第9話 闇は救済。光は自壊。太陽よりも木漏れ日を好む

「は、初めは兄妹だったな。つっても、設定上は、だったけどな。自国では身分のない葵を朝廷に送り込む為に。そう。葵は、他国の密偵だった」






『普通。自国の役人に他国の密偵の手伝いをさせるか?』

『まぁ、気にするな。形式で建前なだけじゃ。こちらの不利になる情報を渡すわけじゃない』


 三人だけがいる部屋の中で、国の三指に入るお偉い方の一人である老子ろうしは、ご自慢の白くて長い髭を撫でながらそう告げたのだ。


『二重密偵ってか?』

『まぁ、そんなところじゃ。頼んだぞ。草玄』

『頼んだぞったって。何で俺に』

『ちゃらんぽらんなおぬしに適任じゃろうが』



 ホッホッホと笑い声を出しながら老子が部屋から出て行った為、葵と俺は二人だけになった。

 容姿は平平凡凡。美人か可愛いかと言えば後者。印象的なのは、生きた瞳。

 そう。生きているのが愉しいと、その瞳から無言で伝えていた。

 だから別段、愉しく生きていない俺の第一印象は気に食わない、の一言に限り、邪険にしてきた。



『稽古してほしいって?他のやつに頼めば』

『俺にできる限り近づくなよ』

『仮にも俺の妹だからな。愛想良くしろよ』

『ばれたら、俺が一番迷惑すんだからな。死ぬ気でやれよ』



 何時も、何時も、突き放してきた。協力する気など皆無で、名を貸しただけ。

 それでも、どうしてか。気付けば何時も、葵の姿が瞳に映った。

 あの時は気が付かなかったが、捜していたのだ。

 ばれたら厄介な事になるのかと見張っていたのか?

 それとも。



『草玄。あいつ、なかなかやるな』


 朝廷の中を話しかけてきたのは、同期で武官に入った來真らいしんだった。


『あいつ?』

『妹の葵だよ。文官のくせに稽古場に入り浸ってててな』

『ああ』


(情報集め、か)


