第12話 迷宮の彼方に隠した秘密、真っ白な世界だった(3)

―――『珂国』の首都『達甲たっかん』の城の門前にて。



『………』

『………』

『二人とも無言で見つめ合って。心で通じ合おうとしているのですか?』

『あ、孔冥。お帰り。どうだった?』

『いえ。もうやんちゃな子どもたちばかりで。教えるのに苦労しましたよ』

『ご苦労様。ゆっくり休むといいよ』

『ええ。もう疲れ果てました……で、草玄。何時までそんな険しい顔をしているのですか?』

『……王は今城の中にいない。帰り次第知らせを送るから、中でゆるりと身体を休まれよ。孔冥。おまえも彼女と一緒の部屋でいいな』

『ええ、まぁ』




『つまらない人生が一変、ですか?』

『葵と一緒じゃなかったのか?』

『ええ、まぁ、野暮用がありまして』


 立ち去った草玄に追いついた後、隣に立った孔冥はゆっくりと歩を同じにした。


『三か月の恋人ごっこは実を結ばなかったようですね』

『三か月どころか二週間で幕を閉じたし、『兄上なら幸せになれるよ』とか言って別れの挨拶もなしに目の前からいなくなった。薄情な女だ。あのまま付き合って、あまつさえ結婚していたら絶対後悔していたぜ』

『耳に挟みましたが、結婚したそうですね』

『まだ、だがな。王が子を産めない体質で俺がその代わりだ。もう後宮には入ってもらってはいるが、正式に発表するのは来年だな』

『宰相、でしたか。出世しましたね。おめでとう、と言うべきですか』

『別に』

『…相も変わらず面白くなさそうな顔をしていますね。辛気臭い。父親になるのですからもっと豪快な男になった方が宜しいのでは?』

『はいはい。有難い説法痛み入る。悪いが話は後だ。まだやる事があるんでな』

『分かりました。では今夜。葵も一緒でいいですよね』

『好きにしろ』






『なるほど。『緑茄』『栴駕』『馬枝』『樂津』『弥府』は協定に好意的らしいな』



 『珂国』の現王、更級さらしな。耳にかかるか否かの短い灰色に近い髪に、優しそうな顔立ちと物腰の柔らかい男性で、草玄の異母兄弟である彼は葵から受け取ったそれぞれの王からの文を全て読み終えた後、目の前に座る葵へと顔を向けた。



『旅路は苦労の連続だったのでは?』

『ええ』


 葵は微笑を浮かべて後、真顔を更級へと向けた。


『返事を頂けますか?』

『我が国としては構わぬが……分かっているだろうが、どの国も快く迎え入れたわけじゃない。どの国も血を流した。憎しみは消えぬよ』

『それでも、何時かは終わりを迎えなければ。子が泣き、親が泣く様は、あまりにも痛い』

『そうだな……すまないが来年まで国に留まってもらえないか?来年、義弟の結婚と同時にこの事を発表したいのだ』

『それは、構いませんが』

『もう一つ、そなたに頼みたい事がある』

『?はい』




(…なんか。順調すぎる、ような)


 王への文を書き終えそれを鳩の足首に括りつけた後、窓から解き放った葵は夕日色に染まり行く空を目を細めて眺めていた。


『あなたでも悩む事があるのですね』

『失敬な。悩みまくりの人生ですよ』


 葵の声音が柔らかくなり、口元が自然と綻ぶ。


『あなたがまさかこんな大それた事に関わる日が来るとは。今まではくだらない事ばかりだったのに。泥棒とか泥棒とか、泥棒とか』

『…盗んでないじゃん。こっそり入って読んでただけで、読めそうになかったらちょっと拝啓して、ちゃんと返したし。大それた金庫とかさ、秘密の地図とか。何が入っているんだろうって、気になるし。開けて入って、なるほどって納得して。何も盗んでないし』

