第8話 蒲公英の種は風に運ばれ地に根付く

「おまえは本当にそれを望むのか?」

「はい」


 電話の相手は数秒の沈黙の後、孔冥の願いを聞き入れ、しみじみと感想を告げた。


「これで二人目、か。葵以外におまえが気に入った人物は」

「気に入った、というよりは、見ていて飽きないだけですが」


 相手はクッと喉を鳴らし、笑い声を発した。


「上々じゃないか。生きてるのが愉しくなって来ただろ?まぁ、同時に」







 孔冥は携帯を神様から貰った道具箱に収め、葵が待つゲートへと向かった。



―――宇宙船場第一ターミナル、ゲート130『世界星』行き。


 搭乗時間になったのだろう。SPOの本部がある『世界』へ向かう宇宙船へと、人々は時間がないと言わんばかりに次々と乗り急ぐ。


「堅苦しい人物ばかりですね」

「あそこに行くのは役人だけだからな」

「何か観光場所創ればいいのにな」


 席に腰を落ち着かせた葵は右隣に座る草玄を横目で見た。


「何であんたがいる?」

「友達だから」

「…孔冥」


 左隣に座る自分へと顔を向けた葵に、孔冥は消沈した態度を見せた。


「申し訳ありません。無用な心遣いでしたね。ただ私一人では心細いのではと思ったものですから」

「ああ。本当に無用だったな」


 演技と分かるだけに、容赦なく切り捨てた。

 すると、コロリと態度を何時もの飄々とした感じに戻す。


「ですが、旅は道連れとよく言いますし」

「…もういい。どうせ私があれこれ言っても聞かないんだろ?二人とも」

「さすがは葵様。潔い」

「邪魔はしないって」


 二人の言葉にすぐさま返さず数秒の沈黙の後、不意に、葵は目を細め前に視線を固定させ、二人に告げた。


「もう偽名はいい。元に戻す」


 その顔は、ほんの少し物憂げにも見えた。


「まだ草玄には言ってなかったな。私の本当の名は」






「空!!」

「姉上。はしたない」



―――『世界星』の中心都市『夢現』の王宮の庭にて。


 淡い桃色の外壁で彩られた王宮の庭へと案内された空と呼ばれた葵は、少し気弱そうな面立ちだが容姿は和美人で、着物が良く似合う姉、麗歌れいかにいきなり抱きしめられた。



「だ、だって。いくら捜しても見つからないし」

「それはそうだ。逃げてたからな。姉上にも」


 空の視線が自分から後方に向けられ、麗歌は即座に空の前へと立ちはだかった。

 まるで虎に狙われる仔鹿を護らんとする母鹿のように。


「父上にも」


 二人の前にいかつい顔をした、常に人を寄せ付けない厳然な態度を取る父親、厳耕げんこうが静かに佇立した。

 空はほんの少し身体を横にずらして厳耕を無言で見上げた。



「帰って来なくとも良かったものの」



 何も変わらなかった。



「永久に」



 私を嫌い、いや、憎みさえしているその態度は。




 私たちの一族は祖父の代から『SPOの長』の地位を継承してきた。

 野心溢れる父は祖父の期待に応え無事に継承し、役人の中で世界に貢献してきた女性と結婚をし、二人の娘を産んだ。



 姉は頭脳明晰で人の心を慮る、まさに為政者に相応しい能力を持った人当たりのいい娘であった。

 私は何の能力も持たず平凡よりもさらに下の学歴で、感情をあまり表に出さない無愛想な娘であった。

 どちらが父に気に入られるか、など、明白であった。



 母は生まれた時にはもういなかった。

 死別ではない。

 甘やかす存在になるだけだと、父が母を妻の座から元の役人の座へと戻したのだ。

 優秀な母の遺伝子が欲しかったから、妻へと迎えただけ。

 子を産めないと分かったから、優秀な役人へと戻しただけ。


 