 どれだけの兵力と武器を要しているか。どんな人材がいるのか。早速行動に移しているらしい。さすがは密偵。やる事が早かった。


『さすがはおまえの妹だけの事はある』

『当たり前』


 当時の俺は外面よく恰好付けていた。要するに、俺様キャラの八方美人。


『俺が何時も鍛えてんだから』


 嘘も多少はつく。


『ああ。あいつもそう言っていた。誇らしい兄だと』

『だろ?』


 互いに笑い合うも、心の中では理不尽な憤りを覚えていた。






 或る夜の晩。半月だった。俺は葵を自室に呼び出した。


『おまえさ。何時もへらへらして。どれだけ危険な事をしてんのか、分かってんのか?』


 人当たりのいい笑みを浮かべるのは、密偵の常套手段。

 明らかに理不尽な八つ当たり。なのに。口が止まらない。


『おまえが勝手に死のうが俺には関係ないけどな。俺にも被害が飛ぶの、分かってんのか?』

『なら、老子に頼みます。今までお世話になりました』

『は?俺が何時世話したよ?』



 気に入らなかった。



『兄になってくれました。それだけで、十分だったんです』



 どうしてか、気に障って仕方がなかった。

 恐らく、自分にない物を持っていたから。

 だから、傷つけたかった。

 どうしようもなく。

 無茶苦茶にしてやりたかった。



『おまえ、変だよな』



 何気なしに、傷つけようと告げた言葉。

 なのに、微笑を浮かべて、ゆっくりと告げたのだ。



『そうですよ。私は変なんです。だから』

『生きていられる』



 何千年も、と付け加えたかったのだろう。

 だけどその時にはそれ以上、何も告げてはくれなかった。




 その時の笑みがどうしても気になって。

 老師には引き続き、兄の役目をすると申し出た。



『…どうして?』

『おまえの秘密を探る為。単なる暇潰し』

『間諜ですから、秘密なんて山ほどありますよ』

『年下に敬語使われんの、気持ち悪い。しかも俺たち兄妹だろうが』

『別に、兄妹でも敬語の人達もいますよ』

『よそよそしいんだよ。本気でやってんのか?』

『やってます』

『ならもっと親しげにしろよな。つーことで、まずは敬語なしな』

『…兄上』

『何だ?』

『これ』

『?』


 次々と手渡されたのは、部屋中に溢れんばかりの文の山で。


『後宮の女官と、町の女性と武官の人達から渡してほしいって』

『律儀に受け取ったってわけか』

『だって、みんな真剣で……結婚しないの?もう三十でしょう?』

『まだ二十八だっての。おまえこそ、十八だろ。そっちの国じゃどうだか知んないけど、こっちじゃもう適齢期だぜ。好きな奴いないのか?』

『好き、と言うか。憧れている人なら。ああなりたい。すごく強くて面白い人』

『あ、っそうですか』

『うん』


 不覚にも思ってしまった。

 その笑顔が可愛いと。








「で、それから意識しまくりで。でも好きだって分かんなくて。かなり戸惑った。初恋だったからな。初恋。三十路近い男が。笑えるだろ?」

「大笑いですね。ハッハッハ。失礼。笑ってほしかったのかと」


 草玄はじろりと孔冥を睨みつけた後、ゆっくりと微笑を浮かべた。


「なぁ。会いたいよ、葵」




―「聞こえてるか、葵」


 空は目を瞑り、意識を奥底へと集中させ、暗闇の世界に話しかけた。


―「苦しいなら、会って答えを出してすっきりしろ。このまま逃げてて解決するならそれでいい。好きなだけ逃げろ。けど、あんたはそうじゃないだろう?本当は会いたいんだろう?逢いたくて、逢いたくて、仕方がなくて」