『あ~、はいはい。そうでしたね。でも他人様に迷惑掛けまくったでしょう』

『だから、お金置いといたじゃん。迷惑料って』

『雀の涙ほどですけど』

『変わらないね。孔冥は』


 葵は隣に立つ孔冥を見て嬉しそうに笑った。


『あなたも、ですけど。ここまで成長しない人間もいるのだと感心しますよ』

『一生変わらないかも』

『それも一興ですよ。そうそう。今夜草玄と飲みに行きます。あなたも行きますよね』

『私は、いいや。王に頼まれた事もあるし』

『会いたくないですか?』

『そりゃあ。だって、もう会わないと思ってたし。気まり悪いし』

『結婚するらしいですよ』

『うん、聞いた』

『感想は?』




『『良かったよね』ですって』

『丁寧に教えてくれてありがとよ』


 心なしか不機嫌な表情になった草玄は一気にグラスに残った酒を飲み干した。


『良かったよ。だってな、優しい人だったからな。政略結婚も同じだろうに。のほほんとして癒されるんだぜ』

『ではもう葵の事は何とも思ってないと?』

『ハッ。決まってんだろうが。もう全然。何とも。二十三で独り身で可哀想だなくらい』

『結婚願望なしですからね、あの人は』

『もうおまえが貰うしかないんじゃないか?』


 酒のせいか。居酒屋の中は陽気な笑いで立ち込めていた。



『いえいえ。ただの相棒ですから。全くそんな気持ちは芽生えませんね』


 孔冥はわざとらしく肩を大げさに落とした。


『そうか。おまえらなら上手く行くと思ったが』

『私もあなた方なら上手く行くと思っていましたよ』

『上手く、ね』


 草玄は胡乱な瞳で空になったグラスに視線を固定させ、それを人差し指と親指で持ってクルクルと回し始めた。


『なぁ、これから言う事は戯言だ。本気に取るなよ』

『はいはい』

 孔冥もまた、グラスにほんの少し残った淡い空色の酒に視線を固定させ、草玄の話に耳を傾けた。

『俺、さ………やっぱ、好きだわ。妻に、迎えるなら、葵がいい。葵しか、駄目だ』

『ええ』

『一日も、忘れたことなかった。ずっと、逢いたくて、逢いたくて、堪らなかった』

『ええ』

『今でも好きだって伝えたら、あいつ。なんて言うかな。結婚相手いるでしょ、って言うだろうな。幸せにって。幸せになれるよって言うなら、おまえが幸せにしてくれよって、話だよ。大丈夫なら、何で、俺じゃ駄目なんだよ』

『なら伝えてはどうですか。ここで管を巻いているよりは先に進めるのでは』

『そう、か。そうだな』


 酒は偉大。で、気持ちも上る。弱気な気持ちを吹き飛ばし、強気になれるのだ。

 草玄は勢いよく立ち上がり、葵が泊まる王宮へと歩を進めた。




『酔っているだけですから。真に受けなくていいですよ』


 いきなり現れた草玄に好きだと告げられた葵は焦りを見せずに、ゆったりとした口調でそう告げた。

 草玄の結婚相手の女性、三つ編みに結ばれた漆黒の髪に、下がった目尻に、ほんの少しふくよかな頬に、可愛らしい姿形でのほほんとした雰囲気の真矢まやに。


『草玄殿。飲み過ぎは身体に毒ですよ。ハッハッハ』

『ハッハッハ。心配してくれるんだな』

『そんなに千鳥足で歩く人を見れば誰でも心配しますよ』

『ええ、そうですか?誰でも心配するんですか?おたくさんは。すごいですね』


 口から、否、全身から酒の臭気を漂わせる男、草玄は上下に首を動かしている。恐らく、無意識に、だろう。


 一方、真矢は笑みを浮かべながらお茶を手に持ち、草玄と葵のやり取りを見つめていた。


『好きでもない人を心配するのですか?尻軽ですね』

『はいはい。尻軽ですね』


 明らかに真剣に取り合う気のない葵に、それでも陽気で舌足らずな言葉を浴びせる。


『そうやって俺も弄んだんですね。純情じゃありませんから、傷つかないと思ったのでしょうかね~』

『弄んでなんか、いません』

『俺の身体だけが目当てだったんだ』

『誰が』

『あんだと。俺の身体はな。数百万で買われたこともあるんだぞ。一晩でだぞ』

『もったいな』

『そうだよ。おまえさんはもったいないことしたんだよ。そんな値打ちのある俺が好きだって言ってんのに。な~にが不満だ?言ってみろ』

『草玄様は葵様が好きなのですね』

『真矢姫、草玄殿は酔っているだけで『好きなのですね』



 今まで静かに傍観していた真矢だったが、急に立ち上がるや草玄の前に立ちそう尋ねたのだ。すると顔を引き締め堂々と好きだと告げた草玄に、満足げに頷いた真矢は葵の方へと振り向いた。面白そうなものを見つけて嬉しそうにする子どものような笑みを浮かべて。



『葵様。喜ばしい暇潰しに出逢えました』

『ええと』


『真矢姫が暇を弄んでいるようで、出来れば話し相手になって欲しい』。これが更級王に頼まれた事だったのだが。嫌な予感がする。葵はひしひしとそう感じた。


『わたくし、これまで色沙汰恋に無縁の日々を送ってきましたの。私の国は女傑ばかりで。男の方たちは蛇に睨まれた蛙のように求婚されれば命惜しさに首を縦に振るだけでしたの。こう、物語のような、心浮き立つような恋愛を間近に見たことがなくて。所詮現実などこのようなもの、と諦めていました。けれど』