 だから私たち姉妹には母はいない。

 いや、ほんの少しの時間は、いたのかもしれない。

 だけどもういない。

 父はどの女性を選んだのか公表しなかったから。

 誰も知らない。

 一時、私たちの母となってくれた人が名乗り出ないでもしない限り。



 だが母がいない事を私たち姉妹は寂しいと思った事は、奇妙かもしれないが一度もなかった。

 それは私たちには父親しかいないと、刷り込まれていたから、か。

 共に姉妹がいたから、か。



 父に厳しく躾けられている姉を、私は遠くから見つめていただけ。

 何の期待も持てない娘に手間をかけるほど余計なものは無いと考えていたのだろう。

 私は別段、それでも良かった。

 あんなにも重圧をかけられるよりも、無関心であってくれた方が都合が良かったのだ。

 ただ、早くここから出たいとは思っていた。

 だから、何とか頼み込んで雑用をこなし、費用を稼いだ。

 その事を父は知っていたらしいが、別段、何も言われなかった。

 きっと早く出て行ってほしかったのだろう。

 それでも、直ぐに出て行けと金を渡さなかったのは、金が惜しかっただけの話。

 それほど、私には手間をかけたくなかったのだ。

 無関心であり続けたかったのだろうに。



 その感情が憎悪へと変わったのは、姉が私に近づいたから。

 いい影響を与えないと、父に何度も近づくなと告げられても、姉は幾度も幾度も私の元に訪れた。



 姉は優しい人だった。

 自分だけ注目を置かれてと、憎んだ事は一度もなかった。

 逆に、可哀想だとしか思わなかった。

 年を重ねるにつれて、大きくなるはずの姉の姿は小さくなるばかり。

 重圧が重すぎたのだろう。

 いくら頭脳明晰でも、人が一人で解決できる事など、たかが知れている。

 姉は何時も努力していた。

 父の為、と言うのもあったであろうが、本当に、世界の為に。

 なのに。人々は姉を詰責するのみ。

 姉一人だけの問題では無いにも拘らず、ただ長であると言うだけで、人工的、自然の事でさえも。そう、世界の全ての責を取らされるのだ。

 それなのに、長の地位からは解放させてはもらえない。

 父でさえ。

 厳しくすれば伸びるとでも思っていたのだろう。

 褒めると言う言葉を知らない人なのだ。



 遠くから見つめていれば良かったのに。

 頑張っていると、告げたのが過ちだったのだろうか。

 姉が私を手放さず、姉が問題を解決できないのは私の所為だと、父は思い、そして。

 無関心ではいられなくなり、憎悪の感情を抱くようになっていった。



 父は元より、姉の事さえ、この星で起こっている全ての事が面倒だと思った私は、この星から出て行ったのだ。




 あんなにも、一人になるのを怖がっていた姉を一人置いて。







「麗歌。戻るぞ」

「嫌です」

「麗歌」


 声質が変わる。尖り冷たいものへと。


「会議までまだ時間はあるはず。長年会えなかった妹に出会えたのです。了承を」

「…会議までには必ず戻れ」


 父が王宮へと戻るのを見送って後、麗歌は後ろを振り返り、笑みを向けた。


「結婚の報告?」

「姉上」

「や~ね。冗談よ、冗談。そんなに怖い顔をしないの。で?」

「…友、人の草玄だ」

「初めまして。大親友の草玄と言います」


 紹介された草玄は葵の隣へと赴き、小さくお辞儀をした。


「初めまして。空の姉の麗歌と言います」


 小さくお辞儀を返して後、麗歌は空の手を手に取り、彼女へ身体を向けたまま前へ後ろ向きに歩き始めた。


「会議がもう少しで始まるの。だから私の部屋で待っていて。ね」


 途端、小さな子どものような頼りない麗歌の姿に、空は小さく肯いた。


「分かった。待っている……姉上」

「何?」

「大事な話があるから」

「うん。じゃあ。孔冥。よろしくね」

「はい」




「あの、さ」

「父は何時もあんな感じだ。気にするな」


 案内された部屋の中は上品な装いで、椅子に座り言いにくそうに口を開いた草玄は、空に素っ気ない物言いでそう告げられ押し黙ってしまった。


「面倒な父だと思うだけだ。他の感情を向けた事はない。一度もな」

「じゃあ、ここに来たのは、姉さんの為か?」

「ああ」

「空様。一度草玄を庭へと案内しようと思います」