―「違う」


―「違わない」


―「違うの」


―「私に嘘をついても無駄だ。私はあんただからな」


―「違う。もう、私じゃない」


―「そうだな。でもあんただ。根っこで繋がっている。切り離せない」



 空の瞳に小さな光が映る。空は頭の中で手を想像し、逃げ惑う光を捕まえようと奔走する。



―「めんどいやつだな。観念しろ」


―「嫌だ」


―「…分かった。なら、諦める……とでも言うと思ったか?」



 無数の手を想像し躍起になって捕まえようとする。

 何故他の道具を想像しないか、など、簡単だ。

 この手で捕まえないと気が済まないからだ。何か。



―「いい加減にしろ」


―「嫌だ」


―「葵」


―「嫌なの」



 草玄以上に苛立つ人物だった。



「いい加減にしろ!!」


 空は足を強く地面に叩きつけ、大声を発していた。


「いい加減にしろ!!逢いたくてたまらないくせに!!」


―「止めて」


「止めない!!この阿呆!!す「止めて!!」



 瞼をこれでもかと上に持ち上げ、頼りない声を滲み出す。


「葵」


 草玄が突如現れた空と瓜二つの少女、葵へと、一歩足を踏み出した時だった。


「孔冥。『鴻蘆』へ先に行け」

「孔冥」


 手を掴んで離さない孔冥に、葵は顔を向けるも。


「葵。悪いですけど、空様が正しいと思います」


 孔冥はそう告げるや、葵と共に突如姿を消した。

 孔冥が異空間へと連れ出せるのは一人のみ。それ故、空と草玄は宇宙船で向かわなければならなかった。


「草玄。行くぞ。話は『鴻蘆』でゆっくりしろ」


 空はそう告げるや、待たせていたタクシーへと急ぎ歩を進めた。


「空。さっきの」

「忘れろ。私の勘違い、かもしれないからな。本人に直接訊け」

「分かった」

「姉上。また」

「うん」


 何時の間にか後ろにいた麗歌にそれだけ告げるや、空は草玄と共にタクシーに乗り込み、宇宙船場へと向かった。


「また、ね」


 麗歌はタクシーが見えてなくなってからも暫くの間、妹が去って行った道を見つめていた。








―――一時間後。『鴻蘆』の宇宙船場にて。


「…逃げた、か。くそ」


 入口で待っていた孔冥からそう聞かされた草玄は一人、葵を捜し出すべく駆け走った。


「孔冥。私たちも行くぞ」

「おや。面倒なのでは?」

「面倒を通り越してむかついたのは初めてだ。この手で捕まえないと気が済まない…孔冥」

「はい?」


 空が数歩踏み出し、孔冥に背を向けた時であった。


「ありがとう」

「何がですか?」

「別に。行くぞ」

「はい」






「助けてください!」

「草玄様。いくら前世でこの方が妻でも現世では関係ありません。諦めも肝心ですよ」

「どうでもいいから、葵を引き渡せ」

「そのような険しい表情を浮かべているあなたに引き渡せるわけがないでしょうが」

「息が切れてるだけだ。くそ。鍛え直さないとな」


 ふっと息を吐きだして後、一歩ずつ用心深く署長の後ろに隠れている葵へと近づいた。


「葵。何で逃げる?」

「嫌いだから!!」


 愛しい人にそう告げられては、立ち直れないほどに衝撃的なはずなのに。

 どうしてか。本音には思えない。それとも。


(思いたくないだけ、か)


 だがそれ以上に、違う言葉に聞こえてならない。


「嫌い、か?」

「嫌い!!大嫌い!!」


(?私の耳はおかしくなったのでしょうか)