『け、けれど?』

『諦めた頃に希望は降って来るのですね。ああ。素晴らしいです』


 突っ込みどころが満載の姫だ。葵は実直に感じた。人の話をあまり聞かない体質だとも。


『あのですね。彼は酔っているだけで。そもそも真矢姫の夫になる方ではありませんか』

『ええ、そうですね。でもどうとも思っていませんし。幸せになれるのでしたら、そちらの道を選んで頂きたいと思っています。母上には巧く誤魔化しておきますから』

『真矢姫。やっぱ、あんたいい人だ。うん』

『草玄様。頑張って下さい。応援していますから』


 見つめ合い手に手を取り合う二人。傍目から見れば仲睦まじい夫婦なのだが。


『ではわたくしはお邪魔ですね。草玄様。漢気のある態度で』

『おう』

『いえいえ、真矢姫』

『葵様。ご武運を』

『真矢姫。こういう時に言う科白ではないですよ』


 颯爽と立ち去る真矢姫。残された葵と草玄。


『好きだ』


 両腕をがしりと掴まれた葵。逃げ場がない。


『落ち着こう。ね。酒は人を酔わせるから』

『…酒のせいだって、思ってんのか?』

『そうじゃないけど。う、お酒臭い。酔いそう』

『……なら、素面の時に、また言いに来る。逃げるなよ』

『変わってないから。親愛のまま、ずっと』

『俺は、恋慕。のまま。ずっと、好きで。一日だって。忘れたこと、なくて。ずっと、ずっと。逢いたくて。堪らなかった。俺が、どんだけ嬉しかった、と思う?』

『私じゃ、幸せにできないから』

『なら俺が幸せにする。愉しませる。だから俺を貰ってください』


 そう告げるや、草玄は糸の切れた人形のように床に崩れた。


『貰ってくださいって。普通、親が婿に言う科白じゃない』


 葵は規則正しい寝息を立てる草玄に毛布を掛けてから、隣に座った。



 好きか、嫌いかと訊かれたら、好きだ。

 では親愛か恋慕かと訊かれたら、正直、よく分からない。

 その境目が分からないのだ。友人と恋人。家族と恋人。何が違うのだろうか?

 分からないのは親愛の証。何故なら恋するとなんか違いが分かるのだそうだ。

 だが、家族にはなれるとは、思った。

 愉しく暮らせるのでは、と。


(流されてる。好きだって言われて流されてるよ自分)


 頭を激しく左右に振って後、ゆっくりと上下に動かす。

 ガチャンと音が鳴る。否、ガチャン、ガシャン?


『……ガチャシャン?』


 違和感のある手首に視線を動かすと枷が嵌められており、鎖の後を追うと草玄の手首にも同様の枷が嵌められていた。それからさらに視線を上に動かすと。


『孔冥。これは。理由はいいや。外して』

『葵。これで四六時中いれば本性が見えます。それから答えを出しなさい。大丈夫。草玄は臆病者ですから』

『ちょ』


 先程の真矢姫同様、颯爽と立ち去る孔冥。残る葵と草玄。






『………え?』


 想像してみて下さい。あまり覚えていない昨晩。隣に眠るのは愛する人。しかも何故か自分と彼女の手首に枷が嵌められている状況を。一応、二人とも服は乱れていません。


『昨日、俺。葵に会いに行って。真矢姫、もいたよな。で……どうなった?』


 ドッドッドっと心臓の音が煩く耳につく。ないとは思う。だが、断定は、できない。


『あ、これ『俺!責任取るから!絶対幸せにするから!』


 瞼を開き上半身を起こそうとする葵に、草玄は怒涛の勢いでそう告げた。


『その。俺、全然覚えてなくて。嫌がるおまえに、無理やり、したの、か。それとも、その同意の上で』

『あの。全然、そういうのないから。これ、孔冥の仕業。取ろうと頑張ったんだけど、頑丈で。捜し出さないと』

『つまり、ずっと一緒ってわけ、か?』

『孔冥を早く捜そう。支障ありまくりでしょう』


 立ち上がる葵に対し、草玄は腰を落ち着かせたまま視線をあちこちに動かした。


『いや、別に。有休、取ればいいわけだし。真矢姫も、応援していてくれたし』

『あのね。私の気持ちも考えてよ。トイレ、とか、お風呂とか』

『……目を瞑る』

『そう言う問題じゃなくて。兎に角、捜そう』

『家族になれるって言った』

『妄言です』

『俺のこと、好き?』

『好きだけどそれは、親愛で。草玄のとは違うから。一緒に過ごすのも『草玄?』


 しまったと思った時には手遅れで。兎に角、慌てず騒がず、大人の態度で挑む。


『孔冥のが移っただけです。草玄殿』

『草玄って言った』

『名を呼んだだけでしょうが』

『もっと呼んでくれ』

『嫌です』

『葵』

『近づかないでください』

『照れてる』

『色眼鏡で見過ぎ。嫌がってんの』

『……すみません』


 突然の気落ちした態度に、調子が狂う。


『…孔冥捜そう』

『俺、ずっとこのままでもいい。そしたら、葵と一緒だ』

『私は嫌。絶対』

『そ、そんな断定しなくても。うう』

『……一日、だけなら。その方がお互いの為かも。目が覚めるでしょ』


(…それって)


 容易に結論付けたりはしない。だが、その可能性が高まった事に喜びは隠せそうもなかった。


(つまり、最後の機会、てわけだよな。うし)


『じゃあ、その。手、繋いで、いい、か?枷隠すにはその方が』

『布で誤魔化せないかな』


(……やっぱり気のせいかな)


