもの。でも人がいないのは』
『葵。申し訳ありませんが』
『無理言ってごめん。危ないかもしれないから気を付けて』
『分かりました。葵も気を付けて』
滅多に見せない辛そうな顔。理屈はよく分からないが、孔冥によればこの島に移動するのは相当負担がかかるらしい。
葵は孔冥を残し、一人城へと向かった。
『ここも、誰もいない。何で』
静寂な雰囲気は町と同じ。違うのは綺麗なままの城。否。肌色に近い城の中の壁や木の床には無数の切り傷と弓矢と。
『死体はない。つまり、まだ殺されてはいない』
銃や大砲のない世界。刀の世界。弓の世界。
『母上。父上。伯母上。皆』
決めつけてはいけない。まだ何も見ていないのだから。
城から里へと向かう途中には広い荒野がだだっ広く存在した。地面には植物が生えない不思議な場所。たった一本の
その樹を今もまた、呆然と見尽くす事しかできなかった。
燃え盛る炎。樹も樹に吊るされた人も、何もかもを、燃やす。
その周りでは宴が催されているのか。陽気な笑い声。否、狂気じみた笑い声が耳について離れない。和国の血を消せと。歌いながら踊る者。酒を飲み乾す者。ただ笑い転げる者。泣いているのは、何を悲しんでいるのか。何を喜んでいるのか。
身体がよろめく。息が苦しい。胸が痛い。目を覆い、その場から遁走したい。なのに。
よろよろと足は前に進み、そして一気に駆け走る。
走りながら耳に入る叫び声は、誰のものなのか。
殺せと、誰が叫んでいるのか?
ここで死ぬのだと、ただそう思ってしまった。
何時もとは違う死の迎え方だなと。ただ。
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