 署長の耳には確かに、嫌いと聞こえるのだが、同時に。


「あなた。もしかして……いない」

「署長。即刻、指名手配しろ。高額な懸賞金も付ける」

「落ち着いて。そして、草玄様。お一つだけお訊かせください。大事な事です」

「早くしろ」

「彼女を愛していますか?大事にしたいと」

「ああ」

「分かりました。私も手伝いますよ」


 草玄と別れて後、署長は彼の初めてかもしれない必死の形相と先程の葵、否、空に瓜二つの少女の言葉を思い浮かべた。


「大嫌いと、言わずにはいられないほどに、大好きなのですね」


 本当に嫌いならば、あそこまで切なそうな声音を発せられない。

 恋焦がれて、でも、何かの理由で、傍にはいられないと。

 自分にさえ、ここまではっきりと伝わるほどの、想いなのだ。

 もし、その原因が、万が一にもDVだったのなら、性根を鍛え直そうとしたのだが。


「草玄様。女性を泣かせては、男の名が廃りますよ」






「葵!!」

「離して!!」

「嫌だ!!」


 掴んだ手の力は緩めない。油断もしない。


「嫌いなの!!」

「俺は好きだ!!大好きだ!!」

「私は嫌いなの!!大嫌い!!」

「公園の真ん中で何を青春してるの?往来の邪魔。落ち着きなさい。草玄も、あなたは、葵、じゃないわね」

「先生」


 最初呆れ顔だった先生は優しい微笑を浮かべて葵の手をそっと握ると、茶道の稽古場『仙水門』へと連れ出した。


「今日は休みだから。思う存分話し合いなさい。私は外にいるから。これ。草玄が暴走したら押しなさい。直ぐに駆けつけるわ」


 そう言うや、先生は葵に赤いボタンが付いている非常警報装置を手渡した。


「先生」

「草玄。落ち着きなさいよ」

「分かってる」


 共に畳の上で正座になって無言で相対していたが、その沈黙を破ったのは葵であった。


「どうして、逢いに来たのよ。私は、あなたたちを置いて行ったのよ」

「理由があったんだろう」

「嫌いになったから」

「嘘だ」

「嘘じゃない」

「嘘だ」

「どうして分かるのよ。私が嘘じゃないって言ってるのに」

「葵は時々嘘をつくからな。怪我しても怪我してないって言ったり。意地っ張りで素直じゃなくて、天邪鬼で。しょーもない」

「愛想ついたでしょ」

「全然」

「…何で好きになったのよ。ただ長い間生きてきただけが取り柄の女なのに」

「しょーがねぇだろ。好きになったんだから」

「私は嫌い」

「葵」

「嫌い」

「好きに聞こえて仕方がないんだけど」

「妄言」

「愛してる」

「空にも言ったくせに」

「焼きもちか?」

「…嫌い。大嫌い」

「葵」

「嫌いなの。大嫌いなの。だから名前を呼ばないで。話しかけないで」

「葵」

「近づかないで…触らないで」

「葵が正拳食らわすからだろ」

「離して」

「嫌だ」

「離して」

「嫌だ」

「……離してよ」

「なぁ、頼むよ。話してくれよ。俺、莫迦だから。葵が口にしてくれないと、分かんないんだよ」

「嫌い。大嫌い」

「泣きたいくらいにか」

「…嫌いになってよ。自分じゃもう……」


 不意に口を噤んだ葵は、草玄に掴まれた腕とは反対の腕でごしごしと目元を拭った。

 それでもなお、噴水のように涙は溢れて止まらない。


「葵」

「お願いだから、離して」

「止めるなよ。全部言えよ」

「嫌いなの。それだけ」

「葵」

「嫌い。大嫌い」


 草玄は掴んでいた葵の拳を強引に引き寄せ、葵の腰に手を回し抱きしめた。

 逃げないように、抵抗しても、離す事はない。


「ずっと、逢いたかった」

「離して」

「ずっと、ずっとだ。逢える日を待ち望んでたんだ。離すわけ、ないだろうが」


 抵抗していた身体がピタリと止まったかと思えば、微かな振動が伝わってくる。

 抱きしめているから顔は見えない。だが、背中に滴が零れ落ちる。

 拭い去ろうにも、自分との間に葵の腕は納まっている為に、叶わない。




 赤子は言葉を発音できないから、泣くしか想いを伝える手段を知らない。

 だが葵はそうではない。想いを言葉に乗せて伝えられる。

 なのに。

 今は泣き声を必死に殺して、前を向いて泣くだけ。

 肩に顔を埋める事さえしてはくれない。

 頬に髪が触れているのに。小さな身体を全身で触れているのに。抱いているのに、葵の感触が感じられない。


 唯一感じられるのは、背中に当たる温かい水の雫のみ。

 こんなにも近くにいるのに、こんなにも遠い。

 こんなにも悲しくて、こんなにも哀しくて、こんなにも辛くて、こんなにも、痛い。




「愛してる。愛してる……どうしようもなく、堪らなく、葵が愛おしい。ずっと。ずっとだ。離したくない。ずっと、一緒にいたい。頼むから。全部受け止めるから。話してくれよ……あの日。出て行ったあの日。何処に行った?孔冥も一緒だったのか?異世界に行ったの、か………」


「寿命が、来てたのか?」




 文字通り降って湧いて出た言葉に、合点が行った。

 不死の葵はだが、不老ではなく輪廻転生を繰り返す。

 だから当然、寿命も来る。その場で生まれた身体は確かに死を迎えるのだ。

 自分を罵倒する。即座に思い付かなければいけない事だったのに。

 何故いきなり自分たちの前から姿を消したのか。

 そんなの。




「俺たちに、死んだ姿を見せたくなかったんだな」




 永遠でいたかっただけだ。




 葵は確かに不死の存在。だが輪廻転生を繰り返し、何処に生まれるか分からない。

 だから、身体が死を迎えれば、もう二度と会う事はない。

 普通の死と同じ。葵以外の者にとっては。


 普通なら親しい者に囲まれて静かに眠りたかっただろうに。

 死を惜しまれながら、生を惜しみながら、死にたかっただろうに。

 死を迎えられない葵にとっては、多分、普通の事が、苦痛で堪らなかったのだろう。

 死んではいない自己の存在。なのに、他者にとっては死んだ存在という立場が。

 これ以上なく、堪らなく、苦痛で仕方がなかったのだ。


 これまでもずっと、死んだ姿を見せないで、一人で静かに死を迎えていたのか?