 浮かれそうな自分に冷めた彼女の態度は、丁度いいのかもしれない。ふとそう思うと、やはり相性がいいのではと思ってしまう自分がいた。




『なぁ、移動はずっとこのままか?』

『これなら枷を自然に隠せるじゃない』


 確かに隠せてはいるが、二人で物を抱えて何処に行けというのだろうか。浪漫的な雰囲気にしたいのに、そうさせてはくれない。


(漢気を見せたら良いわけだよな。漢気…漢気)


『葵。疲れたろ。あそこの草原で休もう』

『山に登ろう』

『…え?』


 何かのスイッチが入ってのだろう。声が生き生きとしている葵はこの状態での山登りに挑戦したいらしい。了承した草玄は葵と共に山へ向かう事となった。


(これが初めての共同作業、か)


 歩くこと数時間。頂上に辿り着いた葵と草玄は今、抱えれば互いの顔を覆い隠すほどの箱を地面に置き、寝転んで空を眺めていた。

 気のせいか。立っている時よりも空が近くに感じられる。


『綺麗だな』

『…他に言う事はない?』

『葵は可愛い』

『そうじゃなくて……いい』

『いきなり突拍子もない事を言って呆れた。とでも言わせたいのか』

『言っとくけど、計算とかじゃないから。本当に、意味不明なこと言い出して迷惑掛けるからね』

『ふ~ん。それは愉しみだ』

『無理してるでしょ』

『全然。ちっとも』

『……そんなに私、異質?だから惹かれた?』

『異質じゃなくて、特別なんだよ。だから惹かれた』

『どうしてそんなに自分の気持ちが分かるの?堂々と告げられるの?怖くないの?』

『舞い上がってるからな。嬉しい気持ちで一杯で』

『私は、自信ない。大事な人ができても、幻滅させるんじゃないかって思って、踏み込めないと思う』

『今、も?』

『…分からない。好きだし、家族になれるんじゃないかって思ってる。でも、浮かれているだけなのかもしれないし。好きだって言われて。怖いの。間違ってたらどうしようって。だって、自分に自信なんてないから。それに。私ね、草玄に隠している事がある』



 上半身を起こし自分に顔を向ける葵に対し、草玄もまた同様に起こした身体を葵に向けた。



『信じられないかもしれないけど、私ね。不死の存在なの』

『へぇ、そうなのか』

『それだけ?』

『すごいな』

『違うでしょ。頭おかしくなったのか、とか。誤魔化してんのか、とか。薄気味悪い、とか。莫迦にしてんのか、とか。他の反応ないの?』

『別に。だってどれも当てはまらねぇし。すごい、しか。うん。それだな。あ、でも』

『でも?』

『何歳だ。つーか。不死って事は年は取るんだよな。生まれ変わるのか?死んだ後ってどうなる?今まで何を経験してきたんだ?あ、夫は。俺、何番目?』

『数えてないけど、数千年は。年は取る。生まれ変わる。記憶を持って。死んだ後は、死んだ時のお愉しみで。経験は、ほぼ泥棒、と言うか。知識を求めて彷徨う旅人、みたいな。夫は、いない。結婚したことない』


 爛漫に輝かせる瞳に気圧されながらも、葵がとりあえず疑問に答えると、草玄は感慨深そうに頷いた。


『そうなのか。うわ。すげえな。すげえよ』


 草玄は未知なるものに遭遇し興奮しているようだったが、不意に真顔になった。


『夫、いなかった?』

『…そう』

『なら、初めて…接吻も、もしかして、俺が、初めて、とか』

『初めて、ですよ。何か悪いですか』


 ばつの悪そうな顔をふいと背けた葵に、草玄はくしゃりと顔を歪めた。


『俺、最悪。時間巻き戻してぇ。んで、もっと、こう、雰囲気のいい時に、両想いになった時に、したかった。つーか、もっと早くに出逢いたかった。そしたら、俺の初めて、全部葵にあげられたのに。あ~、くそ』

『いや、その。えっと』


(あれ、想像してたのとかけ離れているんだけど)


 最初の反応こそ違えど、どの反応でも立ち去る想像しかなかったのだが。


(???普通、おかしいって思うよね。本当でも嘘でも。呆れるよね。いやいや)


『俺さ、滝に打たれて生まれ変わって来るから。真っ白になってくる』

『ちょ、今は。私も打たれなきゃいけないから。てゆーか、両想いで話が進んでいるような』

『…違うのか?』

『え、あ』


(両想い?どっち?親愛?恋慕?分からないよ、もう)


