第5話 袋の中で蛍は何を想う?

「俺たちは『取り戻し屋』で、取り戻してほしいと言う依頼があれば何でも取り戻す。命以外は、だけどな。そして依頼方法は町のどっかの壁に依頼の文字と名前に連絡場所を記す。オラルドとそれだけを見つけるのが仕事のソランが毎日街の隅々を走ってるからな。見つけられなかったら運がなかったと。つーか。面談の時に説明したよな」

「すいません。葵に会えると心弾ませていたので全然耳に入っていませんでした」

「そうかそうか。なら仕方がないな。で?」

「でって」



 草玄は今、社長であるランドと小さな机を挟んで向い合せに座っていた。二人以外は外出中である。

 ニマニマと笑うランドはズイッと草玄に顔を近づけ、誰もいないにも拘らず囁き声で問いかけ始めた。



「葵とはどうなんだ?進展あったか?」

「いや。それが全然。どうしたらいいんですかね?」



 人生の先輩、男の先輩として、ランドに教授を願わんとする草玄。

 彼は必死だった。



「会う度に愛してるって言ってるんですけど。言う度に死んだ瞳がさらに劣化して行っているような気がして。もう白く濁り始めているって言うか。何も見えてないって言うか。俺の言葉全然届いてないじゃん、て言うか」

「そりゃあ。しつこ過ぎだろ」

「ですかね。けど。抑えられないんですよ。もう、こう。溢れ出すんですよ。自分でも驚くくらいに。九官鳥か、とか思うんですけど」

「距離空けた方がいいんじゃないか」

「嫌です」



(即答しやがって)


 全く青春だと、ニマニマが止まらない。



「そう言えばあいつ。今日は落ち着き無かったな」


 ピキリと、顔が固まる。


「ええ。そうですね」


(?何か寒くなったな)


 季節は春真っただ中。暑くなりはしても寒くはならないはず。


「いや~。いい天気ですよね。外に出かけるには絶好の日和だ。ハッハッハ」



 窓に顔を向けていた草玄がそう告げるや、天候が一変。暗雲が立ち込めたかと思えば、バケツが引っくり返るような土砂降りの雨が降り注ぐ。



「おや。雨が。これじゃあ、外に出かけるのには不都合ですね。残念無念」

「草玄。何か顔が怖いぞ」

「そんなことないですよ。ハッハッハ」


 雷鳴まで轟く中、笑い続ける草玄。

 嫉妬に狂う男は、実に怖い。


「ただいま帰りました。そして帰ります。お疲れ様でした」


 扉を開けるや異様な光景を目にした葵は、それだけ告げてまた扉を閉めようとしたのだが、瞬時に距離を縮め扉を抑えられた為に叶わなかった。


「愛してる」

「………それ以外の言葉を知らないのか?」

「勝手に出て来るんだ。止められない」

「なら私の顔を見なければいいな。永久に姿を現すな」


 扉を閉めようと力を籠めて少しずつ動かすも、相手も負けじと引き戻す。


「嫌だ」

「あんたの理想の女は他にいるはずだ。こんな愛想のない女を何時まで相手にしている?不毛だ。諦めろ」

「嫌だ」

「あんたは手に入らないからそんなに意地を張っているんだ。いざ手に入れてみろ。つまらない女だと棄てるに決まっている」

「誰がんな勿体無い事するかよ。莫迦らしい」


 葵はハッと嗤った。


「口だけなら何とでも言える」

「それ以外に証明する術を持たないからな」

「言葉でしか。おまえの傍にはいられない」


 真っ向に向けられた、消える事のない光を灯す瞳から視線を逸らす。



(調子が狂う)



 言葉だけでは追い出せない。決定的な何かを起こさなければ。

 だが、目の前の男は絶対にしない。

 それをすれば傍にいられない事を察しているから。

 絶対に。



(さっさと諦めればいいのに。どうしてここまで)



 だがそれ以上に気になるのは自分の気持ちだった。

 ここまで求められているのだから一度だけでも付き合えばいい。

 そうしたら気が済むだろう。

 互いに。

 死ぬだの生きるだの、命に関係する事ではないのだ。

 軽い気持ちでいればいいのに。

 なのに。

 どうしてここまでさせて拒む。



(棄てられるのが、暴力を受けるのかもと考えると怖いのか。私は何を)



 自分には全く関係ないと思っていた恋というものが急に訪れて、委縮しているのか。

 考えれば考えるほどに訳が分からなくなる。



(ああ、もう。メンドイ。さっさと諦めてくれ)