 この問い掛けはきっと。

 唯一救いがあるとしたら、孔冥がずっと。



(いや。孔冥にさえ)



 莫迦だから。大莫迦だから。確実にずっと一人で。何度も何度も。数えきれないほどに。

 どうせまた生きられるからと、笑って、一人で、耐えて。




 ずっと望んでいた事があった。

 ずっと、ずっと、欲していた事があった。

 もしかしたら葵の負担になるだけと、告げた事などなかったが。

 自分でも夢物語で終わらせるはずだったが。

 奇跡が起こって、こうしてもう一度出逢えたんだ。

 もう、悪いが。

 これ以上、一人にはしてやれない。




「葵と永遠を生きるよ」



 言葉にして誓う。

 決して破らない、永遠の誓いを。




「駄目!!」


 草玄は身体を押し離され、真っ向から見つめられた。


「葵」


 向けられた表情は、今までで一番だと断定できるほどに、痛々しかった。


「何で、だから、嫌だったのよ。草玄は絶対、そう言うって、分かってたから。だから。早く嫌いになりたかったのに。嫌いになってほしかったのに。どうして」



 叶う可能性が低いから勝手に言わせておけばいい、という話ではないのだ。

 草玄がそう望んで、口にした事が、自分にとっては一番。何よりも。



(駄目。口にしては。それじゃあ、もっと)



 ずっと、ずっと、堪えてきたのに。これからもずっと、隠すはずだったのに。



 葵は草玄の胸元の衣を強く握りしめ、俯いた。


「お願い。嫌いになって。嫌いになって。もう、自分じゃどうしようもないくらいに」


 言葉にしたら、相手に届く。当たり前。なのに、もう、止まらない。


「好きだったんだから」


 あんな夢物語みたいな約束にしがみつくほどに。






 何時だって、捜していて。考えてしまって。愉しみたいのに、気分は沈んだまま。

 こんな気持ちを初めて知った。

 こんなに切ないという言葉を、痛いほどに。ずっと、ずっと。

 他の人はどうやって乗り越えるのか?

 棄てればいいの?忘れればいいの?他の恋を捜せばいいの?

 分からない。もう、苦しくて堪らなかった。

 だから、孔冥に願ってしまったのだ。

 記憶を失くしたいと。




 莫迦だ本当に。他の大事な思い出を犠牲にしてまでも、たった一人の男の人を忘れたいなんて。本当に。




「忘れててほしかったのに。誰あんたって、言ってほしかった。そしたら私は救われた。なのに、どうして。永遠を生きるなんて、簡単に言わないでよ」



 怖い。これ以上ないくらいに。

 ずっと草玄の事を考えて生きて行くことが何よりも。



「私は生きて行かなくちゃいけないの。草玄のいない世界で。だから、嫌いになりたいの。これ以上好きになりたくないの。なのに、これ以上」


 顔を俯けたまま、握りしめる力だけは増す。


「もう、私に触れないで。優しくしないで。思い出を与えないで」



 かつての思い出が救うなんて嘘。

 辛くなるばかり。

 それとも、自分が変だから、こんなにも気持ちを制御できないのか?

 もっと自由(愉悦)に生きたいのに。

 鎖(苦痛)に縛られている?

 前(未来)を向いて生きていたいのに。

 後ろ(過去)ばかり振り返る?