『分かりません。でも』

『でも?』

『一緒に、いたい、と思い、ます。多分、恐らく。そうなのかと』


 俯く顔はカーッと赤面していた葵。膝の上に置かれた拳は強く握りしめていた。


『ほ、本当に?』

『た、多分』

『絶対?』

『そう、かもしれないかも』

『抱きしめても、いい、のか?』


 数秒の時間の後小さく頷く葵に、草玄は恐る恐る手を伸ばして、葵の頬に手を添えた。

 ゆっくりと顔を上げる葵の顔は、真っ赤に染め上げられていて。

 腹から胸、腕へと何かが突き抜ける。


『夢、じゃないよな?』

『夢、かも。私も、信じられない、から』

『夢でもいい』


 草玄は葵を引き寄せ、そっと抱きしめた。


『愛してる。愛してる。自分じゃどうしようもないくらいに。抑えきれない。溢れ出すばかりだ』


 もどかしいという言葉を初めて思い知った。

 この気持ちを言葉で表せないわけではない。

 言葉では追い付かないのだ。


『結婚しよう』


 突然の申し出に、驚かぬわけはないわけで。目を丸くし草玄から離れて彼の顔を見ようとした葵だったが、そんなに力を籠めているわけではないだろうに振り解けずに、そのままの状態で反論を開始した。


『いやいや、それとこれとは別問題じゃ』

『お互いに好きなのに、何が問題だ?』

『だって、草玄は真矢姫と結婚しなくちゃいけないし、私も王家の者で、当人だけの気持ちで結婚できる立場じゃないでしょ?それに、結婚、て。今のこの状況も、まだ現実じゃないみたいなのに……』


 今更ながらにこの状況に戸惑う葵。気恥ずかしさで顔は赤を通り越してどす黒い色へと変化する。


『あのさ。離してくれない』


 再度離れようと試みるが叶わない。それどころか、密着度が高まっているような。


(ちょっと!)


 数千年生きていても色沙汰恋の当事者になるのは初めてなのだ。免疫零だ。零。


『恥ずかしいってば!』

『誰もいないのに、何で恥ずかしがる必要がある?』

『人がいるかいないかの問題じゃなくて』


(~~~何でこんなに冷静なのよ。経験の差か。く~)


 何故か分からないが悔しい。戸惑っている自分が負けたような気分になる。恋に勝ち負けなどないというがあるのではないだろうか。兎にも角にも冷静になろうと、葵は深呼吸をして明鏡止水の心境に至ろうとしたのだが。


『葵。いい匂いがする』

『~~~離してってば!』


 限界値を突破した葵は、手錠が付けられている方で草玄の頬辺りを思い切り殴った。その結果、草玄は一撃で葵と自分の手が、つまり二発の拳が顔に直撃した。


『……すみません。調子に乗ってました』

『その、私もごめん。慣れてないて言うか』


 正座で向かい合うも、視線は草がまばらに生い茂る地面に固定する。


『顔、大丈夫?』

『暴力反対』

『ごめん。でも、草玄も悪いよ。私が慣れてないの知っているくせに。ちょっとは面白がってたでしょ』

『面白がるって言うか。反応が可愛くてつい』

『可愛いとか禁止。褒める言葉は口にしないで。なんかこう、普通の事で』



 褒められたいと言われた事はありますが、褒められたくないという人は中々いないのではないでしょうか。皆さん、普通って何ですか?可愛い人を可愛いと言ってはいけないのでしょうか?


(普通。普通って。普通て何だ?)


 褒められたくない。つまりは、貶さばいいのだ。



『莫迦』

『ごめん。やっぱりいい。そっちの方が恥ずかしい。言い方が』


 苦悶中の葵。どうしたら普通の恋人になれるのか必死に脳漿を絞ったが。


(駄目だ。分かんない。普通って何だろう?大体、他の恋人は恥ずかしくないんだろうか。手繋いだり、抱き合ったり。接吻、とか)


 人前で堂々としている恋人を目撃した事もあり、自分の方がドギマギしてどういう神経してんだと、かなり疑問に思った事があったが。


(でも最初の方だけだって言うし。うん。つまり最初を乗り越えれば普通になれるんだ)


 お互い素っ気ない態度の中に時々じゃれ合えれば上等。これが葵が考える普通であった。

 だが草玄の方はと言うと。


(あ~。葵。可愛い。もうどうして可愛いんだ。この罪作りな女め。ウハハハハ)