「ああ。もう、終わってしまったが、桜が植えられていて、とても綺麗なんだ。今度観に来い。彼女と」


 何も言葉が出なかった。






 庭にはすでに桜の花は咲き散り、黄緑色の葉が生い茂っていた。


「空様は別離を覚悟しているのですよ。この世との、ね。だから最期に姉君に会いに来た」

「何とか、できないのかよ」

「できますよ」


 あまりにも素っ気なく言われたものだから、反応するのに時間がかかってしまった。


「そんなに口を大きく開く事ですか?」

「そりゃあそうだろう!どう言う事だ!」


 詰め寄る草玄に、孔冥はにんまりと猫のような笑みを向けた。


「神様に頼みました。葵が目覚めた時、空様の身体を形成し、一個人として生きらせてくれと。了承してくれましたよ」

「それ空に」

「告げていませんよ。最期だと悟ったからこそ、ここに来たのです。きっかけが必要だったのですよ。戻るね。ですから言わないでくださいよ。分かったら「そうか。なら帰ろう」と言うに決まっているのですから」

「…そ、っか。良かった」


 孔冥は真正面から見つめた草玄が本気で安堵しているのが分かった。


「これで心置きなく記憶を取り戻せますね」


 草玄はハッと思い直し、訝しげな表情を向けた。


「それ、さ。大丈夫なのか?対価とか」

「神様は適当に産み出し、面白いものを見守るだけ。奪いませんよ。ですから対価など取りません」

「本当か?」

「おや。疑い深い」

「孔冥」

「本当ですよ。神様に誓います」

「…ちゃらんぽらんな神様もいたもんだな」

「まぁ、それくらいがいいんですよ」








「姉上」

「ん?」


 会議が終わって後、四人で夕食を取ってから、今、空と麗歌は二人だけで相対していた。


「何も言わずにいなくなってごめん」

「うん」

「何もできなくてごめん」


 麗歌は小さく首を振った。


「話を聞いてくれた。慰めてくれた。頑張っているって、言ってくれた。嬉しかった。誇らしかった。空の言葉で。空がいてくれたから、私は、強くなろうって決めたの。護ろうって。なのに。ごめん。ごめんね。父上に、私は何も言えなかった」

「父上は…どうでもいい……ごめん。姉上。私は、父に対して何も期待していないんだ。父親らしい事を。姉上と違って。姉上は大切だ。でも父上に対しそう思った事はない。これからも。姉上」


 空は麗歌の両の手を手に取った。


「私は父上を家族とは思えない。父親と名が付いている人なだけだ」


 麗歌は唇を強く引き締めて後、か細い声を発した。


「どうしても?」

「ああ」

「家族に、なれない?」

「ああ」

「そう」



 今にも崩れ落ちそうだと、空は思った。




 知っていたのだ。姉が私たちを家族にしようと奔走していた事は。

 それぞれの誕生日に。年の行事。お正月に。雛祭りに。子どもの日に。父の日に。勤労感謝の日に。クリスマスに。学校の行事。体育祭に。文化祭に。発表会に。

 そうやって、何かと言い訳を持って来て、共に過ごせる日を作ろうとしていた事は。

 家族になろうと、必死に思っていた事は。

 何時だって、努力をしてきたのは、姉上だけ。

 私も、父でさえ、努力してきた事はなかった。


 だから、最期くらいは。


 努力など、立派な名を付けられるほどの、行いはできないが。

 姉のささやかな願いさえ叶えてはあげられないが。

 自分の気持ちだけは真っ正直に伝えたい。

 面倒だと、そこらへんに放り投げてきた想いを。

 何度でも、何度でも。




「姉上。姉上は私にとって誇らしい女性だ」

「空?」

「頑張っている。世界中の誰よりも。どうして報われないのか、分からないくらいに」

「何を」

「だから」


 空は麗歌からそっと手を離し、床に手をついて頭を下げた。


「何の役にも立たないかもしれない。足手まといになる可能性の方が高い。だけど」

「約束する。何時か必ず、傍に行く。自分の力で」



 麗歌はゆっくりと目を見開いた後、一瞬、今にも泣きそうな微笑を浮かべた。

 未だに頭を下げている空には見せていない。



「莫迦ね。空みたいなのんびり屋さんにはこの世界は向いていない」

「世界が忙しなさすぎると思う。もっと、のんびりでいい。少なくとも、私がいた『鴻蘆星』は、のんびりとした星だった。この星も、あそこまで行かなくても、もう少し、のんびりするべきだ」