 これが弱さだと言うのなら、誰か強くなる術を教えてよ。



「好きだから、大好きだから、嫌いになってよ。重たいって。私を棄ててよ。もう。止まらない。自分じゃどうしようもない。もう、どうしていいか」


 顔を上げる。枯れてくれたらいいのに、涙は未だに溢れ出す。


「分からないよ。草玄」


 ごちゃごちゃになった思考を吐き出すように、声を荒げて泣いた。



 どうすれば想いを伝えられるか困惑し、泣き叫ぶ赤子のように。

 自力で解決できずにもどかしい気持ちを吐き出す為に、泣き喚く幼子のように。

 ただ、啼泣し続けた。




 胸板に額を押し付けて泣き続ける葵の頭を、草玄は優しく撫で続けた。

 思わず目頭が熱くなり、滲み出そうになる涙を堪える。

 これは貰い泣きではなく、すごく、非常識だが。

 随喜の涙だ。



 俺ばっかが好きだと思っていたんだ。

 俺ばっかり好きで、好きで、仕方がなくて。

 留まることを知らないこの気持ちは溢れるばかりで。

 俺だけだと思っていたから。

 だから。






『怪我をしたのか?』

『してない』


 朝廷を散策していた時だった。木陰から木陰へと、人目を避けるように、何処か目的地へ向かう葵が目に留まったのだ。腕を後ろに隠していたから、直ぐに分かった。


『じゃあ腕を見せろ』

『腕には幸福になるまじないがかけられてて、人に見せたら効果が薄れると占い師に言われた』

『ふ~ん。そうなのか』


 危機を悟ったのか。俺から逃げようと一歩ずつ後ろに下がる葵を容赦なく肩に抱きかかえた。


『兄上』

『大人しくしないと、お姫様抱っこで医務室に行くぞ』


 そう脅すや、借りられた猫みたいに大人しくなった。




『痛み止めの薬草を飲ませたからな、もう少ししたら目を覚ますだろう』

『何だよ。そのニマニマの気色悪い笑みは』


 最早猿だと言ってもいい顔、身体の医務官長、黄志こうしに、不満げな顔を向けると。


『惚れたな』

『掘れた?金塊でも掘り当てたのか?』

『何じゃ。無自覚か』


 意味が分からなかった俺に、黄志は軽快に告げたのだ。


『葵に恋しちまったってことよ』

『……は?俺が、葵に?冗談』

『今まで抱いた女は数知れず。だが恋はさっぱり。なおまえも、と~~うとう好きな女子を見つけたか。いや。このまま寂しい人生を送るのかと思っていたが。良かった、良かった』

『あのな。葵は妹で』

『真っ赤な他人で、預かっているだけだろ?しかもこの国じゃ近親婚なんてありふれてとるだろうが。何を気にする?』



 思わず押し黙ってしまった俺は、葵が寝る方向へと身体を向けた。


(俺が葵に、恋をした?)


 途端、動悸が激しくなり、身体中が熱を帯びるのが分かった。


(いやいやいや。ないから。だってよ。え?)




『兄上。その』


 怪我を隠していた事を怒られるとでも思ったのだろう。不安げな表情で近づいて来た葵をじっと無遠慮に見つめてしまった。


(俺が、葵を?)


『?兄上』


 見つめ返され、カーッとさらに熱が帯びる。俺は悟られまいと即座に後ろに振り返った。

『行くぞ』

『え、あ、うん』


 俺は足早矢に医務室から出て行った。ニマニマ笑う老猿から早く離れたかったのだ。




 家へ向かう途中、人気の少ない道にさしかかった時だった。今まで押し黙っていた俺はピタリと足を止め、後ろにいる葵へと振り返った。


『怪我、大丈夫なのか?』

『全然…はい。少し痛いです』


 睨み付けられ、葵は気落ちした態度を見せた。申し訳ないとは思っているらしい。


『怪我した時は言えって言ったよな』

『だ、だって。そんな幼い子どもじゃあるまいし。兄上はこの頃、演技が過剰って言うか。妹想いの優しい兄って感じで定着させたいんだろうけど。その、私だって、何年も間諜やって来たから、対処法は身に付けてて。何が言いたいかと言うと。心配してくれるのは嬉しいけど、し過ぎって言うか……私ばかりにかまけないでいいと言うか』