 …恋は盲目。彼が然りと証明しているのであった。


『ま、まぁ、その。俺たちなりに見つけてくしかないだろうしさ。俺たちなりの、普通ってやつをさ』

『えと。あの、さ。言いにくいんだけど。恋人には、なれないよ』

『……へ?』

『だってさ。今、任務中だし。そう。本当はこんなことしている場合じゃないわけで。ほんと。何やってんだろうね。アハ、アハハハハ』


 笑って誤魔化せ。相手がどんなに沈んで行こうとも。


『うん。まずはお互い好きだって分かった。それで善しとしよう。ね?』

『…………また俺を弄ぶのか?』

『弄んでいるわけじゃなくて、現実的に見たら恋人になるには乗り越えなきゃいけない壁が多すぎるわけで』

『なら、乗り越えればいいだろ。なのに。葵は俺が好きじゃないんだ。俺はずっと葵といたいのに。葵はそうじゃないんだ』

『ま、まぁ。本音を言えば。ずっとは、ちょっと……嫌、かな』

『帰る』


 すっと立ち上がった草玄は一人、箱を持ち上げ山を下って行き、何も声を掛けられなかった葵は草玄の背を無言で見つめていたのだが、ふと違和感に気付き手首を見ると。


『あれ、手錠』

『数時間で消える手錠。神様から貰った百八つの道具の内の一つです』


 突如現れた孔冥に、葵は驚きの余り飛び跳ねてしまった。


『こ、孔冥。何時から』

『『…………また俺を弄ぶのか』からです。いや~。罪作りな人ですね。ずっと一緒は嫌って。どん底に叩き落としましたね』

『だ、だって。普通に考えたらずっと一緒にいられるわけがないわけで。一人になりたい時間だって、そりゃあ、あるだろうし……好きじゃ、ないのかな』

『すみません。遊び過ぎました。嬉しくてつい。大丈夫。自分の気持ちを信じなさい。ただあなたはそう言う人なだけですから』

『やっぱり、言うんじゃなかった。あんなに、喜ばせて』

『恋人になりたくないのですか?』

『そうじゃない。ただ、自分でも本当に、戸惑っているだけで。だって、初めてで。数千年も生きてるのに何やってんだって。冷静な自分が冷たい目で見つめて来る。うう』

『恋に年齢は関係ないとよく言いますし、しょうがないでしょう。全く、数千歳は好きになってはいけない理があるわけじゃあるまいし。大体、あなたの精神年齢は止まってんですよ、十代かそこらで。だから数千歳とか、気にする必要はないです』

『情けない』

『はいはい。情けないですね。だったらちょっとは成長して、相手の為に少しは我慢する事も覚えて、あなたたちにとっての折衷案を導き出しなさい。今やっているように』

『…ありがとうございます』


 言葉を受け止めて数秒後。頭を下げる葵に、自然と口元が綻ぶ。


『あなたといると相棒と言うより先生とか上司になっている気分ですよ』

『情けない相棒でごめん。けど、まだ長い人生。頑張って成長して相棒と認めてもらえるようにするから。だから見捨てないで』

『はいはい。見捨てません。だから情けない顔は止めて早く行きなさい』

『うん』


(本当に世話のかかる人だ。しかし、恋をするとは。感慨深いものですね)


 一気に年を取ったかのように感じる孔冥。気分は孫を持った祖父だ。








『顔見せてよ』


 城から離れた草玄の自宅にて。固く閉じられた扉の前で葵は全く反応を示さない草玄に話しかけ続けた。


『ごめん。自分のことばっかりで。でも、私はこういう人で。早くに分かって良かったね。ハハ』


(そうじゃないでしょ)


 こんな事を伝えたいわけではないのに。


『ごめん』


 謝罪の言葉しか出て来ない。


(何でこんな事で)


 気が緩めば込み上げて来るものを必死に堪える。


『ごめんなさい』


 葵がそう呟くや、扉がゆっくりと開かれ、草玄が姿を現した。


『謝らなくて、いい。別に、葵が悪いわけじゃない。ただ、俺との気持ちの違いに、寂しくなっただけだ。ただそれだけで。駄目だな。欲張っちまう。もっともっとって。子どもかよって。情けなくなる』


 甘えさせたいよりも甘えたい、の方が正直な気持ちで。本当に嫌になる。それでも。


『王に、話そう、か。その、結婚したいって』

『葵』


 口を開くよりも先に言葉を伝えられた草玄であったが、その内容に自分の耳を疑い、先程との違いに、正直訝しんでしまう。これさえも否、今までの事さえ演技ではないのかと。だから知らず、声音が尖る。


『それ、本気で言ってんのか?』

『本気』

『俺の』


 続く言葉は飲み込むも、頭の中に過るのは老師の言葉で。


(本当に、浮かれている場合じゃなかったな)


 草玄は瞬時に気持ちを入れ替え、冷静に対処しようと試みた。


『結婚って。子ども創るんだよな』

『そう、だね』

『倭国と珂国の王家の子どもだな』

『そうだね』

『それが狙いか』


 思わず零れた言葉。だが表に出てしまった以上、現実味を帯び、確信を得て行く。真顔の彼女を見て、さらに。違う。どんな反応をしても、疑ってしまう。


『全部計算か。五年も経って俺の前に現れたのも。断っておいて、直ぐに結婚しようって。どう考えても有り得ねぇよな。あ~。騙された。ほんと。すげえよ。おまえ。演技の天才』