「本当に…迷惑なんだ。さっさと諦めてくれ」

「葵。悪い。諦められない」


 手に触れそうになるのを必死に抑える。


「諦められない」


 口調から、表情の端々から、どれだけ本気かが分かるから余計に。

 拒むのに、力を要する。


「どうすれば諦めてくれる?私に似た女を連れてくれば満足か?そうすれば諦めるか?」

「葵」

「もう、名を呼ばないでくれ。あんたといると、頭が変になる。私はただ、呑気に生きていたいだけだ。社長に恩を返しながら、そう生きていたい。その邪魔をしないでくれ」

「邪魔をするつもりなんてない。ただ、その手助けを…したいだけだ。一緒に愉しく生きて行きたいだけなんだよ」



(どうして私は)



 口を一文字に結び、堪える。



「葵」



『愛してる』



 夢に出てくる男と目の前の男の声音が重なる。

 全然違う人物なのに。

 頭がおかしくなる。



(もう嫌だ。本当に記憶を失っているのなら、早く取り戻したい。だけど、言えない)



 どうしてか。口にしてはいけない気がするのだ。



(疲れた。今日はあの人が来る日なのに、急に雨が降って来るし。最悪だ)



 じわりと、滲み出す何かを必死に抑える。



「葵?どうした。顔が真っ青だ。医者呼ぶか。連れて行くか」

「あんたの所為だ。もう、構わないでくれ」



 ズキンと、痛みが生じる。



 低い声音でそう告げるや、葵は扉の取っ手から手を離しその場を去って行った。






「社長。俺、どうしたらいいんですかね。ただ、俺はただ」

「怯えているんだろうな。恋にか。もしくは、おまえ自身に。思い当たる事はないか?」


 後ろから掴まれた肩にほんの少し痛みが生じる。



(葵の事を心配してくれているのか。いい人に出会ったな)



 いえ、と頭を振った草玄に、ランドはそうかと告げ肩から手を離した。




 ランドも用事があると出掛け、倉庫には草玄一人となった。



(俺自身に怯えている、か。けど俺は何も…してないよな)



 記憶をあちらこちらに張り巡らすも、思い当たる事は何もなかった。



(けど俺にとってはどうってこともない事でも、葵にとっては苦痛な事だったのかも)



「葵。俺はおまえの傍にいない方が良かったのか。いてほしくなかったのか」


 強引に迫ったのは事実だった。

 今回みたいに、自分の気持ちを押し付けて。

 だがそうする以外にどうすればいい?

 自分の気持ちを言葉で伝える以外に、何があると言うんだ?


「迷惑、だったのか?俺は」


 一緒になった時でさえ不安がなかったわけではない。

 だがそれでも。

 一緒にいて笑っていてくれたから、不安など吹き飛んだのに。


「葵。葵…葵」


 気持ちが分からない君を。

 どうしたら理解できる?

 言葉通りにいなくなれば満足だというのならば、自分は。


「いなくなる、か」



 怯えさせたいわけでは決してない。

 格好つけてでも。

 ただ、君の為にと。

 生きていたいだけだ。



「だけど。最後に、な」



 止む事のない雨はひどくなるばかり。

 これでは今日、野外で行われるはずの映画祭は中止になるだろう。


「これが最初で最後、か」


 君が笑ってくれるだろう、唯一の機会だった。









「今日は中止、か」



 緑の地帯の或る一角に設けられた芝生が敷き詰められた、だだっ広い憩いの場を会場とした映画祭へと傘を差しながら向かった葵は、『本日は中止。尚、今後の映画祭の日時は検討次第発表します』と書かれている看板の前に、また踵を返す大勢のファンの間に立っていた。



 聞こえるのは、自分の声さえもかき消すような篠突く雨の音と、途切れ途切れに人の会話と、遠のく雷鳴のみ。



「帰るか」



 自身もまた看板に背を向け、帰ろうとした時だった。

 雷鳴が轟いたような太鼓の音が鳴り響いたかと思えば、スポットライトが或る一点に集中し、地面が揺れ動くような歓声がその場を占める。


 葵もまた他の人と同様に振り返るや、小走りに足を動かした。

 ほんの少しでも、近くへと。

 ほんの少しで良かったのだ。


 

 俳優を止めるとの発表があった後の、初監督作品だった。

 たった一言の謝罪と映画の宣伝だけの登場だったが。

 一目見られただけでもう。

 十分だった。






「無駄になったな」


(まぁ元々、渡すつもりもなかったが)


 誰もいなくなった会場で一人、佇んでいた葵の視線の先には、一種類だけで作られ小さな花束を収めた黒い紙袋があった。



 その花の名前は『蛍袋』。開花時期は六月。

 今はまだ姿を見せない花であった為、折り紙で作り上げたのだ。

 花言葉の気持ちをただ籠めて。



(らしくない、か)


 雨は漸く止み、濡れて浮きだった土の匂いをほんの少し、深めに身体に行き渡らせる。


 この花を『蛍袋』と名付けたのは、地球に存在する日本国だった。


『花の中に蛍を閉じ込めると、その灯りが外へ透けて見える』

『蛍の出るところに咲く』


 と言う所から名付けられたらしい。

 また。


『提灯の古名を「火垂ほたる」と言い、その提灯に似ているので「火垂る」、それが「蛍」になった』


 とも言われている。




(小さくて丸っこい茄子みたいだけどな。桃色の)