『何時俺がおまえばっかにかまけたよ?』

『だってこの頃ずっと私といるし。失敗したって絶対兄上に迷惑はかけないから。老子も約束してくれたし』

『迷惑?』

『…兄上?』

『兄上?』

『???』



 明らかに困惑した素振りを見せる葵。だがそれは俺も同じだった。

 葵の言うように、近頃の俺はずっと葵と共にいた。それが自然だったのだ。

 当たり前の存在。妹?何か違う。

 独占したい気持ちは一緒。でも手放す喜びもある。だが葵は。

 そうかと思った瞬間、身体が勝手に動いていた。

 思えばよくあんなにすんなりと行動に移せたもんだと、感心する。



 痛みを感じたのは、右頬と両足の脛より下の部位。

 目の前に映る葵は、顔を真っ赤にさせ、唇を腕で押さえていた。


『な、な、な』

『俺、おまえのこと好きになったらしい。妹じゃなくて、女として』

『はぁ!?』


 腕を下に勢いよく下ろし、怪訝な表情を向けた。


『そ。は。え。落ち着け自分』


 目まぐるしく表情を変えたかと思えばそう告げて目を瞑り、数回深呼吸したかと思えば、勢いよく瞼を開け、俺を見つめた。そして自信満々に告げたのだ。


『勘違いです』

『あ~。それはないから』

『何で!?』

『何でって。さぁ?直感?接吻した時初めて興奮したし。うん』

『せ。そ。欲求不満。だから』

『そうだな。欲求不満だった。何時も。どんな女抱いても満たされなかったし。ああ。そうか。好きでもないやつを抱いてたからか。納得』

『な。なら私も』

『抱かせてくれるのか?』


 ぶんぶんと勢いよく首を左右に振る葵。頭が取れるのではないかと危惧するほどの速さだった。


『で?』

『でって?』

『俺のこと、好き?嫌い?』

『……好き、だけど。その。兄上『草玄。二人だけの時は名で呼べ』『兄上のことは、家族。みたいな』


 拒まれても前向き思考。


『家族。つまり夫』

『いやいやいや。恋慕じゃなくて親愛』

『親愛も何時しか恋慕に変わると本で読んだ事がある』

『ええと。そうかもしれないけど』

『付き合おう』

『な、何で?』

『分からないなら確かめるのが早いだろ?俺も勘違いかもしんないし』

『確かめるって』

『安心しろって。無理やりは俺の主義に反するから。接吻は許容範囲。外国人を見ろよ。家族でもしてるぜ』

『外国人じゃないし』

『俺にとっちゃ、葵は外国人だって。葵にとっても俺は外国人だし。ああ。家族でも遠慮せずにできるな』



 絶句する葵。口をぽかんと開け、胡乱な瞳で見つめていた。

 頭の中で助平な莫迦兄貴と罵っている事だろう。

 だが逆に訊きたいね。助平ではない生き物など存在するのかと。



『ほい』

『???』


 突然手を差し出した俺に、困惑したのだろう。俺の手と顔を交互に見つめた。

 俺は構わずに葵の怪我をしていない方の手を握った。

 思ったよりも柔らかくなくて、硬くて。でも小さかった。温かかった。


『付き合うなら手くらい繋がないとな』

『いやいやいや。まだ付き合うって決めたわけじゃ』

『お試し期間だって。そうだな。三か月。その間にお互いに気持ちを確かめる。な?』

『……それで、まぁ』


 どうせ飽きるだろうと目測したのだろう。険しい表情を浮かべた葵は了承した。

 ところがどっこいだ。











 草玄は今、一睡もせずに朝を迎えた。視線を下ろせば、腕に頭を乗せ無防備な寝顔を見せる葵が映る。

 眠るのが怖かったのだ。またいなくなりでもしたと思ったらもう。でも。


「お互い、負けないくらい好きなんだ、よな」


 顔がにやける。笑いも込み上げて来る。えひゃひゃと訳の分からない笑いを高々と発したい。なんかもう、幸福絶好調。突き進め、不死の道へ。


 迷う事はもうない。あとは捜し求めるだけ。うん。なんて。


(難しいんだ)


 途端に気分が沈む。不死の力など見つかるのか?葵は偶然手に入れたと言っていた。自分にも降ったり湧いたりして目の前に現れないだろうか?