『…………』

『好きだってのも。全部。子ども欲しさに、だろ。俺の血が狙いで。俺の身体が目当てで。自分の気持ちなんかどうでも良くて。ふざけんな。気持ち悪いよ。おまえ』

『血を残すのが、そんなに悪い?』

『ハ。やっぱりか。あ~。気持ち悪いね。胸糞悪いね』



 苦痛に蝕まれる。



『そう』

『今度はしおれた演技か?よくやる。けど、もう騙されないからな。誰が』


 考える暇もなく口に出てくる言葉に。


『っ。何で、否定しないんだよ。してくれないんだよ』


 欲する言葉を口にしない相手に。


『演技じゃないって。何で……いいよ。くれてやるよ』

『いらない』

『孕まなかったらまた来いよ。何度も、何度でも』

『止めてよ』

『遠慮すんな。なぁ。子ども欲しいんだろ。子どもだけ。俺なんか、どうでも。俺は』


 唇を強く噛み締め、声を荒げる。



『どうせ俺は血だけの男だよ!見た目だけ!才能だけ!どいつもこいつも……中身を必要としてねぇ。何だよ。くそ』

『何で俺を見てくれねぇ』

『何で、俺。くそ』

『何で好きなのにおまえを信じられねぇ』



 押し黙った草玄に、一時沈黙が漂う中、葵はゆっくりと口を開いた。


『私は、子どもを産まなくちゃいけない。和国の王家の血を絶やせない』

『和国って。もう異端の血が交じって純血じゃねぇじゃねぇか。それを護って何になる?意味分かんねぇ』

『うん。正直、さ。私も分からない。血を残す意味。よくさ、子どもを産むのは自分を未来に遺す為って言うじゃない?子どもの中で自分は生きている、だから死んでいない。確かに。草玄の言う通りさ、純血じゃない。でも、まだ残っている。昔の人の血が。情報が、この身体に宿っている。今更だけど、すごいよね。なら私も、残さないと』


『けど、おまえはその必要なんかないだろ?』


『私だけの血ならね。でも、今の私は和国の血を受け継いでいる。うん。今まではさ、残さなきゃとか思わなかった。そう思うことなんかないと思ってた。だから今でも、こう考えている自分を不思議に思う。けどやっぱこう言うのって理屈じゃないんだろうね。本能?子孫を遺せって生存本能が働いているだけなのかも。この世界は、生死を強く感じられるから』


『なら、誰でも良かった』


 草玄がそう呟くや、葵は照れくさそうに笑った。


『私さ。愛する人と産みたいんだよね。恋をしてさ、結婚して。それで子どもを産んで、幸せな家庭をって。夢なんだけど。現実にはならないだろうなって。だって、人を好きになった事がなかったから。恋した事がなかったから。ずっと。だから』



 優しい表情だった。周りをほんのりと温かくするような、それでいて、ほんの少しくすぐったい。



『草玄に恋しているんじゃないかって自分にびっくりして。違うんじゃないかって、疑う自分がいて。今も、本当はどうなのか分からない。でも、傍にいたいって思ったのは、本当で。子ども、産むなら、草玄とがいいけど』



 だがそれは見逃すほどに細やかに変化していく。



『でもそれは、王に命じられたからって言う理由もあるんじゃないかって。自分に自信なんてないからさ。分かんなくて。自分の事なのに、こんなにも分からない自分が情けなくて。自分で手一杯で。他の人のこと、考える余裕なんかないくせに、関わって。でも、全部を背負いきれなくて。なら初めから関わらなければいいのに。時々、人が恋しくて。関わらざるを得なくて』



 葵はくしゃりと髪の毛を掴み、苦笑じみた笑みを向けた。



『ごめん。何言ってんだろ。私は、ただ。演技じゃないって、信じて欲しいだけで。でも、子ども、産まなくちゃいけなくて。だから、騙しているのかもしれなくて』


 言葉が詰まる。本当に、何をやっているんだろう。


『ごめん。出直してくる』

『行くな』


 背を向けようとする葵の腕を掴み、自分の方に引き寄せ、そして。

 重なる唇。寄せる眉根。流れる涙。小刻みに揺れる顔。

 草玄は葵の唇から自分の唇をそっと離すと、彼女の頭に手を添え額に優しく額を当てた。


『初めて接吻した時、興奮したって言ったよな。腹からぐあーって。何かが込み上げて来てさ。これが本当の欲情かって。少し戸惑ってよ。うん。本当に戸惑った。惚けた』


 たった一瞬間の出来事。不思議なほどに遠くからもう一人の自分を見つめているような感覚に陥ったのだ。


『なんつーか。不思議なほどに冷静でいられて。興奮したの一瞬で。あれって。そのまま抱きたくなるのが普通じゃないのかと思ったけど、そうならなくて。ただ、本当に好きなんだって気持ちで一杯になって。すげー浮かれてた』