 紙袋から紙の花束を片手に取り、掲げる。

 月虹に淡く照らされている天上へと。



「花の中にいて光を灯せば、少しでも寿命が延びたからか?目立たなかった花が、蛍がいる事で気付いてもらえたからか?それとも、夜道を照らす提灯に似ていたからか?」



 だから、花言葉が。



「『感謝』…ですか」

「孔冥。すまない。こんな夜中まで付き合わせて」


 腕を下ろした葵は振り返って顔を仰ぎ、孔冥の顔を真っ向から見つめた。


「監視役も大変だな」


 孔冥は小さく頭を振った。


「否定するのも飽きました」


「…この星にまだ手配書が回っていないな。姉上に知らせていないのか?それとも、姉上が諦めた、か。分かった。そう怖い顔をするな。おまえは姉上ではなく父上の、だからな。父上にとっては、私がこのまま放浪していた方が都合がいいのだろう。いや」

「野たれ死んでいてくれた方がより都合がいい、か」


「好き勝手に妄想してください。止めませんから。そんなくだらない事よりも……渡せば良かったでしょうに。せっかく作られたのですから」


 孔冥は視線を花束へと固定させた。


「一歩踏み出す勇気がなかった、ですか?」

「いいんだ。一目見れた。それだけで」

「逃げの口上ですね。本当は伝えたかったくせに」

「言えるか。あんなこっぱずかしいこと」


 孔冥は視線を葵に戻した。


「ほぉ。こっぱずかしいことを言うつもりだったのですか?何ですか?『愛してる』とかですか?」

「誰が」

「ですね。顔を合わせる度に口にする恥知らずな方もいますが」

「親友のくせに、そんな事を言っていいのか?」

「事実ですから……駄目ですか?」

「駄目だ」

「何故?」


 不意に口を閉ざした葵は一時無言だったが、ぼそりと告げた。


「…あいつといると調子が狂う」

「それは恋煩い、では?」

「……冗談は「一緒にいるのは嫌ですか?嫌悪感を覚えますか?」

「嫌悪感、までは。別に」

「なら簡単ですよ。付き合えば宜しいではないですか」

「嫌だ!!」



 発せられたのは、他人かと思うほどに張り上げた声で。

 葵は肩をストンと落とし、地面に顔を俯かせた。



(…何なんだ?)



「すまない。分からないんだ。どうしていいか分からない」

「はい」

「虚言でも妄言でも……真実でも。私に近づいて来た」

「そうですね」

「どんなに冷たくあしらっても、諦めないんだよ。諦めて欲しいのに」

「何故?」



 まるで子守唄のようだ。



「分からない。ただ拒むべきだと…あいつは危険なのか?」

「違いますよ。多少強引になることもありますが、暴力をふるうような男では断じてありません。女性を物のように使い捨てる男ではありません。私が保障します。…これでも、駄目ですか?私の言葉は信用に値しませんか?」



 陽だまりのように、温かい。



「すまない。違う。信用していないんじゃない。ただ」



(ポタポタと……滴り落ちてくるこれは何だ?)




 頬から顎を伝り、地面にただ落ちて行くこれは。




 葵は目を硬く瞑り、空を仰いだ。

 それでもなお。

 今度は耳までへも伝う。



「孔冥。雨がまた降って来た」

「そうですね」

「こんなに雨が降っては、むしゃくしゃする」

「なら。喚き叫べば宜しいでしょう。気が晴れますよ」

「…聞かれたくない。と言っても無駄だな」

「なら耳栓をして、さらにその上から布を巻いて、さらに手で塞いでおきます。何も聞こえませんよ」

「…一人になりたい」


「それは聞き入れられません。ほんの少しでも目を離せば、あなたは風のように消えますからね。あなたが幼い頃に教訓を得たのですよ」

「一人にしてはいけない、とね」


「…鼓膜が破けても知らんからな」

「それはそれは」

「可愛い嫁さん見つけろ。早く結婚しろ。健康な子どもを産め。幸せになれ」

「何ですかそれは」

「私の願いだ。世話をかけてばかりだからな。依頼人に独り身の女性がいたら紹介する」




 気付かれぬように、深く息を吸ったら。

 ほんの少し、澄んだ空気に変わっているのが分かる。




 葵は仰いだ顔を孔冥へと向けた。

 何時もの無愛想な表情を。



「孔冥。雨は止んだ。帰ろう」



 彼女は気付いていないだろうか。



「はい」



 未だに。


 ポツリ、ポツリと、天上から雫が風に乗って優しく舞い落ちる。


 雨は止んでいない事に。














「お願いします。彼女を取り戻してください」



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