(まぁ、孔冥にも頼んどいたから情報が何かあるだろ)




「葵」

「お見苦しい所をお見せしまして。でもおかげですっきりした」


 はにかむ笑顔を向けられ、自分と同じ気持ちなのかと思っていたら。


「私、全力で草玄のこと、嫌いになるね」

「へ?」


 拳を強く握りしめ、瞳を爛漫に輝かす葵。気のせいか、身体が神々しい光を発している。いや。太陽の光だ。ハハ。


 一時葵の言葉から逃避していた草玄だったが、次の瞬間、有り得ないと言わんばかりに反論し始めた。


「いやいやいや。ここからは「一緒に不死になりましょう」「葵」みたいな?手に手を取り合って冒険しよう、的な展開だろ?」

「一緒にはいる。だって四六時中一緒にいないと嫌いな部分が見えないし。私、盲目なんだよ今。うん。前もさ、結局一緒にいる時間少なかったし。だからだよ。草玄も然り」

「そ、そんなすっきりした顔を見せられても。ま、眩しい」

「うん。嫌いになる。よっしゃー」

「『よっしゃー』じゃねぇよ。俺のこと好き、なんだろ?」

「うん」

「なら一緒にいたいよな」

「うん」

「なら」

「私は変だから不死でも大丈夫なの。まぁ、草玄の事は、私も驚きだったけど。こうやって回り逢えたわけだし。けじめをきちんと着けるいい機会。うん。で、草玄のいない世界でも愉しく生きます」

「いやいやいや。勝手に殺すな。俺生きてるし」

「うん。だから生きてる間に嫌いになるから」


 草玄は情けない顔から一変、真顔になった。


「いや。俺が不死になるから」

「いや。私が嫌いになるから」

「なら競争な。俺が不死の力を手に入れたら、共に過ごす。葵が俺の事を…嫌。い、になったら、不死の力を諦める。どうだ?」

「いいよ。先に嫌いになるから」

「じゃあ、競争な。ハッハッハ」

「ハッハッハ。負けないから」


 互いに軽快な笑い声。心は晴れている。






「変人だな。二人とも」

「見ていて飽きないでしょう?思いもしない方向に転がり落ちますから。あなたも、ですが」

「私は真っ当だ」


 実は昨晩からずっと外でひっそりと聴いていた空と孔冥。草玄と同様に一睡もせずに朝を迎えたのだ。


「まぁ、信条は変えない、と言うわけか」

「あなたも、ですけどね。呑気にと愉しくと。全く。志が低いお嬢さん方だ」

「そうか?誰もが望んでいる事だと思うが」

「当たり前過ぎて、いちいち口にしないですよ」


 微笑を浮かべて後、空は不意に真顔になった。目線は黄金色の大空へと。


「孔冥。彼女には告げるなよ。草玄にもだ」

「何を、ですか?」


 その答えを受けて、空は不敵に笑った。


「いや。いい。気にするな。何もな」






「草玄。その」

限樹げんきは可愛い嫁さん貰って元気な子も産んで貰った。八十八まで生きた。らしい。閻魔大王から聞いてるだろ?」

「うん。でも、直接、草玄から、聞きたくて。その、教えてもらっても、いい?」

「ああ……不死の力が、子供に遺伝しないってんなら。これからも子作り頑張ろうな」





 

 この時の自分は本当に莫迦みたいに舞い上がっていた。

 だから、葵の表情を見逃していた。

 秘密などもうないと思っていたんだ。










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