 草玄はふっと微笑を浮かべた。


『なぁ。俺のこと、好き?』

『好き』


 ぼろぼろと涙が溢れ出す。汚いが、鼻水もだ。


『でも、一緒にはなれないと思う』

『王家の出だから?』

『女の勘』

『何だそれ』

『怖いの。失う日は必ず来て背けられないから。でも、私は生きるから』

『逢いに行く、絶対』

『来なくていい。その時は、その刻で生きて。他の人に恋をして。子どもを産んで。年を取って。愉しんで。幸せになって』

『葵は、俺の心を全然分かってない。そこは、逢いに来て、だろ』


 葵は腕の裾で涙を拭った。もう、溢れ出しては来ない。


『いやいや。この世界だけでいい。だってそれが普通』

『普通じゃないくせに』

『だから、普通(自然)に拘るの。変(不自然)を捨てられないから』

『なら……』


 伝えてはいけない。彼女は歩み続ける。自分はその一時の通過点に過ぎない。


『なら、この世界で、結婚しよう。してください』

『ええと』

『……結婚しようって言ったよな』

『う。いや。流れ的に?雰囲気に流された、ような。すみません。気構えが。それに伯母上に知らせないと。いやいや。更級王に。でも真矢姫が』

『分かった。全部片を付けてから結婚をする。それならいいな?』

『ええ、と』

『他に何か?』

『すみません。現実感が増して、怖気づきました。結婚。でも、付き合ってない。あ、二週間は。たった。早婚って、離婚率が高いんだっけ。どうだっただろう』

『……もう離婚の話かよ。どんだけだ』

『だって最初の世界は周りの離婚率が高くて。母に訊いたら結婚は兎にも角にも忍耐が必要だって。それと諦め?そういうもんだって』

『夢のない話だな』

『あのさ。まだお互いの事を知らないわけだし、もう少し時間を置いた方が』

『出逢ってもう五年経ったし、どんだけ時間が過ぎても変わらない自信ある。葵』

『はい』

『結婚したい?したくない?』

『ご、五分五分?』

『その理由は?』

『したい理由は、草玄以外結婚できる人は考えられないからで、したくない理由は、浮足立っているような感じと他にもいい人ができるんじゃないか、とか。やっぱ、お互いに身分が高いし。真矢姫の事もあるし』

『葵は、俺が他の女と結婚しても構わないのか?』

『幸せになって欲しいから、ね。うん』



(…ヤキモチとか、望めそうにないな)


 これが彼女にとっての愛情表現で、仮に他の女性と結婚しても悲しい事に、満足そうな表情を浮かべるありありと目に浮かぶ。


(嫉妬とか。度を過ぎるのも考えものだが、全くないのもな)


 要望が多すぎると文句を言わないで欲しい。男は夢を見る生き物だから仕方がないのだ。浪漫だ。浪漫。



『なら葵は他の男と結婚してもいいのか?』

『…今は、嫌だけど。草玄に恋ができた今、他の人にもできるんじゃないかって気がしてきた』


 しり上がりに声音を徐々に明るくさせ意気込む葵。目の前に道が開かれたように瞳を爛漫に輝かせている。反面、草玄はかなり不満げだ。


『…俺は踏み台かよ』

『そうじゃなくて。お互いさ、他にもっといい人が現れるかもしれないって事だよ』

『残酷なこと言うなよな』

『ごめん。でも』

『断言する。葵以外に結婚できる相手はいない。以上。文句は受け付けん』

『分からないよ。人生、何があるか分からないわけだし。文句じゃないし。意見だし』



 口を尖らせる葵に、思わず吹き出しそうになるのを堪える。言葉のやり取りが、自分の言葉に相手がどう答えるのかが、こんなにも愉しいものだと初めて知った。

 嬉しくて堪らず、肩を鳴らして笑みを溢す。



『やっぱ、おまえ以外に考えられねぇ』


 だが、とも思う。自分にとっては最良、最高の相手でも。葵にとってはどうだかは分からない。自分は幸せになる自信はある。だが葵は?

 幸せにしてくれた。していてくれる。なら。



(…やっぱ、我慢できねぇ)



 想像した画像を白に塗り潰し、新たな画像を組み上げて行く。


『分かった。結婚は今はいい。互いに好き。な?』

『うん』


 満面の笑みに、息が止まり、一気に体温が上昇し、瞬時に、葵に背を向ける。


(惚れた弱みだっての)


 誰にともなく言い訳をする。

 可愛すぎて直視できないのは、当たり前の事なのだと。


『ただな、一つだけ約束しろ』


 草玄は背を向けたまま葵に話しかけた。


『何?』

『黙っていなくなるな。必ず俺にいなくなるって言え。手紙でもいいから』

『…う、ん。分かった。けど。それは』

『この世界からいなくなる時。いるなら、捜し出せるから』


 葵は目を丸くしてから、ゆっくりと目を細めた。


『分かった。約束する。なら私も。一つだけ、約束して』


 思いもかけない言葉に、草玄が葵に向き合うと、葵は言葉を紡ぎ始めた。


『無理はしないで愉しんで生きて。それで私がその妨げになるなら、切り捨てて』


 瞬時に顔は凍りつくが、無理やり笑みを浮かべる。


『葵。何を』

『約束して』

『お……分かった。約束する』


 反駁する言葉を呑み込み、了承した草玄に安堵したのだろう。ホッと肩の力を抜いた葵に、草玄は言い知れぬ一抹の不安を感じた。











『孔冥。少し、訊きたい事がある』

『何ですか?』


 深い睡眠に入っていた頃に訪れた草玄に、孔冥は眠たい目を擦りながらその問いに答え始めた。










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