「そう、したいの?」

「姉上。私はやりたい事が二つある。お世話になった社長に恩を返す事。世界をのんびりとさせる事。だって」



 顔を上げた空は無邪気な笑みを向けた。

 初めてかもしれない。いや。初めてだったのだ。



「空」

「世界が忙しないと、呑気に暮らせないから」




 世界を変えなければ、呑気に暮らせないわけじゃないじゃない。あなたはあなたの道をいきればいいのよ。

 頭の中ではずらずらと、姉として相応しい科白が思い浮かぶのに。

 口には出せない。

 ずっと誰かに、傍にいてほしかった。

 それが弱さだと言うのなら。

 私はずっと、弱いまま。

 縛り付けていたのは知っていたのだ。

 それでも、耐えられなかった。

 自分を肯定してくれる人が傍にいてくれなければ、立ってはいられなかった。

 だから。謝るのなら、自分の方だった。



「弱くてごめん」

「姉上の何処が弱い?一度だって逃げ出さなかった。世界からも、父上にも、私にも。強いよ。姉上は。知らないだけだ」

「そ…ばに来なくても」

「行くよ。私が勝手に約束するんだ。って言っても、行けない可能性の方が高い。だから。その。期待しないで待っていてくれる?」

「…うん」


 年上の姉としての矜持なのだろうか。泣く顔を見せまいと俯き声を殺す麗歌の頭を、空はぽんぽんと二、三度優しく撫でるように叩いた。






「のんびり暮らす自分とはお別れだな。全く、面倒だ。これも世界が忙しないからいけない」

「空」

「草玄。まずあんたの所で政治やら経済やら文化やらその他諸々を教えてもらう。友人という事で、授業料免除の方向で、国王夫妻に話をつけてくれ」

「空様」

「持つべきは権力のある友人、だな」

「「空/様」」


 三人で庭を散策している所だった。空は後ろから名を呼ぶ草玄と孔冥の方を振り返った。

 鬼の形相を浮かべている二人へと。


「…神様から聞いていると思ったんだ。別段、隠していたわけじゃない」


 何でも、記憶を取り戻すと決断したその日の夜に。


『おまえも気に入った』


 との神様のお告げがあり、一個人として生きられると知らされたらしい。

 それは、孔冥が神様に電話する三日前の出来事である。


「おい。神様の所に案内しろ。一発お見舞いしてやろうぜ」

「いいですね。そうしましょう」

「それよりも、やる事があるだろう」


 空に呆れ顔でそう告げられた二人はごそごそと道具箱を漁っていた手を止め、顔を引き締めた。

 二人の視線が注がれる中、空は自信満々に告げた。


「草玄。何か葵に話しかけろ。一切触れないで。で、私は意識を集中させ彼女を捜し、引っ張り出す」

「…強硬手段?」

「ああ。色々模索するのは面倒だし。一発勝負。大丈夫だ。これできっと成功する」

「空様が長の補佐になりでもしたら世界は停滞しそうですね」

「その前に役人にさえなれないだろ」

「無駄を省いただけだ。草玄。早くしろ」

「愛してる」

「「……」」

「な、何だよ」

「だからそれ以外の言葉を知らないのか?」

「莫迦ですから、仕方がないのですよ」

「莫迦だから」

「莫迦だから」

「二人で頷き合うな!」

「もういい。あんたは当てにならん。自分で何とかする」




 瞳を閉じた空に、草玄は眉根を寄せながら気恥ずかしそうに語り始めた。

 今となってはもう、遥かなる昔話を。











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